白滝山について 20171015 於ポートぴあ土生
修養団捧誠会中国ブロック講演
1 はじめに
昭和27年(1952)俸誠会、生長の家 伝わる。
世帯数1108、人口5451。
昭和34年白滝山上に平和一神和石建立。
重井町文化財協会「重井町史年表」(1999)
2 本日特に申し上げたいこと。
十字架観音像というのは間違い。
仏教、神道、儒教、キリスト教を融合させることが当時できたのか。
伝六さんは毒殺されたという噂。
3 伝六さんの思想
・重井町と白滝山
「白滝山管理人」→白滝山保勝会(ハードの面)
→文化財協会(ソフトの面)
・重井町民と伝六教
・白滝山と伝六教
4 伝六さんの思想的役割
お寺が寺請制度の下で宗教的役割を果たしていなかった時に、
観音経、曹洞宗に基づく仏教を道徳的に民衆に説いたこと。
5 伝六さんの思想の継承と発展
6 不易と流行