2018年9月6日木曜日

社会教育家としての柏原伝六

                             2018.10.9.立正佼成会講演
柏原林造
(尾道市因島重井町)
1。しげい の かんのんさん
 白滝山のことを子供たちは「しげいのかんのんさん」と呼んでいた。
 「かんのんさん」には二つの意味があったが、どちらが正しいのか知ってはいなかった。
  1は文字どおり「観音山」
  2は「観音様」がくだけた「観音さん」。すなわち人を呼ぶときの「○○さん」の「さん」である。
   そして2の「観音さん」には「観音菩薩さま」の意味と「伝六さん」の意味があったのではないかと思う。
   誰から聞いたわけではないが、「観音さん」とは「伝六さん」のことではなかったかと、今になって思う。伝六さん自身が「観音道一観」と名乗ったのだから、それでいいと思う。
 そして、「白滝山」はよそ行きの名称であった。 ▶︎白滝山


伝六年譜 ▶︎伝六夫婦像
 1781年(天明元年)重井村に生まれる。因島は備後国だが広島藩領。
 1805年(文化2年)25歳西国巡礼。
 1822年(文政5年)42歳悟りを開く。「観音道一観」と称す。
 1823年(文政6年)白滝山上で座禅修行。
          5月多宝塔建立。▶︎多宝塔(+8磨崖仏)
 1827年(文政10年)47歳。正月石仏工事始まる。
          11月釈迦三尊像完成。▶︎釈迦三尊像 普賢菩薩像 釈迦如来像 文殊菩薩像 四天王 
 1828年(文政11年)48歳。2月阿弥陀三尊像完成。▶︎阿弥陀三尊像3体(勢至菩薩像 観音菩薩像
          正月から3月広島藩庁へ呼び出される。
          3月15日死去。
          9月15日墓碑坐像建立。▶︎伝六さん(墓所)  柏原伝六座像
 1830年(文政13年)4月石仏工事完成。 



2。伝六さんの偉さとは何か?
 一般に伝六さんは
 神道、仏教、儒教、にキリスト教を加えて新しい宗教「一観教」を作った
と言われている。
 なお、現在地元には「一観教」の信者や宗教教団はない。おそらく全国のどこにもいないだろう。
 これでは伝六さんの偉さは見えてこない。結局白滝山の石仏を作った人、ということぐらいしかない。正確には作ることを発案した人である。


3。幻の一観教
 それでは、「一観教」とは一言で言えばどんな宗教なのか。
「一観教」は神道、仏教、儒教、キリスト教とどこが同じで、どこが異なるのか。
 また、それらからどのような影響を受けているのか。
「一観教」独自の概念は何か。
 儒教的精神と法律で禁じられていたキリスト教を取り入れることの矛盾をどのように解決しているのか。

 ・・・等々の問いに答えられる人はいないし、どこにも書いていない。
 ということは最初に言いだした人の思いつきに過ぎないのではないか。
 それを無批判に紹介、伝播するのは知性の欠如と言うほかあるまい。
 
 伝六さん死後、そういう教団がなく、現代も信者がいない以上、上記のような考察を経て初めて「一観教」と呼ぶことができるのではないか。

4。その他の白滝山に関する誤解
 十字架観音像 ▶︎観音堂前石仏群
 伝六さん隠れキリシタン説
 伝六さん毒殺説
 恋し岩伝説
 

5。伝六さんの仕事
 最大のもの
 中国人が書いて日本語に翻訳されていた本を農民町人へ広めたこと
   功過自知録
    功 良いこと
    過 悪いこと
    自知 自分で知ること
    録 記録すること

 すなわち、良いこと悪いことをしたか毎日自分で記録をとって反省しなさい
 ということをすすめた。


 その背景に良いことをはすれば、必ず良くなる。
   何が良くなるのか。 人間が良くなる。平和になる。
             生活が良くなる。

 現代から見れば善悪(道徳)の数値化には違和感があるだろう。
 しかし、当時の農村においては、画期的なことで、その効果も大きかったと考えられる。

 道徳➡︎観音信仰➡︎羅漢信仰➡︎浄土信仰