26 西鶴
井原西鶴は多作な作家である。もっともっと読まれていいはずだが、代表作が『好色一代男』などと好色とつくので、好色文学と見られてあまり歓迎さレないのではなかろうか。これは日本人にとって大きな損失である。
吉行淳之介現代語訳『好色一代男』、河出書房新社
吉行淳之介現代語訳『好色一代女』、河出書房新社
21 徳川家康
山岡荘八『徳川家康』、講談社文庫
この長い小説は高校の頃完結し、会社経営にも通じるとか言われて、騎乗人にも人気がありベストセラーになった。その後文庫版も出版された。ドイルと同じように大学院の勉強をしていた大学4年の頃、夕食を食べにでたついでに竹屋町の小さな書店で1冊求めたのが病みつきになった。
22 聖書
世界の名著。これはダイジェストながらよくまとまっていて。初心者には最適である。
後に新訳の方は国際ギデオン協会のもので読んだ。
23 小林秀雄『私の人生観』
小林秀雄『私の人生観』角川文庫は、浪人時代夕食後の散歩で立ち寄った旭町の小さな書店で買った。それまで小林秀雄は模擬テストで平家物語の一文を読んでだけであったが、この一冊ですっかり魅了された。
次はtクマ文学大系の1冊。これには代表作がほとんど含まれており魅了された。
『本居宣長』は出版された頃、は知恵の方を途中まで図書館で借りて読んだのではなかろうか。最後まで読んだのは全集を買ってからである。
24 『一握の砂』『悲しき玩具』
これは高校1年の時。中央公論社の日本の詩歌。これは親見やすくてよかった。
25 百人一首
高橋竹堂『竹堂かな書』、野ばら社
これは、かな書道の本である。変体仮名を覚えるために写す。万葉集は全て収められている。
井上宗雄・村松友視、『百人一首』、新潮古典文学アルバム
16 リア王
シェイクスピアのまだ読んでないものを皆読んでみようと思った時、どの翻訳全集がいいだろうかと考えた。結局、筑摩世界古典文学全集の6巻本が良いのではないかと思った。この文学全集は50巻で50数巻の古典全集であるが、私が持っているのはそのうちの35巻を選んでセットにしたものでホルプが販売していた。教員になりたての頃、これを学生協で75000で買ってあった。併し、この中にシェイクスピアの6巻はなかったので古本屋でシェイクスピアの6冊を求めた。ついでに千一夜物語4冊も求めた。これで40巻になった。足らないのは荘司、韓愈、セルバンテス、ゲーテ、三国志あたりか。
17 「背教者ユリアヌス」
辻邦生さんの長編小説に陶酔するほと素晴らしい時間はない。『春の戴冠』『フーシェ革命暦』と読んでいくと他の作家のものが物足りなくなってくる。
18 天狗争乱
戦艦武蔵 以来吉村昭さんの小説は随分たくさん読んできた。中でも忘れられないのは天狗争乱で、この苦闘の旅路に同行したような気持ちになった。
19 モーパッサン短編集
どう言うわけかは自分でもよくわからないが、ふと手にしたモーパッサンの短編に魅了され、続けて新潮文庫の3冊を皆読んでしまったのは不思議な体験であった。
20 コナン・ドイル
シャーロック・ホームズシリーズを新潮文庫で読んだのは大学院の入試準備をしている大学4年の夏だった。これまたやめられなくなり新潮文庫で全て読んでしまった。その時合わせて読んだのが山岡荘八の『徳川家康』であった。
11 陰騭録
命(めい)は命(いのち)である。命(めい)について述べるのが道学である。
天命とは先天的に扶余されたものである。
後天的に変えられるから運命となる。
それを否定するのが非運命すなわち宿命ということである。
宿命論にとどまるのではなく、積善によって変えられる、すなわち「運命」を自ら切り開くことを説いたのが袁了凡の「陰騭録」である。
西澤嘉朗著『陰騭録の研究』(八雲書店)の安岡正篤の序文より
袁了凡「陰騭録」 石川梅次郎注解 明徳出版、中が奥古典新書
西澤嘉朗著、安岡正篤序、『陰騭録の研究』、八雲書店
の安岡正篤、『立命の書「陰騭録」を読む』、竹井出版
12 史記
通して読むには、明治書院の「新釈漢文大系」が良い。併し、福山市立図書館のものを利用したので、手元には全てはない。現文だけならweb上にある。
入門書としては、武田泰淳氏の『司馬遷 史記の世界」(講談社文庫)が我々の世代には定番だと思うが、私は高校に入ってすぐに読んでいた中島敦『李陵・山月記』(旺文社文庫)が、やはりよかったと思う。
13 天皇の世紀
これも福山市の図書館のもので読んだ。最後の2巻がなかったので広島県立図書館から取り寄せてもらって、最後まで読めたのは幸いであった。
14 ローマ帝国衰亡史
中野好夫さんの最後の大仕事であるが、途中でなくなり協力者、そして息子さんが跡をついで完結された。筑摩書房の単行本である。勤務校の図書館には揃ってなかったの、結局1巻から購入した。勤務校の図書館にはついてでだから揃えておくようにと頼み、そうなった。
15 平家物語
岩波から緑色の新日本古典文学大系が発刊された時、全目録を見てあまり感心はしなかったが、岩波教の私としては千載一遇のチャンスであるので、広大生協で予約して購入した。5%引きだったと思う。それで、平家物語は発刊とともに読み始めた。上巻が終わった頃には下巻も発行されていたので、間を開けずに引き続き読めたのは良かった。
6 源氏物語
源氏物語は原文はもちろん現代語訳でも難しい。俗に「須磨源氏」と言われるように「須磨」の巻きまで済まないのか、そのあたりまででやめる人が大部分だという意味だろう。
7 春の雪
三島由紀夫でもし1冊を選ぶとすると『春の雪』である。もちろん4巻本の1冊だから、これ1冊で話は終わるわけではないが・・・、
三島さんのライフワークということで、全体のタイトルは『豊饒の海』という。月の地図上の名前である。月だからもちろん海などない。窪地のようなところを海と呼んだ。多くのミネラルでもあるかも知れないという期待を込めたのかも知れないが、実際には不毛の地であろう。そういう意味をかけたタイトルである。これはまた生涯の全作品を意味していると思っても良い。実に見事なきらびやかな作品群は豊饒というにふさわしい。しかし、覚めた目で見ると所詮文字で書いたあだばなであるという認識を忘れてはいないぞ、という自己批評に他ならない。
文芸雑誌「新潮」に連載されていて、1巻「春の雪」、2巻「奔馬」が全巻の途中ながら新潮社から単行本として刊行された。昭和44年の1月に発売されている。高校2年から3年である。新聞で書評を見てすぐに注文した。続いて「奔馬」も同様である。『潮騒』を読んだのが高校1年か。つまらないと思った。1年ほどして新著日本文学という1作家1巻という日本文学全集が出た。図書館にあった。すごいなと思ってファンになった。そのあとの『春の雪』であったから、たちまち陶酔・・・。高校2年から3年。
そして、翌年4月から私は広島の予備校の寮暮らし。寮の隣に銭湯があった。3時ごろ開く。暇な時は開店と同時に行く。11月25日銭湯のテレビで三島事件のことを知った。憧れの作家が自殺したからと言っても、こちらはそれに同行する義理もロマンもない。ただ、こちらの世界を生きていくしかないだけであった。雑誌や週刊誌の特集があれば買っておくように弟に指示しただけである。
8 カラマーゾフの兄弟
この偉大な小説は何度読んでもわからない。いやたったの2度だけなのだが、もう何度も読んているような気持ちがする。そしてその都度それは私から遠ざかったいく。活字と生きている以上、それでもつきあっていかないといけないような圧迫感で迫ってくる。世界文学全集や文庫本にあるドストエフスキーのの作品はあらかた読んだ。ほどよく面白く、ほどよく感動し、ほどよく打ちのめされ、そろそろ卒業したと思ったら、にょきにょきと頭を持ち上げてくるのだ。まるで悪夢のように。人はカラマーゾフが最高だと言うが、私には悪霊や罪と罰の方が悪夢のように迫ってきた。
米川正夫訳、岩波文庫、全集。
9 『氷点』『続・氷点』
中学生の頃話題になった。テレビで少しだけ見たのだろうか? ともかくこれは買わねばならぬと、買った。期待に違わずぐんぐんと物語の中に引き込まれていった。1箇所だけ涙がでたところがあった。それから何年かして、広島の下宿が朝日新聞をとってくれており、チラチラと見たが通しては読んでない。それからはるか何年か経って、読まずに死ぬわけにいかぬと言う気持ちになった買って読んだ。朝日の懸賞小説でトップ入賞しドラマ化されて見事に完結しているのに、こんなに豊饒な続編があったと言うことの方が驚きだった。
『続・氷点』の圧巻は不義の子・陽子の出生を認める実母の夫・三井の論理と倫理である。
10 『ローマ人の物語』
昔、子どのころ、それはテレビの出始めの頃の話である。もちろん白黒の14インチでの話であるが、NHKの番組に空飛ぶジュータンの乗って全国の小学校を回っていくと言う番組だった、塩野七生さんの作品を読んでいると、その空飛ぶジュータンに乗って世界中の国に行っているような錯覚と酩酊感に襲われる。
塩野七生さんの著作は力作ぞろいであるが、特に『ローマ人の物語』は格別である。これは新潮文庫になれば読もうと決めていたので、そうした。息子も読んでいると言うので2巻以降を送った。卒業時に本が帰ってくるかと思ったら1枚のCDになって帰ってきた。そう言うことが流行っている時だった。『ローマなき地中海世界」『十字軍』『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』などが続々と出版されたので、『ローマ人の物語』を再読の時間はなかったが・・、
1-5
1 般若心経
『般若心経・金剛般若経』、岩波文庫
短いながらも究極の本である。
朝夕とにかく眺めることである。
暗記していたので見ずに唱えていたが、やはり、漢字そのものを目で追うことによって、その意味を目で追い、考えながら唱えるのが良い。
色即是空 空即是色 をどう解釈するかということだ。
これは釈迦の言葉ではなく観音菩薩の言葉ということになっているが、これこそ釈迦の達した境地、すなわち「悟り」ではないかと私は思う。
中村元・紀野一義訳注『般若心経・金剛般若経』、岩波文庫
松原泰道『般若心経入門』、祥伝社
テキストはいくらでもあるのであろうが、まず岩波文庫。新しく求める方はワイド版が良いだろう。
考えてみれば、これほどわかりやすく、これほどわかりにくいこともなかろう。おそらく理解できてもすぐに去っていくのではなかろうか。
ということで多くの方の考えを聞いてみるのも悪くはない。
『「般若心経」を読む』(講談社現代新書)の著者・紀野一義さんのは上記岩波文庫の著者である。しかし、これも、やはり肝心なところはうなぎのように、わかったつもりでもスルリと逃げてしまう。でも、それでいいのだ。この本も繰り返して読もう。
また、紀野一義さんには『地蔵菩薩 大地の愛』(集英社)という本もある。
2 論語
名著である。古典である。人類の遺産である。・・・ それでは何の本なのか。哲学? 歴史? 道徳? 倫理? 文学? ・・・どれも遠いところでは、そうに違いない。でもそれだけではないような。
こちらが歳を重ねると、それなりに新しい発見があるのも、古典の古典たる所以だろう。テキストによっては少しずつ読みに違いがある。これはこれで楽しいので、手にした本の読みに従って声を出すのも良いのではなかろうか。師のたまわくと読んでいる本は少なくなったようであるが、岩波文庫が「のたまわく」である。かつての寺子屋や藩校などの心と細い糸で繋がっているように感じられる。
岩波文庫はワイド版があるが、まだ持っていないので機会があればワイド版も買って見たい。
世界の名著、並びに中公文庫は貝塚茂樹氏。朝日文庫や筑摩世界古典文学の吉川幸次郎氏。まずこれらが定番か。
明治書院の新釈漢文大系は吉田賢抗氏。これには安井息軒氏の説も紹介される。あの鴎外の「安井夫人」、あるいは吉村昭さんの『ポーツマスの旗』に出てくる(小村寿太郎の師)宮崎の儒者安井息軒氏である。
研究書として。
和辻哲郎、『孔子』、新潮文庫、あるいは和辻哲郎全集
物語的には、
下村湖人、『論語物語』
井上靖、『孔子』
宮城谷昌光、『孔丘』
なども読む価値はある。
渋沢栄一、『論語と算盤(そろばん)』、角川文庫、も捨て難い。
3 観世音菩薩普門品(法華経)
要するに「觀音経」のことである。般若心経についで人気のあるのが觀音経である。これは法華経の第25章のことで、観世音菩薩普門品第二十五のことである。わかりやすく言えば法華経の第25章のことである。実は他の章と同様に25章も散文と韻文が併記されている。韻文の方が観世音菩薩普門品偈と呼ばれ、觀音経と言えば普通こちらを指す。五言で苦ちょも良いし、短い(短いといっても般若心経に比べれば長い)ので庶民にはこちらが多用される。もちろん25章全体を唱えても悪くはない。
テキストや解説本は『法華経』と重なる。
松原泰道『観音経入門』、祥伝社
坂本幸男・岩本裕訳注『法華経』上、中、下、岩波文庫
大角修『全品現代語訳法華経』、角川ソフィア文庫
蒲田茂雄『法華経を読む』、講談社学術文庫
4 ニーチェ
高校2年から読み始めて、結局卒業できなかった。当たり前と言えば当たり前の話ではあるが。
因島高校は島の南側にある。北側に育った私には大いに刺激的だった。教員養成高校と生徒が呼んでいたごとく、新採用教員がどんどん配置されるので、生徒のみならず、教員の方 も若さに溢れていた。
高校2年のとき二人の友人が個別にニーチェを読め!というのであった。一人は世界の名著の夜の詩のところを私に示してすごいのだというわけである。
それで、世界の名著を買った。これは素晴らしい本であった。手塚富雄氏の翻訳と注が素晴らしかった。本文の翻訳はまさに詩であった。あわせて訳されている『悲劇の誕生』は、西尾幹二氏のデビュー作である。この時から私の西尾氏への傾倒が始まる。余談ながら、ずっと後にニーチェ全集の解説で知ったのだが、初めは「アンチクリスト」でそれも出来上がっていたのが途中で社の方針が変わったとのことである。さもあらん。世界の名著の第1回の配本にアンチクリストは世界宗教に対する敬意の上からでも不適当である。『アンチクリスト』はしばらくして潮出版社から発行され、後に全集に収載された。
5 万葉集
高校2年でニーチェ、3年で「春の雪」、浪人中に「私の人生観」、そして翌年が大学1年。広島での2年目。
昭和46年春。昨秋、三島さんが亡くなってからまだ1年も経っていない。居は予備校の寮があった広島市南大河町から、理学部に近い広島市宝町へ移していた。目の前に東広島警察署、その隣に歯科医師会館、下宿の少し裏手に専売公社など。青春時代の始まりであった。
当時は教養課程というのがあって必須科目や単位数が決まっていた。人文科目で何単位、自然科学で何単位という具合に。その人文系の中に国文学というのがあって、万葉集と源氏物語というのが4単位で同時開講であった。
ふるさとの史跡を訪ねて 増補版 の番外編である。
本について ー私の心のふるさとの史跡を訪ねてー
番外編1ー5
番外編6-10
番外編11ー15
番外編16ー20
番外編21ー25
番外編26ー30
番外編1ー5
1 般若心経
2 論語
3 観世音菩薩普門品(法華経)
4 ニーチェ
5 万葉集
番外編6-10
6 源氏物語
7 春の雪
8 カラマーゾフの兄弟
9 氷点 続・氷点
10 ローマ人の物語
番外編11ー15
11 陰騭録
12 史記
13 天皇の世紀
14 ローマ帝国衰亡史
15 平家物語
番外編16ー20
16 リア王
17 「背教者ユリアヌス」
18 天狗争乱
19 モーパッサン短編集
20 コナン・ドイル
番外編21ー25
21 徳川家康
22 聖書
23 小林秀雄『私の人生観』
24 『一握の砂』『悲しき玩具』
25 百人一首
番外編26ー30
26 西鶴
2025年7月1日。火曜日。晴れ。2822歩。71.8kg。朝、草取り。窓拭き。瀬戸内タイムズ原稿昼間書き夜送る。
セミも鳴かずに夏はくる
梅雨明けというがごときの日射熱
残り日が減って行くのに何がめでたい誕生日
年ごとに猛暑の夏を送りしに棚子山にて煙となりぬ
2025年7月2日。水曜日。晴れ。3651歩。72.3kg。
朝窓拭き。今日は次の冊子の原稿(写真)整理。
林芙美子「愛情」を青空文庫で読む。
露伴、淡島観月氏、淡島観月氏のこと、を青空文庫で読む。
露伴の「五重塔」の朗読を少し聞く。
2025年7月3日。木曜日。晴れ。2974歩。72.4kg。
日に日に暑くなる。
5時から草取り。朝食後窓拭き。
昨夜は1階の母が寝ていた部屋で寝る。
露伴の「五重塔」の朗読を少し聞く。
2025年7月4日。金曜日。晴れ。。3158歩。71.9kg。
朝、草取り。朝食後窓拭き。露伴の「五重塔」の朗読を聞く。
2025年7月5日。土曜日。晴れ。2831歩。kg。
4時に起きて5時から草取り。朝食後窓拭きをして8時。
2025年7月6日。日曜日。晴れ。2485歩。72.6kg。
5時から草取り。すぐに暑くなる。朝食後昼寝。午後も。
2025年7月7日。月曜日。晴れ。2276歩。71.8kg。
2025年7月8日。火曜日。晴れ。3802歩。72.1kg。
夜、雨。久しぶり。午後、尾道市民病院。帰ってから公民館で文化財協会役員会。秋旅行決定。
2025年7月9日。水曜日。晴れ。2903歩。72kg。
晴天1日目。昨日の雨で草取りやりやすし。朝、買い物。午後論語の会。四人。
2025年7月10日。木曜日。晴れ。1831歩。72kg。
晴天2日目。朝、草取り。古文書。
2025年7月11日。金曜日。晴れ。2786歩。72kg。
朝、草取り。9時に出て福山へ。10時からダスキン、床下点検。庭の草を刈っていたら蜂に刺された。4箇所か5箇所。青葉台クリニックに行く。注射、薬。午後古文書学習会。晴天3日目。
2025年7月12日。土曜日。晴れ。3606歩。72.3kg。
5時から草取り。朝、藤井医院へ。高血圧の薬を出してものう。今日も暑い日。晴天4日目。
2025年7月13日。日曜日。晴れ。3808歩。71.8kg。朝も夕方も草取り。朝買い物。選挙。晴天5日目。
2025年7月14日。月曜日。雨時々曇り。6027歩。72.1kg。弓削遍路1回目11人。33番まで。雨に降られる。
2025年7月15日。火曜日。晴れ。2650歩。72.6kg。朝、草取り。9時から公民館定例会。12名。午後昼寝と原稿書き。夜、送信するも不調。
ふるさとの史跡をたずねて(411)
伝六⑪袁了凡その1
伝六が広めたと思われる『功過自知録』は中国・明代の袁了凡が書いた『陰騭録』の付録として出版されたものであり、翻訳本の複雑な出版事情は以前書いた。伝六が『陰騭録』の本編の方を読んだかどうかは検証できないが、好善法師が写したその付録の附録に袁了凡の名前が出てくるのだから、次は袁了凡と『陰騭録』について考えたい。
ところで、袁了凡の『陰騭録』は知らなくても『菜根譚』は聞いたことがある読者は多いと思う。多くの文庫本が発行されており、その人気が伺われる。写真はそのうちの2書。(岩波文庫、講談社学術文庫)
最良の処世訓として著名人の愛読書として話題になったこともある。著者の洪自誠は儒仏道の三教に通じ、前半で交際術、後半で隠居術を述べたようだが、間違ってならないのは果報は寝て待て式に座っていれば良いのではなく、それ相応の努力を慫慂しているのは、他の啓発書と同じである。そして驚くべきことに洪自誠は袁了凡に師事した。すなわち洪自誠は袁了凡の弟子であった。だから、『菜根譚』を読まれたことのある人にとってはこれまでくどくどと述べてきた『功過自知録』の話に既視感のようなものを持たれたことだと思う。と言っても『功過自知録』は具体例、『菜根譚』はやや抽象的に書かれているが目標は同じである。あえて言えば向上への意欲の喚起であろう。
さらに慧眼な読者にとっては、何も『功過自知録』など出さなくても、江戸時代以来、多くの日本人にとって神仏を拝み、儒教道徳に従うのは当たり前ではないか、と思われているに違いない。まったくその通りである。伝六がそれらを熱心に説いたからと言って新しくも何でもない。それを新しい宗教を作ったなどと言う誤解を書き写す人がいるだけである。その誤解の原因が『功過自知録』の珍しい表現にあったと私は思う。
さて、『菜根譚』の洪自誠の先生であった袁了凡に話を戻そう。一言で言うと中国明代の陽明学者で陽明学左派に属する。左派と言うのは、より過激な人たちで後に禅宗に変わる人たちもいた。また、袁了凡が儒教、仏教、道教を修めた三教主義者だった。すなわち、大雑把に言えば、中国の伝統宗教である儒教と、外来宗教である仏教に加えて後発民俗宗教である道教をも学んだ人である。洪自誠がその袁了凡から道教を学んだようである。
ふるさとの史跡をたずねて(412)
伝六⑫袁了凡その2
袁了凡の『陰騭録』の翻訳本は伝六の時代のみならず、明治、
熱心な観音信仰の信者であった伝六が注目したのは、
袁了凡は自分の運命は決まっているという消極的な運命論者であっ
結論を言えば、
ここで私はアメリカのB.フランクリンを思い出す。
伝六が広めたこの運動は、
間違ってならないのは、
さて、石川梅次郎氏が「あとがき」で「昔は大変よく読まれたが、
ふるさとの史跡をたずねて(413)
伝六⑬三教主義か神儒仏折衷か
伝六の教えとも言える好善法師本で功過自知録を見れば儒仏道の三教主義が現れ、他の部分では神儒仏の折衷主義が窺われる。これではまるで鏡の中のカレイがヒラメに見えるのと同じで甚だ理解に苦しむ。
(儒仏道:儒教、仏教、道教、神儒仏:神道、儒教、仏教)
しかし、それが日本思想史の典型で、儒仏道の三教主義は伝わらず、かすかに功過自知録を通して伝わったに過ぎない。一方、神儒仏の折衷主義は石田梅岩の石門心学から二宮尊徳まで多くの知識人は元より庶民まで、我が国の風土と言っても良いほどに定着した。
それは日本の国民宗教だと言っても良いほどだ。専門宗教者を除いてごく当たり前のことになっている。専門宗教者も立場上他教の礼賛はしないものの、それらのことを知らずして日本文化を論ずることはできないだろう。
生後一ヶ月にお宮参りをし、七五三があり、結婚式はチャペルでして
葬式は仏式でするという、現代の流儀は、一つも珍しくも異様でもなく、ごく当たり前のことだと思う国民は多い。
これは現代の見方であり、伝六の生きた200年ほど前の江戸時代はどうであったのだろうか。キリスト教は禁じられており、朱子学による儒教道徳は幕府の各種の施策の基本方針であり、神仏習合の時代であった。だから、伝六が神儒仏を唱えたからと言って珍しいことではなかった。ただ、寺子屋があったかどうかわからないようなところで、庶民に説いたことは、熱心な観音信仰に基づくとは言え、特別なことであったに違いない。
358回で述べたように、明治以降の神仏分離政策で移動させられた仁王像を、柏原林蔵らが白滝山石仏工事完成の勢いで八幡神社へ寄進したことは特別なことではなく当たり前のことであった。
それでは、なぜ後世、伝六が神儒仏から新しい宗教を作ったと言われたのかと言えば、儒仏道の三教主義に基づく功過自知録の目新しさに幻惑されたからに違いない。そしてそれはこれまで述べてきたように、伝六のオリジナルな著作ではなく市販本の転載に過ぎなかった。
また、伝六が石田梅岩の石門心学を学んだというのも根拠のない誤解に近いことが明らかである。
(図は好善法師本の一部)
写真・文 柏原林造