2015年12月24日木曜日

因島・重井村四国13番大日寺

重井村四国八十八カ所 しげいみち
*****地図*****
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13番 大栗山 大日寺 十一面観音 真言宗大覚寺派 
阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世後の世 
おんまか きゃろにきゃ そわか 
上坂。11番の下。文字確定。「一の宮」

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 2015.1.21.上坂。後方は青木城址
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「一之宮」の文字。第13番大乗山大日寺のご詠歌は「阿波の国 一ノ宮とはいう欅 かけて頼めや この世後の世」による。


因島・重井村四国12番焼山寺

重井村四国八十八カ所 しげいみち



*****地図*****

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12番 摩盧山 焼山寺 虚空蔵菩薩 高野山真言宗 


後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも 
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか 
上坂、権現山登山口からさらに南西に上がったところ。文字確定。「焼山寺 又左ヱ門 市三」





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 2015.1.21.上坂。権現山登山口付近。
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 「焼山寺 又左ヱ門 市三」の文字。

2015年12月21日月曜日

夕凪亭閑話 2015年11月

2015年11月1日。日曜日。晴れ。
4時ごろ町民文化祭展示撤収に行くも済んでいた。


2015年11月4日。水曜日。晴れ。
午後、大浜往還(古道)の草刈り。去年復元した道は思った以上に原型を留めていた。途中で左折して白滝山ゴリラ岩を目指す。


2015年11月5日。木曜日。晴れ。
夕凪亭にて。文化祭の準備。買い物。娘と孫を駅へ送る。
夜、潮騒荘へ。


2015年11月6日。金曜日。晴れ。
午後、母を連れて総合支所。農協。


2015年11月7日。土曜日。曇り一時小雨。
雨が降りそうなので降らないうちに剪定。友人の弟さんが来られ、鼓笛隊のことなど聞く。午後も剪定。


2015年11月8日。日曜日。曇り時々小雨。
朝、夕凪亭へ。すぐに文化祭へ。夜、部屋の片付け。


2015年11月9日。月曜日。曇り時々小雨。
朝、東部支所、図書館。銀行を廻って、帰る。昼食後井原。昼過ぎ潮騒荘へ。
雨。部屋の片付け。9時にはダウン。


2015年11月10日。火曜日。晴れ。昼にほんの数滴の雨。
3時半に起きる。朝、塞の神のところまで散歩。帰ってから剪定。午後、支所と農協。昼寝。夕方草取り。


2015年11月11日。水曜日。晴れ。
4時半に起きる。朝、八幡神社のほうへ散歩。窓ふき。剪定。農協へ。
午後、草取りと剪定。夕方買い物。夜、夕凪亭へ。潮騒荘より寒い。
10時半に寝る。


2015年11月12日。木曜日。晴れ。
4時に起きる。朝、散歩。ゴミ出し。庭木の剪定。笠岡。郵便局。銀行。
午後エディオンへ行きA3スキャナー付きプリンターを買う。
後、潮騒荘へ。草取り、剪定。
23時に寝る。


2015年11月13日。金曜日。曇り後雨。夜、風雨強し。
5時に起きる。朝、散歩。山田辺りまで。9時前に出て夕凪亭。笠岡へ。帰りにホンダへ寄る。昼過ぎに潮騒荘へ。昼寝。雨のため外仕事できず。
トオマス・マン著、実吉捷郎訳「トリスタン」(青空文庫)読む。晴耕雨読ではない。老化防止。


2015年11月14日。土曜日。雨時々曇り。
5時に起きる。まだ雨が降っている。昼前に止んだので、灰の奥口まで散歩。
その後また降り出す。今日は商工会のウォーキング部会がフラワーセンター、伝六ロード、大浜往還(古道)、白滝山と歩くので、ついて行く予定であったが、中止になった。残念。
長谷川伸「身の上や」「討たせてやらぬ敵討」(青空文庫)。


2015年11月15日。日曜日。曇り。
4時に起きる。朝、一本松に車を置き、ゴミ拾いをしながら大浜往還(新道)入り口迄散歩。午後、万田発酵(株)秋の収穫祭で「因島城跡物語」のパネルを展示してくれるので、行く。帰ってから剪定。
10時に寝る。
野村胡堂「錢形平次捕物控 飛ぶ若衆」(青空文庫)。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」(青空文庫)で「この一軒」「香炉変」。


2015年11月16日。月曜日。晴れ。
3時に起きる。
朝、大浜往還(新道)重井口まで車で行き、インター入口までゴミ拾い。その後、広道へ行き、道の掃除。帰ってから柵の延長。午後、支所へ。ユーホーへ寄って帰る。帰ってから剪定。
野村胡堂「死の予告」(青空文庫)。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」(青空文庫)で「大鵬」.


2015年11月17日。火曜日。雨。
9時前に中庄公民館。歴史探訪講座。お話を伺った後、隠島神社、成願寺、長福寺、水軍城を廻る。
午後、昼寝をしたり、本を読んだり。
野村胡堂「法悦クラブ」(青空文庫)。


2015年11月18日。水曜日。雨。
6時に起きる。今日も一日中雨。午後、支所。帰りに、ハローズ、農協。
丘浅次郎「人類の将来」(青空文庫)
一時絶対の優勢を保ち得た動物種属を内から働いて滅亡せしめた原因は何であるかと云ふに、我らの見る所によれば、何れの場合にても必ず初め其の種属を急に勃興せしめた原因と同一のものである。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「群盗」「猫の飯」。


2015年11月19日。木曜日。晴れ。
6時半に起きる。朝、塞の神まで散歩。その後、剪定。午後、西洋館の上のほうを掃除。帰って再び剪定と草取り。
野村胡堂「葬送行進曲」。吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「塩」。


2015年11月20日。金曜日。晴れ。
6時に起きる。9時前に出て、夕凪亭へ。買い物。図書館。内科医院通院。午後、井原。矢掛。干し柿用の柿を収穫。そろそろ限界。
夕食後、古文書講座。郵便局へ寄って帰る。
古いPCのHDコピー。本日より、プロバイダー上のホームページのコピーを作成。解約の準備に入る。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「卍の一族」。


2015年11月21日。土曜日。晴れ。
6時に起きる。古いデータをCDに焼く。
9時過ぎに出る。ガソリンスタンド、クロネコに寄ってから、潮騒荘へ。午後、干し柿を作る。140個。この季節にしては異常に暖かい。4時頃から草刈りと剪定。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「成敗」「矢矧川」。


2015年11月22日。日曜日。晴れ。
5時半に起きる。日々朝が遅くなる。
朝、散歩。一本松から一町田へ。菜洗川原沿いに歩いて縄手の土手へ出て帰る。広道の道路清掃。帰って剪定。午後蜜柑罪。昼寝。SPレコードが40枚ほど出て来たので、三庄の知人へ届ける。ハローズに寄って帰る。
丘浅次郎「理科教育の根底」。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「蛍」「天高し」。


2015年11月23日。月曜日。勤労感謝の日。晴れ。夜雨。
6時に起きる。朝、散歩とゴミ拾い。広道の畑と道路の掃除。剪定。午後も。
津田左右吉「歴史とは何か」。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「稲葉山城」「十兵衛光秀」。


2015年11月24日。火曜日。晴れ。
6時半に起きる。朝、大浜往還(新道)付近を散歩しながらゴミ拾い。後、広道の畑の整備と道路の掃除。帰って剪定。午後、ジュンテンドーへイノシシ柵を買いに行く。帰ってから灯台へ。急に寒くなる。
小川未明「百合の花」。チェスタートン著、直木三十五訳「サレーダイン公爵の罪業」。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「火の粉・風の子」「松下屋敷」。


2015年11月25日。水曜日。晴れ後雨。
5時半に起きる。
朝、散歩。お宮まで。母の薬をもらいに行き、ジュンテンドーを廻って帰る。
剪定。午後雨。昼寝。NTT、ガス、全労済へ電話。
樋口一葉「十三夜」。三木清「マルクス主義と唯物論」。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「今川往来」「信長」。


2015年11月26日。木曜日。晴れ。
4時半に起きる。朝,灰の奥口まで散歩。剪定。10時より因島図書館で古文書講座。午後,農協。剪定。昼寝。急に寒くなった。今迄が暖か過ぎた。
夏目漱石「薤露行」。Hemingway,A FAREWELL TO ARMS , Chap2 。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「狂児像」「出仕」。


2015年11月27日。金曜日。晴れ。
5時半に起きる。8時過ぎに出て夕凪亭へ。公民館、郵便局に寄って、昔の勤務校へ。公開研究会参加。授業を2時間参観。午後,分科会.3時過ぎに知人を東福山駅へ送ってから眼科医院へ。後,井原市へ。夕食後町内会定例役員会。8時に終わる。
野村胡堂「錢形平次捕物控 贋金」。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「じゃじゃ馬」。


2015年11月28日。土曜日。晴れ。
4時半に起きる。朝,散歩。買い物。10時から町内会のカーブミラー掃除。11時過ぎに出て潮騒荘へ。
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「孤君と老臣」「茨を拓いて」「奉公一心」。


2015年11月29日。日曜日。晴れ。
6時に起きる。朝,散歩。午前も午後も剪定。
ジェイムズ・アレン著、リリー・L・アレン編、大久保ゆう訳「朝に想い、夜に省みる」
吉川英治「新書太閤記 第一分冊」で「米饅頭」。これで第一分冊終わる。
「新書太閤記 第二分冊」で「寧子の胸」。


2015年11月30日。月曜日。晴れ。
6時に起きる。朝散歩。後剪定.午後,中庄、大浜へ。
内村鑑三「後世への最大遺物」。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「乱雲」「明智落ち」「風の中の城」。


夕凪亭閑話 2015年12月

2015年12月1日。火曜日。晴れ。
4時に起きる。朝、塞の神まで散歩。剪定.午後,中庄へ買い物。帰って昼寝。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「三日普請」「鳴海変」。


2015年12月2日。水曜日。晴れのち雨。
6時に起きる。朝、青木の金刀比羅神社まで散歩。お寺。帰って剪定。午後、ひまわり。帰って昼寝。昼過ぎから曇って5時頃から雨。
野村胡堂「随筆銭形平次 平次読む人読まぬ人——三人の政治家——」
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「大きな月」「若き家康」。


2015年12月3日。木曜日。曇り。
6時に起きる。8時過ぎに出て夕凪亭。図書館。井原。駅家の服部大池と地蔵堂。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「鉄漿将軍」「望蜀」。


2015年12月4日。金曜日。晴れ。
6時半に起きる。昼前に出て潮騒荘。庭木の剪定。買い物。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「兵糧陣」。


2015年12月5日。土曜日。晴れ。
5時に起きる。朝の散歩は灰の奥口まで。少し雑木の刈り取り。帰ってから庭木の剪定。午後、障子の張り替え。その後、昼寝。
野村胡堂「随筆銭形平次 銭形平次以前」。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「天機と人」「出陣」。


2015年12月6日。日曜日。晴れ。
4時に起きる。昨日と同じところまで散歩。帰ってから少し剪定。午後、蜜柑摘み。
野村胡堂「錢形平次捕物控 五月人形」
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「この一期」「田楽狭間」。


2015年12月7日。月曜日。晴れ。
4時に起きる。昨日と同じところまで散歩。帰って、近所の家の棕櫚の木を切るのを手伝う。後、剪定。午後、買い物。昼寝。
チェスタートン著、直木三十五訳「金の十字架の呪い」。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「白雨・黒風」「虹」。


2015年12月8日。火曜日。晴れ。
5時に起きる。大浜往還(古道)を灰の奥口まで散歩。帰って剪定。午後買い物と昼寝。
吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「夕顔の門」「敵国巡遊記」。


2015年12月9日。水曜日。晴れ。
6時半に起きる。昨日と同様、大浜往還(古道)を灰の奥口まで散歩。帰って剪定。午後買い物と昼寝。まるで判で押したような生活。それでも楽しい。


吉川英治「新書太閤記 第二分冊」で「菊便り」「聟の君」。


2015年12月10日。木曜日。曇り後雨。
7時半に起きる。墓参りをするも途中で雨。昼前に雨が止んだので剪定。午後も雨。昼寝。
「水掛祝い」「背和前戦」を読んで吉川英治「新書太閤記 第二分冊」了。


2015年12月11日。金曜日。曇り。
7時前に起きる。8時過ぎに出て、夕凪亭へ。買い物。井原。暖かい。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「春の客」「洲股」。


2015年12月12日。土曜日。曇り。
6時に起きる。9時過ぎに出て、おだ、イズミ、天満屋へ寄ってから潮騒荘へ。広島の孫が来る。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「龍呼」「大器の相。


2015年12月13日。日曜日。晴れ。
5時に起きる。朝、孫を連れてみかんを摘みにいく。9時から亡父の49日の法要。後、納骨。会食。午後、剪定。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「山川皆兵」「一擒一縦」「竹中半兵衛」。


2015年12月14日。月曜日。晴れ。
6時に起きる。大浜往還(古道)を灰の奥口まで散歩。帰って剪定。10時より重井小学校。午後、2時まで剪定。中庄、唐樋。ねずみや新開。鹿穴を通って重井へ。一宮。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「病孫子」「山中人」。


2015年12月15日。火曜日。曇り後小雨。
 7時半に起きる。大浜往還(古道)を灰の奥口まで散歩。路面が濡れている。明け方小雨が降った模様。発送準備。昼前から小雨。午後、中庄。発送注文。郵便局。ジュンテンドーでワイヤーメッシュ5個。夜まで小雨。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「桃源」「竿頭一瓢」「母に侍す」。


2015年12月16日。水曜日。曇り。
4時に起きる。朝、散歩。いつものところ。帰ったら雨。昼前に止んだので剪定。シュロの木を倒す。午後、昼寝。郵便局。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「隣交遠計」「密客」「桔梗咲く」。


2015年12月17日。木曜日。晴れ時々曇り。
2時に起きて読書。4時に寝る。8時から散歩。帰ってから剪定。シュロの木を2本倒す。高い位置にロープをかけるのに時間がかかる。午後、昼寝。起きて倉に電灯工事。風強く寒い日。昨日までが14℃もあったのに、にわかに最高気温10℃というのは寒い。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「春風行」「伊勢軍功帳」「於市・於虎」。他にカラマーゾフ、古寺巡礼など。


2015年12月18日。金曜日。晴れ。
昨夜も9時に寝たので、早朝に目覚めるのは仕方がない。3時に起きる。8時過ぎに出て、夕凪亭へ。買い物。午後、図書館、ユニクロ、ひまわり。井原。夜、古文書講座。
吉川英治「新書太閤記 第三分冊」で「大義」「二十一日記」「七番楽」。


2015年12月19日。土曜日。晴れ。
4時に起きる。9時過ぎに出て、買い物.天満屋。2号線を通って潮騒荘へ。
「建設の音」「堺町人」「名器」「北征」を読んで吉川英治「新書太閤記 第三分冊」を終える。


2015年12月20日。日曜日。晴れ。夜雨。

4時に起きる。朝、田熊のハローズへ買い物。蜜柑摘み。墓参り。昼食後向島へ。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「露のひぬ間」「琴線」「姉川」「両面将軍」。


2015年12月21日。月曜日。雨のち曇り。

5時半に起きる。雨で寒い。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「叡山」「東風吹く一隊」「獅子の乳児」「卑屈茶わん」。


2015年12月22日。火曜日。曇り時々晴れ。
10時過ぎに出て夕凪亭へ。買い物。図書館。井原。夕方、内科医院。レッドサンでWiFiHDを買ってくる。夜、町内会役員会。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「四面楚歌」「伏龍悶動」。


2015年12月23日。水曜日。曇り後雨。
9時過ぎに出て潮騒荘へ。まもなく雨。午後,散髪。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「毘沙門堂主」「雁と燕」「権化」。


2015年12月24日。木曜日。晴れ。
6時に起きる。灰の奥口まで散歩。9時半迄剪定。因島図書館で古文書講座。午後、蜜柑詰み。後、剪定。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「時々刻々」「三方ヶ原」「卍」。


2015年12月25日。金曜日。晴れ。
6時に起きる。灰の奥口まで散歩。それから墓参り。 帰りに上坂から八巻道路を通る。
帰ってから剪定。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「天放無門」「田園の一悲母」「君臣春風」。


2015年12月26日。土曜日。晴れ。
5時半に起きる。8時ごろ出て夕凪亭へ。午後、井原。帰って昼寝。夜、町内会の夜警。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「旧閣瓦解」「去りゆく人々」「お市の方」。


2015年12月27日。日曜日。晴れ。
5時に起きる。8時過ぎに出て潮騒荘へ。10時過ぎから剪定。午後、ひまわり。昼寝。4時頃から防鷺用のワイアーネットの整備。
吉川英治「新書太閤記 第四分冊」で「母の戦い」「説客」「珠」「さむらい集い」。


2015年12月28日。月曜日。晴れ。
6時に起きる。寒い。散歩。大浜往還(古道)で灰の奥口まで。帰りは、小丸山道を通って一本松まで。そのあとは伝六ロードを北進。その後、剪定。午後昼寝。鷺が侵入しないようにワイヤーメッシュを組み立てて、池の一部に覆いをする。
「未来の女性」「母と妻」「楽しみここにあり」を読んで、吉川英治「新書太閤記 第四分冊」を終わる。


2015年12月29日。火曜日。晴れ。
6時に起きる。寒い。9時前に出て夕凪亭へ。井原。昼過ぎに潮騒荘。来客。夕方迄歓談。
吉川英治「新書太閤記 第五分冊」で「とらと虎」「石田佐吉」「鞠」「財吏」「財吏」。


2015年12月30日。水曜日。晴れ。
6時に起きる。寒い朝.霜が夥しい。寒いので散歩はやめる。午後,池の柵。買い物。剪定。夕方,来客。
吉川英治「新書太閤記 第五分冊」で「「御旗楯無」「けだもの囃子」「長篠」「破れ障子」。


2015年12月31日。木曜日。晴れ。時々、微雨。
7時に起きる。8時過ぎから散歩。伝六ロードを通って一本松へ。有浜、縄手の土手を通って川口へ帰る。途中、村四国,島四国に寄りながら。午前中,剪定。ほんの数的の雨。午後、池の柵作り。やはり時々微雨。夕方甥姪来る。寒い夕方。
吉川英治「新書太閤記 第五分冊」で「泥衣の戦士」「士魂煌々」「しだらが原」「夏草日記」。



2015年12月17日木曜日

夕凪亭閑話 2006年5月



2006年5月1日月曜日
 風薫る5月である。5月の風,ということで,淡いブルーにしてみた。5月の風は,昨日吹き,今日の風は,夏の風であった。何度も書くが,異常気象だ。ともあれ,今日になって,はじめて,朝ストーブを使わなかった。これが,この国の春である。
2006年5月3日水曜日
 早朝から,好きなことをしている。やや寒いので,午後になって外に出たが,こういうのは,健康によくない。ほどよい時間に散歩しなければ。
 さて,せっかくのまとまった休みだから,糸の切れた凧のままでいるのも,勿体ないので,超ひも理論について続きを書こうと思ったが,少し遠回りをしてみたい。超ひも理論が,一般相対性理論と量子論を融合させようとするものであるから,少し量子論を復習することにする。
 相対性理論が一人の天才によって創られ,量子力学が複数の天才によって創られたのが,20世紀の前半のことであった。それから,100年。といっても量子力学の成立した1925,1926年から数えると80年。一般相対性理論からは90年だが。それらを包括した大きなパラダイムが超ひも理論で,完成はしてはいないが,一つの方向として期待してもいいのではなかろうか。とはいえ,量子論ほど,早い時間に主流にならないのが,もどかしい。
 量子力学の成立は,決して単純なものではなかったが,それでも,超ひも理論に比べると,一筋の大河のように整然としている。そして,20世紀の始まりの年,1900年にスタートし,文字通り20世紀の物理学になった。そして,それを後ろから照らすように,ノーベル賞という,まことに20世紀らしいものが付随していたということも,記憶にとどめていてもよいだろう。
 
2006年5月4日木曜日
 暖かくなったし,暑くもなく,ほんとうに素晴らしい天気だ。ただし,直射日光はきつい。
 さて,量子力学に至る,量子論の発端は1900年のマックス・プランクの量子仮説から始まる。この量子仮説というのは,エネルギーが連続的な値を取るのではなく,不連続な値を取るというもので,その最小単位が,現在プランク定数という名称で与えられている数値である。
 プランクの仕事の内の1900年の論文が,物理学古典論文叢書1「熱輻射と量子」(東海大学出版会)に収録されている。同書,p188に「b=6.885・10-27〔エルグ×秒〕。同書p.234にエネルギー量子が,また,p.239にε=h・νがあります。また,驚くべきことに,自然単位ということで,長さの単位として4.13・10-33センチメートルというのがp.189にあります。
2006年5月5日金曜日
 今日は5時50分に出発して四国遍路に行ってきた。瀬戸大橋を渡って,坂出インターで降り,そのまま国道11号線を高松方面へ。まもなく,81番白峯寺の案内板に従って,11号線からはずれ,五色台の白峯寺へ。7時過ぎだった。ここは他のお寺と違い,7時に開門だから,あまり早く着いても,先に参拝をしておくというわけにはいかないので,ちょうどいい時間に着いたことになる。
 五色台から見る景色は美しい。坂出が眼下に見える。のどかでかなり上までみかん畑が続く。白峯寺は,崇徳上皇が荼毘にふされたところだ。本堂から少し下がったところに白峯御陵があるのでお参りしてきた。
 上田秋成の雨月物語の最初に「白峯」というのがある。西行は,よしや君昔の玉の床とこてもかからんのちは何にかはせん,と詠んでで崇徳上皇の怨霊を慰めた。
 五色台を更に登り,南東に向かえば,82番根香寺だ。白峯に対して,こちらが青峯である。
 高松側へ山を降りて,これも案内板通りに,進むと,83番一宮寺。前回は,さんざん迷ったのだが,今回は,案内板を見失わなかったせいか,早く着いた。
 次はいよいよ屋島寺。屋島は有名な観光地だから,屋島を目指せばいい。11号線を東へ。少し東へ行き,それから北上して11号線へ行くのがいい。有料道路を登れば84番屋島寺だ。屋島へは子供の頃から数知れず行っているが,何度行っても飽きない。晴れた日の眺望は実に素晴らしい。
 途中で車を止めると,85番八栗寺のある五剣山が指呼の間に眺められる。この下が屋島・壇ノ浦の古戦場。
 85番八栗寺へは,ケーブルカーで行く。途中,屋島・壇ノ浦が見える。ケーブルカー駅近くに柴野栗山記念館があるが,今夏はパス。
 86番志度寺は藤原不比等と海女の伝説で有名なお寺だが,五重の塔も仁王門も風格がある。また,崇徳上皇も滞在したことがあるという。
 海女の墓の向こうは海。そこで,一句,志度の海海女の墓にも五月風
 隣のお寺に平賀源内の墓がある。以前お参りしたので,今回はパス。
 87番は,引き返して,南へ向かうと,87番長尾寺。広い境内と多数の伽藍。感心する。ここは静御前が剃髪したところとして有名。剃髪塚があった。それから,大きな楠は樹齢800年という。途中の枝の曲がり方がおもしろい。
 さらに南に行くと,いよいよ結願の寺,88番大窪寺である。そして,結願である。一回目のときは,ここにお参りしたときは,夕暮れで,おまけに半分も済んでいなかったので,ただやたらとお寺の大きさと山深さが印象に残っている。今回は一番から回ったので,ここで結願である。やっと終わったという安堵。門前のみやげもの屋で掛け軸の表装を依頼する。
 帰りは志度まで戻って,少し遠ざかるが,志度インターから高松道へ。そして瀬戸大橋を通って,三時過ぎに無事帰着。四国88カ所遍路の二回目が無事終了しました。三回目は考えておりませんので,しばらくは行きませんが,機会があれば,また・・・・・・。
 例年大型連休中には,混雑を避けて外出しないのですが,ガソリンが益々値上がりしそうなのと,暑くなってくるので,それまでに四国巡礼を結願しておこうと思った次第。異常気象で,この頃にしては暑くなかったようです。
 
2006年5月7日日曜日
 昨日が立夏だったのですが,少しも暑くありません。午前中少しストーブを入れたくらいです。午後になって,雨が上がったので,例によって散歩です。霞が漂うておりました。
 1900年のプランクの話しは,朝永振一郎博士の「量子力学Ⅰ」(みすず書房)に詳しく紹介されております。この本は名著ですから,今も本屋さんにはちゃんと置いてあって,心ある学生さんには買われているのではないでしょうか。その30頁です。おっと,ここでは[第2版]です。因みに,昭和47年12月26日に,900円で買っております。
「かれの考えはこうである。すべての物体は連続体でなく,小さな,それ以上分けられない原子から成り立っていると同様に,エネルギーも限りなくいくらでも小さく分けうるような連続量でなく,ある原子から成り立つのではなかろうか。このエネルギーの素量をエネルギー量子とかれは名づけた。」
 後の原子という言葉に奇異な感をもたれた方は,デモクリトスを思いだしてください。デモクリトスの原子というのは,ドルトンの原子とは似ていなくて,観念なのですね。要するに何かでできていなくてはいけない,という,そういうものです。「最小の」という形容詞をつければ,もっとデモクリトス的になりますね。ということで,エネルギーが最も小さなものから成り立つというのは,エネルギーのデモクリトス版と言えなくもない。
 デモクリトスについては,中村元先生の「思想をどうとらえるか」(東京書籍)の67頁も参考になります。
 
 最近の読書から。
 東野圭吾「容疑者X」(オール読物連載)。論理的でも何でもありませんが,論理的めかした意匠がおもしろい。何故天才的でないといけないか? 天才的と書くことで動機のリアリティが保証されているのですね。
  石田衣良「美丘」(野生時代連載)。恋人がヤコブ病で死んでいくという純(?)愛。佳品。そのうち単行本になるでしょう。乞御期待。
 西尾幹二「男子,一生の問題」(金子書房)。「ヨーロッパの個人主義」以来,反時代的であるところが魅力です。
 中村元「学問の開拓」(佼成出版社)。巨人の入門書,ですね。
 次は「ダ・ヴィンチ コード」だ。ベストセラーは読まない主義だが,我が家の誰かが買ってきて置いてあったので・・・。「オプス・デイ」というのはカソリック系の団体で実際にあるのですね。小説と映画への対応が実に見事ですね。大人の対応というのでしょうか。本当の宗教というのでしょうか。感服。
 ところで,小生のこのホームページを途中から読まれている方は,夕凪亭というからには,瀬戸内海の小島に住んでいるのではないかと想像されるかもしれませんね。残念ながら仕事の関係で,潮の香りもせぬところで,潮の香りを想像しているだけです。広島県と岡山県の県境に近い山の上です。北向き斜面なので海は見えません。猿も猪も来ません。今頃になると,鶯の鳴き音くらいは聞こえますが・・・。 
2006年5月8日月曜日
 やっと初夏らしくなりました。夜になって夕凪亭の窓を開けると,涼しい空気が入ってきます。
 岩波新書の「物理学はいかに創られたか」という赤い本は,アインシュタインとインフェルトという人の共著となっているが,アインシュタインが語り,それをインフェルトがまとめたものだそうです。その下巻の最後の章が「量子」で,「連続,不連続」の話しがあります。電車と自動車で行く場合,止まるところまでの距離が,不連続,連続であると説明してあります。それから砂粒の質量を測る例をあげ,測定器具の精度が上がれば,測定値が不連続になると書いてあります。 
  要するに,視点の問題なのです。すなわち,通常の測定値の間にまで,測定器の精度が上がれば,不連続になるということです。ということは,そういう世界へわれわれの認識の程度が深くなったということです。
2006年5月9日火曜日
 やあ,暑くなった。昼間も暑かったが,夜になっても暑い。ということで,夕凪亭以外の部屋にも一斉に扇風機を出した。例年,五月の連休にストーブを掃除して片づけ,入れ替わりに扇風機を出すということを習慣にしていたが,今年は,もう少し・・・ということで,ストーブは健在だ。また,寒い朝がやってくるに違いない。
 プランクには,湯川博士が勉強されたという有名な物理学の教科書があって,その翻訳もある。今,手元にあるのは,それとは異なり,春秋社の世界大思想全集48(昭和5年)に収録されている,ものである。この本には,「エネルギー存恒の原理」(第2版)と「物理学的展望」と題された講演集が採用されている。他にアインシュタインのもの。その講演集の最後が,ノーベル賞受賞講演で「量子論の成立と従来の発展」(1920年7月2日ストックホルムに於けるスウェーデン王立科学アカデミーでなされたノーベル講演)というものだ。(以下,石原純訳,旧漢字旧仮名)。
 1920年と言えば,ボーア,ゾンマーフェルトの量子論はあるものの,ド・ブロイ,シュレーディンガー,ハイゼンベルグの登場未だし,という状況だ。「作用量子は単に一つの仮想的の量に過ぎなかったであろうか。」「或は又併し輻射法則を導き出すことに実在的の物理的思想が土台になっていたのであろうか。」「経験は第二の方を正しいと判断した。この判断が併しそれ程速かに且つ疑もなく下されることができたと云うのは,熱輻射のエネルギー分布則の検証によるものでもでなく,また私が与えたところの,この法則の特殊の演繹によるのでもなく,寧ろ作用量子を研究に役立ったところの研究者たちの間断なく前進する仕事のお陰である」(p.106)と,まことに謙虚な態度である。
2006年5月10日水曜日
 プランクの量子仮説の発見が,巨視的世界から微視的世界へと,物理学の探究が向かっていく,まさにその結節点に位置するものである,ということは言うまでもない。そして,その発見が丹念な巨視的世界の研究から為された僥倖であったということであって,プランクその人が微視的世界の探究に舵を切っていたのではない。しかし,その発見の意味の自覚がプランクになかったのかというとそうでもなく,「自分はニュートンの発見に匹敵するような大発見をしたのではないかと思うと,自分の子供に話したといわれている。」と「世界の名著66現代の科学Ⅱ」の解説で湯川博士は書かれている。(p.15)そして,今の私たちは,その認識の正しさを十分認めることができる。
 また,プランクのそのような見解をもつ認識力にも驚く。しかし,更に驚くべきことは,そのようなプランクが,微視的世界へ探究の目を向けるかというと,そうではなく,巨視的世界,今でいえば,古典物理学の世界に留まっていたということである。だから,ノーベル物理学賞も,量子論の発展の寄与ではなくて,1900年のエネルギー量子の発見,すなわち量子仮説そのものだけが評価されたのである。そしてその評価が生きるのはただ,アインシュタインやボーアが発展させた量子論の中でプランクの説を援用しているからである。そして,そのことを1920年のプランクは認めていたということは,昨日書いた。
2006年5月14日日曜日
 相変わらず暑くなりませんね。時々,ストーブを入れております。戸外では,黄色のモッコウバラが散り始め,その下に,あやめと,紫蘭が咲いています。少し隣には,ポピーと躑躅が仲良く咲き競っています。棗の若芽が出ました。日に日に成長していきます。黄緑色が鮮やかです。見れば,山梔子の若芽も元気よく伸びはじめました。
 メダカmedaka fish (Oryzias latipes)飼育日記
 餌は毎日やっております。朝から元気よく泳いでいます。元気はよいのですが,痩せているのは太りません。成長しているのもいるのに,卵を産んだ気配が感じられません。やはり,気温が急に上がることが必要なのではないかと,思っております。
2006年5月19日金曜日
 小雨。温度が高いせいか,湿気が多い。さすがに今日はストーブは使っていないが,昨日まで,少しの時間だが,入れたりしていたから,相当に異常だ。
 集英社の「青春と読書」(2006.6)の森詠さんの「はるか青春14」(p.88~)は,先月からの続きで,「第七話 哀しみの三島由紀夫 下」である。森さんが,編集者時代に三島と会った話しが中心で,偉い偉い三島さんが,新人編集者の森さんに対しても丁寧に遇したという話し。似たような話しが,西尾幹二さんの「男子,一生の問題」(金子書房)の中にもあった。
2006年5月23日火曜日
 Nature Newsによると,チクングヤ熱chikungunyaというのが,流行しているということだ。蚊によって媒介される高熱と筋肉痛を伴う伝染病で,デング熱と誤診されることもあるというから,相当危険度は高い。2006年初頭にフランスに発生し,現在インド近くまで拡大しているということだ。鎮痛剤くらいしか,治療法はないという。多くの人々の話題にならないことを祈る。
 
2006年5月28日日曜日
 梅雨前の鬱陶しい天気が続く。さて,昨日より,西国33観音霊場巡礼の旅を始めました。1番の南紀青岸渡寺から始めるのが,理想的だが,途中,4番の施福寺は槙尾山登山もあるので,順番通り廻っていたらなかなか機会がもてないのではないかと思い,順不同で,やさしいところからお参りすことにした。
 ということで,昨日は晩秋ではなく晩春の播州平野を駆けて,第25番播州清水寺,26番一乗寺,27番書寫山圓教寺にお参りした。清水寺は2度目,圓教寺は3度目です。
  第25番播州清水寺。国道372号線を北上するということで,こちらからは,山陽道を姫路東で播但道路へ出て,中国山崎から中国道をさらに登り,滝野社インターで降りて,くるくると廻りやっと国道372号線をみつけて,北上しました。以前行ったのは30年も前で,このときは,車の乗客でしたので,何処をどう通ったのかも覚えておりませんが,何とか辿りつけました。随分急な山道を登ったように記憶していたのですが,自分で運転してみると,四国の山寺に比べれば,ごく普通の道でした。朱塗りの仁王門は以前にはなかったもので,驚きました。
   第26番法華山一乗寺は,372号線を引き返して加西市へ向かいます。中国道を過ぎ,山陽道にまでは行かないうちに法華山口から左折して山の中に入ります。国宝の三重の塔は見事です。
   第27番書寫山圓教寺は姫路城の北,山陽道の近くです。372号を姫路を目指して南下し,山陽道の南側測道を西に進んで,姫路市街に入りました。姫路城周辺はいつきても賑わっています。途中で,夢前,書写山方面の道路標識を見つけ,あとは,標識通り進んで,ロープウエイ口へ。山頂駅からは1000円だしてマイクロバスに載りました。以前は馬車がありました。もう20年くらい前の話しだが,小さい子供を連れて暑い中を歩いてへとへとになった記憶があったので,今回は馬車に乗るぞと,決心していたのですが,マイクロバスに変わっていました。時の流れですね。摩尼殿では秘仏の公開中で拝観してきました。さらに摩尼殿の軒の下を通って,大講堂,食堂,常行堂も見てきました。
 

夕凪亭閑話 2006年4月



2006年4月1日土曜日
 4月。卯月である。さわらびの萌え出づる春になりにけるかも(万葉集8-1418) という感じで,背景を濃い緑色にしてみた。
 日経新聞連載の「私の履歴書」は生化学者の早石修さんのものが昨日で終わった。その最終回は特にいろいろと教わることが多いので2点ばかり要約・引用しておく。機会があればこの最終回だけでも読んでいただきたい。(やがて単行本になると思う)
 「セレンディップの三人の王子」の話し。スリランカの三人の王子が海外への冒険旅行を命じられて周到綿密な計画を立てて行く。しかし書物で学んだ知識は役に立たず「王子たちは思いもかけぬ経験を積み,新しい知識を身につけて帰国し,祖国を難局から救う。この故事にちなみ,偶然による科学上の発見を『セレンディピティ』と呼ぶ。」
 もうひとつは,古武弥四郎博士の色紙。「本も読まなくてはならぬ/考えてもみなくてはならぬ/しかし働くことはより大切である/凡人は働かなくてはならぬ/働くとは天然に親しむことである/天然をみつめることである/こうしてはじめて天然が見えるようになる」
 やはり,向上の一路の先生は違う。本も読まなくてはならぬ,だ!「本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう。」(長田弘) しかし,この詩は(も,と書くべきか)「書かれた文字だけが本ではない。・・・・」と続く。
 ああ,春なのに,どこでどう迷ってしまったのか,一般相対性理論の深い深い森の中へ迷い込んでしまって,彷徨が続く・・・。
 さて,先日までで,重力によって曲がった空間での長さについて述べた。アインシュタインはこのことから次のように考えた。「重力場が空間を歪ませるというのではなく,重力場が存在するということと,空間が歪んでおり,その結果,ユークリッド型ではないということとは同じことである。物理学的にみて重力場が存在するということは,幾何学的にいえば,そこの空間が歪んでいるということにほかならない。」(内山龍雄,岩波新書p.145)
 さて,この次は重力ポテンシャルと曲率テンソルの話しが来るべきところであろうが,少し飛ばして,アインシュタインの方程式に入ろう。
 いろいろな条件を勘案して,1915年にアインシュタインは重力場を決める方程式として,次のような方程式を作った。有名なアインシュタイン方程式である。(「相対論の意味」p.88)
   μν- (1/2)gμνR=- κTμν
μνはリッチテンソルと呼ばれる,2階の対称テンソル,RR=gμνμνで作られるスカラー。Tμν はエネルギー・運動量テンソル。 κは比例定数で,κ=8πGc4,Gは重力定数。
 
 そして,閑話休題。 昨日,近くにある製鉄所の名称JFEの意味について,同僚の間で話題になったので,調べてみると,JFEホールディングスのホームページに名称の由来が,書いてあった。JはJapan   FEは鉄の元素記号Feとのこと。これでは,テレビのクイズ番組に出てもいいような由来だ。なおまた,Japan Future Enterprise の意味もあるそうである。メインとなるJFEスチールという会社名がおかしいが,まあいいとしよう。
 ちなみに鉄の元素記号Feは,ラテン語による。ブルーバックスに次のような記述がある。
  Feは,ラテン語の「かたい」や「強固」を意味するfirmusに由来する言葉ferrumといわれているが,これも詳細は不明である。(桜井弘「元素111の新知識」(講談社)p.145)
 研究社の「羅和辞典」には次のように記載されている。
 ferrum 1鉄 2手おの,はさみ,ほうちょう,すき,こて,鉄筆,かんぬき;鉄製の武器,刀剣,あいくち,やり。ferro ignique鉄と火とをもって;戦火をもって 3武力 4無(感)情,厳酷,残忍 5鉄の時代
  firmus 1確固たる,強固な,力強い 2堅忍不抜の,確固不動の 3信頼しうる,確実な
 firmo 1確かにする,固める 2確保する,安全に(防護)する etc
  ついでに岩波の「ギリシア ラテン 引用語辞典」のラテンの部の210ページから。
  fero et igni  鉄をもって而して火をもって;戦争をもって(Bismarck.)
    ferrum ferro acuitur 鉄は鉄もて鋭くせらる
 
2006年4月2日日曜日
 アインシュタインの方程式の続き。  また,左辺にgμνΛ(Λはギリシア文字ラムダの大文字で,宇宙定数)を加えた式もある。これについてアインシュタインは次のように述べる。
「ここにΛは,一つの普遍定数(“宇宙定数”)である。この第二項の導入は理論を複雑にするものである。そしてその論理的簡単さをかなり減ずるものである。しかし,その導入は,物質の有限平均密度の導入がほとんど避けられないものであるということから起る困難によってのみ,妥当とされるのである。」(「相対論の意味」p.118)
 こちらは,宇宙の膨張を解消するために導入されたものであるが,それはハッブルの発見以前のことで,「もし,ハッブルの膨張が,一般相対性理論創設の当時に知られていたとすれば,宇宙項はけっして導入されていなかったであろう」(「相対論の意味」p.134)と後にアインシュタインが述べている。
 ということで,アインシュタインの方程式は膨張宇宙論までも予言していたということである。
宇宙項を含まないアインシュタインの方程式(重力場の方程式)の解については,静的な解(時間変化なし)と動的な解(時間的変化あり)が求められている。
 手元にあるものでは,古いバージョンで恐縮だが,湯川秀樹監修岩波講座現代物理学の基礎2「古典物理学Ⅱ」(1973)のp58-81とか,同講座12の「宇宙物理学」(1973) 。
 このバージョンは,問題があって,すぐに第2版が出たので,ロングセラーにならなくて,残念なのですが。
 それに,内山龍雄「相対性理論」(岩波全書)。ともに,原著論文が紹介されております。
 その静的な解の一つ,Schwarzschildシュワルツシルドの厳密解(外部解)から与えられるr =4a という球面が特異点となり,Schwarzschildの障壁と呼ばれ,意味のないもであったが,r<4aの天体の存在が考えられるようになった。これがブラックホールである。
 ブラックホールが単なる天文学者の戯言ではなく,理論的にも根拠のあるものだということが,わかった。
 おりしも,ニュートンデジタルライブラリーとして「ブラックホール1985~2005」というのが発売された。大変よい企画だと思う。とともに,過去の記事はweb上でオープンアクセスにすべきだと思うが・・・。そうすれば,外国の人も見に来て,日本語学習者が増える可能性も出てくる。
 本日の読書より・・・
「兄弟が平等ではない家族システムは,人間と諸国民が相異なるものであり,したがって普遍的人間は存在しない子供たちの無意識に教え込む。」「差異主義的なドイツやイギリスの住民には,接触の期間が長くなればなるほど,憎悪が募って来る傾向がある」(p.49-50)
Herrenvolkの概念は「奴隷制のような差別的体制こそ民主主義という制度が成立し得る条件なのかも知れないことを暗示するのである。」(p.51)
 以上,石崎晴己編,E・トッド「世界像革命」(藤原書店)より。後者は,アメリカ合衆国のことでしょうか,それとも古代ギリシアのことでしょうか? 自分で考えてみてください。
 
2006年4月3日月曜日
 一般相対性理論を完成させたアインシュタインは,統一場の理論を目指し,それは完成しなかった,という。
 統一場というのは何か。これは重力場と電磁場を統一するというものである。
 この頃の状況については矢野健太郎さんの解説を引用しておこう。
 「アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後から,時空の構造が,重力場ばかりでなく,重力場と電磁場の両方を表わし,重力場と電磁場の存在が時空の構造を規定するような理論を作りたいという希望が,理論物理学者と数学者の間に起こっていた。この種の理論は,現在統一場理論とよばれている。」(学術文庫p.89
 「統一場理論 unified field theory, einheitliche Feldtheorie 歴史的には1920年代に始められた一般相対性理論をより一般的な幾何学空間に拡張して電磁気学をも含ませようとしたワイルのゲージ理論,カルツァ‐クライン理論,トーションテンソルを含む理論などの試みを指す.」(岩波理化学辞典第5版CD版)とあり,その後の,「重力を含む4つの基本相互作用の統一理論(unified theory)が試みられているが,これらも統一場理論とよばれる.」とあるが,ここでは,前者に留めておこう。
 そして,アインシュタインはワイルとは別の行き方をとる。
 さて学術文庫には,「物質場の統一理論」(1930),「重力の相対論の一つの拡張 Ⅰ」(1945),「重力の相対論の一つの拡張 Ⅱ」(1946), (なお,p.376 1行目の19311930の誤植)
  また,「アインシュタイン選集2」(内山龍雄訳編,共立出版)には「重力および電気の統一場理論」(1925),「リーマン幾何学と遠隔平行性」(1928),「重力および電気の統一場理論に対する新しい可能性」(1928),「統一場理論」(1929),「重力場および電磁場の統一理論」(1931),「重力場と電磁場の統一理論」(1932),「重力場の拡張」(1948)が収められている。
 敢えてこれらの論文が発表された年代を加えたのは,この時期がちょうど量子力学の建設期と見事に符合するからである。アインシュタイン自らも,光電効果という,量子論についての最大の貢献をしてその歩みが始まった量子力学に背を向けて,統一場理論に傾倒したアインシュタインの執念はすごい。
2006年4月4日火曜日
  アインシュタインの執念を追うかのように,多くの物理法則を統一しょうという動きはその後も緩慢ではあるが続いていた。そして,その大きな成果が,ワインバーグ,サムラの統一理論である。
 ここで,統一されるべき力についてまとめておこう。その力には4種類ある。
 まず2つは,これまでもしばしば出てきた,重力と電磁気力。そして素粒子の世界で出てきた,「弱い相互作用」と「強い相互作用」。
「弱い相互作用」はフェルミが言い出したものだ。「強い相互作用」は,湯川秀樹博士の中間子論の主要概念である。
重力と電磁力を統一しようとしたのが統一場の理論だ。しかし,統一されたとは考えられていない。一方,「弱い相互作用」と電磁気力を統一したのが,ワインバーグ・サムラの統一理論だ。こちらは,成功したと一般には認められている。そして,さらに,これら4つの力を統一することができると期待されているのが,超ひも理論だというわけだ。
 
2006年4月5日水曜日
  まさに, 清明の時節雨紛々 で,外は小糠雨が降っている。 
 清明である。といっても昨今では晴明のほうが有名である。阿部晴明で有名な陰陽博士,陰陽師については,松田英松博士の「新訂官職要解」(講談社学術文庫p.85)にも出てくる正式な官職である。第四章平安時代の陰陽寮(おんようりょう)に「天文暦数のことを掌る」とある。また,
頭(かみ) 一人,『大宝令』に「天文,暦数,風雲,気色に異あらば,密封して奏聞する事を掌る。」と書いてあって,(中略) この職は一種の技術官であるから,家業となって,阿倍家,賀茂家の人々が代々この職を任じたので阿倍氏を土御門といい,(以下)略)
とある。また,「陰陽師(おんようし,おんみょうじ)は,卜筮(ぼくせい)や土地を観て吉凶を知る役である。」とも記してある。
陰陽博士と並んで歴博士,天文博士,漏刻博士,権博士というのもあった。天文博士の条に「阿倍氏の人が代々任ぜられたのである」と松田博士は記す。
  鶴の恩返しに似た話で,夫に決して自分の化粧室を見ないということを約束させているのに,ある日夫がその禁を破ってのぞき見ると,その正体が狐だった。そして,その狐は,「恋しくば たづね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という言葉を残して去る,というのが葛葉伝説,あるいは信太妻と呼ばれる伝説であるが,その子供が阿倍晴明だったという説話をかつて読んだことがある。何しろ晴明といえば,説話界のスーパーヒーローなのだから,今昔,宇治拾遺,古今著聞集といたるところに出てきて,その超能力を発揮する。識神なるものを使って。
  葛葉伝説のバリエーションについては,折口信夫博士の「信太妻の話」というのが「古代研究Ⅱ民俗学篇②」(角川文庫)に入っている。
   なお,和田英松博士は備後鞆の人で(ということは,森下仁丹の創業者と同郷ということ),備後史談会を異郷から支えた一人。
   さて,現代の陰陽寮である国立天文台の編集なる「理科年表」には,開巻3頁に国民の祝日とともに二十四節気と雑節というのが載っている。それによると,本日4月5日7時15分が太陽黄経15°で清明である。二十四節気というのは一年を24に分けるのだから一と月に二回あるというわけ。
   次は4月20日の穀雨,そして5月6日の立夏と季節は巡り,若者は成長し,大人は老いる。人類は進化しているのやら,してないのやら。ただ,確実に言えることは地球環境は日に日に悪化していることは誰もが認めることであろう。そして,人類の痕跡は,先日放映されていた人工頭脳ピノキオのように,ディジタルな記号として,宇宙空間に残り続けるかも。
 それはさておき,目を過去に点ずると,晩唐の杜牧に清明という絶句がある。
清明  杜牧
清明時節雨紛紛  (清明の時節雨紛々)
路上行人欲断魂  (路上の行人 魂を断たんと欲す)(気が滅入る)
借問酒家何処有  (借問す 酒家は何れの処にか有る)
牧童遙指杏花村  (牧童遙かに指さす 杏花の村)
酒屋を問われて,牛飼いの少年が指す方向には白い杏の花が咲いている村がある。
 
さて,続いて,ひも理論の話し
  やっと,超ひもに辿り着いた。とはいえ,ほとんど飛ばしてきたので読者には何のことだかわからなかったと想う。超ひも理論が包括的な理論なのでこちらを考えながら過去の出来事を眺めたほうがいいのではなかろうかと思って急いでやってきたのである。しかし,この変な名前の超ひも理論のアウトラインを手っ取り早く理解することが必要だろう。
  超ひも理論superstring theoryは超弦理論とも呼ばれる。どちらでも要するにstring「ひも」なのだ。ひも理論なのだ。これは,物質の根元を遡ったとき,小さな粒子ではなく,ひものようなものと仮定するのだ。極めて小さく,見ることも触ることもできない世界のことだから,具体的なそのへんに転がっている,糸とか輪ゴムとか麻ひもを思い浮かべても仕方がない。思考モデルなのだ。それが,球状あるいは点状の粒子よりも,ひものほうが,考えやすいということであろう。,
 超superというのは超対称性supersymmetryのことだ。すなわち超対称性をもったひも理論が超ひも理論ということになる。
 では,超対称性とはどういうことか。まず対称性から。これが難しい。
  岩波新書の「素粒子の世界」(鈴木眞彦,釜江常好)の用語解説にはこう書かれている。「対称性上下対称とか左右対称といった場合のほかに,さまざまな数学的変換で,波動関数や相互作用の形式が変わらない場合にも使う。」(p.179)
   ついでに,「エレガントな宇宙」(グリーン著,林一,林大訳,草思社)の用語集から。「対称性 物理系の性質で,その系が何らかの形で転換しても変化しないもの。例えば,球面は回転しても見かけが変わらないから,回転に対して対称的だ。」(p.562)
ということで,対称性については,理解できたであろう。次は超対称性。これは岩波の理化学辞典によれば,「整数スピンのボース粒子と半整数スピンのフェルミ粒子を入れ換える対称性.」であり,「超対称な理論のいちじるしい特徴として,フェルミ粒子とボース粒子の寄与が相殺されるため,場の理論特有の発散の程度が落ちることがあげられる.」(第5版CD版)
   まだ,これだけでは,超対称性のありがたさが伝わってこないが,今回は名前の意味を述べたことで,これで終わる。
 
2006年4月6日木曜日
 3日ほど前から桜が咲き始めた。満開でなかったので,昨日の雨で散ることはなく,今日も一層開花は進む。
 
  さて,超ひも理論は,一方では4つの力を統一するのではないかと期待される反面,実験的に証明すべきことが少ないということで,懐疑的に見られているが,次第に認められてきているのではないだろうか。
  これを,20世紀初頭の量子力学の成立期と比較してみれば,新しいパラダイムの誕生が決して平坦なものではないことがわかる。とはいえ,量子力学のほうは,1900年のプランクの量子仮説以来,実験,理論,ノーベル賞がセットになってドラマチックに発展していった。しかし,新しい世界観には抵抗する人がいたことも事実で,アインシュタインや,シュレーディンガーなど,その建設に貢献した人たちでさえ,解釈には違いがあった。
  このようなことを考えると,超ひも理論が,現代の物理学の中心にならないといって嘆く必要はない。
  紀伊国屋書店の「スーパーストリング」(デイヴィス,ブランウン編,出口修至訳)は古い本だが,1980年代の雰囲気がよく伝わる。
 ファインマンは言う。「それが何も計算してくれないから好きになれないのだ。」「たとえば,その理論は十次元空間を必要とする。それでもいい,数学的には可能だが,なぜ七次元ではいけないのだ。」(p.239)「実験と比較できるものがない。その最たるものは,観測される粒子は質量をもっているが,それはプランク質量よりずっと小さく,現在の実験範囲内にある。一方,別の質量のスケールがなぜ出てくるのかがわからない。」(p.241)
「彼らは何も推測しておらず,これが彼らが作ることのできたたった一つのモデルであり,それがまちがっていることが証明できないから,それは正しいだろう,と言うのにすぎないのだ。」(p.244)
  ファインマンはアインシュタインが量子力学に反対したことをふまえて,自分の反対が歴史的なものになることを十分に意識している。老人は新しいものを受け入れがたいものだと,いわんばかりに晩年のファインマンは語る。
 
2006年4月7日金曜日
   さて,もう一人超ひも理論への反対者の声を,「スーパーストリング」から聞こう。グラショウと言っても,ファインマンほど有名ではないが,例のワインバーグ・サムラの理論という,電磁力と弱い相互作用を統一した理論への貢献者の一人で,グラショウ・ワインバーグ・サムラの理論と書かれることもある人なのだ。そして,三人は同時にノーベル物理学賞を受賞している。ワインバーグとサムラが超ひも理論へ賛意を示すのに対してグラショウは否定的なのだ。
「彼らは物理的世界に関して何も言うことができないからです。彼らのうちのある者はその理論の唯一無比性と美について,あるいは真実について確信しています。理論がユニークで真実だから,明らかに全物理的世界を記載するはずだというのです。」(p.224)と,なかなか手厳しい。
 国立国会図書館の近代デジタルライブラリーがさらに充実したということなので,いろいろ探してみると,「比律賓群島漁業視察報告」というのがあった。広島県水産試験場の白石升治という人の視察報告書である。明治37年(1904)御調郡三原町の広島県水産試験場発行となっている。
 漁業移民については,ほとんど忘れ去られている。移民といえば,農業移民かあるいは,旧満州などの植民地移民が大部分である。しかし,木曜島の真珠貝採りとかマニラ湾の打瀬船漁とか,海外へ漁場を求めて行ったのもまた事実である。遠洋漁業というのは,あくまでも公海上でのことであろうから,やや異なる。
 流瀬網は「本網は多く昼間の業にして小形漁船一艘に漁夫二三人乗組み漁網三四束を以て漁場に出て上流より網を投し縄の一端を船に取り船と共に流しつ,船舷を叩き或は小石を投して魚を威し網目に罹らしむる装置とす。一日十数回使用すると云ふ」(p.8原文は旧漢字,カタカナ。句読点を補った。以下同じ)打瀬漁のことである。
 本邦出漁漁夫漁業ノ状況には「(明治)34年,広島県豊田郡忠海町山根與二兵衛マニラ漁業の有望なることを伝聞し,同地の漁夫二名を連れ打瀬網数張を携帯渡航し田川の持船を譲り受け打瀬漁業を試みたりしに稍好成績を得」(p.17)とある。これがマニラ湾における打瀬網漁の嚆矢である。
 
2006年4月9日日曜日
 昨日は,期限切れ寸前の青春18切符を使って,ローカル線の旅に出る予定だったのですが,別の者が使うことになったので,予定を変更して四国遍路に行ってきました。どこへ行っても満開の桜に歓迎されました。
 朝4時40分に出発して,山陽道,尾道バイパス,しまなみ海道,小松道,松山道,国道33号線を経由して,久万高原町を目指します。久万高原町の45番札所・岩屋寺が今回のスタートです。
 春はあけぼので,やうやうしろくなりゆく山ぎはを眺めながら,しまなみ海道を走るにつれて,星の数が減り,大島で一般道へ降りたころがちょうど1時間。明るくなると至る所の桜が満開です。さらに走って,松山道後インターを降りたころが6時30分。
 国道33号線を,高知,久万高原方面へ向います。標高720メートルの三坂峠を越えて,岩屋寺の麓についたときが7時10分。苔蒸した坂道は杉の大樹に覆われ,ここでも鶯が元気よく迎えてくれます。ここは標高が高いだけあって桜はまだ満開ではありません。聳え立つ大岩を眺めたり,迷子の猫と戯れたりして降りると8時過ぎ。久万高原を後にします。面河石鎚スカイラインに行くには,こちらから行くようです。
 都合,3回久万高原町へやってきました。しばらく再訪の予定はありませんが,山の中の町で,なかなかよいところです。夏は涼しいのではないかと思われます。
 次は,砥部へ帰ってきて,東側の山向こうを後帰って46番浄瑠璃寺と47番八坂寺。その次は,北を目指します。少し戻って,石手を目指すとよいでしょう。重信川を渡ってまもなく,48番西林寺。庭の泉水には大きな鯉がいます。次はまっすぐ北を目指し,伊予電鉄の踏切を越えて,鷹の子というところですが,左折するとすぐに48番浄土寺です。 
 49番幡多寺はやや複雑です。北西に進むのですが,三叉路を右に行かなくてはいけません。山の西斜面にあります。ここは水道局の水源地があり,見晴らしももいいし,桜も満開です。
 50番の石手寺は,多くの参拝者で溢れています。参道には土産物屋が並び,門前市をなしています。折しも4月8日は花祭りで,各種催し物がおこなわれておりました。
 これで,松山市の市街地は終わりです。次は,道後公園,松山城,などの傍を通って,三津浜港,松山観光港を目指します。そして,高浜港と観光港に行き先が別れたところで,右折して観光港を目指すのです。しかし,高浜トンネルを通って観光港には行かず,直進したら,52番太山寺です。53番円明寺はすぐ近くです。これで,松山市は終わりです。
  北条バイパスを通って今治を目指します。バイパスは北条市で国道196号と合流します。今治街道です。左が斎灘いつきなだ。大変広い海で,しばらく島も見えません。水が驚くほどきれいです。同じ瀬戸内海でも山陽側とは天と地ほどの違いです。菊間瓦で有名な菊間町は,今治市です。 
 そして途中で国道から分かれ今治市街地を目指すと,54番延命寺です。さらに港を目指すと,「べっくうさん」で有名な55番南光坊です。ここは高野山別院の隣です。
 今治市内にもまとまってありますから,56番泰山寺,57番栄福寺,そして山を登って,58番仙遊寺。ここから今治市内が眼下に見下ろせます。そして再び海側へ出て,59番国分寺に参拝すると3時半になっていました。予定ではここまでだったのですが,次回のことを考えると,ここで帰るのは惜しい。もう少し周ることにしました。60番は難所石鎚山の隣,横峰寺です。ここへ行って帰りに時間があれば,国道11号線沿いのお寺にお参りするか,あるいは横峰寺を飛ばすかという次第です。夕陽(せきよう)西に傾けば・・,で東斜面にある横峰寺の参道は鬱蒼とした杉木立の影になっているだろうし,神経を使う山道だから,次回にまわすことにしました。
 ということで,国分寺を出ると,再び小松道に乗り,松山道との合流地点でおりて,国道11号線を東へ向かいます。まもなく右手にあるのが,子安大師でおなじみの61番香園寺です。もう子供はいりませんから,ほどほどに拝んでおけばよろしいのですが,鉄筋コンクリートの壮大な本堂二階に安置されております大日如来像は立派で,効験あらたかな感じが致しました。桜はどこも満開ですが,当山の桜も本当に見事でございました。
 次は62番宝寿寺,63番吉祥寺というめでたい名前のお寺が左側に続いてあります。そして61番前神寺が,さらに東へ行って右側にあります。当山の桜もまた見事でした。去年も満開でしたが,今年も立派に咲いておりました。63番64番が西条市なのですね。次回は横峰寺からです。ということで,ここからユーターン「して帰りました。
 
2006年4月10日月曜日  
 満開の桜に,むごい雨である。
 さて,超ひも理論は,海のものとも山のものともわからないという感じだが,しかし,確実に展開はしている。ファインマンとグラショウの反対意見を見たが,このあたりが,反対者の共通的な意見ではないかと思われる。
 反対意見ばかり書いていても進まないので,今度は推進派の説をたよりに「スーパーストリング」についての説を聞いててみよう。まずは,プリンストン高等研究所のウィテン。
「重力の理論と量子力学の矛盾を乗り越えるのがその目的だ,ということです」「電子場の重力場を意味あるものにしようとすると,電子を点だと考える,今世紀の物理学者はほとんどそう信じてきたのですが,そうするとまずいことになる。しかし,ストリングの理論では,それはもはや点状の粒子ではなく,小さな振動する『ひも』なのです。振動するひものもつ余分の次元のおかげで,その重力場が意味を持つ。電子を取り上げたのは単なる例としてです。」(p.112)
「素粒子について言えば,量子力学が始まって以来,この世界の粒子は,小さなぼんやりしたものだ,とみなされるようになったことを思い出して下さい。そのぼんやりした程度は,日常生活で考える粒子のイメージと比べるとずっと小さいのです。ストリング理論では,このぼんやりした素粒子を小さな量子のひもで置き換えるのです。それは振動するひもであり,その上,量子力学の効果で少々ぼんやりしているのです。」(p.113)
 小さくて見えないのだから,点と言っても,ひもと言っても同じではないかと思われるのだが,ひもだと言うのである。まるで,夢のような話しではないかと思う人もいるかも知れない。
 今度は,悲惨な夢を売る話しを紹介しよう。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを見ていたら,水野竜著「南米渡航案内」というのが目に付いた。
 どこかで聞いたことがある名であり,北杜夫さんの「輝ける碧き空の下で」にあった文献かと思って,第一部,第二部の巻末を見ても出てこない。そしたら,醍醐麻沙夫さんの「森の夢」のもう一つの短編の主人公のことかと思って調べてみたが出てこないので,諦めていた。そして,もう一つ奇妙なタイトルの本に出会った。「伯刺西爾行移民名簿明治41年」というものだ。閲覧して見ると,開巻「明治四十一年四月廿七日笠戸丸 第一回伯刺西爾行移民渡航者名簿 皇国殖民合資会社」とあり,四月廿七日の隣にはペン書きで「六月十八日サントス着」とある。
 このことは,「輝ける碧き空の下で」のはじめのほうに書かれている。読み返していると,「ブリッジに,英人船長ジェームスと移民会社社長水野竜,上塚周平らが立っていた。」(新潮文庫上,p.12)というのがあった。
 ・・・と,いうことであった。ついでに記すと,この「南米渡航案内」の出版年が明治39年(1906年)(何と,百年前ではないか)。そして,笠戸丸の明治41年は1908年ということになる。ブラジルでは,(日系人社会では,とすべきであろう)6月18日が移民の日の記念日になっている由。また,まもなく笠戸丸から百年でもある。ただし,NHKの「ハルとナツ」は,ブラジル移民百周年記念ではなく,放送開始80周年記念番組であった。お間違えのなきよう。 (既にどこかで書いたが・・・) 
 
2006年4月11日火曜日
 まさに, 夜来風雨の声 花落つること知る多少ぞ という感じである。
 さて,近代デジタルライブラリーの中にもう一つ貴重な本を見つけた。「比律賓太田興業株式会社写真帖」というもので,1900年タロモ太田興業出版ということで,今でいう自費出版になるのだろう。
 フィリピンの太田興業といっても,知る人はあまり多くはないだろうから,身近なところで,鶴見良行「バナナと日本人」(岩波新書)から紹介しておこう。35ページから,ダバオ日本人社会についての記述がある。ダバオは,今日,マニラ,セブに次ぐフィリピン第3の都市であるが,その開発は日本人社会がもたらしたものである,と,同時に,時々新聞に出る,フィリピン残留孤児の問題も生む。しかし,これはずっとずっと後の話しであり,満州国と並んで有名な「ダバオ国」の崩壊の話しである。
 まずは,ダバオ国の建設の話しから。すべては,ベンゲット移民から始まる。「当時フィリピンを領有したばかりの米国官僚は,マニラの暑気に苦しみ北方バギオ高地への自動車道路の完成を急いでいた。この碓氷峠にも似た『ベンゲット道路』の工事に,沖縄人を主力とする日本人800人が働きに来ていた。太田は1905年(明治38年),そのうち180人を連れてダバオに渡る。」(p.36)
 「日本人の入植が始まった1904年ころ,アメリカ人48名,スペイン人28名が残っていた。その多くが労働力不足に悩んでいたという。 この状況に応じたのだ,東京高商を中退し海外雄飛を夢見てマニラに滞在していた太田恭三郎であった。1876年生まれの兵庫県人である。」(p.36)
 そして「1906年に農園を拓き,翌年には太田興業株式会社を設立するに至る。」(p.36)ということだ。今を去ること100年。ここにも忘れられた日本人がいた。
   さて,超ひも理論の話しであるが,今日は第二次超ひも理論革命と呼ばれている最近の傾向について述べることにする。従来,ひも理論は5つのものがあった。これを統一する見通しが出てきたというのだ。これがM理論と呼ばれるものである。「エレガントな宇宙」(林一,林大訳,草思社)でブライアン・グリーンによると「五つのひも理論すべてが一個の包括的な枠組みをなすものとみなされるようになった」(p.383)ということだ。
 その五つのひも理論というのは,Ⅰ型,ⅡA型,ⅡB型,ヘテロ型,ヘテロO型である。そして,さらに11次元超重力理論というのがあって,実はこれも一緒にM理論で統一されるというのである。(p.420)
  午後になって雨は止んだが,ところどころの桜は早くも散って,行く春の悲しみを湛えている。遅咲きの桜は二日間の風雨によく耐えて,可憐に満開の花を曇天の下に留めている。
 ここ数日気温も急に上がり,明日日中の気温如何によっては,散華の季節は意外に早いかも知れぬ。やや蒸し暑い。環境不適応症という持病を持つ小生は,既に扇風機を出して,使用を始めている。
 夕凪亭雑詠:ストーブも扇風機も必需品なり桜月夜
 
2006年4月12日水曜日
 桜は何とか持ちこたえたが,少しずつ散っている。
 ダバオ開拓記を,少し続けてみたい。まずベンゲット移民について。全ては,ベンゲット移民に始まる。そのベンゲット移民とは何か。前に,出てきたように,マニラの暑気を避けて,高原の町バギオを作るのに行われた難工事のことだ。ベンゲット道路と呼ばれ,日本人出稼ぎ労働者の犠牲の上に工事は完了したという。
 ベンゲット移民については,早瀬晋三氏の「『ベンゲット移民』の虚像と実像」(同文館)という本がある。委曲を尽くした研究で,現在我々が知るこの話しが,海外膨張を続ける戦前の日本の風潮の中で,誇張されて改竄されて伝わっているものが,多いことを教えられる。過剰な英雄話を聞く前に心すべきことを学んでから,他の書物にあたるべきであろう。織田作之助の「わが町」は青空文庫で読むことができる。
2006年4月13日木曜日
 M理論のMとは何か?と誰しも思うであろう。これについては,「エレガントな宇宙」の416ページに様々な例が出ている。まず,M理論の名づけ親はウィッテン。「スーパーストリング」では,ウィテンと書かれていたプリンストン高等研究所の物理学者で超ひも理論の最大の推進者である。
 グリーンはこのMについて,ミステリー,マザー,メンブレン(膜),マトリックスなどの例を挙げる。M理論でもよいのだろうが,今後普及するとしたら,マトリックスではないかと思われる。というのは,カリフォルニア大学のTaylorが2001年にReviews of Modern Physics誌に M(atrix) theory : matrix  quantum mechanics as a fundamental theory というタイトルの総説を書いているのだが,この表現が気にいったから,そう思うのである。Matrix theory でいいように思われる。
 
2006年4月14日金曜日
  超ひも理論がだんだんと嫌になってきた。そろそろ止めようか,という気持ちになっていたとき,ブライアン・グリーンの氷の例え話を読んで,感心した。氷しか見たことがなくて水を知らない者と,水しか見たことがなくて氷を知らない二人が砂漠でキャンプをしに行く。そして彼らが持っているものが同じものだったと知る,という例え話である。何の? いうまでもなく,M理論に統一される可能性のあるⅠ型,ⅡA型,ⅡB型,ヘテロ型,ヘテロO型の5つのひも理論のことである。こういう例え話ができるだけでも,グリーンという人は凄い。因みにこの話しは,p.401。 
 
2006年4月17日月曜日
 桜花満開 落下紛々だ。しかし,気温が低いせいかよく持っている。
 竹内薫さんの「超ひも理論とはなにか」(講談社ブルーバックス)を読んでいると分かりやすい話があった。なぜ,ひも,か?という問いへの答え。これまでの理論では,大きさのない質点という概念を使っていた。大きさがないのだから,いくらでも近づける。すなわち2点間の距離が0になってもよい。そうするとエネルギーは無限大になる。発散の問題である。
 物理学をゼロ次元の点ではなく,1次元の「ひも」から始めれば,そのひもの長さが「最小距離」になるので,相互作用の距離がゼロになることはなくなる。(p.33)
と,いうわけである。 
 
2006年4月18日火曜日
 今日は暖かい。暖かいからという訳ではないが,超ひも理論はお休みして,今日はサンスクリットについて調べることにした。あの,真言宗のお墓にある難しい文字(記号)のことである。
 現代インドの公用語になっているヒンディー語と同じで,ナーガリー文字である。梵字ともいう。だいたいお経が,サンスクリットで,その漢訳を音読みにしていると思えばいい。あの般若心経,カンジザイボサツギョウジンハンニャハラミタジ・・・という,あれである。終わりのほうは,ギャーテェー ギャーテェー ハラソウ ギャーテェー ボジー ソワカーと意味不明になるが,これは,西遊記に出てくる三蔵法師が,訳したものである。
 中村元・紀野一義先生の訳注なる,岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」には,サンスクリット原文テキストとしてローマ字表記のものがあり, gate gate paragate para-samgate bodhi svaha  とある。(p.175)
2006年4月21日金曜日
 さて,サンスクリットについて覚えるべきか,否か,と考える前に,渡辺照宏さんの「外国語の学び方」(岩波新書)を見ることにした。ここに,「西洋ではローマ字で写すことが多く,この方が便利なので,私たちも,ローマ字を多く使っています。」(p.284)にあるではないか。
 ということであるが,しかし,梵字を覚えずにサンスクリット語を読んでも,気持ちが悪い。しかし,あの変な文字は,皆同じに見える。やはり,やめておこう。その周辺をくるくる回るだけにしておこう。くるくるまわっていると,例の外国の童話のように,バターになってしまうかもしれないが。
 ということで,参考書だけでも調べてみると,アマゾンにたくさんありました。でも,勉強するわけではないので,買いません。次に,日本の古本屋。こちらにもけっこうありましたが,やはり同じです。
 次に,例の国立国会図書館の近代デジタルライブラリー。何しろ12萬冊ですから・・・・。12万ですよ。12万。やはり,ありました。「梵語入門」萩原雲来訳,原著者はステンツラー。これは,渡辺さんが岩波新書の282ページで挙げておられるのと同じ(古いが)ものですね。
 それから,髙楠順次郎編「梵文学教科書」というのがありました。どちらも,巻末に単語集がついております。Mamdalaは,曼茶羅,輪(circle),Maasは,心,意識  という具合です。
2006年4月27日木曜日
 気候や地磁気の変動は,ニーチェほど鋭敏ではない私の精神にも影響を及ぼすものらしい。日々の寒暖の変動にすっかり調子を乱されてしまった。こういうときは,太陽を直視するしかあるまいと思って,実行すると,季節は,春酣。桜は散ったが,次々といろいろな花が咲き,若葉が萌える。嫌われ物のツワブキの葉までも,濃い緑になって陽光に輝いている。
 小難しい理論の下手な解釈はやめて,季節の中で羽を広げよう。・・・ということで閑話休題。閑話休題。トーンを変えて,季節の変わり目を凌ぎたい。
 
2006年4月28日金曜日
 失速状態である。強く風を孕んだ状態で,凧の糸を切ったようなものだ。本来,怠け者で,「倦まず弛まず」の逆の生き方をしているのだが,時に調子に乗りすぎて,熱中することがある。その熱中状態がが終わると,しばらくは,まさに方向が定まらない状態が続く。躁とか鬱とか,いうのとは全然関係ない。失速状態なのである。だから糸の切れた凧が空中でふわりふわりと舞いかつ流されるように,気儘に過ごすのがよいのだ。・・・ということで,四月が去りゆくのを静に見送りたい。早朝も宵も佳境の趣ありで,変な天気の中でも着実に季節は巡る。
2006年4月30日日曜日
 昨日は,四国遍路に行ってきました。朝5時出発です。前回同様,しまなみ海道で今治へ。6時に今治サービスエリア。大島道が開通していたので,早く着きました。生口島道のほうは,7時に開通予定で通しもらえませんので,今まで通り,一般道を走りました。
 今治市街,小松道,国道11号経由で石鎚山登山道を目指すのだが,従来の狭い道を避け,64番神前寺のさらに東,加茂川沿いの道が広くて快適です。今回は60番横峰寺からです。麓の駐車場が7時。山上の駐車場に7時20分頃着きました。ここは1800円の有料道路。石鎚山は雲に隠れて見えません。でも,雄大な景色です。88寺のうち,標高では3番目だそうです。
 次は,65番三角寺です。高速道路を利用して,三島川之江インターで降りれば,案内板の通りに進むと,よいでしょう。72段の急な階段を登ると,山門です。珍しいことに山門が鐘楼です。いよいよ,これで,愛媛県ともお別れです。
 次の66番雲辺寺へロープウエイで行くのだったら,やはり高速道が便利です。すなわち,三島川之江インターへ戻り,そこから,次の大野原インターまで高速利用です。昨日は,11号線を走りましたが,やはり高速にしておけばよかった。JAF会員証を提示して,ロープウエイは200円の割引です。県境で,かつ88寺中最高の標高のお寺だけあって,眺望も,新緑の山矢の色彩も素晴らしい。山桜の白とピンクがかった葉。ツツジの赤,紫。低木の萌葱色の新芽。
 次が,楠とカヤの大木のある,67番大興寺です。ここからしばらく平地を走ることになります。ほんとうに讃岐路はゆったりとして落ち着きがあって気持ちのよいところです。
 68番神恵寺と69番観音寺は同じ境内にあり,納経所も共通です。道路標識通りに進めば,この後もすべて迷うことはありません。道はよく整備されているし,標識も丁寧です。
 11号線近くに70番本山寺。本堂は国宝です。山門も,五重の塔も素晴らしい。71番弥谷寺は,有料の私道を通ってできるだけ上まで上がったほうが無難です。それでも108段の階段があります。納経所の奥の岩屋もお忘れなく。72番曼茶羅寺は,お寺の南側に無料の駐車場があります。そこから73番の出釈迦寺はすぐです。ここも,奥のほうが無料。南の急な山上の建物が奥の院で,途中まで車で行けるらしいが,パス。
 74番が川沿いのお寺,甲山寺。ちょっと戻って75番が弘法大師生誕の地,善通寺。折しも,創建1200年の大祭の第一日目。境内は参拝客で溢れていた。
 76番金倉寺を経て,77番道隆寺は多度津町。目なおし薬師様が有名。77番郷照寺は車で山門をくぐって境内の駐車場へ。ここからは瀬戸大橋が見える。ここは宇多津町。
 瀬戸大橋線,瀬戸中央自動車道の下を越えて,いよいよ坂出市。目指すは,79番高照院天王寺。かの崇徳上皇崩御の後,朝廷からの令旨を待つ間14日間遺体が安置されたという。
 80番が国分寺。次の白峯寺は後戻りするようになるので,思い切って,国分寺までお参りをして,長い一日が終わったのは5時前であった。そこから国道11号,坂出インターから瀬戸大橋を通って6時過ぎに無事帰還し,次回のめどが立った。
 というわけで,本日は,だらだらのんびりと,骨休みをして,やっと平年らしい気候になって,4月を終わることになりました。
 春の宵は,藤の花が香り,淡く細い新月とともに,いつまでもたそがれていた。