2006年5月1日月曜日
風薫る5月である。5月の風,ということで,淡いブルーにしてみた。5月の風は,昨日吹き,今日の風は,夏の風であった。何度も書くが,異常気象だ。ともあれ,今日になって,はじめて,朝ストーブを使わなかった。これが,この国の春である。
2006年5月3日水曜日
早朝から,好きなことをしている。やや寒いので,午後になって外に出たが,こういうのは,健康によくない。ほどよい時間に散歩しなければ。
さて,せっかくのまとまった休みだから,糸の切れた凧のままでいるのも,勿体ないので,超ひも理論について続きを書こうと思ったが,少し遠回りをしてみたい。超ひも理論が,一般相対性理論と量子論を融合させようとするものであるから,少し量子論を復習することにする。
相対性理論が一人の天才によって創られ,量子力学が複数の天才によって創られたのが,20世紀の前半のことであった。それから,100年。といっても量子力学の成立した1925,1926年から数えると80年。一般相対性理論からは90年だが。それらを包括した大きなパラダイムが超ひも理論で,完成はしてはいないが,一つの方向として期待してもいいのではなかろうか。とはいえ,量子論ほど,早い時間に主流にならないのが,もどかしい。
量子力学の成立は,決して単純なものではなかったが,それでも,超ひも理論に比べると,一筋の大河のように整然としている。そして,20世紀の始まりの年,1900年にスタートし,文字通り20世紀の物理学になった。そして,それを後ろから照らすように,ノーベル賞という,まことに20世紀らしいものが付随していたということも,記憶にとどめていてもよいだろう。
2006年5月4日木曜日
暖かくなったし,暑くもなく,ほんとうに素晴らしい天気だ。ただし,直射日光はきつい。
さて,量子力学に至る,量子論の発端は1900年のマックス・プランクの量子仮説から始まる。この量子仮説というのは,エネルギーが連続的な値を取るのではなく,不連続な値を取るというもので,その最小単位が,現在プランク定数という名称で与えられている数値である。
プランクの仕事の内の1900年の論文が,物理学古典論文叢書1「熱輻射と量子」(東海大学出版会)に収録されている。同書,p188に「b=6.885・10-27〔エルグ×秒〕。同書p.234にエネルギー量子が,また,p.239にε=h・νがあります。また,驚くべきことに,自然単位ということで,長さの単位として4.13・10-33センチメートルというのがp.189にあります。
2006年5月5日金曜日
今日は5時50分に出発して四国遍路に行ってきた。瀬戸大橋を渡って,坂出インターで降り,そのまま国道11号線を高松方面へ。まもなく,81番白峯寺の案内板に従って,11号線からはずれ,五色台の白峯寺へ。7時過ぎだった。ここは他のお寺と違い,7時に開門だから,あまり早く着いても,先に参拝をしておくというわけにはいかないので,ちょうどいい時間に着いたことになる。
五色台から見る景色は美しい。坂出が眼下に見える。のどかでかなり上までみかん畑が続く。白峯寺は,崇徳上皇が荼毘にふされたところだ。本堂から少し下がったところに白峯御陵があるのでお参りしてきた。
上田秋成の雨月物語の最初に「白峯」というのがある。西行は,よしや君昔の玉の床とこてもかからんのちは何にかはせん,と詠んでで崇徳上皇の怨霊を慰めた。
五色台を更に登り,南東に向かえば,82番根香寺だ。白峯に対して,こちらが青峯である。
高松側へ山を降りて,これも案内板通りに,進むと,83番一宮寺。前回は,さんざん迷ったのだが,今回は,案内板を見失わなかったせいか,早く着いた。
次はいよいよ屋島寺。屋島は有名な観光地だから,屋島を目指せばいい。11号線を東へ。少し東へ行き,それから北上して11号線へ行くのがいい。有料道路を登れば84番屋島寺だ。屋島へは子供の頃から数知れず行っているが,何度行っても飽きない。晴れた日の眺望は実に素晴らしい。
途中で車を止めると,85番八栗寺のある五剣山が指呼の間に眺められる。この下が屋島・壇ノ浦の古戦場。
85番八栗寺へは,ケーブルカーで行く。途中,屋島・壇ノ浦が見える。ケーブルカー駅近くに柴野栗山記念館があるが,今夏はパス。
86番志度寺は藤原不比等と海女の伝説で有名なお寺だが,五重の塔も仁王門も風格がある。また,崇徳上皇も滞在したことがあるという。
海女の墓の向こうは海。そこで,一句,志度の海海女の墓にも五月風
隣のお寺に平賀源内の墓がある。以前お参りしたので,今回はパス。
87番は,引き返して,南へ向かうと,87番長尾寺。広い境内と多数の伽藍。感心する。ここは静御前が剃髪したところとして有名。剃髪塚があった。それから,大きな楠は樹齢800年という。途中の枝の曲がり方がおもしろい。
さらに南に行くと,いよいよ結願の寺,88番大窪寺である。そして,結願である。一回目のときは,ここにお参りしたときは,夕暮れで,おまけに半分も済んでいなかったので,ただやたらとお寺の大きさと山深さが印象に残っている。今回は一番から回ったので,ここで結願である。やっと終わったという安堵。門前のみやげもの屋で掛け軸の表装を依頼する。
帰りは志度まで戻って,少し遠ざかるが,志度インターから高松道へ。そして瀬戸大橋を通って,三時過ぎに無事帰着。四国88カ所遍路の二回目が無事終了しました。三回目は考えておりませんので,しばらくは行きませんが,機会があれば,また・・・・・・。
例年大型連休中には,混雑を避けて外出しないのですが,ガソリンが益々値上がりしそうなのと,暑くなってくるので,それまでに四国巡礼を結願しておこうと思った次第。異常気象で,この頃にしては暑くなかったようです。
2006年5月7日日曜日
昨日が立夏だったのですが,少しも暑くありません。午前中少しストーブを入れたくらいです。午後になって,雨が上がったので,例によって散歩です。霞が漂うておりました。
1900年のプランクの話しは,朝永振一郎博士の「量子力学Ⅰ」(みすず書房)に詳しく紹介されております。この本は名著ですから,今も本屋さんにはちゃんと置いてあって,心ある学生さんには買われているのではないでしょうか。その30頁です。おっと,ここでは[第2版]です。因みに,昭和47年12月26日に,900円で買っております。
「かれの考えはこうである。すべての物体は連続体でなく,小さな,それ以上分けられない原子から成り立っていると同様に,エネルギーも限りなくいくらでも小さく分けうるような連続量でなく,ある原子から成り立つのではなかろうか。このエネルギーの素量をエネルギー量子とかれは名づけた。」
後の原子という言葉に奇異な感をもたれた方は,デモクリトスを思いだしてください。デモクリトスの原子というのは,ドルトンの原子とは似ていなくて,観念なのですね。要するに何かでできていなくてはいけない,という,そういうものです。「最小の」という形容詞をつければ,もっとデモクリトス的になりますね。ということで,エネルギーが最も小さなものから成り立つというのは,エネルギーのデモクリトス版と言えなくもない。
デモクリトスについては,中村元先生の「思想をどうとらえるか」(東京書籍)の67頁も参考になります。
最近の読書から。
東野圭吾「容疑者X」(オール読物連載)。論理的でも何でもありませんが,論理的めかした意匠がおもしろい。何故天才的でないといけないか? 天才的と書くことで動機のリアリティが保証されているのですね。
石田衣良「美丘」(野生時代連載)。恋人がヤコブ病で死んでいくという純(?)愛。佳品。そのうち単行本になるでしょう。乞御期待。
西尾幹二「男子,一生の問題」(金子書房)。「ヨーロッパの個人主義」以来,反時代的であるところが魅力です。
中村元「学問の開拓」(佼成出版社)。巨人の入門書,ですね。
次は「ダ・ヴィンチ コード」だ。ベストセラーは読まない主義だが,我が家の誰かが買ってきて置いてあったので・・・。「オプス・デイ」というのはカソリック系の団体で実際にあるのですね。小説と映画への対応が実に見事ですね。大人の対応というのでしょうか。本当の宗教というのでしょうか。感服。
ところで,小生のこのホームページを途中から読まれている方は,夕凪亭というからには,瀬戸内海の小島に住んでいるのではないかと想像されるかもしれませんね。残念ながら仕事の関係で,潮の香りもせぬところで,潮の香りを想像しているだけです。広島県と岡山県の県境に近い山の上です。北向き斜面なので海は見えません。猿も猪も来ません。今頃になると,鶯の鳴き音くらいは聞こえますが・・・。
2006年5月8日月曜日
やっと初夏らしくなりました。夜になって夕凪亭の窓を開けると,涼しい空気が入ってきます。
岩波新書の「物理学はいかに創られたか」という赤い本は,アインシュタインとインフェルトという人の共著となっているが,アインシュタインが語り,それをインフェルトがまとめたものだそうです。その下巻の最後の章が「量子」で,「連続,不連続」の話しがあります。電車と自動車で行く場合,止まるところまでの距離が,不連続,連続であると説明してあります。それから砂粒の質量を測る例をあげ,測定器具の精度が上がれば,測定値が不連続になると書いてあります。
要するに,視点の問題なのです。すなわち,通常の測定値の間にまで,測定器の精度が上がれば,不連続になるということです。ということは,そういう世界へわれわれの認識の程度が深くなったということです。
2006年5月9日火曜日
やあ,暑くなった。昼間も暑かったが,夜になっても暑い。ということで,夕凪亭以外の部屋にも一斉に扇風機を出した。例年,五月の連休にストーブを掃除して片づけ,入れ替わりに扇風機を出すということを習慣にしていたが,今年は,もう少し・・・ということで,ストーブは健在だ。また,寒い朝がやってくるに違いない。
プランクには,湯川博士が勉強されたという有名な物理学の教科書があって,その翻訳もある。今,手元にあるのは,それとは異なり,春秋社の世界大思想全集48(昭和5年)に収録されている,ものである。この本には,「エネルギー存恒の原理」(第2版)と「物理学的展望」と題された講演集が採用されている。他にアインシュタインのもの。その講演集の最後が,ノーベル賞受賞講演で「量子論の成立と従来の発展」(1920年7月2日ストックホルムに於けるスウェーデン王立科学アカデミーでなされたノーベル講演)というものだ。(以下,石原純訳,旧漢字旧仮名)。
1920年と言えば,ボーア,ゾンマーフェルトの量子論はあるものの,ド・ブロイ,シュレーディンガー,ハイゼンベルグの登場未だし,という状況だ。「作用量子は単に一つの仮想的の量に過ぎなかったであろうか。」「或は又併し輻射法則を導き出すことに実在的の物理的思想が土台になっていたのであろうか。」「経験は第二の方を正しいと判断した。この判断が併しそれ程速かに且つ疑もなく下されることができたと云うのは,熱輻射のエネルギー分布則の検証によるものでもでなく,また私が与えたところの,この法則の特殊の演繹によるのでもなく,寧ろ作用量子を研究に役立ったところの研究者たちの間断なく前進する仕事のお陰である」(p.106)と,まことに謙虚な態度である。
2006年5月10日水曜日
プランクの量子仮説の発見が,巨視的世界から微視的世界へと,物理学の探究が向かっていく,まさにその結節点に位置するものである,ということは言うまでもない。そして,その発見が丹念な巨視的世界の研究から為された僥倖であったということであって,プランクその人が微視的世界の探究に舵を切っていたのではない。しかし,その発見の意味の自覚がプランクになかったのかというとそうでもなく,「自分はニュートンの発見に匹敵するような大発見をしたのではないかと思うと,自分の子供に話したといわれている。」と「世界の名著66現代の科学Ⅱ」の解説で湯川博士は書かれている。(p.15)そして,今の私たちは,その認識の正しさを十分認めることができる。
また,プランクのそのような見解をもつ認識力にも驚く。しかし,更に驚くべきことは,そのようなプランクが,微視的世界へ探究の目を向けるかというと,そうではなく,巨視的世界,今でいえば,古典物理学の世界に留まっていたということである。だから,ノーベル物理学賞も,量子論の発展の寄与ではなくて,1900年のエネルギー量子の発見,すなわち量子仮説そのものだけが評価されたのである。そしてその評価が生きるのはただ,アインシュタインやボーアが発展させた量子論の中でプランクの説を援用しているからである。そして,そのことを1920年のプランクは認めていたということは,昨日書いた。
2006年5月14日日曜日
相変わらず暑くなりませんね。時々,ストーブを入れております。戸外では,黄色のモッコウバラが散り始め,その下に,あやめと,紫蘭が咲いています。少し隣には,ポピーと躑躅が仲良く咲き競っています。棗の若芽が出ました。日に日に成長していきます。黄緑色が鮮やかです。見れば,山梔子の若芽も元気よく伸びはじめました。
メダカmedaka fish (Oryzias latipes)飼育日記
餌は毎日やっております。朝から元気よく泳いでいます。元気はよいのですが,痩せているのは太りません。成長しているのもいるのに,卵を産んだ気配が感じられません。やはり,気温が急に上がることが必要なのではないかと,思っております。
2006年5月19日金曜日
小雨。温度が高いせいか,湿気が多い。さすがに今日はストーブは使っていないが,昨日まで,少しの時間だが,入れたりしていたから,相当に異常だ。
集英社の「青春と読書」(2006.6)の森詠さんの「はるか青春14」(p.88~)は,先月からの続きで,「第七話 哀しみの三島由紀夫 下」である。森さんが,編集者時代に三島と会った話しが中心で,偉い偉い三島さんが,新人編集者の森さんに対しても丁寧に遇したという話し。似たような話しが,西尾幹二さんの「男子,一生の問題」(金子書房)の中にもあった。
2006年5月23日火曜日
Nature Newsによると,チクングヤ熱chikungunyaというのが,流行しているということだ。蚊によって媒介される高熱と筋肉痛を伴う伝染病で,デング熱と誤診されることもあるというから,相当危険度は高い。2006年初頭にフランスに発生し,現在インド近くまで拡大しているということだ。鎮痛剤くらいしか,治療法はないという。多くの人々の話題にならないことを祈る。
2006年5月28日日曜日
梅雨前の鬱陶しい天気が続く。さて,昨日より,西国33観音霊場巡礼の旅を始めました。1番の南紀青岸渡寺から始めるのが,理想的だが,途中,4番の施福寺は槙尾山登山もあるので,順番通り廻っていたらなかなか機会がもてないのではないかと思い,順不同で,やさしいところからお参りすことにした。
ということで,昨日は晩秋ではなく晩春の播州平野を駆けて,第25番播州清水寺,26番一乗寺,27番書寫山圓教寺にお参りした。清水寺は2度目,圓教寺は3度目です。
第25番播州清水寺。国道372号線を北上するということで,こちらからは,山陽道を姫路東で播但道路へ出て,中国山崎から中国道をさらに登り,滝野社インターで降りて,くるくると廻りやっと国道372号線をみつけて,北上しました。以前行ったのは30年も前で,このときは,車の乗客でしたので,何処をどう通ったのかも覚えておりませんが,何とか辿りつけました。随分急な山道を登ったように記憶していたのですが,自分で運転してみると,四国の山寺に比べれば,ごく普通の道でした。朱塗りの仁王門は以前にはなかったもので,驚きました。
第26番法華山一乗寺は,372号線を引き返して加西市へ向かいます。中国道を過ぎ,山陽道にまでは行かないうちに法華山口から左折して山の中に入ります。国宝の三重の塔は見事です。
第27番書寫山圓教寺は姫路城の北,山陽道の近くです。372号を姫路を目指して南下し,山陽道の南側測道を西に進んで,姫路市街に入りました。姫路城周辺はいつきても賑わっています。途中で,夢前,書写山方面の道路標識を見つけ,あとは,標識通り進んで,ロープウエイ口へ。山頂駅からは1000円だしてマイクロバスに載りました。以前は馬車がありました。もう20年くらい前の話しだが,小さい子供を連れて暑い中を歩いてへとへとになった記憶があったので,今回は馬車に乗るぞと,決心していたのですが,マイクロバスに変わっていました。時の流れですね。摩尼殿では秘仏の公開中で拝観してきました。さらに摩尼殿の軒の下を通って,大講堂,食堂,常行堂も見てきました。