2006年4月1日土曜日
4月。卯月である。さわらびの萌え出づる春になりにけるかも(万葉集8-1418) という感じで,背景を濃い緑色にしてみた。
日経新聞連載の「私の履歴書」は生化学者の早石修さんのものが昨日で終わった。その最終回は特にいろいろと教わることが多いので2点ばかり要約・引用しておく。機会があればこの最終回だけでも読んでいただきたい。(やがて単行本になると思う)
「セレンディップの三人の王子」の話し。スリランカの三人の王子が海外への冒険旅行を命じられて周到綿密な計画を立てて行く。しかし書物で学んだ知識は役に立たず「王子たちは思いもかけぬ経験を積み,新しい知識を身につけて帰国し,祖国を難局から救う。この故事にちなみ,偶然による科学上の発見を『セレンディピティ』と呼ぶ。」
もうひとつは,古武弥四郎博士の色紙。「本も読まなくてはならぬ/考えてもみなくてはならぬ/しかし働くことはより大切である/凡人は働かなくてはならぬ/働くとは天然に親しむことである/天然をみつめることである/こうしてはじめて天然が見えるようになる」
やはり,向上の一路の先生は違う。本も読まなくてはならぬ,だ!「本を読もう。もっと本を読もう。もっともっと本を読もう。」(長田弘) しかし,この詩は(も,と書くべきか)「書かれた文字だけが本ではない。・・・・」と続く。
ああ,春なのに,どこでどう迷ってしまったのか,一般相対性理論の深い深い森の中へ迷い込んでしまって,彷徨が続く・・・。
さて,先日までで,重力によって曲がった空間での長さについて述べた。アインシュタインはこのことから次のように考えた。「重力場が空間を歪ませるというのではなく,重力場が存在するということと,空間が歪んでおり,その結果,ユークリッド型ではないということとは同じことである。物理学的にみて重力場が存在するということは,幾何学的にいえば,そこの空間が歪んでいるということにほかならない。」(内山龍雄,岩波新書p.145)
さて,この次は重力ポテンシャルと曲率テンソルの話しが来るべきところであろうが,少し飛ばして,アインシュタインの方程式に入ろう。
いろいろな条件を勘案して,1915年にアインシュタインは重力場を決める方程式として,次のような方程式を作った。有名なアインシュタイン方程式である。(「相対論の意味」p.88)
Rμν- (1/2)gμνR=- κTμν
Rμνはリッチテンソルと呼ばれる,2階の対称テンソル,RはR=gμνRμνで作られるスカラー。Tμν はエネルギー・運動量テンソル。 κは比例定数で,κ=8πGc4,Gは重力定数。
そして,閑話休題。 昨日,近くにある製鉄所の名称JFEの意味について,同僚の間で話題になったので,調べてみると,JFEホールディングスのホームページに名称の由来が,書いてあった。JはJapan FEは鉄の元素記号Feとのこと。これでは,テレビのクイズ番組に出てもいいような由来だ。なおまた,Japan Future Enterprise の意味もあるそうである。メインとなるJFEスチールという会社名がおかしいが,まあいいとしよう。
ちなみに鉄の元素記号Feは,ラテン語による。ブルーバックスに次のような記述がある。
Feは,ラテン語の「かたい」や「強固」を意味するfirmusに由来する言葉ferrumといわれているが,これも詳細は不明である。(桜井弘「元素111の新知識」(講談社)p.145)
研究社の「羅和辞典」には次のように記載されている。
ferrum 1鉄 2手おの,はさみ,ほうちょう,すき,こて,鉄筆,かんぬき;鉄製の武器,刀剣,あいくち,やり。ferro ignique鉄と火とをもって;戦火をもって 3武力 4無(感)情,厳酷,残忍 5鉄の時代
firmus 1確固たる,強固な,力強い 2堅忍不抜の,確固不動の 3信頼しうる,確実な
firmo 1確かにする,固める 2確保する,安全に(防護)する etc
ついでに岩波の「ギリシア ラテン 引用語辞典」のラテンの部の210ページから。
fero et igni 鉄をもって而して火をもって;戦争をもって(Bismarck.)
ferrum ferro acuitur 鉄は鉄もて鋭くせらる
2006年4月2日日曜日
アインシュタインの方程式の続き。 また,左辺にgμνΛ(Λはギリシア文字ラムダの大文字で,宇宙定数)を加えた式もある。これについてアインシュタインは次のように述べる。
「ここにΛは,一つの普遍定数(“宇宙定数”)である。この第二項の導入は理論を複雑にするものである。そしてその論理的簡単さをかなり減ずるものである。しかし,その導入は,物質の有限平均密度の導入がほとんど避けられないものであるということから起る困難によってのみ,妥当とされるのである。」(「相対論の意味」p.118)
こちらは,宇宙の膨張を解消するために導入されたものであるが,それはハッブルの発見以前のことで,「もし,ハッブルの膨張が,一般相対性理論創設の当時に知られていたとすれば,宇宙項はけっして導入されていなかったであろう」(「相対論の意味」p.134)と後にアインシュタインが述べている。
ということで,アインシュタインの方程式は膨張宇宙論までも予言していたということである。
宇宙項を含まないアインシュタインの方程式(重力場の方程式)の解については,静的な解(時間変化なし)と動的な解(時間的変化あり)が求められている。
手元にあるものでは,古いバージョンで恐縮だが,湯川秀樹監修岩波講座現代物理学の基礎2「古典物理学Ⅱ」(1973)のp58-81とか,同講座12の「宇宙物理学」(1973) 。
このバージョンは,問題があって,すぐに第2版が出たので,ロングセラーにならなくて,残念なのですが。
それに,内山龍雄「相対性理論」(岩波全書)。ともに,原著論文が紹介されております。
その静的な解の一つ,Schwarzschildシュワルツシルドの厳密解(外部解)から与えられるr =4a という球面が特異点となり,Schwarzschildの障壁と呼ばれ,意味のないもであったが,r<4aの天体の存在が考えられるようになった。これがブラックホールである。
ブラックホールが単なる天文学者の戯言ではなく,理論的にも根拠のあるものだということが,わかった。
おりしも,ニュートンデジタルライブラリーとして「ブラックホール1985~2005」というのが発売された。大変よい企画だと思う。とともに,過去の記事はweb上でオープンアクセスにすべきだと思うが・・・。そうすれば,外国の人も見に来て,日本語学習者が増える可能性も出てくる。
本日の読書より・・・
「兄弟が平等ではない家族システムは,人間と諸国民が相異なるものであり,したがって普遍的人間は存在しない子供たちの無意識に教え込む。」「差異主義的なドイツやイギリスの住民には,接触の期間が長くなればなるほど,憎悪が募って来る傾向がある」(p.49-50)
Herrenvolkの概念は「奴隷制のような差別的体制こそ民主主義という制度が成立し得る条件なのかも知れないことを暗示するのである。」(p.51)
以上,石崎晴己編,E・トッド「世界像革命」(藤原書店)より。後者は,アメリカ合衆国のことでしょうか,それとも古代ギリシアのことでしょうか? 自分で考えてみてください。
2006年4月3日月曜日
一般相対性理論を完成させたアインシュタインは,統一場の理論を目指し,それは完成しなかった,という。
統一場というのは何か。これは重力場と電磁場を統一するというものである。
この頃の状況については矢野健太郎さんの解説を引用しておこう。
「アインシュタインの一般相対性理論が発表された直後から,時空の構造が,重力場ばかりでなく,重力場と電磁場の両方を表わし,重力場と電磁場の存在が時空の構造を規定するような理論を作りたいという希望が,理論物理学者と数学者の間に起こっていた。この種の理論は,現在統一場理論とよばれている。」(学術文庫p.89)
「統一場理論 unified field theory, einheitliche Feldtheorie 歴史的には1920年代に始められた一般相対性理論をより一般的な幾何学空間に拡張して電磁気学をも含ませようとしたワイルのゲージ理論,カルツァ‐クライン理論,トーションテンソルを含む理論などの試みを指す.」(岩波理化学辞典第5版CD版)とあり,その後の,「重力を含む4つの基本相互作用の統一理論(unified theory)が試みられているが,これらも統一場理論とよばれる.」とあるが,ここでは,前者に留めておこう。
そして,アインシュタインはワイルとは別の行き方をとる。
さて学術文庫には,「物質場の統一理論」(1930),「重力の相対論の一つの拡張 Ⅰ」(1945),「重力の相対論の一つの拡張 Ⅱ」(1946), (なお,p.376 1行目の1931は1930の誤植)
また,「アインシュタイン選集2」(内山龍雄訳編,共立出版)には「重力および電気の統一場理論」(1925),「リーマン幾何学と遠隔平行性」(1928),「重力および電気の統一場理論に対する新しい可能性」(1928),「統一場理論」(1929),「重力場および電磁場の統一理論」(1931),「重力場と電磁場の統一理論」(1932),「重力場の拡張」(1948)が収められている。
敢えてこれらの論文が発表された年代を加えたのは,この時期がちょうど量子力学の建設期と見事に符合するからである。アインシュタイン自らも,光電効果という,量子論についての最大の貢献をしてその歩みが始まった量子力学に背を向けて,統一場理論に傾倒したアインシュタインの執念はすごい。
2006年4月4日火曜日
アインシュタインの執念を追うかのように,多くの物理法則を統一しょうという動きはその後も緩慢ではあるが続いていた。そして,その大きな成果が,ワインバーグ,サムラの統一理論である。
ここで,統一されるべき力についてまとめておこう。その力には4種類ある。
まず2つは,これまでもしばしば出てきた,重力と電磁気力。そして素粒子の世界で出てきた,「弱い相互作用」と「強い相互作用」。
「弱い相互作用」はフェルミが言い出したものだ。「強い相互作用」は,湯川秀樹博士の中間子論の主要概念である。
重力と電磁力を統一しようとしたのが統一場の理論だ。しかし,統一されたとは考えられていない。一方,「弱い相互作用」と電磁気力を統一したのが,ワインバーグ・サムラの統一理論だ。こちらは,成功したと一般には認められている。そして,さらに,これら4つの力を統一することができると期待されているのが,超ひも理論だというわけだ。2006年4月5日水曜日
まさに, 清明の時節雨紛々 で,外は小糠雨が降っている。
清明である。といっても昨今では晴明のほうが有名である。阿部晴明で有名な陰陽博士,陰陽師については,松田英松博士の「新訂官職要解」(講談社学術文庫p.85)にも出てくる正式な官職である。第四章平安時代の陰陽寮(おんようりょう)に「天文暦数のことを掌る」とある。また,
頭(かみ) 一人,『大宝令』に「天文,暦数,風雲,気色に異あらば,密封して奏聞する事を掌る。」と書いてあって,(中略) この職は一種の技術官であるから,家業となって,阿倍家,賀茂家の人々が代々この職を任じたので阿倍氏を土御門といい,(以下)略)
とある。また,「陰陽師(おんようし,おんみょうじ)は,卜筮(ぼくせい)や土地を観て吉凶を知る役である。」とも記してある。
陰陽博士と並んで歴博士,天文博士,漏刻博士,権博士というのもあった。天文博士の条に「阿倍氏の人が代々任ぜられたのである」と松田博士は記す。
鶴の恩返しに似た話で,夫に決して自分の化粧室を見ないということを約束させているのに,ある日夫がその禁を破ってのぞき見ると,その正体が狐だった。そして,その狐は,「恋しくば たづね来て見よ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という言葉を残して去る,というのが葛葉伝説,あるいは信太妻と呼ばれる伝説であるが,その子供が阿倍晴明だったという説話をかつて読んだことがある。何しろ晴明といえば,説話界のスーパーヒーローなのだから,今昔,宇治拾遺,古今著聞集といたるところに出てきて,その超能力を発揮する。識神なるものを使って。
葛葉伝説のバリエーションについては,折口信夫博士の「信太妻の話」というのが「古代研究Ⅱ民俗学篇②」(角川文庫)に入っている。
なお,和田英松博士は備後鞆の人で(ということは,森下仁丹の創業者と同郷ということ),備後史談会を異郷から支えた一人。さて,現代の陰陽寮である国立天文台の編集なる「理科年表」には,開巻3頁に国民の祝日とともに二十四節気と雑節というのが載っている。それによると,本日4月5日7時15分が太陽黄経15°で清明である。二十四節気というのは一年を24に分けるのだから一と月に二回あるというわけ。
次は4月20日の穀雨,そして5月6日の立夏と季節は巡り,若者は成長し,大人は老いる。人類は進化しているのやら,してないのやら。ただ,確実に言えることは地球環境は日に日に悪化していることは誰もが認めることであろう。そして,人類の痕跡は,先日放映されていた人工頭脳ピノキオのように,ディジタルな記号として,宇宙空間に残り続けるかも。
それはさておき,目を過去に点ずると,晩唐の杜牧に清明という絶句がある。
清明 杜牧
清明時節雨紛紛 (清明の時節雨紛々)
路上行人欲断魂 (路上の行人 魂を断たんと欲す)(気が滅入る)
借問酒家何処有 (借問す 酒家は何れの処にか有る)
牧童遙指杏花村 (牧童遙かに指さす 杏花の村)
酒屋を問われて,牛飼いの少年が指す方向には白い杏の花が咲いている村がある。さて,続いて,ひも理論の話し
やっと,超ひもに辿り着いた。とはいえ,ほとんど飛ばしてきたので読者には何のことだかわからなかったと想う。超ひも理論が包括的な理論なのでこちらを考えながら過去の出来事を眺めたほうがいいのではなかろうかと思って急いでやってきたのである。しかし,この変な名前の超ひも理論のアウトラインを手っ取り早く理解することが必要だろう。
超ひも理論superstring theoryは超弦理論とも呼ばれる。どちらでも要するにstring「ひも」なのだ。ひも理論なのだ。これは,物質の根元を遡ったとき,小さな粒子ではなく,ひものようなものと仮定するのだ。極めて小さく,見ることも触ることもできない世界のことだから,具体的なそのへんに転がっている,糸とか輪ゴムとか麻ひもを思い浮かべても仕方がない。思考モデルなのだ。それが,球状あるいは点状の粒子よりも,ひものほうが,考えやすいということであろう。,
超superというのは超対称性supersymmetryのことだ。すなわち超対称性をもったひも理論が超ひも理論ということになる。
では,超対称性とはどういうことか。まず対称性から。これが難しい。
岩波新書の「素粒子の世界」(鈴木眞彦,釜江常好)の用語解説にはこう書かれている。「対称性上下対称とか左右対称といった場合のほかに,さまざまな数学的変換で,波動関数や相互作用の形式が変わらない場合にも使う。」(p.179)
ついでに,「エレガントな宇宙」(グリーン著,林一,林大訳,草思社)の用語集から。「対称性 物理系の性質で,その系が何らかの形で転換しても変化しないもの。例えば,球面は回転しても見かけが変わらないから,回転に対して対称的だ。」(p.562)
ということで,対称性については,理解できたであろう。次は超対称性。これは岩波の理化学辞典によれば,「整数スピンのボース粒子と半整数スピンのフェルミ粒子を入れ換える対称性.」であり,「超対称な理論のいちじるしい特徴として,フェルミ粒子とボース粒子の寄与が相殺されるため,場の理論特有の発散の程度が落ちることがあげられる.」(第5版CD版)
まだ,これだけでは,超対称性のありがたさが伝わってこないが,今回は名前の意味を述べたことで,これで終わる。
2006年4月6日木曜日
3日ほど前から桜が咲き始めた。満開でなかったので,昨日の雨で散ることはなく,今日も一層開花は進む。
さて,超ひも理論は,一方では4つの力を統一するのではないかと期待される反面,実験的に証明すべきことが少ないということで,懐疑的に見られているが,次第に認められてきているのではないだろうか。
これを,20世紀初頭の量子力学の成立期と比較してみれば,新しいパラダイムの誕生が決して平坦なものではないことがわかる。とはいえ,量子力学のほうは,1900年のプランクの量子仮説以来,実験,理論,ノーベル賞がセットになってドラマチックに発展していった。しかし,新しい世界観には抵抗する人がいたことも事実で,アインシュタインや,シュレーディンガーなど,その建設に貢献した人たちでさえ,解釈には違いがあった。
このようなことを考えると,超ひも理論が,現代の物理学の中心にならないといって嘆く必要はない。
紀伊国屋書店の「スーパーストリング」(デイヴィス,ブランウン編,出口修至訳)は古い本だが,1980年代の雰囲気がよく伝わる。
ファインマンは言う。「それが何も計算してくれないから好きになれないのだ。」「たとえば,その理論は十次元空間を必要とする。それでもいい,数学的には可能だが,なぜ七次元ではいけないのだ。」(p.239)「実験と比較できるものがない。その最たるものは,観測される粒子は質量をもっているが,それはプランク質量よりずっと小さく,現在の実験範囲内にある。一方,別の質量のスケールがなぜ出てくるのかがわからない。」(p.241)
「彼らは何も推測しておらず,これが彼らが作ることのできたたった一つのモデルであり,それがまちがっていることが証明できないから,それは正しいだろう,と言うのにすぎないのだ。」(p.244)
ファインマンはアインシュタインが量子力学に反対したことをふまえて,自分の反対が歴史的なものになることを十分に意識している。老人は新しいものを受け入れがたいものだと,いわんばかりに晩年のファインマンは語る。
2006年4月7日金曜日
さて,もう一人超ひも理論への反対者の声を,「スーパーストリング」から聞こう。グラショウと言っても,ファインマンほど有名ではないが,例のワインバーグ・サムラの理論という,電磁力と弱い相互作用を統一した理論への貢献者の一人で,グラショウ・ワインバーグ・サムラの理論と書かれることもある人なのだ。そして,三人は同時にノーベル物理学賞を受賞している。ワインバーグとサムラが超ひも理論へ賛意を示すのに対してグラショウは否定的なのだ。
「彼らは物理的世界に関して何も言うことができないからです。彼らのうちのある者はその理論の唯一無比性と美について,あるいは真実について確信しています。理論がユニークで真実だから,明らかに全物理的世界を記載するはずだというのです。」(p.224)と,なかなか手厳しい。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーがさらに充実したということなので,いろいろ探してみると,「比律賓群島漁業視察報告」というのがあった。広島県水産試験場の白石升治という人の視察報告書である。明治37年(1904)御調郡三原町の広島県水産試験場発行となっている。
漁業移民については,ほとんど忘れ去られている。移民といえば,農業移民かあるいは,旧満州などの植民地移民が大部分である。しかし,木曜島の真珠貝採りとかマニラ湾の打瀬船漁とか,海外へ漁場を求めて行ったのもまた事実である。遠洋漁業というのは,あくまでも公海上でのことであろうから,やや異なる。
流瀬網は「本網は多く昼間の業にして小形漁船一艘に漁夫二三人乗組み漁網三四束を以て漁場に出て上流より網を投し縄の一端を船に取り船と共に流しつ,船舷を叩き或は小石を投して魚を威し網目に罹らしむる装置とす。一日十数回使用すると云ふ」(p.8原文は旧漢字,カタカナ。句読点を補った。以下同じ)打瀬漁のことである。
本邦出漁漁夫漁業ノ状況には「(明治)34年,広島県豊田郡忠海町山根與二兵衛マニラ漁業の有望なることを伝聞し,同地の漁夫二名を連れ打瀬網数張を携帯渡航し田川の持船を譲り受け打瀬漁業を試みたりしに稍好成績を得」(p.17)とある。これがマニラ湾における打瀬網漁の嚆矢である。
2006年4月9日日曜日
昨日は,期限切れ寸前の青春18切符を使って,ローカル線の旅に出る予定だったのですが,別の者が使うことになったので,予定を変更して四国遍路に行ってきました。どこへ行っても満開の桜に歓迎されました。
朝4時40分に出発して,山陽道,尾道バイパス,しまなみ海道,小松道,松山道,国道33号線を経由して,久万高原町を目指します。久万高原町の45番札所・岩屋寺が今回のスタートです。
春はあけぼので,やうやうしろくなりゆく山ぎはを眺めながら,しまなみ海道を走るにつれて,星の数が減り,大島で一般道へ降りたころがちょうど1時間。明るくなると至る所の桜が満開です。さらに走って,松山道後インターを降りたころが6時30分。
国道33号線を,高知,久万高原方面へ向います。標高720メートルの三坂峠を越えて,岩屋寺の麓についたときが7時10分。苔蒸した坂道は杉の大樹に覆われ,ここでも鶯が元気よく迎えてくれます。ここは標高が高いだけあって桜はまだ満開ではありません。聳え立つ大岩を眺めたり,迷子の猫と戯れたりして降りると8時過ぎ。久万高原を後にします。面河石鎚スカイラインに行くには,こちらから行くようです。
都合,3回久万高原町へやってきました。しばらく再訪の予定はありませんが,山の中の町で,なかなかよいところです。夏は涼しいのではないかと思われます。
次は,砥部へ帰ってきて,東側の山向こうを後帰って46番浄瑠璃寺と47番八坂寺。その次は,北を目指します。少し戻って,石手を目指すとよいでしょう。重信川を渡ってまもなく,48番西林寺。庭の泉水には大きな鯉がいます。次はまっすぐ北を目指し,伊予電鉄の踏切を越えて,鷹の子というところですが,左折するとすぐに48番浄土寺です。
49番幡多寺はやや複雑です。北西に進むのですが,三叉路を右に行かなくてはいけません。山の西斜面にあります。ここは水道局の水源地があり,見晴らしももいいし,桜も満開です。
50番の石手寺は,多くの参拝者で溢れています。参道には土産物屋が並び,門前市をなしています。折しも4月8日は花祭りで,各種催し物がおこなわれておりました。
これで,松山市の市街地は終わりです。次は,道後公園,松山城,などの傍を通って,三津浜港,松山観光港を目指します。そして,高浜港と観光港に行き先が別れたところで,右折して観光港を目指すのです。しかし,高浜トンネルを通って観光港には行かず,直進したら,52番太山寺です。53番円明寺はすぐ近くです。これで,松山市は終わりです。
北条バイパスを通って今治を目指します。バイパスは北条市で国道196号と合流します。今治街道です。左が斎灘いつきなだ。大変広い海で,しばらく島も見えません。水が驚くほどきれいです。同じ瀬戸内海でも山陽側とは天と地ほどの違いです。菊間瓦で有名な菊間町は,今治市です。
そして途中で国道から分かれ今治市街地を目指すと,54番延命寺です。さらに港を目指すと,「べっくうさん」で有名な55番南光坊です。ここは高野山別院の隣です。
今治市内にもまとまってありますから,56番泰山寺,57番栄福寺,そして山を登って,58番仙遊寺。ここから今治市内が眼下に見下ろせます。そして再び海側へ出て,59番国分寺に参拝すると3時半になっていました。予定ではここまでだったのですが,次回のことを考えると,ここで帰るのは惜しい。もう少し周ることにしました。60番は難所石鎚山の隣,横峰寺です。ここへ行って帰りに時間があれば,国道11号線沿いのお寺にお参りするか,あるいは横峰寺を飛ばすかという次第です。夕陽(せきよう)西に傾けば・・,で東斜面にある横峰寺の参道は鬱蒼とした杉木立の影になっているだろうし,神経を使う山道だから,次回にまわすことにしました。
ということで,国分寺を出ると,再び小松道に乗り,松山道との合流地点でおりて,国道11号線を東へ向かいます。まもなく右手にあるのが,子安大師でおなじみの61番香園寺です。もう子供はいりませんから,ほどほどに拝んでおけばよろしいのですが,鉄筋コンクリートの壮大な本堂二階に安置されております大日如来像は立派で,効験あらたかな感じが致しました。桜はどこも満開ですが,当山の桜も本当に見事でございました。
次は62番宝寿寺,63番吉祥寺というめでたい名前のお寺が左側に続いてあります。そして61番前神寺が,さらに東へ行って右側にあります。当山の桜もまた見事でした。去年も満開でしたが,今年も立派に咲いておりました。63番64番が西条市なのですね。次回は横峰寺からです。ということで,ここからユーターン「して帰りました。
2006年4月10日月曜日
満開の桜に,むごい雨である。
さて,超ひも理論は,海のものとも山のものともわからないという感じだが,しかし,確実に展開はしている。ファインマンとグラショウの反対意見を見たが,このあたりが,反対者の共通的な意見ではないかと思われる。
反対意見ばかり書いていても進まないので,今度は推進派の説をたよりに「スーパーストリング」についての説を聞いててみよう。まずは,プリンストン高等研究所のウィテン。
「重力の理論と量子力学の矛盾を乗り越えるのがその目的だ,ということです」「電子場の重力場を意味あるものにしようとすると,電子を点だと考える,今世紀の物理学者はほとんどそう信じてきたのですが,そうするとまずいことになる。しかし,ストリングの理論では,それはもはや点状の粒子ではなく,小さな振動する『ひも』なのです。振動するひものもつ余分の次元のおかげで,その重力場が意味を持つ。電子を取り上げたのは単なる例としてです。」(p.112)
「素粒子について言えば,量子力学が始まって以来,この世界の粒子は,小さなぼんやりしたものだ,とみなされるようになったことを思い出して下さい。そのぼんやりした程度は,日常生活で考える粒子のイメージと比べるとずっと小さいのです。ストリング理論では,このぼんやりした素粒子を小さな量子のひもで置き換えるのです。それは振動するひもであり,その上,量子力学の効果で少々ぼんやりしているのです。」(p.113)
小さくて見えないのだから,点と言っても,ひもと言っても同じではないかと思われるのだが,ひもだと言うのである。まるで,夢のような話しではないかと思う人もいるかも知れない。
今度は,悲惨な夢を売る話しを紹介しよう。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーを見ていたら,水野竜著「南米渡航案内」というのが目に付いた。
どこかで聞いたことがある名であり,北杜夫さんの「輝ける碧き空の下で」にあった文献かと思って,第一部,第二部の巻末を見ても出てこない。そしたら,醍醐麻沙夫さんの「森の夢」のもう一つの短編の主人公のことかと思って調べてみたが出てこないので,諦めていた。そして,もう一つ奇妙なタイトルの本に出会った。「伯刺西爾行移民名簿明治41年」というものだ。閲覧して見ると,開巻「明治四十一年四月廿七日笠戸丸 第一回伯刺西爾行移民渡航者名簿 皇国殖民合資会社」とあり,四月廿七日の隣にはペン書きで「六月十八日サントス着」とある。
このことは,「輝ける碧き空の下で」のはじめのほうに書かれている。読み返していると,「ブリッジに,英人船長ジェームスと移民会社社長水野竜,上塚周平らが立っていた。」(新潮文庫上,p.12)というのがあった。
・・・と,いうことであった。ついでに記すと,この「南米渡航案内」の出版年が明治39年(1906年)(何と,百年前ではないか)。そして,笠戸丸の明治41年は1908年ということになる。ブラジルでは,(日系人社会では,とすべきであろう)6月18日が移民の日の記念日になっている由。また,まもなく笠戸丸から百年でもある。ただし,NHKの「ハルとナツ」は,ブラジル移民百周年記念ではなく,放送開始80周年記念番組であった。お間違えのなきよう。 (既にどこかで書いたが・・・)
2006年4月11日火曜日
まさに, 夜来風雨の声 花落つること知る多少ぞ という感じである。
さて,近代デジタルライブラリーの中にもう一つ貴重な本を見つけた。「比律賓太田興業株式会社写真帖」というもので,1900年タロモ太田興業出版ということで,今でいう自費出版になるのだろう。
フィリピンの太田興業といっても,知る人はあまり多くはないだろうから,身近なところで,鶴見良行「バナナと日本人」(岩波新書)から紹介しておこう。35ページから,ダバオ日本人社会についての記述がある。ダバオは,今日,マニラ,セブに次ぐフィリピン第3の都市であるが,その開発は日本人社会がもたらしたものである,と,同時に,時々新聞に出る,フィリピン残留孤児の問題も生む。しかし,これはずっとずっと後の話しであり,満州国と並んで有名な「ダバオ国」の崩壊の話しである。
まずは,ダバオ国の建設の話しから。すべては,ベンゲット移民から始まる。「当時フィリピンを領有したばかりの米国官僚は,マニラの暑気に苦しみ北方バギオ高地への自動車道路の完成を急いでいた。この碓氷峠にも似た『ベンゲット道路』の工事に,沖縄人を主力とする日本人800人が働きに来ていた。太田は1905年(明治38年),そのうち180人を連れてダバオに渡る。」(p.36)
「日本人の入植が始まった1904年ころ,アメリカ人48名,スペイン人28名が残っていた。その多くが労働力不足に悩んでいたという。 この状況に応じたのだ,東京高商を中退し海外雄飛を夢見てマニラに滞在していた太田恭三郎であった。1876年生まれの兵庫県人である。」(p.36)
そして「1906年に農園を拓き,翌年には太田興業株式会社を設立するに至る。」(p.36)ということだ。今を去ること100年。ここにも忘れられた日本人がいた。
さて,超ひも理論の話しであるが,今日は第二次超ひも理論革命と呼ばれている最近の傾向について述べることにする。従来,ひも理論は5つのものがあった。これを統一する見通しが出てきたというのだ。これがM理論と呼ばれるものである。「エレガントな宇宙」(林一,林大訳,草思社)でブライアン・グリーンによると「五つのひも理論すべてが一個の包括的な枠組みをなすものとみなされるようになった」(p.383)ということだ。
その五つのひも理論というのは,Ⅰ型,ⅡA型,ⅡB型,ヘテロ型,ヘテロO型である。そして,さらに11次元超重力理論というのがあって,実はこれも一緒にM理論で統一されるというのである。(p.420)
午後になって雨は止んだが,ところどころの桜は早くも散って,行く春の悲しみを湛えている。遅咲きの桜は二日間の風雨によく耐えて,可憐に満開の花を曇天の下に留めている。
ここ数日気温も急に上がり,明日日中の気温如何によっては,散華の季節は意外に早いかも知れぬ。やや蒸し暑い。環境不適応症という持病を持つ小生は,既に扇風機を出して,使用を始めている。
夕凪亭雑詠:ストーブも扇風機も必需品なり桜月夜
2006年4月12日水曜日
桜は何とか持ちこたえたが,少しずつ散っている。
ダバオ開拓記を,少し続けてみたい。まずベンゲット移民について。全ては,ベンゲット移民に始まる。そのベンゲット移民とは何か。前に,出てきたように,マニラの暑気を避けて,高原の町バギオを作るのに行われた難工事のことだ。ベンゲット道路と呼ばれ,日本人出稼ぎ労働者の犠牲の上に工事は完了したという。
ベンゲット移民については,早瀬晋三氏の「『ベンゲット移民』の虚像と実像」(同文館)という本がある。委曲を尽くした研究で,現在我々が知るこの話しが,海外膨張を続ける戦前の日本の風潮の中で,誇張されて改竄されて伝わっているものが,多いことを教えられる。過剰な英雄話を聞く前に心すべきことを学んでから,他の書物にあたるべきであろう。織田作之助の「わが町」は青空文庫で読むことができる。
2006年4月13日木曜日
M理論のMとは何か?と誰しも思うであろう。これについては,「エレガントな宇宙」の416ページに様々な例が出ている。まず,M理論の名づけ親はウィッテン。「スーパーストリング」では,ウィテンと書かれていたプリンストン高等研究所の物理学者で超ひも理論の最大の推進者である。
グリーンはこのMについて,ミステリー,マザー,メンブレン(膜),マトリックスなどの例を挙げる。M理論でもよいのだろうが,今後普及するとしたら,マトリックスではないかと思われる。というのは,カリフォルニア大学のTaylorが2001年にReviews of Modern Physics誌に M(atrix) theory : matrix quantum mechanics as a fundamental theory というタイトルの総説を書いているのだが,この表現が気にいったから,そう思うのである。Matrix theory でいいように思われる。
2006年4月14日金曜日
超ひも理論がだんだんと嫌になってきた。そろそろ止めようか,という気持ちになっていたとき,ブライアン・グリーンの氷の例え話を読んで,感心した。氷しか見たことがなくて水を知らない者と,水しか見たことがなくて氷を知らない二人が砂漠でキャンプをしに行く。そして彼らが持っているものが同じものだったと知る,という例え話である。何の? いうまでもなく,M理論に統一される可能性のあるⅠ型,ⅡA型,ⅡB型,ヘテロ型,ヘテロO型の5つのひも理論のことである。こういう例え話ができるだけでも,グリーンという人は凄い。因みにこの話しは,p.401。
2006年4月17日月曜日
桜花満開 落下紛々だ。しかし,気温が低いせいかよく持っている。
竹内薫さんの「超ひも理論とはなにか」(講談社ブルーバックス)を読んでいると分かりやすい話があった。なぜ,ひも,か?という問いへの答え。これまでの理論では,大きさのない質点という概念を使っていた。大きさがないのだから,いくらでも近づける。すなわち2点間の距離が0になってもよい。そうするとエネルギーは無限大になる。発散の問題である。
物理学をゼロ次元の点ではなく,1次元の「ひも」から始めれば,そのひもの長さが「最小距離」になるので,相互作用の距離がゼロになることはなくなる。(p.33)
と,いうわけである。
2006年4月18日火曜日
今日は暖かい。暖かいからという訳ではないが,超ひも理論はお休みして,今日はサンスクリットについて調べることにした。あの,真言宗のお墓にある難しい文字(記号)のことである。
現代インドの公用語になっているヒンディー語と同じで,ナーガリー文字である。梵字ともいう。だいたいお経が,サンスクリットで,その漢訳を音読みにしていると思えばいい。あの般若心経,カンジザイボサツギョウジンハンニャハラミタジ・・・という,あれである。終わりのほうは,ギャーテェー ギャーテェー ハラソウ ギャーテェー ボジー ソワカーと意味不明になるが,これは,西遊記に出てくる三蔵法師が,訳したものである。
中村元・紀野一義先生の訳注なる,岩波文庫の「般若心経・金剛般若経」には,サンスクリット原文テキストとしてローマ字表記のものがあり, gate gate paragate para-samgate bodhi svaha とある。(p.175)
2006年4月21日金曜日
さて,サンスクリットについて覚えるべきか,否か,と考える前に,渡辺照宏さんの「外国語の学び方」(岩波新書)を見ることにした。ここに,「西洋ではローマ字で写すことが多く,この方が便利なので,私たちも,ローマ字を多く使っています。」(p.284)にあるではないか。
ということであるが,しかし,梵字を覚えずにサンスクリット語を読んでも,気持ちが悪い。しかし,あの変な文字は,皆同じに見える。やはり,やめておこう。その周辺をくるくる回るだけにしておこう。くるくるまわっていると,例の外国の童話のように,バターになってしまうかもしれないが。
ということで,参考書だけでも調べてみると,アマゾンにたくさんありました。でも,勉強するわけではないので,買いません。次に,日本の古本屋。こちらにもけっこうありましたが,やはり同じです。
次に,例の国立国会図書館の近代デジタルライブラリー。何しろ12萬冊ですから・・・・。12万ですよ。12万。やはり,ありました。「梵語入門」萩原雲来訳,原著者はステンツラー。これは,渡辺さんが岩波新書の282ページで挙げておられるのと同じ(古いが)ものですね。
それから,髙楠順次郎編「梵文学教科書」というのがありました。どちらも,巻末に単語集がついております。Mamdalaは,曼茶羅,輪(circle),Maasは,心,意識 という具合です。
2006年4月27日木曜日
気候や地磁気の変動は,ニーチェほど鋭敏ではない私の精神にも影響を及ぼすものらしい。日々の寒暖の変動にすっかり調子を乱されてしまった。こういうときは,太陽を直視するしかあるまいと思って,実行すると,季節は,春酣。桜は散ったが,次々といろいろな花が咲き,若葉が萌える。嫌われ物のツワブキの葉までも,濃い緑になって陽光に輝いている。
小難しい理論の下手な解釈はやめて,季節の中で羽を広げよう。・・・ということで閑話休題。閑話休題。トーンを変えて,季節の変わり目を凌ぎたい。
2006年4月28日金曜日
失速状態である。強く風を孕んだ状態で,凧の糸を切ったようなものだ。本来,怠け者で,「倦まず弛まず」の逆の生き方をしているのだが,時に調子に乗りすぎて,熱中することがある。その熱中状態がが終わると,しばらくは,まさに方向が定まらない状態が続く。躁とか鬱とか,いうのとは全然関係ない。失速状態なのである。だから糸の切れた凧が空中でふわりふわりと舞いかつ流されるように,気儘に過ごすのがよいのだ。・・・ということで,四月が去りゆくのを静に見送りたい。早朝も宵も佳境の趣ありで,変な天気の中でも着実に季節は巡る。
2006年4月30日日曜日
昨日は,四国遍路に行ってきました。朝5時出発です。前回同様,しまなみ海道で今治へ。6時に今治サービスエリア。大島道が開通していたので,早く着きました。生口島道のほうは,7時に開通予定で通しもらえませんので,今まで通り,一般道を走りました。
今治市街,小松道,国道11号経由で石鎚山登山道を目指すのだが,従来の狭い道を避け,64番神前寺のさらに東,加茂川沿いの道が広くて快適です。今回は60番横峰寺からです。麓の駐車場が7時。山上の駐車場に7時20分頃着きました。ここは1800円の有料道路。石鎚山は雲に隠れて見えません。でも,雄大な景色です。88寺のうち,標高では3番目だそうです。
次は,65番三角寺です。高速道路を利用して,三島川之江インターで降りれば,案内板の通りに進むと,よいでしょう。72段の急な階段を登ると,山門です。珍しいことに山門が鐘楼です。いよいよ,これで,愛媛県ともお別れです。
次の66番雲辺寺へロープウエイで行くのだったら,やはり高速道が便利です。すなわち,三島川之江インターへ戻り,そこから,次の大野原インターまで高速利用です。昨日は,11号線を走りましたが,やはり高速にしておけばよかった。JAF会員証を提示して,ロープウエイは200円の割引です。県境で,かつ88寺中最高の標高のお寺だけあって,眺望も,新緑の山矢の色彩も素晴らしい。山桜の白とピンクがかった葉。ツツジの赤,紫。低木の萌葱色の新芽。
次が,楠とカヤの大木のある,67番大興寺です。ここからしばらく平地を走ることになります。ほんとうに讃岐路はゆったりとして落ち着きがあって気持ちのよいところです。
68番神恵寺と69番観音寺は同じ境内にあり,納経所も共通です。道路標識通りに進めば,この後もすべて迷うことはありません。道はよく整備されているし,標識も丁寧です。
11号線近くに70番本山寺。本堂は国宝です。山門も,五重の塔も素晴らしい。71番弥谷寺は,有料の私道を通ってできるだけ上まで上がったほうが無難です。それでも108段の階段があります。納経所の奥の岩屋もお忘れなく。72番曼茶羅寺は,お寺の南側に無料の駐車場があります。そこから73番の出釈迦寺はすぐです。ここも,奥のほうが無料。南の急な山上の建物が奥の院で,途中まで車で行けるらしいが,パス。
74番が川沿いのお寺,甲山寺。ちょっと戻って75番が弘法大師生誕の地,善通寺。折しも,創建1200年の大祭の第一日目。境内は参拝客で溢れていた。
76番金倉寺を経て,77番道隆寺は多度津町。目なおし薬師様が有名。77番郷照寺は車で山門をくぐって境内の駐車場へ。ここからは瀬戸大橋が見える。ここは宇多津町。
瀬戸大橋線,瀬戸中央自動車道の下を越えて,いよいよ坂出市。目指すは,79番高照院天王寺。かの崇徳上皇崩御の後,朝廷からの令旨を待つ間14日間遺体が安置されたという。
80番が国分寺。次の白峯寺は後戻りするようになるので,思い切って,国分寺までお参りをして,長い一日が終わったのは5時前であった。そこから国道11号,坂出インターから瀬戸大橋を通って6時過ぎに無事帰還し,次回のめどが立った。
というわけで,本日は,だらだらのんびりと,骨休みをして,やっと平年らしい気候になって,4月を終わることになりました。
春の宵は,藤の花が香り,淡く細い新月とともに,いつまでもたそがれていた。