2019年5月25日土曜日

ふるさとの史跡をたずねて 第129回 唐樋明神社 (因島中庄町唐樋)

 鼠屋新開の次は油屋新開である。油屋新開が中庄町最大の新開であることは、以前紹介した潮回しが最大であることからも容易に想像できる。さらに、油屋新開の歴史はもうひとつの新開の歴史を含む。すなわち前新開の歴史である。
 前新開というのは、庄屋又兵衛が発起した村をあげての事業であった。地蔵鼻から徳永山鼻間に捨て石をした。片刈山の東端から南へかけての辺りであろう。完成する前の元禄13年(千七百)に豊田郡小田村の庄九郎という人物が、その沖に干拓することになったので、こちらは途中で中止した。庄九郎は元禄16年まで工事を続けてひとまず完成したのであろうが、宝永4年(一七〇七)には倒壊した。      
 その後、尾道町油屋庄左衛門等によって再度干拓が試みられ正徳3年(一七一三)に完成した。油屋新開である。これによって前新開も同時に完成した。
 私の60年以上前のかすかな記憶では、当時の因ノ島バスはボンネットバスで、未舗装のデコボコ道を砂ぼこりを上げながら走っていた。青影トンネルはまだできていなかったから、西浦峠は登れなく重井町経由で中庄町、大浜町へと走っていたと思う。
 今はゲートボール場になっている片刈池の前を通って、南に進むと堤防の上に出た。そこで東へ左折して、入川橋の先でまた左折して北へ向かい唐樋を経て大浜町へ入った。すなわち、油屋新開を囲むようにバスは走っていたのではないかと思う。
 因北小学校の正門前の道の当時の様子は覚えていないので、小学校移転に伴い東へ寄ったのか、元のままなのかはわからないが、おそらくこの辺りが前新開との堺ではないかと思う。

 唐樋の配水場の隣に唐樋明神社、すなわち三社明神社が建っている。防潮堤を海水から守るとともに、油屋新開を守ることも願って建立されたものだと思う。(写真・文 柏原林造)