2019年5月4日土曜日

島四国のお接待 尾道新聞20190423

▶️因島重井町文化財協会
【地域特派(通信)員@因島】
因島八十八ケ所のお接待
 甦った平成版村四国の隣で  

 因島だけではなく、しまなみ海道の各島にはいたるところに小さなお寺があって◯番〇〇寺と書いてある。書いてないところもあるが同じ規模のものは、その仲間だと思えばよいだろう。そしてその◯番〇〇寺というのが四国八十八ケ所札所と同名のものもあれば、異なるところもある。またお寺の規模も千差万別である。
 これだけでも相当複雑なことであるので、話を因島に限定しよう。
 これらを区別するために、因島では四国4県を巡るものを「本四国」、島内で完結するものを「島四国」、町内で完結するものを、江戸時代の村の時代に作られたので「村四国」と呼んで区別している。
 一口に言って大師信仰と言うのであろうが、「お大師さん」と言うのは人によって、あるいは会話の相手によって様々な意味で使い分けれらているようだ。例えば弘法大師空海その人を指す場合もあれば、上記の各寺の一つを意味する場合もある。あるいはその全体を言っていることもある。その時は「本四国」か「島四国」か「村四国」か聞き分けないといけない。それらが混線している会話には、参加せずに話題が尽きるのを待つほかない。
 因島の島四国、すなわち因島四国八十八ケ所札所の創建は他の島ほど古くはない。『ふるさと三庄』には、「明治四十五年(一九一二)因島重井の大師講連中の発起で島内八十八ケ所に堂宇を設立し、大師入寂の旧三月二十一日を期して巡拝を始めたのが始まりである」と記されている。
 その「大師講連中」というのが、今となってはどのような団体であったのかは不明であるが、村四国が既にあり何らかの関係があったと考えられなくもない。
 島内では重井村、中庄村、外浦村、田熊村に村四国八十八ケ所札所があり、土生村にもあったと考えられるが実態は不明である。江戸時代に作られたものであり、記録は無く文字も風化しており、また道路改修等で移転されたり撤去されたりして人々の記録から消えかけていたが、各町の文化財協会等によって調査されている。
 因島重井町では文化財協会によって各札所に「重井村四国 ◯番〇〇寺」と書いた石板の設置が完了し、いわば平成版村四国として甦った。また、由来を記した石碑を県道沿の島四国82番根香寺の隣にある村四国4番大日寺の隣に設置した(写真)。


 まもなく、「旧三月二十一日」がやってくる。その4月25日(木)を中心に、島四国札所でお接待が予定されている。町によってはその前日のところもある。開催日のお問い合わせは、(一社)因島観光協会 電話0845-26-6111 まで。[因島ふるさとの歴史を学ぶ会代表・柏原林造]