【地域特派(通信)員@因島】
尾道石工と十字架観音像
白滝山観音まいりに寄せて
玉抱き狛犬等で知られる尾道石工は、卓越した職人集団であるが、私は芸術家集団だったと思う。芸術家と職人の違いは、アイデンティティ(自己識別)とオリジナリティ(独創性)である。たとえば我々が日々使う茶碗を芸術作品とは呼ばない。しかしそれが少し変わった形をして、作者の名前が記されていれば、人は芸術作品として愛でる。前者は職人、後者は芸術家が製作したものということになる。
狛犬や鳥居などに「尾道石工◯◯」、「尾道住石工◯◯」等と彫られていれば、尾道石工の作品であることがわかる。それらに個性や独創性が無いわけではない。しかし残念ながら、作者の個性にまで研究が進んでいないのが現状であり、今後の進展が望まれる。
因島重井町の白滝山五百羅漢は、文政10年(一八二七)から3年3ヶ月かかって650体以上の大小様々な石仏が作られたが、常時約10人の尾道石工が携わっていた。さらに無名の助手・見習い職人もいたことだろう。彼らの指導のもとに素人寄進者によって彫られたと推定される石仏も多い。作善(さぜん)・万人講の考え方であろう。
芸術的な完成度の高い大作から素人の作った素朴な石仏群が渾然一体として海抜226メートルの山上で、瀬戸内の潮風を受けて200年近くの時を超えて佇んでいる姿は壮観である。
その中で「十字架観音像」と言われている磨崖仏(写真)は、作者銘(写真右下)は風化して読めないが、尾道石工の作品と考えて間違いはなかろう。
この観音菩薩が左手に掲げている十字状のものを十字架と考えるためには、背後にキリスト教信仰の存在を確認する必要がある。
道徳的傾向の強い白滝山五百羅漢の開祖・柏原伝六が当時禁じられていたキリスト教を受容することの矛盾をいかに解決したのか、あるいは仏教的愛(慈愛)、儒教的愛(仁)と、キリスト教的愛(アガペー)をどのように折衷したのか、というような論考もなされておらず、伝六の著作にキリスト教の影響を指摘する人もいない。また、伝六や関係者の遺物に聖書やロザリオなどキリスト教と関連づけられるものは現時点では発見されていない。さらに地元には隠れ切支丹の伝承もない。
キリスト教文化史学の流儀に従えば、このような状況で「十字架観音像」と呼ぶことは難しい。
そこで別の可能性として、作者である尾道石工の中にキリスト教関係者がいたという確証が得られれば、十字状のものを十字架と考えることはできるであろう。
新緑の瀬戸内の島々は美しい。八合目駐車場から徒歩10分で登ることができる。
なお、因島白滝公園保勝会主催の白滝山観音まいりが29日(月・祝日)に行われる。9時から山頂で抽選券を受け取り、11時までに山麓の因島フラワーセンターで応募する。重井小学校トランペット鼓隊のアトラクションの後、11時30分から抽選会が行われる。[因島ふるさとの歴史を学ぶ会代表・柏原林造]