2015年5月26日火曜日

因島中庄町 片刈山城跡

因島北インターから南に向かうと最初の信号が片刈池。どこまで埋めてどの程度のこしてあるのかは、道からはわからないが、かつてここは大きな池があってひょうたん池と呼ばれていた。正式には片刈池と言ったのだろう。今はゲートボール場、、公園などになっていて、スパーク因島と呼ばれている。
この西側の山が片刈山。標高124m。長福寺から北へ谷沿いの小道があり、峠を越えれは鹿穴に至る。峠の最高部で左へ行けば水軍城、右へ行けば片刈山。かなり広い頂上。本丸から南へ二ノ丸、三ノ丸と下がる。
片刈山城跡配置図。田中稔「因島史考」p.20による。
2015.1.28.中庄町鹿穴から。
本丸付近。
南方の左寄りに二ノ丸。
二ノ丸付近か。
後ろは天狗山。
低いところが三ノ丸か。
三ノ丸付近から二ノ丸方向を振り返る。
これより南は崖になるので、三ノ丸南端付近。
2015.2.14.唐樋付近から見た片刈山城跡。

頂上からの眺めもよい。南に八幡神社のある天狗山。目を右に転じれば、奥山トンネルに至る道路、青影山、水軍城などが見える。北西の登山道からは北に白滝山が見え、高度を増すと岩がくっきりと現れる。山頂から東には、眼下に中庄新開、蘇功新開、外浦の梶ノ鼻、さらに福山市の内海大橋、沼隈半島などが見える。

[所在地]因島中庄町寺迫。片刈山の山上。
[標高]124m
[城廓]本丸、二ノ丸、三ノ丸が段状にある。東に出丸。南西の丸山(現在の水軍城近く)に出城。
[城主]清原守高
[史跡]三ノ丸の石垣が残っている。長福寺谷に清原守高の屋敷跡がある。さらに下に井戸跡がある。
[現状]長福寺峠から登り道がある。
[その他]地蔵鼻辺りに登り口があるのかもしれないが、未確認。
[交通]しまむら・三原スーパー駐車場から麓まで5分。
[歴史]因島は後白河法皇の長講堂領であったが、建久3年院が亡くなると、三津庄の常光院領と中庄の宣陽門院領に二分された。宣陽門院領の預所は比良木祢宜鴨県主で、現地を管理する公文が清原守高であった。

南側の谷に屋敷跡(公文所)がある。清原守高の居城と伝える。田中稔「因島史考」p.20

1222貞応元年壬午。11月11日。因島村上文書。
   因島中庄預所下文
下 備後國因嶋中御庄政所
 可早宛賜給田段内四斗代 二段
          三斗代 二反
          二斗代 二反
          一斗代 二反
右公文清原守高、可宛賜之状、所仰如件、
    貞應元年十一月十一日
  比良木祢宜縣主(花押)
「広島県史 古代中世資料編Ⅳ」、p.551

「因島市史」、p.217