村の移り変わり(覚え) 聞き書
古老の語るものにつき、もとより正確は記し難い。後人の考証を待つ。
元八百正のあったところ(今 村井戸がある)は川姫の旅館だった。
この村井戸は尾道市の土地。
現岩蔵の土地には大脇田が住んでいた。その下の油屋の土地は峰儀が住んでいた。
川本から分家した川口屋(伝六家、川伝)が現・小段の地を離れて東浜へ移り、その跡へ脇岡屋が住み、1年ほどで出て、小段が入る。小段は川本から分家して鉄金の後ろへ住んでいたのが移る。鉄金の後ろは小段にとって「元屋敷」。小段は伝六家にとって「元屋敷」。九州の成功者というのは脇岡屋のことではなかろうか。脇岡屋は志度寺に寄付名がある。
郵便局を開いた梅三郎は脇岡屋ではないのか。
伝六さんより前に白滝山に上がっていた三九郎は、梅三郎、あるいは脇岡屋の出か?
宇之助という人が裏門に住んでいた。友七が出る。広大教授になっていないか。
友七から分家して玄場が出る。玄場で婿を3人帰らした。2人目の婿が生んだ子が分家して西玄場となる。弓瀬家の道を隔てて反対にある土井庄は友七の分家?
友七は公民館の上の宝屋や幼稚園、中電などのところを持っていたのではないか。
ダバオの土地は元は台湾米(柏原米太郎氏)が住んでいたのではないか。