[p.91-92] [p.109-110] [p.93-98] [p.99-100] [p.101-103] [p.104-105] [p.106] [p.107] [p.108]
2。白滝山について その6 [p.93-100]
今回は、柏原舒延著「霊峯白滝山の沿革」については、
(24)一観の功過自知録(続) 「反省ノ泉」昭和45年2月1日発行 第208号
(25)一観伝道物語 「反省ノ泉」昭和45年4月1日発行 第210号
(26)一観伝道物語 「反省ノ泉」昭和45年5月1日発行 第211号
(27)一観の功過自知録(ラジオで放送さる)
「反省ノ泉」昭和45年6月1日発行 第212号
(28)一観伝道物語 「反省ノ泉」昭和45年7月1日発行 第213号
(29)観音講再興の由来 「反省ノ泉」昭和45年8月1日発行 第214号
の6回分を読む。[p.93-98]
また併せて、宇根家文書「五百大羅漢寄進」(文政十年 亥正月吉日 重井村 観音山」(1827年)のうち、五百大羅漢佛の重井村貳番組(一部)を見る。現在との関係は次のようになる。二番組:ロ区の山田・有浜班、ハ区、ニ区の須越・須越奥班。[p.99-100]