2019年8月24日土曜日

年代記7

年代記1 奈良時代
年代記2 平安時代
年代記3 鎌倉時代
年代記4 室町戦国時代 
年代記5 江戸時代
年代記6 明治時代〜大正
年代記7 昭和時代〜

昭和時代

1925年(大正14年)
 ヒトラー「マイカンプ」書き始める。
 トロッキー解任。スターリン独裁。
 孫文死す。

1929年(昭和4年)
 ウォール街の株の大暴落。
昭和7年
 上海事変、血盟団事件、五・一五
昭和8年
 神兵隊事件


昭和11年
 二・二六事件
昭和12年
 支那事変

昭和13年
 近衛、大東亜新秩序宣言

1940年(昭和15年
 新体制運動


1941年(昭和16年
  太平洋戦争

1943年(昭和18年
1944年(昭和19年
1945年昭和20年
 敗戦
 満州の赤い鷲
第一話 張作霖救出指令
    (暗殺阻止)

「張作霖を暗殺しようという計画がある。それを阻止するのが、当面の問題だ」
 若槻五郎が、淡々と言ったとき、百合子はやはり来たか、と思った。
「その、暗殺計画はつかんでいるの?」
「いや、皆目わからない。でもそういう計画があるということは確かなんだ。だから、その計画を事前に掴むとともに、作戦を巧妙に阻止するんだ」
 1928年6月のことだった。6月の満州は初夏である。広くどこまでも続く大陸のあちこちにアカシアの花が赤い花を咲かせている。
 若槻五郎は日本領事館の三等書記である。三等書記官というのは表向きのことで、東亜友好協会の工作員であった。
[ノンフィクション]張作霖
 1928年6月奉天近くの列車内で日本軍によって暗殺された。満州事変に先立つ事件である。日中関係の悪化は既に始まっていたとはいえ、さらにそれに拍車をかけた事件であった。
 多くの点でこの事件は日中戦争のはじまりともいうべき大きな事件であった。
 その一つは、大江志乃夫が述べているように天皇の統率権をふみにじった最初の事件であったということである。大江によれば、軍隊は、もちろんこんときの軍隊だけでなくいつの時代の軍隊でも同じことであろうが、命令系統のもとに統率されており、いかなる小隊といえども勝手に作戦遂行することは許されていない。それがこの張作霖爆殺においては、関東軍が郡発
[背景]

[登場人物]

1925年1月
  郭松齢の反乱。張作霖かろうじて脱出。      『馬賊』P.88
1926年 安国軍総司令になる。
      『馬賊』P.89
1927年4月頃
 「北京に入りて大元帥となる」
      『馬賊』P.89

 しょうかいせきの「南京国民政府は武漢国民政府と合体して張作霖らの軍閥打倒に踏み切った」
      『馬賊』P.89

1928年4月
 第二次北伐決行(蒋介石が張作霖らの軍閥を追う)『馬賊』P.89
1928年4月
 「北京にいた張作霖は、国民革命軍が天津のすぐ近くに迫っているときいて、奉天に戻ろうと決意した。そしていろいろ思案していた。」『馬賊』P.90
1928年
「一方、満州においては、日本の関東軍が、外国資本をもって満鉄包囲線を作り、日本勢力を駆逐しようとしてきた張を、すこぶるにがにがしく思っていた。チャンスがあれば張をたおそうと決定していた。」
    『馬賊』P.91
1928年5月15日
 満鉄総裁・山本条太郎北京で張作霖と別れる。  『馬賊』P.92
「その頃、北京在留邦人間に「二一日会というのがあった。公使、駐在武官を含めての公使館幹部、会社支店長、北京政府顧問。新聞特派員などが月21日に大和クラブに集まって」    『馬賊』P.92
「6月4華の払暁、貴賓車、展望車、食堂車、寝台車を連結した列車がいよいよ奉天に近づき、京奉・満鉄両鉄道鉄道の交サ点の陸橋お通過した。瞬間、突如、爆破された。張は展望車のなかで即死した。
 張作霖爆殺計画の直接の指導者は、関東軍高級参謀の河本大作大佐である。かれは「張作霖頼むに足らず、政府の狐疑逡巡は国策を誤るもの」と断じて、計画をごく少数の腹心だけにうち明け、その実行方法を工夫していたのである。。すなわち工兵隊をして極秘裡に陸橋脚上に仕込ませる一方、……
      『馬賊』P.93~94

1939年。昭和14年
。アメリカ日米通商条約の破棄を通告してきた。これは支那事変のためである。

1940年
 6月にドイツによってフランスが降伏した。これを見たん日本は、フランスの手が出ないということをこの上ない機会ととらえフランス領インドシナの北部へへ進駐した。

1941年。昭和16年。
 外務大臣松岡洋右イタリア、ソ連を訪問して、その帰途日ソ中立条約を結んだ。
 これによって北の脅威を一先ず押さえ、いよいよ戦争突入の準備はととのえられた。
 さっそく、前年進駐していた北部フランス領インドシナに続いて南部フランス領インドシナへ進駐した。
 これにより、石油、ゴム、スズが確保できた。

昭和四十五年十一月二十五日。秋にしては温かくよく晴れていた日だったと思う。
 銭湯のテレビで知った。そのとき、とうとうやったか、という思いとともに、これからこの人の書いたものを読んでいこうと思っていた矢先の死で、大きな失望を感じる。


1926
 「北伐」軍が総計十万の兵を八軍にわけ三つのコースをとって北上した。いわゆる「国民革命」
 尾崎秀樹「上海1930年」(岩波新書)p.20
1926年上海
 谷崎潤一郎、内山完造の書店で郭沫若らと会う
1927年 中国
四月 
蒋介石 南京入城、南京国民政府樹立 広東革命を引き継ぐ武漢政府と対立

張作霖 大元帥と称して北京政府の実権を握った。
北京にいた張作霖は国民革命軍が天津のすぐそばに迫っていると聞いて、奉天に戻ろうと決意した。そしていろいろ思案した。
 5月十五日
 6月四日
1927年上海
 佐藤春夫、内山完造と会う。
     「上海1930年」p.32
1927(昭和2) 
 蒋介石、国民党政府を南京にたてる。
 田中内閣、山東出兵(第一次)を行なう。
 「対中国積極政策を標榜して、中国国民革 命軍の北上を妨げるため在留邦人保護の名 目で強行」
 「済南には2200名、青島には12000名の日本人がいた」『馬賊』P.91

 東方会議開かれる。(6月27~7月7)1928年 2月
  郭沫若、妻子とともに日本に亡命
     「上海1930年」p.33  1928(昭和3) 
 2月蒋介石が復職。国民党軍、北伐再開(4月には山東省に至。
 4月19日 田中内閣、再び山東出兵(第二次)決定。熊本の第六師団に出動命令。 4月 奉天総領事、吉田茂から林久治郎に変わる。
 5月済南(サイナン)事件起こる。
 (日華両国軍隊の衝突)
 「中国山東省済南に起こった日本軍と蒋介 石に率いられた国民政府軍との武力衝突事 件。4月、北伐を再開した国民政府軍は5 月済南に入城、当時山東に出兵していた日 本軍が防壁を築いて軍事行動を妨害したし たため、国民政府軍は内政不干渉・防壁撤 去を要求。防壁撤去後、日本軍は警戒区域 境界線を通過した国民政府軍兵士を射殺。 、総攻撃を開始、同時に日本政府は第3次 山東出兵を声明、一方国民政府は国際連盟 に提訴したため、29済南事件に関する協 定が成立し、日本は撤兵した。」(日本史辞典)
 「5月1日済南で日本軍と北伐軍が直接に向かいあう……」(『張作霖爆殺』p.1 2)
 5月16日(東京)「満州地方の治安維持に関する措置案」閣議決定。
 『張作霖爆殺』p.13)
『馬賊』P.91 
 5月17日 閣議決定、田中首相兼外相より天皇に奏上。
 5月18日 覚え書き、張作霖と南京政府に通告。
6月3日
「川合貞吉は李宗仁やショウカイセキを見かけ、外交部へ訪ねてゆくが、応対したのは張群だった。北京を去る張作霖の列車を駅で見送ったが、その直後張作霖は爆殺された」
  『上海1930年』p.120

「内務省北京駐在の調査機関にいた陸士出身の小松重雄や(中略) 小松は川合より一足早く北京(爆殺の)を去り上海へ向った」
  『上海1930年』p.120
 6月4日早朝 関東軍、張作霖暗殺する。1928年12月末
 アグネス・スメドレー中国入り。29年元旦ハルビン到着。青天白日旗がかかげれていた。29年5月上海入り 29年末尾崎秀実と会う。  『上海1930年』p.48
1929年5月
  孫文の遺骸が南京の中山陵に移されたとき尾崎秀実は取材に行った。
 犬養毅、健、頭山満、宮崎竜介に会う。
     「上海1930年」p.43  1929年11月 支那公使佐分利貞夫が箱根宮の下のホテルで殺される。
  『上海1930年』p.43
1930年1月 ゾルゲ上海に到着。
  『上海1930年』p.152
「昭和5年十月か十一月頃から私(尾崎秀実)のもとに、鬼頭銀一なるものが出入しはじめました」
  『上海1930年』p.164
1930年12月1日
 日中戦争すなわち満州事変の原因は満鉄の危機に原因がある。おりからの世界恐慌のあおりを受ていたところに中国側の満鉄包囲網が計画され、膨大な投資をしてきた満鉄が危機におちいることがあきらかになった。これは1930年12月1日の大阪朝日新聞のトップに書かれた。
 (岩波講座世界史27巻215頁)
1931(昭和6)
 柳条溝事件起こる。(満州事変)
1931年1月23日
 松岡洋右(前満鉄副総裁、政友会)衆議院本会議での演説で「日本の生命線」という。  (岩波講座世界史27巻210頁)
1932年1月28日
 上海事変起こる。この日は南京政府と広東政府の合作が成立した日でもある。
  『上海1930年』p.184
1932年1月
 玉井組(火野葦平)五〇人の仲仕とともに上海へ派遣される。「日本の文学51(中央公論社)P.534

1932(昭和7)
 血盟団事件が起こる。
 満州国が独立する。
 5・15事件が起こる。
1933(昭和8)
 国際連盟を脱退する。
 京大事件が起こる。
1934(昭和9)
 満州国帝政を実施する。
 ワシントン条約を破棄する。



年代記1 奈良時代
年代記2 平安時代
年代記3 鎌倉時代
年代記4 室町戦国時代 
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