2019年7月19日金曜日

年代記6

年代記1 奈良時代
年代記2 平安時代
年代記3 鎌倉時代
年代記4 室町戦国時代 
年代記5 江戸時代
年代記6 明治時代〜大正
年代記7 昭和時代〜









1867年(慶応3年)
10月幕府、大政奉還。薩摩・長州に「倒幕の密詔」 
12月「王政復古の大号令」

1868年
3月勝海舟、西郷隆盛と会談して江戸城無血開城。り
「維新の新政府の有力政治家の多くは……彼らは東京を主張先、腰掛け……郷里の糟糠の妻を呼び寄せなかった。そこに……幸田露伴が「一国の首都」で怒りをこめて指摘した」 奥野健男「三島由紀夫伝説」(28)

明治39年
 内務大臣原敬、地方官大更迭



◎孫文(1866~1925)
1894年ハワイで興中会結成
1895年10月、広東で最初の蜂起
   学生、民族資本家、華僑を
   『馬賊』P.29
1896年9月ロンドン
   『馬賊』P.30
1899年 2度目の来日
   『馬賊』P.31
1905年8月 東京
   興中会・華興会・光復会などが結集し、中国革命同盟会が結成。
    『馬賊』P.44
1911年 辛亥革命
    『馬賊』P.46
1912年臨時大総統
    『馬賊』P.51
1919年5月4日 北京大学学生三〇〇〇人が二一ヵ条撤廃のスト
1921年中国共産党成立
1924年 第一次国共合作
    『馬賊』P.49
1925年3月
 「北京において肝臓癌で死ぬ。」
    『馬賊』P.88
◎エン世凱1859~1916
  エン世凱は軍閥の指導者であったとき、孫文に対抗して起用された。
 エンは革命軍が武力・資金の乏しいのを知った。このとき、蒋介石に、清帝の退位を条件に大総統になることを密約させた。
「野心のかたまりのようなタフな男で……
 詳しく」『馬賊』P.51
1912年2月、宣統帝(1908~12)は退位し清、滅ぶ。
 3月エン世凱臨時大総統に就任。
 国民党を弾圧。
    『馬賊』P.51 
    『馬賊』P.57
1913年第二革命失敗
◎川島芳子(東珍トンチェン)
    『馬賊』P.52、71
◎薄益三(天鬼テイエンコエイ)
 日本人馬賊。『馬賊』P.53
◎山本菊子
 女馬賊、「満州お菊」
       『馬賊』P.55
◎伊達順之助 (張宗援)
 張作霖の第1の子分・張宗昌将軍に負傷させた。  『馬賊』P.74
 出口王仁三郎と会う。
     『馬賊』P.82、87
◎尚旭日(小白竜シャオパイルン)
     『馬賊』P.77~、87、89◎松本要之助
「モーゼル、コルト、なかでもブロージなどを愛用した」『馬賊』P.83
 1903年小樽生まれ。「日本軍諜報機関の雑役のような仕事をする。」
     『馬賊』P.84~86
◎蒋介石
1927年クーデター『馬賊』P.50
1927年4月南京入場。南京国民政府樹立。      『馬賊』P.89

◎張作霖1873~1928チャンツオリン 中国の軍閥。はじめ馬賊の頭目であったが次第に勢力を拡大して1916年(43才)奉天督軍兼省長となり、19年までに満州全部を支配下におく軍閥に成長、日本の援助を得て中央進出を企てた。日本政府は21年5月、満豪権益拡大のため張作霖援助の方針を決めたが、張の中央進出を好まなかった。しかし、張は閣内諸軍閥との抗争を繰り返し27年大元帥と称して北京政府の実権を握ったが、国民政府軍(蒋介石軍)の北伐に敗退し、奉天への帰途関東軍参謀らにより爆破されて死去した。
「民間自衛組織の一環としての馬賊ということになる。張作霖は奉天・吉林を中心にして……」『馬賊』P.23
「ロシア側には張作霖がいた」
   『馬賊』P.37
「張作霖のごときは多分に政治的・謀略的要素をもっていて……以下かなり詳しく」
   『馬賊』P.39~41
1916年7月1日パブジャップの乱
   『馬賊』P.73
1919年
 直隷派は奉天の張作霖と結んで安キ派に対立した。「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
1922年
 「山海関をこえて北京、天津付近に軍隊を駐屯させた。」 「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
 長辛店で破れ、山海関まで退却(第一奉直戦争)  『馬賊』P.81
「このどさくさの最中伊達順之助は奉天の張作霖邸を訪ねた。」『馬賊』P.81
1924年夏・華南
 張作霖。大軍を山海関と熱河にくりだした。       『馬賊』P.87
1924年10月23日
 北京入場。『馬賊』P.88


粕正彦
 関東大震災当時は憲兵大尉。懲役10年となるが、刑期を3年にして出獄。満州に渡り、満州事変後は満州国協和会幹部となった。田中義一1863ー1929
 1931年満州事変のさいもその近くにいる。『馬賊』P.101、102

 山東出兵を強行。張作霖曝死事件の前後処置をめぐり総辞職。9月病死。


[概略]
 反日運動が続く満州。中国人が日本人軍隊に乱暴される。
 反日運動の一つのグループに正義にあふれた英雄が出現する。「赤い鷲」のグループである。反日運動を中心に行なっているが首領は日本人の大使館員であり、日本人の味方でもある。


事件1 1928(昭和3)5月   済南(サイナン)事件
事件2 1928(昭和3)張作霖暗殺阻止。失敗に終わる。
事件3 29年一月10日張学良、楊宇霆・常蔭槐を射殺する。
事件4 29年12月28日(旧暦)
 尚旭東、奉天占領未遂事件

 どこまでも続く地平線
 夕日が真っ赤に染まって沈んでいく。
 冬はマイナス四十五度にもなる
[時代]
1906年11月
 南満州鉄道創立
   『馬賊』P.43
1916年7月1日
 パブジャップの乱
   『馬賊』P.71

7月二十四日。未明。芥川龍之介が亡くなった。雨が降っていた。
 芥川比呂志は八歳だった。竹垣を乗り越えて入ってきた新聞社のカメラマンは、比呂志と弟の多加志を狙って写真をとった。多加志はとうとう泣きだした。
 翌日の新聞には写真が載り遺児と呼ばれた

[中国の状況]
 1911年(明治44)の辛亥革命の後、内乱が絶えず、軍閥は各地に割拠して


 日中戦争
 当時のことが小林秀雄全集4の社会時評の項に出てくる。昭和一三年の二月頃か。 眼鏡やと歯医者が一緒になっている。
 長崎から船が出てヨウスコウへ行く。
 見せ物や、不具の子供。
 蘇州ではタンポポの綿毛が舞う。秀雄全集四・P.956
 「日本の文学51(中央公論社)P.535 火野葦平の「麦と兵隊」(これは1938 年5月の余州会戦)等の著作


 4・12クーデタ当時
 郭沫若、国民党軍政治部副主任


他の参考
 「道教と拳法」
     『馬賊』P.79
[参考文献]
渡辺龍策『馬賊』(昭和三九年、中央公論社)
大江志乃『張作霖爆殺』中央公論社一九八九年
檀一雄『夕日と拳銃』



 中国年代記

前210 始皇帝死す。


前209年 陳勝・呉広の乱。


項羽前232~前202
 楚の名将の子孫。


劉邦
 農民の子。
前206年劉邦、秦を滅ぼす。項羽と対決する。民心をうまくつかんだ劉邦が優勢になった。前202年、漢がはじまる。首都を長安とした。

 ヨーロッパ年代記

前332年 アレキサンダー大王エジプト制服。
 エジプトは紀元前三千年ごろファラオが統一国家とした。その後三十一の王朝が興亡した。

 アレクサンダーは32歳で急逝。


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