1867年(慶応3年)
10月幕府、大政奉還。薩摩・長州に「倒幕の密詔」
12月「王政復古の大号令」
1868年
3月勝海舟、西郷隆盛と会談して江戸城無血開城。り
「維新の新政府の有力政治家の多くは……彼らは東京を主張先、腰掛け……郷里の糟糠の妻を呼び寄せなかった。そこに……幸田露伴が「一国の首都」で怒りをこめて指摘した」 奥野健男「三島由紀夫伝説」(28)
明治39年
内務大臣原敬、地方官大更迭
◎孫文(1866~1925)
1894年ハワイで興中会結成
1895年10月、広東で最初の蜂起
学生、民族資本家、華僑を
『馬賊』P.29
1896年9月ロンドン
『馬賊』P.30
1899年 2度目の来日
『馬賊』P.31
1905年8月 東京
興中会・華興会・光復会などが結集し、中国革命同盟会が結成。
『馬賊』P.44
1911年 辛亥革命
『馬賊』P.46
1912年臨時大総統
『馬賊』P.51
1919年5月4日 北京大学学生三〇〇〇人が二一ヵ条撤廃のスト
1921年中国共産党成立
1924年 第一次国共合作
『馬賊』P.49
1925年3月
「北京において肝臓癌で死ぬ。」
『馬賊』P.88
◎エン世凱1859~1916
エン世凱は軍閥の指導者であったとき、孫文に対抗して起用された。
エンは革命軍が武力・資金の乏しいのを知った。このとき、蒋介石に、清帝の退位を条件に大総統になることを密約させた。
「野心のかたまりのようなタフな男で……
詳しく」『馬賊』P.51
1912年2月、宣統帝(1908~12)は退位し清、滅ぶ。
3月エン世凱臨時大総統に就任。
国民党を弾圧。
『馬賊』P.51
『馬賊』P.57
1913年第二革命失敗
◎川島芳子(東珍トンチェン)
『馬賊』P.52、71
◎薄益三(天鬼テイエンコエイ)
日本人馬賊。『馬賊』P.53
◎山本菊子
女馬賊、「満州お菊」
『馬賊』P.55
◎伊達順之助 (張宗援)
張作霖の第1の子分・張宗昌将軍に負傷させた。 『馬賊』P.74
出口王仁三郎と会う。
『馬賊』P.82、87
◎尚旭日(小白竜シャオパイルン)
『馬賊』P.77~、87、89◎松本要之助
「モーゼル、コルト、なかでもブロージなどを愛用した」『馬賊』P.83
1903年小樽生まれ。「日本軍諜報機関の雑役のような仕事をする。」
『馬賊』P.84~86
◎蒋介石
1927年クーデター『馬賊』P.50
1927年4月南京入場。南京国民政府樹立。 『馬賊』P.89
◎張作霖1873~1928チャンツオリン 中国の軍閥。はじめ馬賊の頭目であったが次第に勢力を拡大して1916年(43才)奉天督軍兼省長となり、19年までに満州全部を支配下におく軍閥に成長、日本の援助を得て中央進出を企てた。日本政府は21年5月、満豪権益拡大のため張作霖援助の方針を決めたが、張の中央進出を好まなかった。しかし、張は閣内諸軍閥との抗争を繰り返し27年大元帥と称して北京政府の実権を握ったが、国民政府軍(蒋介石軍)の北伐に敗退し、奉天への帰途関東軍参謀らにより爆破されて死去した。
「民間自衛組織の一環としての馬賊ということになる。張作霖は奉天・吉林を中心にして……」『馬賊』P.23
「ロシア側には張作霖がいた」
『馬賊』P.37
「張作霖のごときは多分に政治的・謀略的要素をもっていて……以下かなり詳しく」
『馬賊』P.39~41
1916年7月1日パブジャップの乱
『馬賊』P.73
1919年
直隷派は奉天の張作霖と結んで安キ派に対立した。「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
1922年
「山海関をこえて北京、天津付近に軍隊を駐屯させた。」 「世界の歴史21 中国の革命」(講談社)P.204
長辛店で破れ、山海関まで退却(第一奉直戦争) 『馬賊』P.81
「このどさくさの最中伊達順之助は奉天の張作霖邸を訪ねた。」『馬賊』P.81
1924年夏・華南
張作霖。大軍を山海関と熱河にくりだした。 『馬賊』P.87
1924年10月23日
北京入場。『馬賊』P.88
粕正彦
関東大震災当時は憲兵大尉。懲役10年となるが、刑期を3年にして出獄。満州に渡り、満州事変後は満州国協和会幹部となった。田中義一1863ー1929
1931年満州事変のさいもその近くにいる。『馬賊』P.101、102
山東出兵を強行。張作霖曝死事件の前後処置をめぐり総辞職。9月病死。
[概略]
反日運動が続く満州。中国人が日本人軍隊に乱暴される。
反日運動の一つのグループに正義にあふれた英雄が出現する。「赤い鷲」のグループである。反日運動を中心に行なっているが首領は日本人の大使館員であり、日本人の味方でもある。
事件1 1928(昭和3)5月 済南(サイナン)事件
事件2 1928(昭和3)張作霖暗殺阻止。失敗に終わる。
事件3 29年一月10日張学良、楊宇霆・常蔭槐を射殺する。
事件4 29年12月28日(旧暦)
尚旭東、奉天占領未遂事件
どこまでも続く地平線
夕日が真っ赤に染まって沈んでいく。
冬はマイナス四十五度にもなる
[時代]
1906年11月
南満州鉄道創立
『馬賊』P.43
1916年7月1日
パブジャップの乱
『馬賊』P.71
7月二十四日。未明。芥川龍之介が亡くなった。雨が降っていた。
芥川比呂志は八歳だった。竹垣を乗り越えて入ってきた新聞社のカメラマンは、比呂志と弟の多加志を狙って写真をとった。多加志はとうとう泣きだした。
翌日の新聞には写真が載り遺児と呼ばれた
[中国の状況]
1911年(明治44)の辛亥革命の後、内乱が絶えず、軍閥は各地に割拠して
日中戦争
当時のことが小林秀雄全集4の社会時評の項に出てくる。昭和一三年の二月頃か。 眼鏡やと歯医者が一緒になっている。
長崎から船が出てヨウスコウへ行く。
見せ物や、不具の子供。
蘇州ではタンポポの綿毛が舞う。秀雄全集四・P.956)
「日本の文学51(中央公論社)P.535 火野葦平の「麦と兵隊」(これは1938 年5月の余州会戦)等の著作
4・12クーデタ当時
郭沫若、国民党軍政治部副主任
他の参考
「道教と拳法」
『馬賊』P.79
[参考文献]
渡辺龍策『馬賊』(昭和三九年、中央公論社)
大江志乃『張作霖爆殺』中央公論社一九八九年
檀一雄『夕日と拳銃』
中国年代記
前210 始皇帝死す。
前209年 陳勝・呉広の乱。
項羽前232~前202
楚の名将の子孫。
劉邦
農民の子。
前206年劉邦、秦を滅ぼす。項羽と対決する。民心をうまくつかんだ劉邦が優勢になった。前202年、漢がはじまる。首都を長安とした。
ヨーロッパ年代記
前332年 アレキサンダー大王エジプト制服。
エジプトは紀元前三千年ごろファラオが統一国家とした。その後三十一の王朝が興亡した。
アレクサンダーは32歳で急逝。