2021年2月2日火曜日

丘上懐古 ー続舎密ー

舎密 続舎密

 丘の上に上がったカッパである。肌にまとわりつく水が乾くとさっぱりするとともに、水の中がどうしょうもなく恋しくなる。長く水の中にいると、水も皮膚の一部になる。


「舎密」について

Windowsがまだ出る前のパソコンはMS−DOSで動いていた。その上に一太郎が載る。一太郎はどんどん改良して、ソフトだけ入れ替えれば最新のものになる。しかしパソコン本体もどんどん進歩するのだから、買い換えなければならない。この流れにいつ乗るか。少ない小遣いでの投資だから慎重にならざるをえない。しかし欲しい。しばらくはワープロ派で行くことにした。ブラザーなどから液晶画面、といっても10行ぐらいしか表示されないが、液晶ワープロが出ていた。持ち運びにも便利だ。しかし、画面が大きくなるまで待つことにした。NEC文豪ミニ7というのが出た。75%で買って175000円。持ち運びは大変だから学校と家にと、2台買って、フロッピーのみ持ち運んだ。これは玉野光南高校の時代。やっと、パンライターから脱却。3年勤めて移った教育センターも、これを使った。センターでは視聴覚部門がパソコンに切り替わり、空いてる時は使えた。BASICで結晶格子の充填を教える図を描いたりした。自分の部屋に古いのが配当されていたのだったか、記憶は曖昧だ。教育センターは1年だけで、福山へ移ってもまだ文豪ミニ7だ。そのうち文豪ミニ7Eという改良版が出たので、また2台買った。値段は同じ。その時代に書いたもので、データはどれだけのちのPCに移せたか記憶にない。あるのは感熱紙に打ち出したものと、それを配るためにコピーしたもの。感熱紙だけ残っていたのが2枚。消えかけていたが、カラー処理で読める程度に復活。そのような時代のテキストデーターでないデータが出てきたので、未完成ながら載せたのが舎密である。

それで、続舎密として丘に上がった河童が、水の中の生活を懐古するのが、このページである。名付けて 丘上懐古ー続舎密ーというわけだ。



どういう風のふきまわしか、昭和46年度の入試では理学部の化学科では、理科は1科目でよかった。本当は物理学科の方へ興味があったが専門の物理学者になるには、マニアック的な数学好きである必要があると自覚していたので、そうまで数学が好きでない私は一番好きな物理学科ではなく化学科を受けることにした。そしたら合格した。ついでながら書いておくと社会も必要なかったのも好都合であった。

だから、国立大学を出たものの、とんでもないタイプの人間になった。理科系なのに物理が高校前半で止まっている。

物理は高校2年から履修した。1学期の中間試験は平均点は相当低かったが、私が80点弱。住原が80点より少し上。やらなくてもできると自覚をもったのだ。後に物理学者の書いた本を読んで、湯川さんと朝永さんは、旧制の中学や高校で机を並べており朝永さんの方が物理はよくできたとか。それだけでなく抜群のトップだったとか、読んで、そうすべきだったのだと思ったが、済んだことは仕方がない。

ニーチェを読んでいる生徒がクラスに2人もいたということは、今では考えられないことだろう。新川と木村。二人とも土生中の出身だ。木村は世界の名著を持ってきて、夜の詩がすごいと言った。それで、世界の名著を買った。確かに沢井という広大の物理学科を出た先生の授業よりニーチェの方がおもしろかった。

広大の哲学科を受けようかと親父に言ったら、そんなとこに行ってどうするんだと一蹴されたので、やはり理科系に戻ってしまった。理科系の人気が凋落するのは、それよりかなり後のことである。

だから、化学を専攻する羽目になった。やり直すほどの根性はないし・・。だから、いちおうは、専門は化学ですというフリをして、人生を闘ったのである。闘うと言うよりも低空飛行。大空には羽ばたけない。

闘うというほどの目標もポリシーもない人生だったが、一つだけ目標はあった。

それは子供が成長するまでは死なないということであった。最低、一番の下の子が高校が卒業をするまで。それをクリアーした時は、大学を卒業して就職するするまで。それも達成したので、残りの目標は大したことではない。

そんなことは、どうでも良い。ここは化学の世界を懐古するページだった。

硫酸銅の水溶液は甘い

 いつだったか硫酸銅の水溶液が跳ねて少しだけだが口の中に入った。なんと甘いのだ。甘味料として使われたというような負の歴史があったとは思わないが、あったら大変だ。

 鉛糖、鉛糖紙というのがある。酢酸鉛であろう。どの程度甘味料として使われたのだろうか。どんな甘さなのだろうか? 舐めたことがないのでわからない。是は理性的な判断だったと自己評価している。

 自分で舐めてみる科学者もいたようだが、私は賛成しない。科学の個別分野を趣味的に深めるのは意義深いので、その分野を広げ、毒の本も集めようと思った。しかし、毒は知識が深まれば実験してみたくなるのではないかと思い、毒を趣味とするのはやめた。

 後年、毒の使用で逮捕された学生があった。その気持ちは少しはわかるが、やはり毒の研究なんか個人でするものではない。

 硫酸銅で思い出したが、硫酸銅の結晶を作っていて感じだとのは成長期間が長いものほど硬いということだった。促成のものは弱く、かけやすかった。

 だから温度差法よりも蒸発法の方が良い。ただ蒸発法は定温装置がない場合は、春から夏にかけてはどんどん気温が上がるので、せっかくできたものが溶ける。

 秋から冬に行うと蒸発法に温度差法が加味されて良い結晶が得られた。




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