2019年2月10日日曜日

夕凪亭閑話2006年9月

夕凪亭閑話2006年9月   
2006年9月1日金曜日
  朝夕が涼しくなりましたが,日中はまだまだ暑いようです。
 残暑お見舞い申し上げます。
 9月になったので装いを新たにしました。このページは枯れ草のイメージで薄い茶色にしようと思ったのですが,いい色が出なかったので,秋空のような青にしてみました。
 CRYSTAL topは,「ゴンドラ」は文字が見えにくいので,またまたSunrise Yellowさんからお借りして,秋は祭りが多いので,「ハッピ姿」を背景にしてみました。
 メダカ三尾秋刀魚のように泳ぎをり
朝日突くシオカラトンボの襲来にわがビオトープ如何に守らん
 県境の駅舎の上の半月にコオロギ鳴いて秋近し
2006年9月2日土曜日
 日影は涼しくて秋のような感じのさわやかな一日でございました。あの猛暑が盛り返さないように。それと台風12号が逸れますように。
 ゾウムシの朝顔登る数珠の列
  逝く夏をツクツクホウシが送りけり
  夕されば鈴虫和して風を呼ぶ
  ハイビジョン電気芝居の色模様衛星にはあり地上波にはなし
2006年9月3日日曜日
 朝涼しいので,これまでのように暑くて起きるというようなことをしなくてもよくなった。台風12号は本州の東の海上を抜ける気配だ。
 何もせず一日が終わりくつろげと瞼は重くなりにけり
 猛暑去り少子化のことなど思い出しいくつかのわけを記す
 月面に砂塵を上げるというを聞きて望遠鏡で見し日を思う
 
2006年9月4日月曜日
 明け方冷たい空気が流れてくるのがわかります。どこか戸を閉め忘れたかなと思いながらまた夢の中。しかし日中は暑い。このようなことを繰り返しながら,季節はめぐっていきます。メダカは,まだ元気で卵も産んでいます。
 夏空を写す窓辺に子を乗せて電車は静かに遠ざかる 
 カナカナと残暑を怨むアブラゼミ
 暑き日の焼けた大地も日が落ちて気温が下がれば本当の残暑
 公園を取り囲んで鳴る夜の鈴
2006年9月5日火曜日
 台風12号はハリケーンに戻りたいのか,東北へ進路を変えたようでず。今日は夕方から一段と秋らしくなりました。日中は残暑ですが。夜は早めに戸を閉めて,秋のような気配を楽しんでおります。世の中は次から次へと事故や事件が起こって慌ただしい限りです。そういうニュースを見ていると,平凡に生きるということがいかに貴重であるかということに気づかされます。平凡に生きるということも大切なことなのだとわかります。
 明け方のスコールのような雨音は ひとりでに鳴る目覚まし時計
 満月に近づく月の形さえ見せてはくれぬ初秋の雲
2006年9月6日水曜日
 昨日残暑今日はひんやり秋の雨
 濡れ萩のおじぎのごとく曲がりをり
 本を読むのをやめて,机のまわりを片づけようとしているのに,一向に進まない。中学生の頃,日曜日の午前中によく,「部屋の片づけ」というのをやっておりました。要領が悪いので,二時間くらいかかっても,あまり進捗しません。そして,最後にどうしても行き場がなく,さりとてゴミでもない,というものが残って仕方がないので引き出しの底のほうへ入れて,終わるしかなかったように思います。そういう習慣は何年たっても変わらず,そのたぐいの山が何個かあります。それを崩そうと努力してもやはり,残ってしまう。雀百まで,ですね。
 大病ではないけれど,年齢というか,寿命というか,・・・いつ死んでもおかしくはないんだという自覚をもったことがありました。何年か前に。そのとき,かなり身の回りのがらくたを捨てたのですが,まだまだ捨てきれないものがあるようです。渡部昇一さんの本に,3年使わないものは不要なものとか,いうような話しがでてくる~の方法というのがあったのですが,あまり身についていないようですね。ということで,秋の夜長に読書を控えて,捨てよ,捨てよ,と念仏のように唱えています。
2006年9月7日木曜日
 日に日に秋が深まっていくようです。八月の暑い夜からは,想像もできないような早い秋の訪れです。
 最近の読書から。 三遊亭円朝作「怪談 牡丹燈籠」(岩波文庫)という,ずっと前に買っていた本を読みました。少し涼しくなったので,季節はずれの感が,無きにしもあらず,ですが。円朝の語った創作落語の速記本だということです。文久年間に作られたということです。話し言葉とはいえ,ほとんど現代小説のとおりですから驚かされます。明治の言文一致体の試みのはるか先を行っているのではないでしょうか。
 有名な怪談噺ですが,幽霊の出るのは前半で,後半は敵討ちを中心にした人情話というところでしょうか。牡丹の絵が描かれた燈籠をもったお露とお米の幽霊は怖いのですが,幽霊になるだけの理由が,少し弱いように思います。それはともかくとして,この作品の醍醐味は次から次へと展開する話しに,偶然すぎるのですが,以前の登場者が出ることによって,無闇に登場者を増やさずに筋の展開を複雑にしているところだと思われます。
 暮れゆけば秋風吹きし窓の下 カーテン揺れて怪談ばなし
2006年9月8日金曜日
 今日の午後の暑さには閉口です。ローカルの天気予報では28,9℃が最高気温で,昼頃は小雨の降る予定でしたが,秋口に慣れた身体にはきつい暑さでした。戻り残暑というのでしょうか? ・・・言わないですよね,きっと。
 鉄塔の向こうに登る月と雲
 満月でした。ということは旧暦の15日。昼頃が満潮で6時頃が干潮で,故郷の海では夕凪の頃,潮から出た岩場の近くで,ひじきやほんだわらが波に揺れて海面に出ているのではなかろうかと,秋の海を想っておりました。
 最近の読書から。「死の商人」の岡倉古志郎さんの「財閥」(光文社)は,カッパブックスの昭和30年版。当然現在は絶版です。「かくて戦争は,また作られるか」という副題で,財閥と戦争との関係が,アメリカと日本を例にして書かれております。
 これを読んでいると,アメリカの兵器産業というのは現代のアメリカ合衆国の産業の中に,がっちりと組み込まれた組織であって,これを縮小したり廃止することはできないのではないかとすら思われる。すなわち,永久平和などというのは夢のまた夢で,アメリカ合衆国というのは,戦争があるから成り立っていると言えるのではないか。
 本書の中心は,朝鮮戦争がなぜ起こって,誰が儲かったのか,ということ。それに悲惨な先の大戦で,日本の財閥はどのように大きくなり,戦後どうなったのか,ということが詳しく書かれている。また,GHQ政策が,日本を反共の砦とするために,途中から方向転換が図られ,財閥解体が中途半端で終わり,再軍備に向かったことも記されている。古い本ではあるが,基本的な世界の構造は変わらない。
 なお,著者は,岡倉天心の孫とのことである。
2006年9月9日土曜日
 5時過ぎに歩いてきた。
 満月の薄明かりを消す日の出かな
 朝焼けや日はひんがしに月は西
 秋風にゆれるポプラのひこばえや
 さるすべりまだつけてをり紅(べに)衣裳
 早朝の公園に猫の草を食(は)
 秋晴れのよいお天気かと思いきや,日が照り出すと猛烈に暑くなった。
 「一生けんめいひとまわり」という記念誌が送られてきた。岡山県立玉野光南高校陸上部の開校より14年間の記録を,元監督の神達靖久先生が集大成されたものだ。膨大な記録を保存されこまめに整理されて,一人でまとめられたものである。その記録の凄さはもとより,その努力に頭がさがる。懐かしい顔も何人かあった。遠くから何人も来ていた。玉野市にあるとはいえ,児島半島の山々の北側で,冬は特に寒かったことを思い出した。
 「ハーメルンの笛吹き男」の阿部謹也さんが4日に亡くなられた。ご冥福をお祈り致します。
2006年9月10日日曜日
 5時過ぎに起きて有明の月を眺めながら散歩しようと出かけるも,雲って見えず。帰ってから大雨。そして秋が深まっていくような一日。
 鍋帽をもって帰るにかみさんが婦人の友にあったという
 破れたるテレビ枕の代用が捕られてしまう鍋帽子
偶成
小雨覆山間
秋風巷路流
日暮夕凪亭
開書一人座
2006年9月11日月曜日
 午前中は秋晴れの快晴。午後は曇りの一日でした。夜は秋の気配濃厚です。
  軽トラに焼き芋積んでその音がふけゆく夜に響くころなり
 最近の読書から。西澤潤一,中村修二「赤の発見 青の発見」(白日社)。尊敬する科学者・技術者の発光ダイオード発明にまつわるエピソードと科学技術を取り巻く環境について語った警世の書。中村氏は言う。「今の日本の教育というのは,非常に問題だと思いますよ。基本的に,大学受験をめざした教育でしょう。あれをなくさないことには,どうしょうもない感じですね。私は大学受験を改革せよ,というのではなくて「大学受験の廃止」派なんです」(p.204)。まったく賛成である。

 題歪滝之図
塔落水流煉瓦下
歪巡至元之塔上
男見之奇異不思
衣干婦何不解意
2006年9月12日火曜日
 今日は東広島市の酒類総合研究所とエネルギア総合研究所などを見学した。エネルギア総合研究所の会議棟のエントランスには松井浩之氏の備前焼の花瓶があった。石炭灰を混ぜたというシックな趣の作品であった。「城之崎にて」を一緒に読んだ頃を思い出した。
 曇天や秋色(あきいろ)濃いし賀茂台地
  秋気満ち 日は滑らかに伊部焼き薄墨色に光りけるかな 
 
 周期表
静吊周期表
暮色至深窓
遍照万物根
神秘宿萬草
2006年9月13日水曜日
 雨のせいか気温も下がり,すっかり秋らしくなりました。本当に秋が来るのが早い。
 人も去り車も去って街灯のか細く光り秋は来にけり
 秋の雨 餌(えさ)かと思うメダカかな
 
 秋雨
早朝雨叩地
暗雲飛来荒
濡衣欲暖器
孤犬振尾行
 
2006年9月14日木曜日
 最近の読書から。米沢富美子さんの「人物で語る物理入門」(下)(岩波新書)を読んだ。すぐに品切れになったらしく,上のほうがいつまでたっても来ないので,下のほうを先に読んだ。大変楽しい本である。かつて,朝日新聞の読書欄で米沢さんの書評を読むのを楽しみにしていたことがあった。科学書の紹介はこのように書くものかと,その達意の文章に感嘆したものだ。下巻に登場するどの人物のスケッチも活き活きとして飽きないのだが,ひとつだけ挙げるととすれば,109番元素Mtマイトネリウムのマイトナーの小伝は感動的である。(第11章)
 
メダカの子秋の光に乱舞する
夕されば下荻ゆらす秋風に 上葉は露を待ちにけり
 秋星
薄雲去空晴
静夜仰見星
思出故郷日
過時酔夢生
 
2006年9月15日金曜日
 最近の読書から。西尾幹二さんの対談集「思想の出現」(東洋経済新報社)は,タイトルに恥じない,思想的な対話を集めたものである。それぞれの対談の目的とテーマがはっきりとしていて,稔りある対談となっている。大部分の対談が素晴らしいのだが,ここでは今道友信氏との対談「比較研究の陥穽」(p.235~)が特に印象的だったということを記しておきたい。両氏とも,その発言は比較論的であることを自覚しながら,なおかつ比較研究というものの危険性を指摘するという,対談である。
 
時ならぬ蝉の鳴き声中庭に
古ランプ子から親へと渡されて めでたく寿命迎えたり
野良猫がわが家のごとく入り来て 臭い糞などして帰りけり
急カーブする台風に備えよと 長きロッカー倒しなどする
散歩から帰ってみればぽとぽとと その気配なくにわか雨かな
休み三日何をしようかなど考えず 気のむくままに送るつもりぞ
 
送洋燈
洋燈灯消夕凪亭
子存分使父使復
机上存幾夜照書
迎寿命交替新物
 
2006年9月16日土曜日
 最近の読書から。中村修二「好きなことだけやればいい」(バジリコ)好きなことを思い切り勉強すべきである。そのためには,今の日本の入試制度では,入るために無駄な受験勉強をしなければならないから,いけないとおっしゃられる。その通りでありましょう。中村さんには早くノーベル賞をとっていただき,徳島大学がどこかの学長になって入試改革をしてもらいたいものだ。中村さんは廃止論者だから現存の制度と真っ向から対立するだろうが,限りなく廃止に近い入試方法を模索していただきたいものだ。現在の日本の若者の成長を大学入試ほど歪めているものはない。大学入試が抜本的に解消改善される頃には小生などは生きていないが,中村氏には是非頑張って将来の日本のために貢献していただきたいものだ。
行く秋に。
寒冷紗其の役目終え取り外す
大型の台風こちらへ向いけり
秋の夜の車の下に猫がをり
コオロギのコロコロ響く鳴き声は 台風前の静かなる秋
敬老の日が近づいて訪ぬれば 八十の義父元気にいまし
川面思
霧覆秋川面
驟雨波状滴
変易季節憂
豈所無住適
 
2006年9月17日日曜日
 5時過ぎに起きると幸い雨が降っていなかったので,県境の町を散歩した。
向日葵(ひまわり)の 小さな花の 咲く街は 鴉飛び交う 朝霧の街
鶏頭の 農家の前に 咲きほこり
無花果(イチジク)の ナスの木と並ぶ 小さな木
無花果(イチジク)の 柿の木と並ぶ 大きな木
桃の木に 南瓜(カボチャ)登りて 黄いの花
ウシガエル 朝の挨拶 朝靄の 鴉と競う 葦の澱みに
 
 秋風
風涼疎林秋気催
商聲郊外月光開
村童空隔梧桐影
山鳥寥寥天地来
 
2006年9月18日月曜日
 最近の読書から。伊集院静「ツキ子の月」(野生時代2005.4~2005.10)。ブエノスアイレス,神戸,東京,満州とツキ子が女優として成長する話し。感動的なシーンも多くおもしろいのだが,やや物語の展開に違和感を覚える。満州で終戦を迎える。ロシア兵が攻めてきたときの,開拓団。
「村人は集まって,これからどうすかを話し合った。誰もどうしていいかわからなかった。兵隊さんが逃げ出しているのだからもう自分たちを守ってくれる人はいない。皆してここを去ろうと言う者と,この土地は自分たちが国から貰った大切な土地だからここにとどまろうと言う者もいた。三日話し合っても結論が出なかった。」(野生時代2005.10 p.544)
 土地を捨てて早く逃げたほうが生還の確率が高かったということを戦後の人間は知っている。土地への愛着というのは,耕作した人でなければわからない。愚かなのではない。
 
台風が逸れて喜ぶエゴイズム
CDの葡萄の下で輝けり
団栗(どんぐり)の小さき頭葉の上に
秋萩の越境せしを手折るかな
蝙蝠(こうもり)が燕(つばめ)返しの真似をして
夕焼けが五色の色に染まりけり
風やんで鯨のような雲になり
吹く風の枝をゆすりて秋空に黒き雲など浮かび漂う
台風の変じて秋の風となり小枝ゆれにし青き空まで
 
      秋海
雲散秋風萬里瀾
魚跳海面望漫漫
雁飛蓬莱知何處
一點舟人白玉盤
 
2006年9月19日火曜日
秋暮れて西空青く晴れ渡り
鈴虫の台風去って鳴き出せり
虫の音の闇より響き風寒し
台風の跡とどめたる公園のポプラは揺れて秋は深まり
夕去れば西の方なる雲井には秋空のごと青く染まりて
 
 秋景  
古道楓林色
秋風落葉稠
村翁収芋栗
一径暮煙流
2006年9月20日水曜日
 最近の読書から。テーミス編集部「青色発光ダイオード 日亜化学と若い技術者たちが創った」(テーミス)。中村修二さんへの反論本である。しかし,残念ながら誰が書いたのか分からない。著者は,「テーミス編集部」となっている。しかしその構成員については何処にも書かれていない。「はじめに」には「株式会社テーミス 伊藤寿男」という名がある。奥付によると,発行者となっているから,著者ではないようだ。では,本文中に時々出てくる「筆者は」とは誰なのか。所々なるほど,と思われるところがある。だから,よけいに著者名を明らかにしてほしかった。これでは,匿名批判ではないか。青色発光ダイオード発明にかかわる,中村修二さんの本に,いろいろと疑問点があるということがわかった。しかし,にわかにどちらが正しいとも判断できない。今後は心して読むことにしておこう。そういう反省を与えられたという意味では役に立った。しかし,事実誤認を指摘する部分と,中村修二さんの考え方(大学入試廃止論)に対する反論は異なる文脈ですべきであろう。そうしないと,すべてが反中村一色の本となり,こちらにも眉に唾をつけておかなければ,という気持ちになるではないか。
五七五言葉さがして飽きもせで
竜胆(りんどう)の蕾を植えし日が暮れて
いつのまに燕帰りて雀だけ
ひっそりと庭の片隅萩の花
朝夕にめだか動きを小さくし
夕さればいよいよ秋も深まれり薄暗闇に虫の声して
こむらさき小さき花を日に当てて昨日より今日色濃くなりし
   秋夜
秋夜燈下座
敲窗獨自知
虫聲流水響
閲古讀書時
 
2006年9月21日木曜日
 朝夕が日々秋らしくなっていくのが,不思議に思われる昨今です。
秋風の吹く公園に人もなし
休みつつふと見上げればエッシャーの滝という絵が落ちても廻る
落ちた水流れて高く戻りけり
   秋静
涼夜商聲自寂然
清吟愁聴初秋天
空階冷韻忙催織
草際幽庭荒壁前
 
2006年9月22日金曜日
 秋晴れで,日中は少し暑いようでしたが,まずまずの秋晴れといってよいでしょう。中学校や高校のときは,この頃は運動会の練習というのが繁く行われていたように思い出します。体育の時間は組体操とか行進の練習とか,暑くて退屈で,どうしてこんなことばかりするんだろうか,と思っていました。それに,早く大人になりたいなあ,大人になれば,こんなことしなくていいだろうなあ,とも思っていました。そのせいか,高校を卒業してからはそういうものには一切参加しておりません。
 体育の日とかできて,それに何かとラジオ体操というのを小学校のときからたくさんやらされたように思います。やはり,戦争の影響が薄まってはあったものの尾を引いていたのでしょうか。それから騎馬戦をはじめとして,ああいうものは,戦争に向かう衝動をこちらに向けているだけのように感じていました。まあ,それはともかく,秋空は美しい。夕暮れはすぐに暮れて春先ほどはのどかではないが,過ごしやすいことは確かです。 
夕風や今年は早く秋深し
北斗星その一部だけ見え隠れ
鈴虫のか細く鳴きて風寒し
見渡せば最年長になりにけり風切る日々は彼方に去りし
台風が来ないうちにと旅支度ダイヤ眺めて旅程を錬る
 
   秋雲
江樹蒼茫水北流
片雲長路已髙秋 
断猿野唱停車看
天外無邊往事悠
 
2006年9月24日日曜日
 昨日は,西国三十三観音霊場巡りに行ってきました。30番 厳金山( がんこんざん) 宝厳寺  (ほうごんじ) ,滋賀県長浜市。31番 姨綺耶山(いきやさん) 長命寺, 滋賀県近江八幡市,第32番 繖山(きぬがさやま) 観音正寺(かんのんしょうじ), 滋賀県蒲生郡安土町である。
 宝厳寺は琵琶湖の竹生島にある。晩秋になれば湖が荒れるだろうから,できるだけ気候のよいときに行こうと思って予定していたのだが,ずっと週末が雨や台風で延び延びになって,やっと決行できた。
 まず,新幹線で京都まで行き,湖西線で近江今津へ。あの琵琶湖周航の歌の「今日は今津か 長浜か」の今津である。そこから竹生島への渡船が出る。駅で割り引き切符を買って桟橋に向かっていると,何と「琵琶湖周航の歌発祥の地」などと書いてあるではないか。そして方々に歌詞が書かれていて,琵琶湖周航の歌記念館入場無料などというのがあった。桟橋に至る歩道に置かれた睡蓮鉢には,睡蓮が小さな葉を浮かべている。そして不思議なことにひつじぐさと書いてある。桟橋で出航時間を確認して,その記念館に入ると,琵琶湖周航の歌の歴史が詳しく説明してあった。
 大学に入った頃,私はその歌を,当時学生たちにはオトキさんと呼ばれていた歌手のアルバムで知った。コンポとか,カセットデッキなどという言葉は今は死語に近いのだろうが,冷蔵庫をもっている学生は少なかったがカセットデッキをもっている学生はまま見られた。そういう時代である。そして不思議なことにLPレコードがアルバムと呼ばれていた。ひとり寝の子守歌とか知床旅情とかが入ったオトキさんのアルバムを同じ下宿の同級生が持っていたのである。そして,その琵琶湖周航の歌は,真白き富士の嶺とおなじような哀悼歌で,三高のボート部の学生が琵琶湖で遭難してできた,それを悼む歌だと思っていた。
 今回,その記念館の資料を読むと,タイトルの文字通り「周航の歌」であるということであった。そして遭難したのは,昭和16年に金沢の第四高等学校の学生で,「琵琶湖哀歌」という哀悼歌があるそうで,それと混同している人は結構多いらしい。こうなると,都市伝説のようなものですね。
 記念館で,地元の写真家の美しい写真集を買って桟橋に出ると,左側の湖岸に歌碑があった。琵琶湖の水を実際に見るのは初めてである。思ったよりもきれいではないか。これでは瀬戸内海よりもきれいだ。瀬戸内には瀬戸内の文化があるように,琵琶湖には琵琶湖の文化がある。鮒寿司を売っていた。原則として淡水漁は食べないことにしてあるので,その優雅な名前には何か惹かれるものがあったが買わない。
 旅に来て今津の町のひつじぐさ 
 9時40分に渡船は出発である。朝日が湖面にちらちらと銀色に光る。湖北の山を左に見ながら竹生島へ。
 近江の海朝日を受けて鴨渡る
 竹生島には南側から上がる。大変よいお天気で暑いくらい。ミンミンゼミがミーンミーンと鳴く。学生の撮影旅行の一団。のどかでいいなあ。長い石段を上がるとご本尊の弁財天。緑の島に朱塗りの手すりがよく似合う。風光明媚とはこういうのを言うのだろう。境内をひとまわりして,9時50分発の船で長浜港へ向かう。
 風光りミンミンゼミの竹生島
 学生がカメラかがげてまだ夏だ
 琵琶湖を取り囲む山々の中で一際形がよくて一番高い山が伊吹山である。その伊吹山に近づいて着いたところが長浜です。湖上から長浜城の勇姿が見えていたので,上陸してさっそく訪ねて見ました。秀吉が最初に持った城です。三代目の城主が今をときめく一豊さんです。天守閣から彦根城が小さく見えます。勿論琵琶湖の眺めも美しい。戦国地図があって,数々の歴史小説に出てくる古戦場が,長浜城を中心に記されています。戦略的にも非常に大切な城だったということがわかります。歩いて長浜駅へ。
 彦根城は駅から一キロばかり西の琵琶湖側にあります。近いけどタクシーで行きます。国宝です。さすがに優美。それに広い。80°近くある急な階段を登って天守閣まで行きます。下に名園・玄宮園が小さく見えます。反対側には琵琶湖が光っています。
 大老の花の生涯彦根城
 木洩れ日の落ちる石垣彼岸花
 大老は秋晴れの下暑かろう
 彦根駅からまた電車に乗って安土駅へ向かいます。広い平野が続きます。田圃です。琵琶湖を干拓して作った農地でしょう。安土駅前には安土城を模した建物と,信長像があります。山岡荘八さんの「徳川家康」のはじめのほうに描かれている信長は好きです。
 瓢箪でかぶく少年今ここに
 タクシーがいませんので,電話して観音正寺へ行って,そこで待っていてもらえるかと訪ねると可能だということでお願いしました。待つこと10分。観音正寺の次は長命寺へ行きたいというと,ここから行くほうがお得ですよと言われるので,そうすることにして,まずは観音正寺へ。
 途中,安土城跡の前を通りトンネルを越えて山登り。標高432.9メートルの繖山(きぬがさやま)。500円の有料区間があって,駐車場からは,10分ほど歩いて観音正寺へ。聖徳太子創建のお寺だそうである。折しもお彼岸の法要中。黒い仁王像が迎えてくれる。いずれ仁王門ができるであろうが,今は雨ざらし。眼下に広い平野,そして彼方に琵琶湖。
 彼岸会や湖東の山に経響く
 太子建つ寺の観音慈悲深し  
 下山して元来た道を戻り,西の湖を見ながら近江八幡へ。葦の茂る水郷地帯は,水郷巡りをしてみたいが,今回はパス。水門があり,西の湖側が少し水位が高いように思われた。水門より後の長命寺川の佇まいはのどかでよかった。長命寺には近くまで車が上れる。そこから階段がある。古い建物や,景色がよい。 
 葦(よし)ぬってめぐる川船西の湖(うみ)
 長命寺命縮める大石段
 長命寺を見て,水郷地帯を眺めながら市街地に入った。タクシーは,メンソレータムの前や古い町並の中を通ってくれた。情感溢れる町でした。
 商人(あきんど)が開く水郷見越し松
 近江八幡駅から電車に乗り,東海道線を下り,京都で新快速に乗り換え,帰りはのんびりと山陽本線を乗り継ぎしながら帰ってきました。素晴らしい秋の一日でした。おわり。
2006年9月25日月曜日
昨日の続き。
琵琶湖周遊の記念に。
湖西線比叡の麓松原を眺めしままに列車は走る
ひつじぐさ植えし歩道のその先は歌の流れる朝の桟橋
竹生島澄める水面に反射して弁天堂の緑まぶしき
秀吉も一豊も住むこの城で琵琶湖ながめつ午後の風吹く
大老の銅像照らす秋の日は袴姿にゃ暑すぎまいか
ひっそりと駅前に立つ信長の銅像さみし午後の安土や
流れなき川辺に生える葦(よし)の群れ釣りなどしたき心地ぞする
 
 そして,下界では,下界の時間が秋の日の下をいつものように流れている。配達される月刊誌に時の流れの速さを否応が無く知らされる。
そっと伸び知らぬ間に咲く彼岸花去年と同じ黄色と白
木犀の秋の匂いに誘われて睡魔訪のう午後の教室
携帯のEメールにて郵便の返事が届く秋の日の午後
 
2006年9月26日火曜日
 ドラフトの話題もちきりである。夏の甲子園の決勝戦が投手戦で盛り上がったから,余計に今年のドラフトが注目を浴びる。今年は平成18年だから,高校三年生が昭和生まれの最後の世代だ。18年前の記憶を辿れば,昭和63年が暮れ,昭和64年は1月7日で終わり,翌日が平成元年1月8日になった。その頃生まれた子供たちが,高校を卒業する。だから社会を支える主流は,これから昭和戦後生まれが次第に減り,平成生まれが増えていくことになる。昭和という時代が,かなり彼方に遠ざかったように思うのも当然かもしれない。 彼岸花昭和は遠くなりにけり
 
夕されば今宵三日月秋の月
黄に負けず赤く咲くのは曼珠沙華
 尋古寺
一径枯林石磴陰
天花飛塔白蓮心
僧迎丈室千山裏
鐘韻悠々空古今
 
2006年9月27日水曜日
 かやつり草考
 彼岸花の花のように開いて種をつけたカヤツリ草の頭の部分と,根の部分を除いてまっすぐな茎を二人で持って,三角形の茎を爪で裂いて,同時に開いていく。四角につながれば,蚊帳(かや)が吊れたと言って喜ぶ。だから,あの雑草をカヤツリ草という。ところが「水の道具誌」(岩波新書)の簑(みの)の項に「山裾や谷地に自然に叢がる菅や,河原を覆う茅(かや)を,かやつり草で要所を補強しながら麻糸で編んだ草の衣は,素直に土に還るエコロジーにかなった雨衣であった。」(p.45-)とあるではないか。だから茅吊り草だとは書いていないが,こちらのほうが本当の由来のように思える。そして後代,その名に因んで蚊帳吊り遊びを誰かか考案したのではなかろうか。 かやつりを教えし母はすでに老いたり

 最近の読書から。中村修二「怒りのブレイクスルー」(集英社文庫)。
 青色発光ダイオード開発に関わるエピソード。そしてアメリカ行き。これまで読んだ本と重なるところも多いが,これはこれで面白い。
 Newton 2006年7月号をすべて読んでみた。特集の量子論はよく錬られた構成で感心した。かつて,色々な本で少しずつ理解して行ったところがパノラマのようにまとめられている。初心者には難しいが,色々な本と併せて読むと,理解の助けになるだろう。そういう読み方をしたら,きっと役に立つ。
 蛇足ながら,「科学が解き明かす究極のフリーキック」も,科学とスポーツの両方に興味をもつ人には面白だろう。岩波の「魔球の科学」とともに,興味のある方はどうぞ。
 Crystal topの背景を変えた。いつものように,Sunrise Yellow さんから借りてきた。
弓張りの月西空にありしときわれもわれもと蟋蟀(こおろぎ)の鳴く
あしひきの山影とおく照らせども萩の葉暗し秋の夕風
  日暮湖影
楊柳長風千里流
蒼江午影雑沙鴎
片舟回棹迎涼月
荷葉暮湖自在浮 
 
2006年9月28日木曜日
 蚊帳のはなし
 昨日カヤツリ草の話しをたが,蚊帳そのものが我々の生活から消えてしまって久しい。なので蚊帳と言ってもわからない人のほうが多いかもしれない。そこで今日は,蚊帳について書く。
 蚊帳とは,寝るとき蚊が襲ってこないようにするために,網戸の網のようなものを部屋の中に吊り下げるものだ。網戸のように堅くはない。柔らかくて,持ち上げるのも楽だ。その分不安定だから4隅を天井に近い柱から吊る。大きなものになるとその間にも吊るところが出ていて6ヶ所を吊るものもあった。
 大抵が麻でできていた。これを布団を敷いてから,蚊が入らないように,布団の上を滑らせるように広げて,上部の隅や間について吊り具を柱や壁にひっかけて吊るのだ。蚊帳の出入りは身体を低くして,できるだけ蚊帳を上げないようにして,素早く行う。これが蚊帳である。当然のことながら,夏に用いる。
 その蚊帳は,網戸と電気蚊取りと,殺虫剤で家屋の中から蚊が追放されたことにより,その役目を終えた。やがて,その言葉も死語になり古語になることであろう。アマゾンの探検記や,近江商人の歴史を読んでいて,蚊帳という言葉と出会い懐かしくなったものだ。そういえば,蛍を取ってきて蚊帳の中で飛ばしたことが一度だけある。 電灯(ひ)を消して蛍放てり蚊帳の中

秋刀魚焼く匂いも同じ夕餉かな
月沈み秋風吹けば雲さみし
夏の日の麦茶飲み飲み膨れし胃秋風吹けばもの満たしたき
夜も更けてポストへ向かう道は人無く秋風の吹く


   城趾
落暉荒涼歳月深
秋煙草木鎖寒林
豪華一夢雄図有
兵気昔人思古今
 
2006年9月29日金曜日
 夜釣り
 夜釣りに一回だけ行ったことがある。小学校の4年か5年の頃である。その頃釣りに夢中になっており,その年の秋,ちょうど今頃の季節ではないかと思う。夕ご飯を食べてからでかけた。よく親が許してくれたものだと思う。いくら友人と二人とはいえ,夜の桟橋へ小学生が行くのだから,今では考えられないことだ。あの頃は,このようなことは多々あったから不思議でも何でもないが。
 桟橋には小さな電灯がついていた。大人が時々持っている頭から照らすライトがあれば便利だと思ったが,そんなものを買う余裕が子供にあるはずがない。風が少しあった。鯵が一尾釣れたところで,針が電線に巻いたし,寒くなったのですぐに帰った。帰って母が焼いてくれて,すぐに食べた。美味であった。
 君子危うきに近寄らず,であるが,田舎の小僧は君子ではない。結構危うきことをしてきた。幸い大事に至らず,今こうして思い出している。 小鯵(こあじ)釣る夜の桟橋秋の風
 
古き友今年限りと訪ねしに子供らのこと話す長月
若者が群れ立つ駅を夜歩きこんなものかとうつろにぞ見る
秋風も虫の音も寂し夜半の月暗き公園来る人もなし
伸びる芽や弁慶草の下は根に
 
   秋湖
月華夜景影玲瓏
爽気天心銀漢通
漁火江風清曠域
水村孤棹處處同
 
2006年9月30日土曜日
 セミ捕り
 小さい頃,子守りの女の子に育てられていた。戦後のことだから中学校を卒業したばかりか,その位であろう。なかなかお茶目な子であったらしく,私の子守りをしながら近所にセミ捕りに行った。
 私の育ったところは,山の麓でやや傾斜地になっており,ちょうど1階の屋根の高さぐらい,一軒ずつ下がっていた。その子は乳母車を置いて,少し離れたのであろう。乳母車は小さな傾斜を動き出した。ひょっとしたら私があばれたのかも知れない。そのまま,屋根の高さほどの崖の下へ真っ逆様である。
 黙っておけばよいのに,その子は正直に事故の顛末を言ったらしい。あるいは,黙っておけないような状況だったのかもしれない。そのことが起こってから,祖母が私を育てることになり,その子は解雇され,別の家へ移ったらしい。祖母は高校生になるまで生きていて,いろいろ叱られたり教えてもらったから,いい祖母だったと思っているが,もう少しその子に面倒を見てもらっていたら,私の人生はもっと楽しいものになっていたに違いない。
 また,セミ捕りだけでなく,蛙捕り,亀捕り,蛇捕り・・・などなどの冒険に誘ってもらえたかもしれない。そういう子に育ててもらいたかったと,セミの鳴き声を聞くと時々思う。そのセミの鳴き声も今年はもう終わった。  セミ捕りや乳母車ごと崖の下
 
メダカ池南天の下の曼珠沙華
気がつけば半月の秋過ぎてゆく
紫の小玉のごとく咲く花の下に遊べる守宮(やもり)の子
秋萩は曼珠沙華とは争わで恥じらいがちに葉の下に咲く
竜胆(りんどう)も紫色の蕾もち今か今かと花咲くを待つ
 
   秋日
碧天雲過一千峰
緑樹清涼百尺松
山寺僧環般若室
猿聲烟外隔林鐘
 

行け行け長月 来い来い神無月