2019年2月10日日曜日

夕凪亭閑話 2006年12月

2006年12月1日金曜日。晴。
 師走になった。日々寒くなる。今年も残るところ一月。あっという間の一年のようでもあるが,今年の前半のものを見ていたら,随分前のことのように思えるから,そういう意味で言えば長いともいえる。
 最近の読書から。西木正明さんの「ガモウ戦記」(オール読物2006.12)は,戦争中軍隊の活躍を取材して紙芝居に仕立て,戦意高揚に勤め,「ガモウ戦記」として著名だった男が,戦後秋田で紙芝居屋をやるという,ユニークな話し。
   偶感
誦読菲才歳月過
光陰一夢去来波
蒼天獨往斜陽冷
多望沈潜今若何
 
2006年12月4日月曜日。晴。
 満月になった。寒い夜だ。やはり12月は秋ではなく,冬なんだと,今更のように思った。
  最近の読書から。諸田玲子さんの「けれん」(オール読物2006.12)は,四世鶴屋南北が「お染久松 色読販(うきなのよみうり)」を書いたときのエピソードで,佳作です。「遊んで暮らす,というのも楽ではない」(p.59)などという,どきっとするような言葉も見える。なお,「お染久松 色読販」は,古いほうの岩波日本古典文学大系54「歌舞伎脚本集下」に入っております。
 昨日,近くの小山に登ると,無人無線基地があった。ひとつはデジタル・ツーカーと書いてあった。もうひとつは,新しいものでエーユーとあった。そこから南を見ると,瀬戸内海が見える。製鉄所の向こうが海だ。島も見える。冬の海が灰色に光っていた。
 海を見ていたら,エーユーのほうの無人無線基地のエアコンが動きだした。一定温度になるように設定されているのだろう。考えてみれば,人間よりいい環境に置かれている。こちらの何百か何千か知らないが声をあちらへ送ったり,あるいはあちらからこちらへ送ったりしているのだから,小生などより,よっぽどよく働いている。これでは四六時中エアコンのある部屋にあっても,文句の言いようがない。 
エアコンがぶーんとうなる無線基地木枯らしの中冬の海見る
さわさわと冬木立鳴る梢から遠い浮き雲流るるを見る
 
 初冬寒月

短日蕭条寒月窺
空庭籬落午陰濃
晩鴉柿影初冬興
落葉枯林百草萎
 
2006年12月5日火曜日。晴。
 寒くなってきました。雪の便りもちらほらと聞かれます。朝も夜も寒くなりました。特に夕方,日没後に急に寒くなるようです。空が晴れているからでしょうか。今夜はその後,雲が出てきて,少し寒さは和らいだようです。
  寒夜
尚友寒窓自浩然
閑庭竹径月光穿
松陰佳客幽人有
耿々夜闌一鏡円
 
2006年12月6日水曜日。晴。
 夕食後,24時間スーパーへ行った。外は寒いし,客はそろそろ減るだろうと思っていたが,逆に増えだしたので,驚いた。電気代がもったいないように思うが,当方も時々利用するから,嘆くこと自体がおかしい。しかし,何か変である。サービスが豊富になって,豊かな暮らしを送っているのだろう。そのことが悪いことではない。こういうことがいつまでも続くのだろうか,と考えたとき,やはり20年か30年のことではないかと,思えてくる。なぜだろうか。自然に反しているから,としか言いようがない。やはり,自然の大きな流れに反する生き方は長くは続かないように思う。
 夜寒
葉尽猿声気不平
白雲枯柳夜寒生
連山露底鳴幽鳥
一路三更残月明
 
2006年12月7日木曜日。雨。
 冬の雨はまことに冷たい。ついつい暖房に頼ってしまう。しかし,こういう行為もまた,地球の寿命を縮めているのではなかろうか。いや,地球の寿命は,環境とは別問題だから,地球の寿命は減らない。人間生存環境の寿命を縮めていると,言えばいいのだろうか。エネルギーを使うことは,何と言ったところで石油をはじめとする化石燃料に頼っているのだから,その資源を減らすことになり,同時に二酸化炭素を排出することになる。やがて,化石燃料に頼らずに,例えば燃料電池とか太陽電池のようなエネルギーが主力になって,石油がなくてもやっていけるかもしれない。一方二酸化炭素については,化学的あるいは物理的に処理して少なくする技術が確立されるかもしれない。・・・・それほど技術革新はおこらないと思うが・・・・。
 最近の読書から。吉村昭「鉄橋」(新潮文庫『星への旅』所収)は,不敗のプロボクサーの屈折した心理と事故死を扱ったものだ。あり得ないことであろう。しかし,あったかも知れない,と思わせるところが小説の力である。吉村さんの,その後日談のような話し(確か,荒れたジムの跡のような)を,どこかで読んだような気もする。
 
  年末
歳月匇忙将暮時
陳編膝下寸心知
夢魂措大相思杳
晩節従容生有涯
 
2006年12月8日金。曇り。
  暮雨
高楼暮雨緑苔侵
一坐閒窓人未眠
卓落幾篇堆浄机
索居誦読夜正深
 
2006年12月9日土曜日。雨。
 冬になって雨がよく降る。今日は夕方まで雨だった。
 萩原朔太郎「猫町 他十七編」(清岡卓行篇・岩波文庫)は,「猫町」等の3つの短編小説に散文詩やエッセーの入った作品集で,詩人の目に映った様々なことが記されている。特に「老年と人生」という随筆は佳品である。
 Sunrise Yellow  さんに背景画を新しく描いて頂きましたので,変更します。
 
 偶感
寒窓小雨葉堆池
只有空庭日暮時
凭几三更冬夜永
辛勤案句独敲詩
 
2006年12月10日日曜日。晴。
 雨も無く穏やかな日曜日であった。休日は,午前,午後,夜と30分ずつ三度散歩したいものだと思っているがなかなかできない。かろうじて本日はできた。
 吉村昭「少女架刑」(新潮文庫『星への旅』所収)は,大学病院で解剖される死体について,死体の立場で,この場合は少女の立場で描いた不思議な小説であった。死体の立場で一人称で書いてあるのだから,どこまで書くかということは,なかなか難しい問題であるが,そこを無理なく書いたところに成功の理由があると思われる。
   静夜
青灯窓外夜方深
寒鳥枯枝斜月臨
尚友展巻猶不倦
乾坤万里夢中尋
 
2006年12月11日月曜日。晴。
 少し気候も緩んで日中は暖かい。少し暖かいと気分が違う。やはり,寒い冬より暖かい冬のほうがよい。月日は,どんどんと過ぎていき,早12月も三分の一が終わってしまったではないか。歳月人を待たず,とはよく言ったものだ。こちらが,気分次第で,早く走ったり,ゆっくりと歩いたりしているうちに,季節は否応なく移ろう。
 吉村昭さんの「透明標本」(新潮文庫『星への旅』所収) は,「少女架刑」と対を為す作品で,大学病院で死体から人骨の骨格標本を作っている男の哀感を,リアルに追求した作品で,不思議な趣を湛えた珍しい作品であった。
 
 夜読
紅残古樹夜窓虚
擁几潜心独巻舒
星彩陵々灯下坐
草堂幸有一床書
 
2006年12月12日火曜日。雨後晴。
 吉村昭さんの「石の微笑」(新潮文庫『星への旅』所収)は,不気味で怖い小説である。主人公の北岡英一は,大学で,幼なじみの曽根久寿夫と出会う。曽根とは,夏の朝,蜻蛉とりに行く途中で,女の縊死体をじっと眺めていたという記憶や,曽根の父親が女中と無理心中したということを覚えている。結局,曽根は家が没落して,小学校を卒業すると同時に転居し,以来音信不通だったという間柄である。その曽根のアルバイトを手伝う。その仕事というのは佐渡へ,無縁仏の石仏を盗みに行くというものだ。そこで,曽根が無理心中をして,相手だけが死んだという過去があることを,北岡は知る。
 北岡家には,不妊症故に離縁されて戻っている姉が一緒に生活している。佐渡から帰って,曽根は北岡の家の一室を間借りする。そこへ,前にいた下宿屋の娘が,曽根と心中するために押し掛ける。幸い,追いかけてきた母親によって救われる。母は言う。「こんな男の所にいるもんじゃない。こいつは死神なんだ」。
 今度は,その「死神」に北岡の姉が魅入られてしまう。とはいえ,その原因は,不妊症のことを曽根に語った北岡が作ったといえる。その道具が,佐渡から盗んできた水子供養の石の地蔵であるところが,何とも気持ちが悪い。
 そしてある日の早朝,北岡の姉が旅に出る。同じ日,曽根も出発したような気配がある。作者は結論は書かない。ここまで読んできた読者には,姉だけが死ぬことになると予想できる。しかし,二人とも死ぬのかもしれないし,あるいは北岡の取り越し苦労だったのかのも知れない,という余韻を残して作品は終わる。
 自殺は伝染病で流行すると言われるが,その前に,自殺というのは,感応するものなのだろうか。ちょうど強い磁場に,まわりの金属が引き寄せられるように。曽根という男はまぎれもなく強い磁場だった。そして周囲の孤独な魂をどんどんと引き込んでしまう。
 太宰とも,三浦哲郎さんのとも違う。まして三島流の死の讃歌もない。まことに希有な「死神」小説である。
 
2006年12月13日水曜日。雨。
 夕食後,近くのショッピングセンターへ行った。百均で30穴のリングファイルを買ってきた。こんなのが百円でいいのだろうか,と思ってしまう。作る方も売るほうも双方ともに利益があがっているから,成り立っているのであろうが,やや疑問に思う。物を作るということの価値が低くならないだろうか,という危惧である。
 確かに,消費者としては,いい物が安く手に入ることはありがたい。これほど,いいことはない。しかし,このような社会がいつまでも続くとは思われない。製造物にそれだけの価値があるということは,その労働にもそれだけの価値があるということである。そういうことが軽視される社会は早晩,沈滞疲弊していくであろう。
 さて,吉村昭さんの「星への旅」(新潮文庫『星への旅』所収)は,いわゆる自殺クラブを描いたものである。すなわち,自殺するために一緒になり,計画を立て,一緒に自殺する若者を描いたものである。昭和41年の作品だが,最近もよく報道される事例だから,極めて現代的で,社会的な小説である。そういう意味では。「石の微笑」が特異な人物の造形であったのに対して,こちらは現代の社会の病理と心理を見事に描き出していえる。そして,どちらにも共通するのは,孤独な魂どおしの感応である。
 
2006年12月14日木曜日。曇り後雨。
 平成18年の播州赤穂の義士祭の日で,休みだったら・・・,もう少し近ければ・・・,などど呑気なことを考えている暮れである。さて,今年は「日本沈没」のリメーク版が出た年で,その映画の評判はその後,寡聞にして知らないが,その言葉が,日本の衰退を象徴していると,以前に書いたことがあるが,私の周辺でも,明らかに日本沈没の兆しは現れている。こうして来し方をふり返って見れば,昭和の御代が,とくに戦後,昭和40年前後からの発展が,奇跡にも近い驚異的なものであったと,もう少し時間が経てば,人々は過去の栄光を振り返ることであろう。
 吉村昭さんの短編集『星への旅』(新潮文庫)の最後は,「白い道」という戦争末期の空襲時代の,死と隣り合わせの状況の一挿話である。そこでも,死は日常的であったが,それ故かどうかはわからぬが,人間個人の持っている本来のいいところも悪いところも露出されてしまうことがままあったという話しである。
 冬の雨しとしと降りて道行けば路地裏寂し道は光りて
 
2006年12月15日金曜日。晴。
 今月も折り返し点に至った。今年もあと半年ばかり。別に時間の経つのが速いと嘆く気持ちは,最近はあまりない。一日の時間はみんな平等で,私は私の時間を精一杯生きているし,そして何より何をしていてもそれぞれの行為に意味を見いだし得るからである。よく世間には本業と雑用などということを言う人がいるが,私には雑用というものはない。・・・・それぞれの行為,それぞれの時間に意味がある。だから,一年があっという間に終わったからといって嘆くこともない。それはそれでいいのだ。そして,どうせいつかは,死ぬ。人はみんな,いつかは死ぬ。いつ死ぬかは,残念ながら本人にもわからない。だから,生きている時間に喜びを見いだし,精一杯生きればそれでよいのだ。
 吉村昭さんの『星への旅』を書架に戻したら,隣に講談社文庫の『メロンと鳩』という短編集があったので,これを読むことにした。おもしろくなければ途中で止めるつもりであることは,他の本の場合と同じである。
 最初の短編「メロンと鳩」は,死刑囚と篤志面接委員との話である。「かれの妻は,むろんかれが委員の仕事をすることに反対だった。」とか「かれは,辞任を決意した。自由に生活を楽しみ死の恐怖にさらされることのない自分が,富夫のような立場の人間に接することは矛盾しているし,食物をあたえ,鳩をもっていってやったりした行為も,偽善にすぎぬと思った。」という主人公の当の行為に対する内省も忘れずに記されている。その上で,主人公の篤志面接委員としての真摯なボランティア活動がストイックに描かれる。そこに私は,知りもしない社会の一面を見,国家のシステムの末端をしることができる。
 
2006年12月16日土曜日。晴。夜小雨。
 朝,少し歩く。海の見える無線基地局のところまで行く。靄がかかっている。少し左に目をやると,神島(こうのしま・笠岡市)が見え,その手前が笠岡湾の干拓である。
 吉村昭さんの「鳳仙花」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,死刑囚と拘置所内の句会についての話しである。それに後半は,死刑執行後の遺体をめぐる話しである。健康体の遺体であるから,「遺体は,医局員の手で解体,分類され,得難い新鮮標本として丁重に保存される。そうした事情から,医学機関では執行者の遺体の入手を強く願い,拘置所では順を定めて渡している。」(p.40)
 本人の意志でで医学機関に寄贈されるように書類が整えられ,医大か遺体収容の車が受け取りにきているのに,遺族が遺骨をもって帰ることを申し出る。当然,こちらが優先される。・・このようなことが書かれた短編小説である。
 
2006年12月18日月曜日。晴。
 昨夜、Windows XPにOSを変えた。一部のドライブが消えたので、設定をはじめからし直さなければならなくなった。FTPもこれからである。
  やっとFTPも設定できた。メールはまだである。
 吉村昭さんの「苺」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は、受刑者の小説やエッセーについての話である。法務省の機関誌に受刑者の書いた小説を選ぶように依頼された小説家とおぼしき人物が,拘置所に案内され篤志面接委員とか句会が行われているようなことを知ったということと,作品を読み,未知の世界に感動し,作品を選んだ経緯とその後日談が主題である。
 主人公は選を依頼した人物に「余計なことだとは思ったが,作者たちは出所と同時にこのようなものは書けぬようになるだろうと言った。作者たちの描いている世界はかれらの日常であり,それを淡々とした筆致でつづったことが作品に生彩をあたえている。それは秀れた詩や作品を書いた子供が,生育すれば再び読む者の心を動かすものが書けぬ事情に似ている。」(p.59)と語る。しかし、「苺」の作者と主人公が会ったところから、話は変わってくる。
 「苺」というのは,主人公が選んだ受刑者の小説である。作者の体験だと思っていたわけだが,後に,フィクションであると知る。
 
2006年12月19日火曜日。晴。
 パソコンの設定にかなり時間をとられおりますが,ほぼ旧に復したようです。ハードのほうは,理由があって開いたままで,落ち着きません。でも,とにかく動いていますし,この夕凪亭閑話も,以前のように書けるようになりました。
 吉村昭さんの「春の島」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,自殺で有名な観光地(東尋坊のような感じです)の近くでのお話です。自殺しそうな男を救いたいがどうするか,ということで,子供が声をかけることになった。その自殺しそうな男は犬を連れている。子供が役目を負って犬をみせてもらうと,犬が好きならあげようということになって,子供が犬をもらって帰ります。ということは・・・。そういうお話です。
 
2006年12月20日水曜日。晴。
 今日もよいお天気でした。師走というわけではありませんが,今日も忙しく東奔西走で飛び回っておりました。年賀状が気になりますねえ。(一応開き直っていますが)。ところで,風物詩のように書店や文房具店やホームセンターを我が物顔で占領していたプリントごっこを見かけなくなりましたね。年賀状にはまだ少しありますが。プリントごっこは買ったことはありませんが,近くで見ていて,操作は簡単で,高度な技術がちりばめられているのに,感心したことがあります。
 プリントごっこには二つの技術が流れ込んでいました。ひとつは,言うまでもなく謄写版です。そしてもうひとつは,これはあまり多くの人には知られていないと思いますが,OHPの光学焼き付けです。トラペンと呼んでおりましたが。OHPは,パワーポイントに代わり,まもなく死語となるでしょうが,謄写版技術は,形を変えて現在も健在です。そして,その現代版謄写版すなわち輪転機にも,光学的焼き付けが生きておりますから,これらの発展について,少しばかり記してみたいと思います。(本日はここまで)
 吉村昭さんの「毬藻」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,やはり,死体について書かれたものです。岬に囲まれた小さな漁村での話です。「戦争が終って間もなくのことらしく,村の沖で一隻のフネが潜水艦の雷撃を受けて沈没した。」(p.111)。そのときの遺体が上がったのだ。沈没したした船は魚のアパートになり,よい漁場になっている。そして,釣り客にも好評で,釣り船を出せば,よい現金収入になった。しかし,その沈没船のことは秘密にしている,というのが,この話の中心。秘密のことゆえに,村人と遺体との関係がなみなみならぬものであるということがわかるであろう。それが主題である。
 
2006年12月21日木曜日。曇り。
 今日は一日中曇っていて聊か寒い日だったが,その分夜になっても放射冷却が起こらず,比較的穏やかな夜となった。
 さて本日は謄写版のことについて書こう。小学校の3年生の頃だと思うが,職員室の一隅に印刷コーナーがあって謄写版があった。薄い羅紗のような,今で言えば網戸の網の目の細かい糸の細いものを想像すればいいだろうが,そういうものが板枠に張り付けてあり,その下にパラフィン紙に鉄筆で書かれた原紙なるものを置く。これは上からローラーをかければピタリとくっついた。後は,西洋紙とか藁半紙とか呼ばれていた紙を下に置いて,その羅紗のような小さな網の上から,インクをつけたローラーを,回転させならが押していけば,鉄筆で掘られた穴からインクが通過して紙に写るというわけだ。一枚ごとに枠板を上げ,印刷された紙をめくっていくという大変な作業であった。だから,この謄写版の時代はあまり印刷物は多くない。
 その後,これが手回しに発展する。格段の進歩で,同時に印刷物が増加する。やはり,最も恩恵を受けたのは,学校ではなかろうか。しかし,この段階では,まだ原紙に鑢の上で鉄筆で書くという作業は同じである。ただ,輪転機に原紙をひっかけるのに,一端に,タックがついた。そこには何個か小さな穴があって,これが輪転機に合うようになっていた。
 その次に,ボールペン原紙なるものが出現する。これは鉄筆でパラフィン紙に書く必要がないから,やはり大革新である。しかし,見た目の美しさから鉄筆-パラフィン原紙も同時に使われる。
 次のステップは,手回しが電動に変わるのだ。いや,電動になる前かもしれないが,もうひとつ大きな革命が起こる。印刷物や手書きのものと同じものを原紙に焼き付ける機械なるものが出現した。これによって鉄筆もボールペン原紙も必要がなくなった。黒いボールペンや黒インキで書いたものや,印刷物を切って組み合わせたものを原稿として,それを光学的になぞり,その通りのものを輪転機にかける原紙に焼き付けるという,大変便利な機械だ。ただし,焼き付けるときに10分くらいかかっただろうか。それに焼き付け用針が摩耗すると,それ以降が真っ黒になったりしたものだ。それはともあれ,ここまでくると印刷物が簡単に作れるというわけである。(本日は,ここまで)
 吉村昭さんの短編集「メロンと鳩」(講談社文庫)の,「凧」からは,死との関わりがやや角度を変えてでてくる。血管障害から煙草をやめた後何をしようかと考え,凧揚げをしようとするのだが,うまくいかないという話である。凧揚げがうまくいかないというのではなく,趣味としてうまく合わないという話である。趣味というものは,努力してしないといけないものだろうか,とふと疑問に思う。することがなければぼーっとして海でも空でも眺めておけばいいではないか,というのが小生の感想。海は,見える場所が限定されるが,空や雲ならばどこでも見ることができる。
 
2006年12月22日金曜日。晴。
 謄写版~輪転機への発展を書いていく上で,どうしてもここで寄り道をしてOHPについて触れなければならない。OHPオーバーヘッドプロジェクターというのは今でも一般的になり,そしてやがて忘れられていく言葉であろうが,明るい部屋で文字や絵をスクリーンに投影できる,便利な機械であった。スライドが真っ暗な中で見るものであったのにこれは最大の長所で,瞬く間に,学校や学会講演,会議などで普及した。操作が簡単であったことも大きな長所であった。
 このOHPをはじめて見たのは,大学で理科教育法の講義を受けたときであるから,普通の講義室にはまだ置かれていなかった。その時見たのは,四角な台の上にサランラップのような透明なシートを巻物から伸ばして置き,下から光が上に向かって上がり,それが台から60センチくらい上で,ほぼ直角に曲げられ,レンズを通してスクリーンへ投影されていた。部屋の明かりをやや暗くするだけで,よく見えた。その透明シートには,前もって油性ペンで文字等が書かれており,さらにその場で追加して書くこともできた。余談ながら,その講義で,ベーコンのイドラ説を学んだのである。というよりも,はじめて聞いたのである。ひょっとしたら,高校の倫理の資料集あたりに載っていたのかも知れないが・・・。
 次にOHPを見た時には,ロール状に巻かれたシートではなく,四角なシートになっていた。偏光シートやカラーシートなども発売されどんどん進化していった。そして挙げ句は,コピー機に入るシートが出た。当然その次はパソコンのプリンターでの印字が可能なシートも出た。このようにパソコンとの併用で隆盛を極めたOHPも,皮肉なことにパワーポイントに押されて衰退していくことになったのは,現在進行形の極く最後のあたりの状況である。やがてOHPは利用されなくなり,装置も博物館以外では見られなくなるでありましょう。
 さて,コピー機での使用可能なシートが出る前のことだが,黒く印刷された原画にシートを乗せ,その上から強い光を当てて,直接シートに焼き付ける装置があった。トラペンと呼んでいた。電源を入れると,カメラのストロボのように充電がされスイッチとともに高電圧でキセノンランプが一瞬強く光り,黒い部分が強く光を吸収して,そこに接しているシートが焼かれるという,便利なものだった。しかし,これもコピー機使用可能なシートの出現で,あっという間に使用されなくなったので,このような装置を知っている人のほうが少ないのではなかろうか。
 さて,このピカッと光ってシートを焼く技術が,謄写版の原紙を焼き付けるのに応用されたのだから,これを革命と呼ばずして何を革命と呼ぶか,ということになる。そして聡明な読者の方は,同じ原理がプリントごっこにも使用されていたということをお気づきであろう。そしてそれこそがプリントごっこのプリントごっこたるゆえんであったのでございます。
 吉村昭さんの「高架線」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,かつて住んでいたところを懐かしく眺めていると,あちらでもこちらでも葬式が行われているという話である。しかし,話は推理小説のようには展開しない。昔,よく訪ねた家まで行って,同じ人がまだいるのだろうか,と思う。確認する前に小説は終わる。同じ人がいるかも知れないし,いないかも知れない。
 
2006年12月23日土曜日。晴。
 プリントごっこと輪転機の話も本日が最終回である。OHPシートを作るトラペンと呼ばれていた強力な光で,シートの下に置いた黒の印刷物の跡をつける方法が,コピー可能なOHPシートの出現によって急速に忘れられていたと思ったら,その原理が謄写版の原紙作りに応用されているのを見て,驚いたのは,今から20年ほど前のことである。ちょうどボールペン原紙のように輪転機にかける部分と台紙の部分があり,その間に印刷原稿を挟むのである。原紙のほうに向けて。そして,これを機械の中に通すと,通過しながら何回かに分かれてピカッ,ピカッと高電圧の放電とともに強烈な光が当てられるのである。そして出てきたときには,原紙に原稿の形がちょうどOHPシートができあがったときのように焼き付けられているのである。これを台紙から剥がして輪転機にかける。もちろん電動の輪転機でカウンター付きである。
 ここまで書けば,これがプリントごっこと同じことであるということは理解していただけると思う。そして当たり前の話だが,理想科学という同じ会社の製品であったということは言うまでもない。あれから20年。その間に,どんどんと進化し,現在では焼き付ける機械と輪転機が合体して前の人が使った原紙も自動排紙されるし,新しい原紙も自動で装着される。コピー機に原稿を載せるように,原稿を裏返してガラス板に載せ,カバーをして,製版のボタンを押せば,原紙に焼きつけられる。後は,枚数を指定して印刷するだけだ。手が汚れることはないし,インクの濃淡に悩まされることもない。さらに拡大縮小,二面連写,写真原稿などの多様な機能も盛り込まれている。使用したことはないが,カラーの輪転機もあるらしい。印字品質も極めて高く,コピー原稿と比べてもほとんど区別がつかない。かくして,大量の印刷物があっという間に作られる。小学生中学生,高校生の子供がいる家庭では,子供が一週間に受け取る印刷物(子供はプリントと言っている)の枚数を調べてみるのも一考であろう。子供の学習形態の変貌については,ここでは触れない。以上で,この項を終わりにしたい。
 吉村昭さんの「少年の夏」(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,錦鯉を飼育している池に隣家の子供が落ちて死ぬという話である。そのことがあって父は池を潰す。父の悲しみが,公園の池に錦鯉を捨てるときのぞんざいな扱いに,見事に表現されている。
 最近の読書から。江藤淳「漱石とその時代第四部」(新潮選書)を終わった。450ページの大著だから,少し時間がかかったが,とにかく終わった。こういう長いものを曲がりなりにも読み終えることができたのは,作者が執筆中健康であったのと同じように,読者である当方も何とか健康であったのと,世の中が平和であったからである。
 この巻は朝日新聞に小説記者として入社した漱石の活躍が明治の時代とともに描かれる。「虞美人草」の不評,「三四郎」の成功。「それから」「門」のモデルとなった出来事の背景。修善寺の大患。漱石を朝日新聞に誘った池辺三山の死と明治の終焉。作品では「彼岸過迄」までである。
 第五巻は一度読んでいるので,やっとこの長編評伝を終わったことになる。前にも書いたことだが,高校時代に,第一部がまだ出版されていないときに江藤淳さんの講演を聴く機会があった。そのときの演題が「漱石とその時代」だった。その後,同じタイトルのライフワークとも言うべき作品が書かれるごとに,皆読まなければという思いがずっとあった。今,全巻を読み終えた。長年の宿題を果たしたような気持ちだ。とは言え,第五部はもう一度読むつもりで,すでに求めるている。
 
2006年12月24日日曜日。晴。
 昨日,本日と瀬戸内の小島の故郷で過ごしたが,大変暖かい穏やかな日であった。おまけに夜は,人通りは絶え,静かな南の空には星が大きく瞬いていた。  大潮の冬陽を浴びて川上る  オリオンのふるさとの空のぼりけり
 吉村昭さんの「赤い月(講談社文庫『メロンと鳩』所収)は,人生の節目について書かれたものである。娘の成長と知人の通夜。成長するものもあれば死んで行く者もある。長兄の還暦の祝事。節目節目のしきたりへの違和感。日々の日常である。
 中山可穂という人の「フーガと神秘」(野生時代2006.11)を読んだ。アルゼンチンでタンゴの修行をする娘の結婚式に参加するためにブエノスアイレスへ来た母親。母と娘の葛藤。父と娘。母とその父。「笑いながら母子二代にわたってフーガのように繰り返されるこの残酷な因縁を呪わずにいられなかった。そして耐え難い記憶に無意識のうちにふたをしてでも生きようとする人間の生命力の神秘を思い,笑いながら泣けてきた」(p.93)。これが主題であるに違いない。
 
2006年12月25日月曜日。晴。
 いよいよ今年も残り一週間になった。それにしても暖かい冬である。天気予報通り午後から天気は下り坂になったが,気持ちのよい一日であった。
 吉村昭さんの短編集『メロンと鳩』(講談社文庫)の最後は「破魔矢」という小説である。庭に出るネズミを発見してから捕らえ,殺して埋めるまでの話である。その間に,男女間の問題を抱えた遠縁の娘を預かるというエピソードが入る。そしてその娘を預かることに不快な思いを抱いていた作者がネズミを埋める娘の様子を見て頼もしさを感じるところで終わる。すなわち,破魔矢の御利益があって,娘が立ち直ったと感じる訳である。
 
  2006年12月26日火曜日。雨。 
 朝起きたときは,あだ降っていなかったのに,降り出すと一日中降っていました。冬の雨は冷たいですね。
 朱川湊人さんの「ディオラマ・ビルダー」(野生時代2006.12)は妻と娘を火災で失った男が,その日から時間を止めて生活しているという話である。その方法は・・・というと,タイトルが表しているように,ディオラマとして,である。見事な短編ホラーですね。
 坂東真砂子さんの「剪定」(野生時代2006.12)も,ある意味ではホラーに属するものだ。後半,庭の山茶花を切ったのが自分だということが読者にもわかるのだが,もう少し書き方に工夫があってもよかったのではないでしょうか。
 
2006年12月27日水曜日。晴。
 雨は昨日でやみ,また暖冬が戻ってきた。
 三好徹「聖少女」(文春文庫『聖少女』所収)は,カミュの「異邦人」を連想させるような未青年の理由無き殺人を描いたものだが,その眼目はその少年の傍にいた不良少女が,実は外面は不良少女でも,心根はいたって真面目で純粋なものであったということが明らかにされる。という主題はともあれ,若者が生き生きと描かれ,殺人の動機など本当はあってないようなものだということがよくわかる。
 
2006年12月28日木曜日。雨のち曇り。一時雪。
 7時過ぎに明るくなるはずが逆に黒い雲がでてきてかえって暗くなった。風が庭の木々を揺すっている。台風のときのように激しき揺れる。すると雨が降り出した。
 午後になって雨もやんで日が照っていたが,気温は下がり,少しだけだが小雪が舞った。今年最初の雪であった。夜になると気温は急激に下がり,明日は零度くらいになるらしい。
 三好徹「背後の影」(文春文庫『聖少女』所収)は,新聞記者が行方不明になった女を追うという話である。トリックもあり,謎解きに興味を惹かれる探偵小説風の作品で,話がすすむほどおもしろくなってゆくというよくできた作品であるが,その事件の背後は豊かには描かれない。あくまでも影なのである。
2006年12月29日金曜日。晴時々雪。
 朝から小雪が舞っております。寒い年末です。
 三好徹「汚れた天使」(文春文庫『聖少女』所収)。横須賀のアメリカ兵相手の娼婦に惚れている後輩を説得した横浜支店の記者は,その娼婦の臨終に際して,思いもしなかった世界に遭遇する。「世の中の残酷な仕組みとか人間の哀しみとかについて,私は少しは識っているつもりだった。が,私はごく僅かしか識らなかったのだ。」と主人公は思う。
 
2006年12月30日土曜日。晴。
 また,暖かい冬に戻った。いよいよ今年もあと1日のみとなった。今年は,ペーパーレスを心がけ,それはかなり実行できたと思っている。必要なものはパソコンの中という発想である。勿論,必要なものはバックアップをとってある。そして,だいたいどこでも,パソコンが利用可能なようになっている。しかし,もともと紙媒体であるもの,たとえば新聞のスクラップなどをわざわざ電子化することはしない。また,必要なものはダウンロードして印刷したものもかなりある。さて,来年の目標は,身近整理である。何年の前から使っていないものがかなりある。これらを捨てていきたい。今日はこれを捨てた,あれを捨てた,と夕凪亭閑話で報告すれば,きっと捗ることと予想されるが,反面,もったいないとか,いろいろと異論が出ると面倒なので,それはやめておきたいが,時々は話題に乗せて,忘れないようにしたいものだ。
 三好徹さんの短編集「聖少女」(文春文庫)の掉尾は,「鋳匠」という梵鐘や鐘を作る仕事を描いた異色作である。たいていの鐘の高さは黄鐘調(おうしきぢょう)で雅楽の音階の律旋の一つだそうである。徒然草にも「およそ鐘の声は黄鐘調なるべし」とあるそうである。そして「日本の名だたる仏寺の鐘は,ほとんどすべてこの黄鐘調の梵鐘であった。」(p.238)ということである。
 物語の焦点は丹海という鋳匠には泰海という優秀な弟子と,正一という出来のよくない息子がいて,新鐘の鋳造を競うところにある。そして丹海が感動するような鐘は正一が作ったものとなる。と同時に泰海は行方不明となる・・・・。という話である。だが,正一が作ったものが傑作になるというのは設定として難しいのではないかと思うが・・・。
 
2006年12月31日日曜日。晴。
 大晦日になった。年賀状は,書いてないが,その他は,ほぼ心残り無く,年を越せそうである。勿論,相応の宿題がないわけではないが・・・。
 6月の終わり頃,カウンターをつけた。思っていた以上に訪問者がおられることがわかった。どこのどなかたは,存じ上げぬが,カウンターを増やしていただくという行為に,大いに励まされたものである。ここで,改めて(はじめて),お礼申し上げる。
 何しろ,気まぐれである。マイブームが何になるかはわからないし,いつまで続くかもわからない。最近は,どういうきっかけかは,詳しくはわからないが,短編小説を読むということになっている。安易ではあるが,負担にならないので,しばらく続いた。これから先は,わからない。
 夕凪亭に電気炬燵を置いた。故・江藤淳さんのように,書斎は和室でなければいけない,というようなこだわりはない。一応洋室である。夏の間には狭い隙間に茣蓙を敷いて寝ころんで本を読みながら,しばしば昼寝をしたものであるが,寒くなってもその習慣は続いており,やはり炬燵が欲しくなった。大型電気店へ行ったが,小型の電気炬燵が見あたらなかったので諦めた。その後,ホームセンターに45センチ角のカジュアル炬燵というのがあるのを見つけた。ほぼ時を同じくして,古里の実家に昔使っていた同じ大きさのがあったので,もってきた。
 炬燵板は,現在はほとんど見なくなったが,かつては表はメラミン製で裏は緑のフェルト仕上げで麻雀台を兼ねていた。多少緑色の褪せた布地は冷たくなくていいので,こちらを出しておくことにした。学生時代の下宿生活の趣でまことによろしい。
 旺文社文庫で国木田独歩の「武蔵野」やいくつかの短編を読んだのは,高校に入って間もなくの頃だと思うが,今度は角川文庫で読むことにした。「武蔵野」は楢の落葉樹林の四季折々の美しさを述べたもので,あらためてこの作品が傑作の名にあたいすることを知った。楢や樫は,秋になると黄葉する。しかし,赤くならずに茶色の地味な色になる。殺伐とした感じだ。その林が四季を通して見ると,変化の妙があるというのだ。確かに,秋風が吹き渡ると,さわさわと茶色に変色した枯れ葉が鳴る。落葉するときも,葉が木に当たる音や地面に落ちている葉の上に落ちた時の音がする。そういうことを思い出しながら,読むと,独歩の観察の素晴らしさがよくわかる。
 では,本年はこれにて,終了。