2019年11月22日金曜日

ふるさとの史跡をたずねて(156) 金神社(因島重井町八幡神社)

 金神社については前から知っていた。多くの解説書が難しい神でおろそかにすると祟りがあると書いていたので、高知県の犬神信仰のようなものだと思っていた。
 白滝山と柏原伝六について考える上で、ほぼ同じ時期で地域的にも近い岡山県の黒住教と金光教の成立は無視できない。黒住教を始めた黒住宗忠は、伝六と年齢的に近いが神官の家に生まれ武士階級であったから条件が異なる。一方、金光教は伝六より少し後になるが農村で発生しているところは、条件的には似ている。
 その金光教が金神(こんじん)信仰が元になっていることは、驚きだった。金神社は土生町や中庄町にあったが、重井町の八幡神社の境内にもあったのを知った時は更に驚いた。

 金神は方位神で、干支によって決まる避けるべき方位を守らなければ、この神の激怒に触れ一家7人が殺され、不足の時は近隣に及ぶというものであった。だから、金神社はその神の怒りを鎮めるために祀ったものであろうか。
 方位に関する迷信と呼ばれるようなものであるが、今でも家を建てる時など、色々方位のことを言う人がいる。金神信仰の名残であろう。だから平安時代の「方違え」だけでなく、生活の多くに方位信仰は広く知られて、一部は堅く守られていたのではなかろうか。現に金光教が誕生したとき、そのような旧来の考えを除き、欲心を去って家業に励み、神に信心すれば神も味方すると説いた時、山伏などから抵抗されたという。このように、金光教は合理的な宗教で政治とも一線を引いていたが、周知のように信教の自由が保障されるのは戦後の日本国憲法以降のことであるから、それまでに数々の変容があったに違いない。

 そう考えると伝六の説いたことが宗教として継続されていたとしても、そのままでは存続できたとは思われない。 (写真・文 柏原林造)