2021年11月20日土曜日

フラム移住地とは

- 沼隈町パラグアイ移住史研究(6) -

 

1.はじめに 

沼隈町移住団が入植したフラム移住地について述べる。ただ、名称の変更が何度か行われており、はなはだ紛らわしいので注意が必要である。

まず、現在の名称等をパラグアイ日本人会連合会のホームページ1)から把握する。この中の「日系社会」-「各地の日系社会」の項では、ラ・コルメナ移住地、アマンバイ移住地、エステの日系社会、イグアス移住地、ラ・パス移住地、ピラポ移住地、チャベス移住地、エンカルナシオンの日系社会、アスシオン日本人会の9項目に分けて紹介されている。この中のラ・パス移住地のことである。

 

さて、そのラ・パス移住地の項、すなわち 「日系社会」-「各地の日系社会」- 「ラ・パス移住地」2)には、次のように記されている。

 

「現在のラ・パス移住地は、移住開始当初はフラム移住地と呼ばれ、戦後のパラグアイの移住地としては日パ混合の国際移住地であるチャべス移住地に続いて2番目、戦前のラ・コルメナ移住地から数えると3番目の移住地として、パラグアイ初の日本海外移住振興株式会社の直轄移住地として設立されました。」2)(「ラ・パス移住地の歴史」)

 

そして、この「ラ・パス移住地」の中には、富士地区、ラ・パス地区、サンタロータ地区がある。

 

その、ラパス地区には次のような説明がある。「ラ・バス移住地」- 「ラ・パス地区」

「1967年12月にラ・パス町が発足しましたが、その後1971年にフラム自治体が発足したあとは発展的解消しています。」2) (「ラ・パス地区」) 

ということで、はなはだ複雑であるが、沼隈移住団が入植した当時の呼び名では、フラム移住地に富士地区、ラ・パス地区、サンタローサ地区があり、そのラ・パス地区に沼隈移住団は入植した。

沼隈移住団が入植したフラム移住地は,既に見たようにパラグアイではラ・コルメナ移住地,チャペス移住地についで古い三番目の日本人入植地である。本稿では,フラム移住地について,沼隈町移住団を中心に,他地区との関係を述べる。

 

 

2.パラグアイの日本人移住地   

パラグアイに日本人が集団で入植したのは,ラ・コルメナ移住地である。戦前昭和11年からで,昭和16年9月までに123家族790名とパラグアイ拓殖組合事務所要員15家族54名が入植した3)

ラ・コルメナ移住地は,パラグアイ国首都アスシオン市から東南方向に120キロメートルの方向にあり,他の移住地に比べ,極めて首都に近い移住地ということになる。また,中央鉄道イミビチ駅の南方約20キロメートルというところであり,パラグアイの日本人移住地の中では恵まれた位置にある移住地といえる4)

ラ・コルメナ移住地の成立については『ラ・コルメナ二十周年史』5)に詳しい。

ラ・コルメナ移住地からの転住者の一部がパラグアイ第二の都市エンカルナシオン市周辺にも住んで野菜栽培をおこなっていた6)。しかし,この地が集団移住地として認可されたのは戦後のことである。これがチャベス移住地である7)

 

 

 

3.フラム移住地の歴史

チャベス移住地が1955年に満植となり、後続の人たちが入植したのが後にフジ地区と呼ばれた地区の一部であった。1955年6月24日に12家族が入植した。これがフラム移住地の始まりとなる8)

日本海外移住振興会社とフラム土地会社との間で土地買収の契約がが1956年12月15日に正式に調印された9)。 

したがって、この日をフラム移住地の発足としてもよいが、実質は上記の通りである。

1956年12月28日沼隈町移住団5家族30名と佐賀県の4家族26名がエンカルナシオンに到着。翌1957年1月25日にラ・パス地区に入植を開始した10

なお、サンタローサ地区は1957年6月高知県大正町と福岡県の25家族が入植した11)

 

4.まとめ

パラグアイ移住団が入植したフラム移住地(現在はラ・パス移住地)はパラグアイ第二の都市エンカルナシオンの近くにある移住地で、ラ・コルメナ移住地、チャベス移住地に続く第3の日本人移住地であり、富士地区、ラ・パス地区、サンタローサ地区から成る。そのラ・パス地区に沼隈移住団は1957年1月25日に入植した。

その後のフラム移住地の発展・変遷については稿を改めたい。

 

 

 

参考文献

1) http://rengoukai.org.py/

2) http://rengoukai.org.py/ja/la-sociedad-nikkei/idonde-estamos/colonia-la-paz

3) パラグアイ日本人移住五十周年記念祭典委員会記念誌編集委員会、『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』、パラグアイ日本人移住五十周年記念記念誌行委員会、1987年(以下『栄光への礎』と略記)、p.209

4)前掲書3)、『栄光への礎』、p.208

5)二十周年史刊行会、『ラ・コルメナ二十周年史』、ラ・コルメナ二十周年史刊行会、1958年

6)前掲書3)、『栄光への礎』、p.224

7)前掲書3)、『栄光への礎』、p.225

8)前掲書3)、『栄光への礎』、p.248

9)前掲書3)、『栄光への礎』、p.248

10)前掲書3)、『栄光への礎』、p.249

11)前掲書3)、『栄光への礎』、p.256、p.297