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1 般若心経
『般若心経・金剛般若経』、岩波文庫
短いながらも究極の本である。
朝夕とにかく眺めることである。
暗記していたので見ずに唱えていたが、やはり、漢字そのものを目で追うことによって、その意味を目で追い、考えながら唱えるのが良い。
色即是空 空即是色 をどう解釈するかということだ。
これは釈迦の言葉ではなく観音菩薩の言葉ということになっているが、これこそ釈迦の達した境地、すなわち「悟り」ではないかと私は思う。
テキストはいくらでもあるのであろうが、まず岩波文庫。新しく求める方はワイド版が良いだろう。
考えてみれば、これほどわかりやすく、これほどわかりにくいこともなかろう。おそらく理解できてもすぐに去っていくのではなかろうか。
ということで多くの方の考えを聞いてみるのも悪くはない。
『「般若心経」を読む』(講談社現代新書)の著者・紀野一義さんのは上記岩波文庫の著者である。しかし、これも、やはり肝心なところはうなぎのように、わかったつもりでもスルリと逃げてしまう。でも、それでいいのだ。この本も繰り返して読もう。
2 論語
名著である。古典である。人類の遺産である。・・・ それでは何の本なのか。哲学? 歴史? 道徳? 倫理? 文学? ・・・どれも遠いところでは、そうに違いない。でもそれだけではないような。
こちらが歳を重ねると、それなりに新しい発見があるのも、古典の古典たる所以だろう。テキストによっては少しずつ読みに違いがある。これはこれで楽しいので、手にした本の読みに従って声を出すのも良いのではなかろうか。師のたまわくと読んでいる本は少なくなったようであるが、岩波文庫が「のたまわく」である。かつての寺子屋や藩校などの心と細い糸で繋がっているように感じられる。
岩波文庫はワイド版があるが、まだ持っていないので機会があればワイド版も買って見たい。
世界の名著、並びに中公文庫は貝塚茂樹氏。朝日文庫や筑摩世界古典文学の吉川幸次郎氏。まずこれらが定番か。
明治書院の新釈漢文大系は吉田賢抗氏。これには安井息軒氏の説も紹介される。あの鴎外の「安井夫人」、あるいは吉村昭さんの『ポーツマスの旗』に出てくる(小村寿太郎の師)宮崎の儒者安井息軒氏である。
物語的には、
和辻哲郎、『孔子』、新潮文庫、あるいは全集
下村湖人、『論語物語』
井上靖、『孔子』
宮城谷昌光、『孔丘』
なども読む価値はある。
渋沢栄一、『論語と算盤(そろばん)』、角川文庫、も捨て難い。
3 観世音菩薩普門品(法華経)
要するに「觀音経」のことである。般若心経についで人気のあるのが觀音経である。これは法華経の第25章のことで、観世音菩薩普門品第二十五のことである。わかりやすく言えば法華経の第25章のことである。実は他の章と同様に25章も散文と韻文が併記されている。韻文の方が観世音菩薩普門品偈と呼ばれ、觀音経と言えば普通こちらを指す。五言で苦ちょも良いし、短い(短いといっても般若心経に比べれば長い)ので庶民にはこちらが多用される。もちろん25章全体を唱えても悪くはない。
4 ニーチェ
高校2年から読み始めて、結局卒業できなかった。当たり前と言えば当たり前の話ではあるが。
因島高校は島の南側にある。北側に育った私には大いに刺激的だった。教員養成高校と生徒が呼んでいたごとく、新採用教員がどんどん配置されるので、生徒のみならず、教員の方 も若さに溢れていた。
高校2年のとき二人の友人が個別にニーチェを読め!というのであった。一人は世界の名著の夜の詩のところを私に示してすごいのだというわけである。
それで、世界の名著を買った。これは素晴らしい本であった。手塚富雄氏の翻訳と注が素晴らしかった。本文の翻訳はまさに詩であった。あわせて訳されている『悲劇の誕生』は、西尾幹二氏のデビュー作である。この時から私の西尾氏への傾倒が始まる。余談ながら、ずっと後にニーチェ全集の解説で知ったのだが、初めは「アンチクリスト」でそれも出来上がっていたのが途中で社の方針が変わったとのことである。さもあらん。世界の名著の第1回の配本にアンチクリストは世界宗教に対する敬意の上からでも不適当である。『アンチクリスト』はしばらくして潮出版社から発行され、後に全集に収載された。
5 万葉集
高校2年でニーチェ、3年で「春の雪」、浪人中に「私の人生観」、そして翌年が大学1年。広島での2年目。
昭和46年春。昨秋、三島さんが亡くなってからまだ1年も経っていない。居は予備校の寮があった広島市南大河町から、理学部に近い広島市宝町へ移していた。目の前に東広島警察署、その隣に歯科医師会館、下宿の少し裏手に専売公社など。青春時代の始まりであった。
当時は教養課程というのがあって必須科目や単位数が決まっていた。人文科目で何単位、自然科学で何単位という具合に。その人文系の中に国文学というのがあって、万葉集と源氏物語というのが4単位で同時開講であった。