潮音石声(7〜 そのⅠ
7
和本の『増補繪抄 和字功過自知録』を読んでみよう。
増補繪抄 和字功過自知録 再板 全部 壱冊
此編は大明雲棲蓮池大師の原本を訳して老若男女いとけなきわらベまでも大道を行ひ至善
にすすましむの捷径の書也。常に熟読して信じおこなふ人は災害をまぬがれ寿福を得ることわするべからずと。云爾。毘耶窟蔵
和字功過自知録敍
客あり一編を懐(ふところ)にして来り出して、之を余に呈し、且つ序を徴(もとむ)。曰く、此の書袁了凡の功過格、雲棲大師の自知録に本づいて、其の條例に依り、其の切要を摘む。名づけて功過自知録と日(い)う。著するに国字訳言を以ってするは、闇婦癡童(ちどう)を通暁して受持信行し易からんとせしめんと欲するなり。余之を披閲し、其の條を立て事を分かち各々功過を品し絲善髪悪を挙げて措(お)かず。悪を戒め善を勧め循循然として人を誘(みちび)くこと親切なるを視る。すなわち感嘆軽からず。因って謂(おも)う、功とは善を積みて以って功徳を成すなり。過とは過悪なり。其の悪を戒め善に移るや。要は日に功過を記し、月に多寡を較べて己の行う所如何か審らかにするのみ。過多めを心慚(はずる)ことは則ち悪を為すに忍びず。功多め情を喜ぶことは則ち善為さざること能わず。
(以上72回)