ふるさとの史跡をたずねて(411)
伝六⑪袁了凡その1
伝六が広めたと思われる『功過自知録』は中国・明代の袁了凡が書いた『陰騭録』の付録として出版されたものであり、翻訳本の複雑な出版事情は以前書いた。伝六が『陰騭録』の本編の方を読んだかどうかは検証できないが、好善法師が写したその付録の附録に袁了凡の名前が出てくるのだから、次は袁了凡と『陰騭録』について考えたい。
ところで、袁了凡の『陰騭録』は知らなくても『菜根譚』は聞いたことがある読者は多いと思う。多くの文庫本が発行されており、その人気が伺われる。写真はそのうちの2書。(岩波文庫、講談社学術文庫)
最良の処世訓として著名人の愛読書として話題になったこともある。著者の洪自誠は儒仏道の三教に通じ、前半で交際術、後半で隠居術を述べたようだが、間違ってならないのは果報は寝て待て式に座っていれば良いのではなく、それ相応の努力を慫慂しているのは、他の啓発書と同じである。そして驚くべきことに洪自誠は袁了凡に師事した。すなわち洪自誠は袁了凡の弟子であった。だから、『菜根譚』を読まれたことのある人にとってはこれまでくどくどと述べてきた『功過自知録』の話に既視感のようなものを持たれたことだと思う。と言っても『功過自知録』は具体例、『菜根譚』はやや抽象的に書かれているが目標は同じである。あえて言えば向上への意欲の喚起であろう。
さらに慧眼な読者にとっては、何も『功過自知録』など出さなくても、江戸時代以来、多くの日本人にとって神仏を拝み、儒教道徳に従うのは当たり前ではないか、と思われているに違いない。まったくその通りである。伝六がそれらを熱心に説いたからと言って新しくも何でもない。それを新しい宗教を作ったなどと言う誤解を書き写す人がいるだけである。その誤解の原因が『功過自知録』の珍しい表現にあったと私は思う。
さて、『菜根譚』の洪自誠の先生であった袁了凡に話を戻そう。一言で言うと中国明代の陽明学者で陽明学左派に属する。左派と言うのは、より過激な人たちで後に禅宗に変わる人たちもいた。また、袁了凡が儒教、仏教、道教を修めた三教主義者だった。すなわち、大雑把に言えば、中国の伝統宗教である儒教と、外来宗教である仏教に加えて後発民俗宗教である道教をも学んだ人である。洪自誠がその袁了凡から道教を学んだようである。
写真・文 柏原林造