2009年2月1日。日曜日。曇り時々晴れ。 旧暦1.7. 丁丑(ひのと うし)五黄 先勝
少しだけ外に出てみると,思ったよりも寒かった。寒波が残っていたのですね。ここ数日,猫族の活動が活発になっております。やがて,これが屋根の上の雀にまで伝染する頃には,もっともっと春めいてくるのでしょうね。
寺田寅彦「小さな出来事」(全集2)。 小学生の頃白黒テレビが我が家にも導入された頃,「今日の出来事」という番組が夕方にあった。ニュース番組のことである。それを思い出した。今もあるのだろうか。夕方テレビなど見ることがないので知らない。思えば,五時半頃から夕食までの時間というのは子供だけがテレビを独占できる貴重な時間だったように思う。夕食までの,この子供達にとって貴重な大人に邪魔されない時間帯が,今はどうなっているのだろうか。子供に限らず,主婦の時間というように,一台テレビをめぐっての棲み分けが,番組を作る側にも,映像を見る側にも,かつてはあった。今もあるのだろうが,随分希薄化しているように思うのは私だけであろうか。
それはさておき,この「小さな出来事」は五個の小品からなる。「一 蜂」蜂の巣から急に蜂がいなくなった。場所が悪いと気づいて,そのまま残して他所へ移ったのだろうか,という微かな疑問。卵を産んで,役割が終わったから移動したと思うが。「二 乞食」庭に来た乞食が言った「だんな様,どうぞ,おからだをおだいじに」という言葉が心に強く沁み通ったようだという話。
「三 蓑虫」蓑虫で思い出したことが二つある。誰かが,主のいなくなった簑を切ってパッチワークにして財布を作った。あまり綺麗ではなかった。今なら,受けるかも知れない。それから,主の正体が見たくて,外に出したことがある。その色の黒さには感心した。形には共感しなかったが。 「四 新星」は,夏の夜,鈴見台で星を子供達と観察する。新星を発見する確率は星が出現スル確率と観察者がそこに居合わせる確率を掛けたものになる。
「幼いEnnui」は五人の子供達に関する,寅彦の観察癖の記録である。ここで思うのだが,これくらいの観察ならどこの親でもしているかも知れないということである。すなわち,観察したことを書くか書かないかの違いである。ということで観察癖は記録癖があってはじめて成り立つものだと思いたい。Ennuiという言葉が一時流行ったことがある。いつのことなのだろうか。サガン女史の「悲しみよこんにちは」の冒頭に出てくるのにお気づきだろうか。 Sur ce sentiment inconnu dont l'ennui , la douceur m'obsedent ,j'hesite a apposer le mon, le beau nom grave de tristesse.(ものうさと甘さとがつきまとって離れないこの見知らぬ感情に,悲しみという重々しい,立派な名をつけようか,と私は迷う。 朝吹登水子訳 新潮文庫)。 「倦怠」「退屈」「憂鬱」などどせずに「ものうさ」とひらがなで訳すところにセンスのよさを感じますね。これは朝吹家の人たちのものか,登水子さんのキャリアによるものかは存じませんが・・・。さて,この作品の主題がennuiと言っていいかも知れない。だから,この作品が翻訳出版された頃に「アンニュイ」というのが流行ったのではないかと想像するのです。なお,ついでに書けば,「悲しみ」というような感情を表す言葉を擬人化するのは,シェイクスピアの作品にも出てくるのでサガン女史が引用する詩に出てくるだけでなく,ブンガクのジョーシキであって,それに新鮮な驚きを感じるほうがどうかしているというべきかも知れませんね。寅彦さんは夏休みが終わり近くなって感じるのを「倦怠」と書いていますから,小生が,正月休みの終わり頃や毎週日曜日のたそがれ時に感じるあの嫌な気持ちもennuiなのでしょうね。
2009年2月2日。月曜日。晴れ。 旧暦1.8. 戊寅(つちのえ とら)六白 友引
例年なら寒い寒いといって氷の話題などでもちきりなのですが,今年はいたるところに春を感じております。正月に友人がもってきてくれた菊がいつまでも咲いておりますが,少ししおれたのを路地植えにしてやりました。捨ててもいいのですが,そのまま挿しておきました。そのうち何本かは根付いて,来年の今頃咲くでしょう。
浅間山が噴煙をあげておりました。ささやかな地異は灰を降らせた,という有名な詩を思い出しました。冬の信濃路には一度だけ行ったことがありますが,雪には往生しました。やはり,夏がいいですね,スキーをする人にとっては,冬もいいのでしょうが。
ファーブル昆虫記より「短刀の三刺し」(岩波文庫1-7)
動物園で愛嬌を振りまく動物の多くが,他の動物を餌としている。そのことを隠して表の世界だけを見せるのが動物園なら,それは永遠に子供だけの世界として閉じてしまう。動物の世界は残酷であるということを,どこかで子供達は知らなければならない。動物に限定する必用はない。自然界も残酷であれば,科学の世界も残酷である。同様にファーブルの世界も残酷である。子供向けのダイジェスト版の場合は避けるか,略して触れないと思われるところである。蜂がどのように獲物を襲うか,やってみるという訳だ。NHKのドキュメンタリー番組などで結果だけを流せば,「やらせ」と言って非難される。意図を説明して流せば,今度は「残酷」と言われる。そんなことをファーブルの科学的精神は実行する。犠牲にされたコオロギに対して同情はないのだろうか。どうせ他の鳥か何かに喰われてしまうのだから,同じ事だという悟りがあるのだろうか。それともこれをやらなかったら,ライフワークの画竜点睛を欠くという悲壮な決意なのであろうか。
さて観察の鬼であるファーブルは実験の鬼でもある。何と自分でこのアナバチに刺してもらってその毒の威力を試している。そして,狩蜂は狩のためだけにその毒牙を用い,スズメバチのような目的には使わないという。
2009年2月3日。火曜日。曇り後雨。 旧暦1.9. 己卯(つちのと う)七赤 先負節分
昼前から雨が降り始めて,一日中降っていた。気温は上がらなくて寒い。小雨の中を6時頃帰ったが,まだ少し明るい。雨模様で,これだけの明るさだから,随分と日が長くなったものだ。これから6月7月にかけて,どんどんと日が長くなる。生命が甦るかの如く,植物が新しい芽を出す。人間も心身ともに元気旺盛に向かう。そんな萌しの感じられる黄昏であった。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 第一〇章:248-268年」
ローマの衰退は歴史の必然であるように思われる。このような広大な帝国を治められるわけがない。それまでに治めていたというかも知れないが,そうではない。それまでは拡張していたのだ。拡張することをやめれば,そのまま維持できるかというと,そうではなく縮小して行かざるを得ない。これだけの広い帝国の隅々まで,現状維持だけの軍隊を常時その防衛線あるいは国境守備隊として維持することはできないからである。そのための国内総生産があるか,ということだ。それに平和時の軍隊ほど退屈なものはない。軍隊の志気をいかに維持するかということである。軍隊を設ければ戦争がしたくなる。そして領土が広がる。こうしてローマ帝国は拡張した。拡張し続ければいい。しかし止めた。限度があるからだろう。残りは縮小しかない。
まあ,こういうことなのだが,その後,何度か盛り返すものの,始めがあれば終わりがあるように,興れば衰退する。諸行無常である。その滅びの唄の一つが,この章である。
この章ではゴート族を中心とする北方蛮族が徐々に帝国を蝕んでいくさまが,ペルシアの情勢などとともに語られる。制度が既に疲弊しているのだから,個人の力量について語ってもしかたがない。しかし,やはり,凡庸な君主というのはいつの時代にもいるもので,悪い状況を益々悪くする。そういう者が,国家の衰退をもたらす,というように普通は言われる。逆に,そういう衰退に向かう時代だから,凡庸な皇帝しか出てこないとも思える。蛍の光のように儚く消えていった地方皇帝たちの姿も哀れである。
そして,今の時点でこのような現象を眺めたとき,蛮族の侵略が大変長い時間をかけて行われていたということに気づく。すなわち民族の混交が起こっていたことがわかる。このことは,日本人が単一民族ではないことは常識であるにしても,現在世界中に子孫のいる元のヨーロッパ人に比べたら,ほとんど単一民族といってもいいほどの比率で,ヨーロッパ人が多民族の混血だと想像できる。
さて,以上で,筑摩書房版の中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史」の第一巻は終わったが,まだまだ続く。先は長い。今のところ,6月頃までにシェイクスピアを終え,「ローマ帝国衰亡史」が,来年(2010年)秋頃に終わる予定である。健康であれば。
2009年2月4日。水曜日。晴れ。 旧暦1.10. 庚辰(かのえ たつ)八白 仏滅 立春
立春である。日射しが明るい。夜になっても気温が下がらない。
寺田寅彦「芝刈り」(全集2)。 これまで,寅彦の観察癖や分析癖や記録癖について書いてきたが,この随筆によって私は寅彦の思考癖を発見した。 「人間は考える葦である,とかのムッシュウ・パスカルが言う前から人間はいろいろと考える動物であるが,やはり寅彦の思考癖は特別だ。庭の芝を刈るのに,いろいろと考えることがあろうとは思わなかった。
2009年2月5日。木曜日。晴れ一時小雨。 旧暦1.11. 辛巳(かのと み)九紫 大安
あっという間に春めいてきました。朝夕の明るい時間が日に日に拡大し,日の光が明るくなって,そして何よりも気温が上昇し,一月くらい先を行っているようです。楽しい季節の移ろいです。春が長いということはうれしいことです。
ファーブル昆虫記より「きばねあなばち」(岩波文庫1-6)。土の中に巣を作るあなばちの観察である。まず熱心な仕事ぶりが観察され,最後に奇妙なコオロギの獲物の搬入儀式について実験がくり返される。搬入儀式とはこういうことだ。獲物のコオロギを巣穴の入り口付近まで引っ張って来て,必ず,そこに置いてから一度巣穴に戻ってから,コオロギを穴に引き入れるというものだ。多分,理由は巣穴に敵が入っていないか一度確かめてみるというわけだ。そこでファーブルはその間に,コオロギを少し離れたところに移動させる。その後の行動が不可解である。律儀に,同じことをくり返す。あなばちがだ。ダイレクトには穴にコオロギを入れない。近くに置いて穴の中を確認してから入れる。ファーブルとあなばちの根比べは50回近くも行われたが,あなばちの行動は一貫している。しかし,他のところでは,必ずしも,同じ結果が得られない。賢い集団もあれば賢くない集団もある,という変な結論に至る。
2009年2月6日。金曜日。晴れ。 旧暦1.12. 壬午(みずのえ うま)一白 赤口
今日も昨日に引き続き春の陽気。
シェイクスピア作,小津次郎訳「十二夜」(筑摩・世界古典文学全集42)を読んだ。またまた双子の登場であるが,今回はやや趣向を変えて,兄妹の一卵性双生児で瓜二つということである。しかし,主役は妹のほうのヴァイオラで,男装して兄そっくりになる。兄が登場すれば,いつものように,大混乱が起きるが,今回は兄が登場するのはかなり遅く,話は大きな混乱無く進んでいきわかりやすい。本作品もまた見事な台詞の応酬であるが,論理的な言い回しの妙は「不思議の国のアリス」の先駆をなすといってもよいだろう。特にヴァイオラと道化の台詞が素晴らしい。
2009年2月7日。土曜日。晴れ。 旧暦1.13. 癸未(みずのと ひつじ)二黒 先勝
朝は氷がはっていたが日中はたいへんよいお天気だった。最低気温-1℃,最高13℃という予報であったが,そのようになったのだろう。
寺田寅彦「帝展を見ざるの記」(全集2)というのは,美術の展覧会である帝展を,病気故に見に行くことができない状況であるので,見ずにその批評を書くという,寅彦ならではの離れ技をやってみせたものである。勿論,その年の帝展は見ていないのだから,その個々の作品について批評することはできない。ということで,これまでのものの印象から,一般論へと広げて論を展開するという訳である。そして,寅彦が美術の並々ならぬ愛好家であるということが,ここでもよくわかる。
2009年2月8日。日曜日。晴れ。 旧暦1.14. 甲申(きのえ さる)三碧 友引
春霞なるものが,何に由来するのかはよく知らないが,そんなものが早々と立ちこめていた。黄砂か,水分か,あるいは空気中の埃が立ちこめやすい地面の温度環境のなせるわざか。
寺田寅彦「春六題」(全集2)。短いものが六編あるのだが,なかなか面白い。特に,雲の位置を測定して,どの山に当たって生じたものだと推定するところには感心した。それに「物質と生命の間に橋のかかるのはまだいつの事かわからない。」(p.224)というのに出会ったときは,これを書いたのがいつ頃のことかと気になった。大正10年とある。生物が生化学へと大きく舵を切った契機となったワトソンの有名な論文が1953年だから,大正10年にこういう発想ができるということは,寅彦がいかに正しい生命観,物質観をもっていたかということがよくわかる。
2009年2月9日。月曜日。晴れ。 旧暦1.15. 乙酉(きのと とり)四緑 先負
せっかくの初春の満月であるのに,夕方から降り始めた小雨のために,月は見えない。
寺田寅彦「厄年とetc.」(全集2)は,他の随筆に比べてもはるかに深みのある佳作である。まず,前半はタイトルにある「厄年」についての寅彦一流の考察が述べられる。迷信に対する科学審判の流儀に近いのだが,多面的な考察を展開するところが寅彦一流のものになっている。後半の「etc.」の部分が凄い。人生に対するこれだけの洞察を,今まで読んだ寅彦のものに見出さなかっただけに感心した。寅彦随筆ベスト10などというのを,選んでみようとは思わないが,もし選んだとしたら,入れないといけない一つになるだろう。
2009年2月10日。火曜日。晴れ。 旧暦1.16. 丙戌(ひのえ いぬ)五黄 仏滅
昨夜は雨が上がって寒空に満月が出て,夜の街を白く照らしていた。少しずつ小さくなっていっているとはいえ,まだまだ例年になく明るい。今日もまんまるい月が澄んだ空に登り,その前を薄い雲が西から東へとかなりの速度で移動している。日に日に春めいていくだが,一年のうち一番忙しい時で,毎日が夢のように過ぎていって,もう今日は10日で,二月も三分の一が終わったしまった。庭のメダカが,泳ぎはじめている。少し餌をやった。
「昆虫記」より,「科学的な殺し屋」(岩波文庫1-5)。「昆虫記」を,虫好きな風変わりな田舎のおじさんが書いた随筆だと思っている人は,私以外にも随分おられることと思う。しかし,それが間違っているということを知らしめるのが,この章である。観察といい,考察といい,もうこれは完全に生物学者の世界である。つちすがりという蜂が他の虫を獲物として捕まえる。そして毒牙で刺して殺し,保存するわけであるが,その刺す位置について考察する。その考察の結果はこういうことだ。刺された昆虫は,すぐには死なない。全身が麻痺して生きたまま生け贄として保存される。まるでエイリアン2の映画のようではあるが。だが,映画と違って,今回の話では生け贄の体内に卵を産んだりはしない。かなり長い期間,たとえば一月近く腐敗させずに保存してしておくだけである。死んでしまえばすぐに腐敗は始まるから,生きているのだとファーブルは言う。そして,そのために,どこを刺すかということを考える。実験までして,神経系の最も妥当な位置を刺していると結論する。そして,餌食がまた,同じ神経系をもつ たまむし類と ぞうむし類になるということを説明する。だから,この殺し屋の方法は極めて科学的だということが,タイトルの意味である。
2009年2月11日。水曜日。晴れ。 旧暦1.17. 丁亥(ひのと い)六白 大安 建国記念の日
暖かくなったので,夕方公園へ散歩に行った。派の落ちた樹木が,小さな芽をつけていっせいに葉を出そうと待ちかまえているのが伺われる。植物は,少々気温が変わっても季節を忘れないが,当方には三月のような気持ちになる。
寺田寅彦「旅日記から(明治42年)」(全集2)。外国航路の航海日記である。西回り航路で,中国東南アジアインド,アラビアと進み,スエズ運河を通って地中海へ。 ナポリとポンペイを見て,ゲノアで下船する。そこから列車でミラノへ行き,アルプスを越えてベルリンまで行く。
海の色が色々と表現されるのだが,寅彦にしては珍しく,何故海の色が地域ごとに異なるのか,という考察がないのがもの足りない。インドの物理学者ラマンはインド洋の青さからラマン散乱を発見してノーベル賞を受賞した。ラマン散乱は現在でもX線や赤外線分光学で利用されている。
とはいえ,筆まめな寅彦故か,異郷の風物と旅行者の心情が伝わってきて楽しい。
これで,昭和52年12月20日に購入した寺田寅彦全集第二巻が終わった。このうちのいくらかは,何年かして再読するかも知れないが,全てを通して読むことが,生きているうちにあるだろうかと考えてみると,きっとないのではないかと思える。ということで,別れの挨拶にも似た心境で書架に戻すことにする。
2009年2月12日。木曜日。晴れ。 旧暦1.18. 戊子(つちのえ ね)七赤 赤口
夕食後,少し公園を歩いてきました。いつまでも黄昏時が続き,かつ暖かい。日没から暗くなるまでの時間も,秋の日の釣瓶落としの頃に比べたら長くなっているのだそうです。日が長くなるとともに,いつまでも暮れない時間が続くわけです。
寺田寅彦「マルコポロから」(全集3)。マルコポーロの著作は嘘が多いが,面白いということでそのいくつかのエピソードが紹介されている。東方見聞録のことであろうか。確かにおもしろそうである。英語版ならweb上にもあるかもしれない。
2009年2月13日。金曜日。晴れ。 旧暦1.19. 己丑(つちのと うし)八白 先勝
ほんとうに暖かい。夕方ほんの小雨が降ったが,13日の金曜日も,無事に済んだ。梅の花が今にも咲きそうである。さくらんぼの芽が遠くからでも膨らんでいるのがわかる。メダカも盛んに泳いでいる。春が来るといつものことながら,兎を飼っていた頃のことを思い出す。私たちが育った農村では「ドンゴロス」と呼んでいた麻の袋をもって野山へ餌となる野草を取りに行く。枯れてしまうので,たくさん取ってきても,二三日しかもたないので,絶やさないようにまた取りに行く。タンポポではないがそれとよく似た茎から白い乳液が出る草が中心だ。これをチチグサと呼んでいた。そしてマメグサと呼んでいたカラスノエンドウやスズメノエンドウなどもよく兎は食べた。スイバも食べるが尿が多くなるので,雨で餌が少ないとき以外はやらなかった。そういう,兎との生活は必ず春から始まっていた。だから,春になると無性に兎が飼いたくなるのである。 (毎年書いているが)
シェイクスピア作,三神勲・西川正身訳「ウィンザーの陽気な女房たち」(筑摩・世界古典文学全集42)を終わった。シェイクスピア唯一の現代劇だということである。ウィンザーの市民たちを描いたものだが,なかなか面白い。主題は間男であるが,ひとつの出来事に過ぎない。あくまでもタイトル通り陽気な市民たちのいたずら騒ぎである。そしてラブロマンスも少し加えて,喜劇を書いたというところだろう。多数の登場人物の台詞もさまざまで,よくかき分けられているのも,楽しい。
これで世界古典文学全集の「シェイクスピアⅡ」を終わる。ほぼ,一週間で一作品というペースで読んできたので,かなり終わっていると思っていたのだが,まだまだシェイクスピアの作品はあるようだ。史劇を中心に多数残っているので,夏までには済みそうにない。秋になるかもしれない。
さて,昭和52年発行の河出書房の文芸読本「シェイクスピア」によると,完結した全集としては,坪内逍遥訳とこの筑摩の文学全集の2つしかない。こちらは,多数の訳者によるもので,注のあるものないもの,いろいろであるが,壮挙というほかない。他に福田氏をはじめとして,選集,全集をめざすもの,というのがいろいろあるが,果たして全作品を訳して完結したものがいくつあるのであろうか。そうしてみると逍遥訳というのは希有な存在といっていいほどである。いくらかは,近代デジタルアーカイブにあるのだろうが,早く青空文庫等で全業がオンライン化されることを望む。
2009年2月14日。土曜日。晴れ。 旧暦1.20. 庚寅(かのえ とら)九紫 友引
まさに異常といってもよいくらいの天気でした。20℃くらいに上がったのではないでしょうか。
寺田寅彦「蓄音機」(全集3)。今の若い人たちの大部分は蓄音機と言っても,中国語を漢字から類推するように,CDやラジカセの原型ぐらいのことは想像できるかも知れない。しかし,蓄音機というのは具体的な電気器具の名称なのである。レコードプレイヤーの古い名前なのである。いや,もっと正確に言えば,電気不要のもののことで,動力と音声海路が電気によって構成されるものが電気蓄音機,略して電蓄であったから,蓄音機というのは,はるかそれ以前の手回し,電気的増幅回路の備わっていない,力学的な増幅装置だけのものものを言うのがいいのだろう。このように言葉の変化だけでもその裏に技術の変遷史が伺えるのだが,それよりも緩慢な技術の変遷史もまたあったわけであるから,それを寅彦が書くということが題名だけでも想像される。
寅彦によれば,エジソンの発明の登録は日本の西南戦争のときだという。そして,それからわずか数年して寅彦は中学校での実演会(今でいう講演会のようなものだろう)で,それを見て,強く印象に残ったと記している。一つは閉塞的な教育環境の中で息抜きのような機会だったということと,二つ目は技術の最先端に触れたということで。
その後の出会いがいろいろと記されるのだが,実際に購入してからの話で,製造所に理学士いないということを指摘している。すなわち,技術と科学の断絶である。せっかく寅彦は今では常識的な基礎研究や理学的な原理に基づく技術開発の意義を積極的に提案し政策として推進していない。この時点で,そのように発言しておれば,日本の技術ももっと進んだのではないかと思われるのが残念である。
後半には,こういう実物の模倣に対する賛否両論や,講義の代用,自然の音の録音など,その後長く続いた問題について寅彦の意見が述べられる。今から見ても寅彦がずれていないことがわかるが,現在から見れば問題にならないほどに機械のほうが進歩普及したので,このような議論そのものが廃れたわけであるから,その議論そのものの記述が懐かしいものとなった。。
2009年2月15日。日曜日。晴れ。 旧暦1.21. 辛卯(かのと う)一白 先負
昨夜,といっても今朝だが,寝る前に窓から外を眺める月が上のほうが欠けて,下弦に近づいていた。外は,昼間と同様暖かい。雪が降ってもおかしくはない季節なのに,メダカが元気に泳ぎだしてすっかり春になった。梅は開いて当たり前かもしれないが,少し開いた。
寺田寅彦「断水の日」(全集3)。地震で断水した。水道管が古くなっていて,地震により破裂したのが原因である。寅彦のいろいろな感想が次から次へと出てくるのだが,読者に不快感を与えないのは,穏やかな論調の中に,真実が含まれているからである。今でも一年に何回か新聞のコラムに寅彦のことが出てくる。たいては災害の時,「天災は忘れた頃にやって来る」と言う言葉を挙げて,寅彦が云々と続くのだが,この言葉は,そのままのことを寅彦は言ったり書いたりしてなくて,似たようなことが書かれたいるだけだ,というのはもはや常識のようであるが,本当のところは,寅彦の災害論が聞きたいのではなかろうか。それほど,寅彦の災害論はすぐれているというのは,この「断水の日」を読んだだけでわかる。そして,電気器具の不具合から,科学の普及へと話が進んでいく。
ここでも,やはり製造業の科学的探究心の欠如が指摘されるわけである。と同時に粗悪品を買う庶民にも責任の一端があると指摘する。この粗悪品の問題も,今から見れば,技術水準の低さに過ぎず,明治になってやっと鎖国の夢から覚めて,西洋流の近代国家になろうとして日本であるから,いきなり立派な,かつ外国製品に負けない物など作れるわけはないのであって,まずは,他の分野と同様,模倣から始めるしかなかった。だから,粗悪品を掴まされる庶民は実験台,モルモットの役割を担ったと,今からなら言える。仕方がないと諦めるのは庶民で,それではいけないと叱咤激励するのが知識人の仕事であると見なせば,寅彦が私的な不満を公的な怒りにして,客観的な衣裳を纏って発言することはまことに意義があったということになろう。
2009年2月16日。月曜日。晴れ。 旧暦1.22. 壬辰(みずのえ たつ)二黒 仏滅
鶯が来て鳴きました。第一声はあまりうまいとは言えなかったが,すぐにうまくなった。喜んでいるのも束の間,夕方から急に寒くなった。今の季節にしては暖かいほうだろうが,ここ数日暖か過ぎたので,ちょっと気温が下がると震える。
昆虫記より「八 幼虫と蛹」(岩波文庫1-8)。きばねあなばち(黄羽穴蜂)が卵を産み付ける話である。これまでに出てきたように,こおろぎをを始めとする餌食を麻痺させておいて,そこに卵を産み付けるというわけだ。幼虫はその餌食を喰って成長する。だから,餌食は死んではいけない。生きたままでないといけない。しかし,幼虫に噛まれたことに抵抗して身体を震わせたりしたら,幼虫は落ちてしまい死ぬ。だからほどよく麻痺させる必用がある。それから卵を産む位置も問題である。こういうのを執拗にファーブルは観察する。こういうのを「昆虫が好き」と言っていいのだろうか,と私は疑問に思う。昆虫好きはここまでやらない。観察の鬼だ。前にも書いたが,またまた「エイリアンⅡ」を思い出した。
後半は蛹が脱皮するところがある。昔,蝉の幼虫をよく取りにいったものだ。夕方,蜜柑畑の下の穴があるところを掘る。強く掘って傷をつけたこともある。穴に指を入れたらナメクジがいて気持ち悪かったこともある。もっと遅くなれば,幼虫が木を登りはじめる。これを取るのが一番きれいだ。持って帰って羽化を待つ。11時頃始まった。不思議な光景であった。若草色の綺麗な羽が,弱々しく出てきて,その時身体全体が小刻みに振るえていた。そしてどんどんと色が変わっていく・・・。感動的であった。折り畳まれている羽がなぜあんなにうまく開くのかわからなかった。
2009年2月17日。火曜日。晴れ。 旧暦1.23. 癸巳辰(みずのと み)三碧 大安
今日も寒い一日だった。何度か雪が舞った。春の雪というよりも,いつもの二月の気候である。夜になると,よく晴れて,放射冷却が起こり,震えた。
寺田寅彦「笑い」(全集3)は特異な文章である。自分の幼児からの笑いに関する性癖について分析しようとしたものである。医師の診察を受けるとき,親戚と会う厳かな雰囲気の時などに,自分ではわからない笑いが生じるというのである。その記述はこれまで読んできたものと同様,寅彦一流の観察眼と緻密な記録能力が発揮されて,まことに得難い記録になっている。ただ,それを生理学的,あるいは心理学的に分析したところには,やや賛同しかねるものがあった。これは時代のせいと言えばそれまでである。一見科学的に見えるが,実証性から見ると疑わしい。現象学的記述に留めるべきであった。
2009年2月18日。水曜日。晴れ。 旧暦1.24. 甲午(きのえ うま)四緑 赤口 雨水
寒いせいか,メダカがまた水の中に潜って見えなくなった。とは言え,寒波は緩んで,少し暖かくなった。夕凪亭の前の梅が開いた。ピンク色が美しい。
寺田寅彦「相対性原理側面観」(全集3)。これにはまったくまいった。感心した。今まで多くの相対論の解説書は読んできたが,このような文章にははじめて出会った。勿論,側面観とタイトルにあるように,相対論の解説を目指したものではない。この相対論の難解さと世評との関係から思索を巡らせて科学の発展の意味やら,科学の進歩につきまとう誤解についてわかりやすく説明して,ここでも科学のもつ面について寅彦一流の解釈と啓蒙が成される。寅彦の文章は言うまでもなく物理学者の随筆で余技のように思われているし,また,それぞれの作品の量も多くなくて,スタイルから言っても,随筆に間違いないのだが,随筆と捉えるだけでは,何か軽視しているように思う。随筆を越えたものが確かにある。
2009年2月19日。木曜日。晴れ後雨。 旧暦1.25. 乙未(きのと ひつじ)五黄 先勝
夕方から天気予報どおり雨になった。夜になってかなり降っている。多分,今年になってから最もまとまって降った雨だろう。だが,夏の激しい雨ほどではない。
シェイクスピア作,小津次郎・喜志哲雄訳「ヘンリー六世 第一部」 (筑摩・世界古典文学全集43)。いよいよ史劇である。正直言って,帝国主義以前のイギリス史はよくわからない。少しは理解が進だろうか,と半ば期待しながら読むと,ここではジャンヌ・ダルクが出てくるので興味深く読んだ。解説によると,シェイクスピア史劇は必ずしも史実に忠実ではないということで,大胆な「いいとこ取り」だと思って読むことにした。それに限られた時間の中での劇だから,それぞれの時代の精神を代表するように人物を作るののが常道であるから,実在した人物であっても,必ずしもシェイクスピアの筆になるような人物でなかったことも当然起こりうるのもまた,常識であろう。ジャンヌ・ダルクが出るのは嬉しい。しかし,出れば必ず悲しい結末が待っている。捕らえられ火刑に処せられたのは事実だから仕方がない。
さて,本編は第一部で,続編があるから,中途半端な終わり方も仕方がない。マーガレットとヘンリーヘンリー六世の関係がどうなるのか,第二部に期待しよう。
せっかく,ジャンヌダルクが出てきたので,少し書いておこう。彼女の行動は世界史上の奇蹟の一つであろう。しかし,最近,何も特別のことでもないのではないかと思っている。戦争という言葉のイメージから,大層な戦いがあったように思われるが,町の愚連隊どうしの衝突というか,戦争ごっこのようなものを考えればいいのではないか。訓練を積み上げた現在の軍隊のようなところへ田舎の少女が出てきて,神のお告げだ,どうのと言っても最新鋭の火器を扱えることができるわけはないであろう。シェイクスピア劇でも石の投げ合いをする喧嘩が出てくるが,英仏戦争も似たようなものだったのかも知れない。そういう状況なら,精神主義の権化ジャンヌの出番は多いにあった。こういう雰囲気はシェイクスピアはうまく描いている。
次ぎに,ジャンルの神懸かりについては,ロワーヌ河沿いの古城巡りをしたときの日本人ガイドから聞いた話では,この地方では当時,焼いたパンを一ヶ月くらいかけて食べていた。そのうちに黴の生えるものがあり,そのうちのあるものは,精神に変調をきたすものもあった,ということで,歴史家あるいは郷土史家の説だと聞いた。そういうい話なら中世のイメージにぴったりで私などは多いに信じたくなる。という,まことに俗っぽい,ジャンヌファンには叱られそうな解釈が現在の自分の考えである。
それにしても,何故ジャンヌが死後何年かたって聖女に列せられたのか,私にはわからない。
2009年2月20日。金曜日。晴れ。 旧暦1.26. 丙申(ひのえ さる)六白 友引
今日は午後に戸外で作業を一時間ほどしたのだが,冷たい風に暦を再認識した。まだ二月なのだ。しかし,日射しは明るい。
寺田寅彦「夢」(全集3)。ここにある短い文章は,「夢」というタイトルで発表されたものだから,すべて夢であろう。夢という言葉には,眠っているときに見る夢と,未来の自分の希望なりありようを想像したもの(積極的・消極的は問わず)という両義があるが,もちろん前者の意である。その夢の中で意味のわからないことを考えたということも出てくるが,夢の中でその夢の意味についてまでは考えていない。また,夢を記述するにあたっても,変な解釈など一切抜きで,見たままを書いている。いささかの誇張もないと信じる。それが故か,ややリアリティに欠けるところがあるが,それは寅彦自身も認めることだろう。そういう意味では,これは夢の忠実な観察録ということになる。漱石に「夢十夜」という優れた作品があるが,夢はなまじっか解釈せずに,見たままに記述するのがいい。解釈は十人十色であるが,夢に見た世界は一つだけであるが故に,無限の素材を提供する。開かれたテキストとなる。
2009年2月21日。土曜日。晴れ。 旧暦1.27. 丁酉(ひのと とり)七赤 先負
春らしくなってきたのに,風が冷たい。黄砂が舞っております。夕刻,岡山へ行き,最終便で帰ってきました。
寺田寅彦「異郷」(全集3)。海外での体験3編。日本で生まれたオランダ婦人へ正しい日本語を教えたのがよかったことかと反省するところが,なかなか趣深い。
2009年2月22日。日曜日。晴れ後雨。 旧暦1.28. 戊戌(つちのえ いぬ)八白 仏滅
二月も残り一週間となりました。ここのところ寒い日が続いておりますが,今日は午後から雨になって,ますます寒くなった。今週はずっと雨マークが出ており,ぐずついた寒い日になることだろう。しかし,前回といい,かなりの雨が降っているので,野や森の木々は勿論,筍をはじめとして早春の作物等にも豊富な水分補給ができていいのではないかと思う。
昆虫記より「九 高等なる学説」(岩波文庫1-9)。 「あなばち類はすべて直翅類の狩人だ」(p.137)というのが結論である。しかし,この章の高等なる学説というのは,このことではなく,昆虫が知恵をもっているという,誤った当時流行の考えのことを言っているので,当然ファーブルは否定する。それはともかく,具体的な観察事実が,たくさん示されているのが楽しい。同じ直翅類を餌にするといってもアナバチごとに少しずつ異なっている。これは,麻痺させて何日も保存しておく場合である。このルールからはずれて他の餌をとるときは,虫の粥をつくつって,幼虫に直に食べさせるときに,行われる例が多いということである。実に細かい観察と,時に実験も入るファーブルの息の長い仕事の結果はじめて得られる知見であろう。
2009年2月23日。月曜日。晴れ。 旧暦1.29. 己亥(つちのと い)九紫 大安
少し暖かくなったようだ。昨日の雨で黄砂も落ちた。
寺田寅彦「海陸風と夕なぎ」(全集3)。短いながらもこれは貴重な作品である。海風,陸風については,誰でも知っていることだろう。しかし,上層と下層の二つの空気の流れがあるということは,なかなか気づかない。当然と言えば当然だが。そして,海風と陸風の交替のときに夕凪になるということも知っている。しかし,これが季節風との関係で,顕著に現れたり,そうでなかったりするとは,知らなかった。瀬戸内では,地形上夏場に季節風が少ない。だから,陸風と海風が交替するとき,まったくの無風状態になる。これが夕方の気温も湿度も高いときに起こるから,嫌われる。しかし,寅彦さんは書いていないが,瀬戸内海はこの時が一番美しい。風が無く,赤く染まった空が鏡のような海面に写る。もしこの時,干満の交替時と重なると,潮の流れも止まり,さざ波すら立たなくなって,奇蹟のような美しさを呈する。だから,瀬戸内でも海の見えないところに住む人にとっては不快でも,海が見えるところで,夏の長い黄昏時を楽しむ人たちにとっては,何ら厭うことはないのである。書屋を「夕凪亭」と号しているが故に,ここで多少の弁護をした次第。
さて,寅彦さんはさらに,いつもの風の動きを知っておれば,その変化から空気の流れを知り,その後の気候の予想もつくのではないかと,まことに寅彦さんらしいことを記しておられる。
2009年2月24日。火曜日。雨後晴れ。 旧暦1.30. 庚子(かのえ ね)一白 赤口
少しだけ,昨日より暖かくなったようです。
寺田寅彦「電車の混雑について」(全集3)。今日では,社会現象を数理モデルを用いて解析することは珍しいことではないが,電車の混雑状況を日々の通勤において観察し,その波を,数学的に論証したもので,当時としては画期的な仕事には違いない。しかし,しかし,小難しい議論を展開しているわけではないから,随筆の一つと見なされているだけである。そして結論もまたわかりやすく,物理学者のエッセーの典型のようになっているが,私には本編は極めて優れた論考だと思う。結論を示すと,満員列車とそうでない列車がくるのに,周期的な変化あるというものである。その理由は,乗客の多い列車は乗り降りにも時間がかかり,だんだん遅れがちになる。するとある駅に集まる乗客がその分増える。このくり返しである。その後に来た列車は駅で乗せる客も少なく,乗り降りの時間も少なくて済み,先の列車より短い時間に次の駅に着く。だからその駅での乗客もまた先の列車よりも少ない。このようなことのくり返しである。だから,来た込み合った電車にすぐに乗らずに,次ぎのに乗るようにすれば,混雑の解消方向へ進みむというわけである。なんだか,複雑系のバタフライ効果に似ているが,そうではなくて,どちらかというと,富める者が益々富み・・・というマタイ効果に近いことが起こるようである。
2009年2月25日。水曜日。雨後曇り。 旧暦2.1. 辛丑(かのと うし)二黒 友引
2時頃から降り出した雨は午前中にはやんだが,ずっと曇ったままだった。春のような空気。サクランボの木の芽が大きくなっている。
「ねずみと猫」(全集3)。かつて,鼠はどこにでもいた。春先に猫の愛の表現がやかましくなるのお同じように,季節は忘れたが,天井裏で運動会をやっていたことを懐かしく思い出す。しかし,ここに書かれているように,本がかじられるということは聞いたことがない。鼠入らずという,押入に穴が開けられて,蒲鉾板でふさいだりしたことがあった。猫が時々捕まえてきて,鼠の身体の一部を畳の上で食べていたりして,顰蹙をかったりしたこともあった。あの頃でも,最近の猫は鼠を捕らない,と言われていたから,21世紀の猫は,さらにさらに,そうであろう。鼠など知らないであろうし,出会っても見向きもしないだろう。さて,それにしても鼠が少なくなった。いや,何年も見たことがないのだから,居なくなった,と言うほうが正確かも知れない。ほんとうに,どこへ行ったのでしょうかね。 後半は,猫の観察録である。ストレスから猫の元気がなくなる・・・。飼育の仕方が異常である。漱石よりは劣るだろう。
2009年2月26日。木曜日。晴れ。 旧暦2.2. 壬寅(みずのえ とら)三碧 先負
2・26事件の日は東京は雪がかなり積もっていたようでしたから,この頃は寒くてもおかしくはないのに,早春の気に溢れています。梅が少し散っていますが,蕾もまだあり,しばらくは楽しめそうです。
シェイクスピア作,小津次郎・大場建治訳「ヘンリー六世 第二部」(筑摩・世界古典文学全集43)。第一部は戦争の場面が中心であったが,第二部は,政治ドラマとなる。その政治の駆け引きが,徐々に進展していくところに,本作品の面白さがある。勿論,登場人物といい,台詞といい第一部を受けていて,連作であることには間違いないが,スケールアップされた印象である。その二部は,はじめはゆっくりとした流れが次第に激しくなるかの如く,速度を増していく。その展開ぶりが見事である。台詞の素晴らしさは言うまでもない。かけひき,陰謀,失脚と進んでいき後半から市民が登場して勢いをつける。そして,最後がヨークの帰還となり,ここでは勝利を占めて終わる。薔薇戦争と呼ばれる一連の王位争いは,これでは収まらず,まだまだ続くようだ。
2009年2月27日。金曜日。雨。 旧暦2.3. 癸卯(みずのと う)四緑 仏滅
寒い雨でございました。秋山仁氏の講演を聴く機会があった。情熱に溢れた素晴らしいお話であった。さらに,眼から鱗のデモンストレーションには,偶々ラジオで聞いた見事な数学の考え方と同様感心した。一つだけ記そう。CDに千枚通しで内側から外側へ向かって二カ所傷をつける。再生しても音は飛ばない。補正する論理が使用されているのだそうだ。帰って,やってみたらと勧めたが誰もしようとはしなかった。
寺田寅彦「ある日の経験」(全集3)は,題名から想像がつくように,観察と分析の天才・寅彦が日常生活での出来事にそのターゲットを向けた貴重な記録である。骨董屋で買おうとした小物を落として割った。丁寧に詫びると,店主も置いていた場所が悪かったとか言って恐縮した。そして,そのお代金は受けとらなかった。このことが寅彦には引っかかった。自分が買ってお金を払う予定にしていたものだから,ほとんど自分のものであるから,詫びる必用はなかった。さらに代金は自分が弁償すべきもので,その代金を受けとらなかったのが気に入らなかった。これに関連して,ドイツ留学生についての伝聞が紹介される。下宿屋の備え付けの花瓶を割った。詫びる留学生に主婦は構わない,構わないと言ったが,下宿を出るとき,ちゃんとその花瓶の代金も請求された。ベルリンの料理屋で卓布を少し汚したら5マルク請求された。いくら汚れても5マルクかと尋ねるとそうだというので,大いに落書きして帰ったという話で,物理学者の寅彦にとってはすっきりしていいと思っている。このような日常生活に見られる慣行とそれに伴う感情を物理実験の如く記録するのはいいことである。そしてそれはまた極めて文学的な営為になる。それはさておき,寅彦も骨董屋の件も金額が多ければどうなるだろうか,とも言う。確かに高価なものであったなら,そういうわけにはいかない。そして,今流行の法律相談ということになるだろう。しかし,世の中全てが法律によって律する必用はない。ここのような骨董屋の態度が,商人道だとも言える。そしてそれを徹する商人は,金額の多寡には拘らないかも知れない。
2009年2月28日。土曜日。晴れ。 旧暦2.4. 甲辰(きのえ たつ)五黄 大安
暖かくなったので夕方,公園を散歩してきました。早かったので,三日月は見ることができなかった。
寺田寅彦「案内者」(全集3)は,案内者の功罪を観光と学問について書いたもので,ほどほどのところで満足するしかないというものでしょうか。要は案内を乞う者の問題と閑話子は思いますが・・・。
これにて2月の夕凪的閑話は終わりです。明日から弥生三月。