2019年3月2日土曜日

夕凪亭閑話 2009年7月

2009年7月1日。水曜日。雨。旧暦閏5.9. 己未(つちのと ひつじ)二黒先勝。
 7月になりました。燃える夏の季節です。
 雨はよく降った。特に午後。でも,夜になって上がった。もうこれ以上期待できそうにもない。
 宮沢賢治「ポランの広場」(新潮文庫)というのはファンタジーと銘打った二幕の戯曲である。時が六月三十日夜,とあり,昨日読まなかったのを遺憾とする。取り立て言うほどのものではないが,ト書き,台詞それぞれ丁寧に書かれてあって好感がもてる。
 
2009年7月2日。木曜日。晴れ。旧暦閏5.10. 庚申(かのえ さる)三碧友引。
 まとまった雨は昨日で終わり,また梅雨らしくない日が戻ってきた。
 佐藤勝彦「宇宙論入門」(岩波新書)は,寝ころんで読むような本ではない。かと言って机について読んだらよくわかるかと言うと,そうでもない。それでも,ビッグバンから超ひも理論まで,最近の宇宙論に関する話題満載である。とくに氏自ら構築されたインフレーション理論は力が入っていて,説得的だ。さらに面白いのは,宇宙の未来,すなわち今後の宇宙の宿命について論じたところである。いや,宇宙と人類と,と言い直さねばならない。宇宙の未来といっても宇宙規模の未来であるから何千憶年後といった途方もない未来の話である。その頃にはビッグバン宇宙論にまつわる観測すらできず,かつてそのような説があったらしい,というような話しになる。思わず,神話ではないか,と思った。そうか,宇宙論は神話に始まって神話に終わるのか,などと思ったが,それはさておき,宇宙はまだまだ無限の神秘につつまれているのではなかろうか。既存の知識を越えた存在ではなかろうか,と考えさせられた。
 
 
2009年7月3日。金曜日。晴れ。旧暦閏5.11. 辛酉(かのと とり)四緑先負。
 晴れていても曇りがちで気温はあまり上がらなかったようです。でも蒸し暑い日だった。
 宮沢賢治「植物医師」(新潮文庫)。獣医さんではなく,農作物のお医者さんです。勿論藪医者です。いい加減なことを言って農民からつるし上げられるのですが,最後は許して貰うという,賢治らしいコミックです。言葉が丁寧に選ばれているので,読んで楽しい。
 
 
2009年7月4日。土曜日。晴れ。旧暦閏5.12. 壬戌(みずのえ いぬ)五黄仏滅。
 真夏の天気。梅雨空とは思えない。海のほうではもう泳いでいる人もいた。夜になると日に日に大きくなっていく月が南の空に上がったのが,夕凪亭からも見えた。8時になっても西の空は明るい。
 宮沢賢治「飢餓陣営」(新潮文庫)。コミックオペレッタということであるが,これもおもしろい。生徒の余興作品として書いたものだろう。後半,果樹整枝法なるものが出てくるが,これは農学校の授業で出てくるものだろう。それが変な体操になって出てくるのだから生徒達には多いに受けたことだろう。なお,新潮文庫の「銀河鉄道の夜」は,先に角川文庫で読んだものは,今回飛ばすことにして,これにて終わることにしよう。
  恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(オール讀物2007.3)。やっと第一部が終わったところであるが,物語の枠組みもよくわからない。しかし,なかなかスケールの大きな話しであることは確かだ。そして,益々おもしろくなった。 
 
2009年7月5日。日曜日。晴れ。午後時々雨。旧暦閏5.13. 癸亥(みずのと い)六白大安。
  天気予報に反して,午後になって時々小雨。そのせいか最高気温はあまり上がららず。夜は雲が多く月はほとんど見えず。
 図書館に予約していた「ポアンカレ予想を解いた数学者」が届いたので取りに行く。2週間の期限で,延長はできるが,できればそれはしたくないので,1日20ページ読めば,二週間で返せる。そのつもりで読もう。ほぼ三分の一まで読んだ,「DNA」は後回しにしよう。
 宮沢賢治「風の又三郎」(講談社・少年少女文学館10)は転校生の物語である。農村にきた会社員の子ども。それだけで,又三郎には異邦人の資格がある。異邦人には,好奇心と疎外感がつきまとう。これは,もう宿命なのだ。ガラスのマントを着て飛ぶ幻視から風の神になる。夢の世界だ。超常現象でも何でもない。銀河鉄道と同じ構造である。ファンタジーの中のファンタジー。そういえば,やまなしも,水の中の蟹の子の見るファンタジーだったのだろうか。
 
2009年7月6日。月曜日。晴れ。夕方夕立。旧暦閏5.14. 甲子(きのえ ね)七赤赤口。
  梅雨時特有の蒸し暑い日。夕方,夕立が一雨降りました。もっと降ればいいのに・・・。
 宮沢賢治「狼森と笊森,盗森」(講談社・少年少女文学館10)は宮沢賢治らしいローカル色の濃い作品です。開拓農家の話しということになっていますが,主眼は周辺との共生ではないでしょうか。素朴で暖かい話です。
 
 
2009年7月7日。火曜日。晴れ。夜小雨。旧暦閏5.15. 乙丑(きのと うし)八白先勝。小暑。七夕。
 日中,昨日以上に暑くなった。からりと晴れないので,蒸し暑い。夜になってわずかに小雨。断続的に降るのだが,気温はあまり下がらない。満月も,織り姫彦星も見えない。
 宮沢賢治「水仙月の四日」(講談社・少年少女文学館10)は雪嵐の話しである。幻想的でよい作品である。しかし,印象には残りにくい作品である。
 
 
2009年7月8日。水曜日。雨後曇り。夜小雨。旧暦閏5.16. 丙寅(ひのえ とら)九紫友引。
 朝からよく雨が降っていた。午前中はずっと。夜再び降る。月も星も見えず。でも,まだまだ例年には及ばない。
 宮沢賢治「どんぐりと山猫」(講談社・少年少女文学館10)。何度読んでも飽きない話です。賢治語とも言うべき,独特の言い回しが,作品をユニークなものにしている。自然のものに話したり,猫と会話したりすることは実際にはあり得ないのだけれど,それを可能にする設定が至る所にしかけられている。そのひとつがこれである。何度でも味合うべし。
 
2009年7月9日。木曜日。晴れ。旧暦閏5.17. 丁卯(ひのと う)一白先負。
 晴れると蒸し暑い。
 宮沢賢治「注文の多い料理店」(講談社・少年少女文学館10)。これも名作。今回は,ドアを一つ入るごとに書いてある,注文の面白さが印象に残りました。大変理にかなっております。
 森の中のファンタジーの形ですが,あくまでも都会の人間が主人公なので変わった言葉は極力使われません。自然と敵対する都会人を懲らしめる話と読めます。
 
2009年7月10日。金曜日。雨時々曇り。旧暦閏5.18. 戊辰(つちのえ たつ)二黒仏滅。4506。
 大雨洪水警報が出たのですが,たいして降っておりません。どうも今年の雨は,この当たりを避けているようです。
  長岡半太郎「プランク先生の憶い出」(青空文庫)底本:「科學朝日 2月號」というのを読む。長岡半太郎の伝記があるのは知っているが,まだ目にしたことはない。古本でも高そうである。偶々開けた青空文庫に長岡博士の文章があったので読んだ。こういう文章が載せられるのは有り難い。かつて,大村市の城下を散策したとき,博士が当地のご出身であることを知った。生家は訪ねなかったが。
 
2009年7月11日。土曜日。晴れ。旧暦閏5.19. 己巳(つちのと み)三碧大安。
 ドナル・オシア著,糸川洋訳「ポアンカレ予想を解いた数学者」(日経BP社)。タイトルから予想されるのは,先般ポアンカレ予想を証明するという快挙を成し遂げながらもフィールズ賞を辞退して話題になったロシアの数学者グリゴリー・ペレルマンのことかと思うかもしれない。しかし,ペレルマンが出てくるのははじめと終わりのごくわずかだ。全体はポアンカレ予想が出てくるまでの長い歴史とその後の苦闘の歴史である。その間に数学者の形態が多くの資料に基づいて示される。そして数学の発見証明というものができあがるとはどういうことか詳しく述べられる。このような面では「フェルーマーの最終定理」とよく似た構成である。しかし,内容は格段に難しい。それはフェルマーの問題とポアンカレ予想という二つの数学の領域の問題であり仕方がない。正直言ってその内容をイメージすることはできなかった。それでも,この本には魅力が溢れている。多くの数学者の個性と社会と研究との関係,成果の発表の仕方,そして先人の業績を継承発展させていくことの重要性・・著者の熱いメッセージがひしひしと伝わってくる。さらに,本書の結末ともなるポアンカレ予想の証明が発表された形態にも注目したい。従来の学術雑誌ではなく,インターネットなのだ。学術雑誌の多くが電子出版されるようになって久しいが,さらにそれを飛び越えたところで行われたのだ。まさにインターネット革命は至る所で日々続いていると言ってもよいだろう。
 
2009年7月12日。日曜日。晴れ。旧暦閏5.20. 庚午(かのえ うま)四緑赤口。さんりんぼう。
 梅雨時独特の蒸し暑さである。本を置いてある二階は開けず,時々上がってエアコンをかけることにしている。七月も半ばで,後半には梅雨明けになるのだろうが,今後はあまり雨は降りそうにない。これまでの雨量が少ないので,このままでは八月九月に水不足になることは必定。今年はずっと雨が備後地方を避けている。
 シェイクスピア作,阿部知二訳「お気に召すまま」(筑摩・世界古典文学全集46)。いよいよ最後の巻である。まずは「お気に召すまま」ということであるが,台詞の面白さ以外はこれといってのストーリー展開は無く,退屈な芝居である。数組のカップルがそれぞれに「お気に召すまま」に恋をする。それを観客は「お気に召すまま」に眺めよ,という趣向である。気に入るもよし気に入らぬもよし,と言うことであろうか。
 
 
2009年7月13日。月曜日。晴れ。旧暦閏5.21. 辛未(かのと ひつじ)五黄先勝。
  朝から暑い。夜になっても猛暑。 
  長岡半太郎「物理學革新の一つの尖端」(青空文庫)
     昭和七年に「大阪朝日新聞」に載った文章である。20世紀の初頭からはじまった物理学の革命は数々の新理論を生み,一応小康状態に入った頃と考えて良い。その時点での過去30年間の歩みの日本語版解説がこのような用語で酔歩していたと思うと,やや悲しくなる。どの分野においても泰西の文物を我が国へ移入するためには想像力を働かせざるを得ない。だから一度燃えあがった学問の火は,決して消してはならないのだ。
 
2009年7月14日。火曜日。晴れ。旧暦閏5.22. 壬申(みずのえ さる)六白友引。
 昨日に続いて猛暑。夕方から雲も減り湿度が下がったのか,梅雨明けのような空だった。雲が減ったせいか雲も星も見えるようになった。東南の黄道の位置で明るいのが木星だろう。天頂には,夏の大三角形がくっきりと見える。11時半ごろには下弦の月が上がってくる。
 仁科芳雄「NIELS BOHR」(青空文庫)は1940(昭和15)年10月28日発行の岩波講座:「物理學Ⅰ.B. 學者傳記」に掲載された文章である。ニールス・ボーアの業績は前期量子論に留まっており量子物理学の誕生に関しては偉大なコーディネイター的な役割に過ぎないという解釈で間違いはないと思うのだが,それにしてもそれらの業績の意味するところを見事に分析した名文である。そしてそこに仁科博士の個性が光っているのがおもしろい。岩波文庫のニールス・ボーア論文集と併せて読むと有益だろう。
 
 
2009年7月15日。水曜日。晴れ。旧暦閏5.23. 癸酉(みずのと とり)七赤先負。
 天気予報では午後雨ということであった。予報どおりよく晴れていた空が昼ごろには雲って少しだけは降ったがすぐにやんだ。騙されたような雨だ。しかし,おかげで気温は下がった。夜も意外と涼しい。二三日前から蝉が鳴いている。やぶかんぞうが咲いている。いつのまにかホトトギスの鳴き声が聞こえなくなっている。
 宮沢賢治「秋田街道」(青空文庫)。小さな村の光景。物語は始まらない。数々の名作に至るデッサンなのかもしれない。賢治ワールドの一端ではある。
 
2009年7月16日。木曜日。晴れ。旧暦閏5.24. 甲戌(きのえ いぬ)八白仏滅。4531。
 今日も天気予報に反して雨は降らなかった。厳密に言えば,ほんのわずかだが,降ったとは言えないくらい降ったので,天予報ははずれたわけではない。
 夜は涼しくなった。
 宮沢賢治「あけがた」「朝に就ての童話的構図」(青空文庫)を読む。
 「あけがた」は未完成断章でしょう。「朝に就ての童話的構図」はほぼ完成作品と呼んでもいいかと思われます。言葉遣いにも独自のものがあって楽しめます。少し引用しておきましょう。「霧がぽしやぽしや降つて」「向ふからぷるぷるぷるぷる一ぴきの蟻の兵隊が走つて来ます。」「霧の粒はだんだん小さく小さくなつて、いまはもううすい乳いろのけむりに変り、草や木の水を吸ひあげる音は、あつちにもこつちにも忙しく聞え出しました。」「ぷるぷるぷるぷる顫(ふる)へてゐることでもわかります。」
 
 
2009年7月17日。金曜日。雨。旧暦閏5.25. 乙亥(きのと い)九紫大安。
   朝から雨。一日中降った。
 原民喜「壊滅の序曲」(青空文庫)。「夏の花」三部作の一つである。原爆以前の話しである。人物関係は錯綜していてよくわからないが,終戦前の慌ただしい世情が,丁寧に描写される。前半は戦時特有の卑小な人間の醜い姿がシニカルに描かれている。それと学と動員等の事態。後半はもっぱら空襲警報に非難する様子が中心である。
 
2009年7月18日。土曜日。晴れ。旧暦閏5.26. 丙子(ひのえ ね)九紫赤口。
 昨日とうって変わっての晴天。そろそろ梅雨明けの頃だがまだ蒸し暑い。
 原民喜「夏の花」(青空文庫)。三部作の二作目。戦慄の原爆被災記。地獄絵である。
 「これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に違ひなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとへば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換へられてゐるのであつた。」
 恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(オール讀物2009.1)。隔月連載であるから,なかなか物語は展開しないのですが,第二部が終わりました。いよいよ決戦!ということで第三部で終わりそうな気配ですが,多彩な人物,奇想な設定ですから,あまり早く終わってしまうのは勿体ないように思います。どうやら超能力ファンタジーのようです。
 
 
 
2009年7月19日。日曜日。晴れ。旧暦閏5.27. 丁丑(ひのと うし)八白先勝。土用丑。
 暑い日だった。湿っぽい。夕方散歩。公園で,子どもが高いところの蝉をとってくれと頼むので,取ってやる。蝉は網で取ると飛べないので下に落ちるだから網が下にくるようにして採る。トンボとか蝶では逆だった・・・昔の記憶。たった1匹しかいないので責任重大。何とか採れた。子ども「おじちゃん,すごい」と言って感謝してくれた。
 
 原民喜「廃墟から」(青空文庫)。 「夏の花」の続きである。郊外の被爆していないところに落ちつく。市内に出たりする。その間に,多くの肉親が死んでいく。髪が抜け,鼻血が出る。あるいは赤い斑点が出る。放射能の後遺症だ。
「ふと、私はあの原子爆弾の一撃からこの地上に新しく墜落して来た人間のやうな気持がするのであつた。」
「広島では誰かが絶えず、今でも人を捜し出さうとしてゐるのでした。」
 
 
2009年7月20日。月曜日。雨。旧暦閏5.28. 戊寅(つちのえ とら)七赤友引。海の日。
 朝から雨。夕方まで降る。午後雷。かなりまとまった雨だった。だが,これでもいつもの梅雨に比べたら少ない。
 シェイクスピア作,八木毅訳「アセンズのタイモン」(筑摩・世界古典文学全集46)。
金の切れ目が縁の切れ目だということを描いた作品。タイモンが破産するところがクライマックスでシェイクスピアの天才ぶりが見事に発揮されている。しかし,後半のタイモンが洞窟にひきこもって全てを憎むという設定は,あまりおもしろくない。
 
2009年7月22日。水曜日。曇り時々晴。旧暦閏6.1. 庚辰(かのえ たつ)五黄赤口。
   二日続けて降った雨が上がり,日食を見ることができた。最大の11時前には雲が少しかかっていたが,ちょうど雲がフィルターになって三日月形の太陽が肉眼でもはっきり見えた。
 P.F.ドラッカー著,上田惇生訳「傍観者の時代」(ダイヤモンド社・ドラッカー名著集12)。「断絶の時代」がベストセラーになったのは高校生のときだった。その頃,未来学者などと呼ばれていた。未来学などという言葉は今では死語だと思うが,妙に現実感があった。どこまで読んだか忘れてしまったが,厚い本を借りて読んだものだ。そのドラカー教授の自伝のようなもので,影響を受けた人たちの回想を記したものが本書である。それぞれの人たちが個性に溢れ,見事に生きていたことがひしひしと伝わってくる。またこの時代は,没落していくヨーロッパに対して,勃興するアメリカの対比が,単なる制度ではなく国民の感情にも伺える。
 
 
2009年7月23日。木曜日。晴。旧暦閏6.2. 辛巳(かのと み)四緑先勝。大暑。
  やや空気は乾いてきた。梅雨はまだ明けないのだろうか。夕凪亭と,本の置いてある二階は窓は開けず,エアコンで除湿するようにやってきたが,今日くらいなら,開けてもいいような感じだ。
 ドラッカー教授の本に出てきたバックミンスター・フラーという人のことはよく知らない。C60 のフラーレンというのが,彼の名前に因むということで,独特の形の建物の設計者だそうである。著作を市立図書館のデータベースで調べ依頼したら届いた。梶川泰司訳「クリティカル・パス」(白揚社)という大部な本でサブタイトルが「宇宙船地球号のデザインサイエンス革命」という,大層なものだ。しかし,刺激的である。最後まで読めそうにないが,何か啓示的でもある。 
  
  
2009年7月25日。土曜日。雨。午後曇り。旧暦閏6.4. 癸未(みずのと ひつじ)二黒先負。
  激しい雨も,昼過ぎには止んだ。これでひとまず小康状態である。太平洋高気圧が弱く,梅雨前線が瀬戸内海周辺に停滞していたようだ。激しい雨だった。備後の水瓶はほぼ旧に復し,一応一安心というところまで貯水できたようだ。さらに田畑も,これで平年並みに潤ったのではないか。
 読書を少し減らして,散歩の時間を確保することにした。朝30分,夕方30分が理想だが,なかなかうまくいかない。朝遅いと太陽が暑い。今朝は生憎雨だったし・・・。 
  
 原民喜「小さな村」(青空文庫)を読む。昭和228月発表の連作「原爆以後」の1作目ということである。夕暮,一老人,火葬,農会,玩具の配給,罹災者,脅迫,舌切雀,巨人,朽木橋,路,雲,路,深井氏,路,というタイトルをもつ日常のスケッチを集めたものである。何しろ,食糧がないのだから元気がでない。おまけに仕事がないのだから,ますます悲観的になる。絶望的になる。原爆さえなければ,戦争に負けたとはいえ,家業の手伝いなり何かと再生の道はあったのだろうが,全てが灰燼に帰したのだから,どうしょうもない。そういう日々の記録である。
  
  
2009年7月26日。日曜日。曇り時々雨。旧暦6.5. 甲申(きのえ さる)一白仏滅。
 雨時々曇りか,曇り時々雨か,よくわかりませんが,降ったり止んだりの梅雨が未だに続いております。その雨の合間に散歩をしております。今日も朝夕二回確保できました。雨あがり朝の公園蝉しぐれ。
 雨ばかり待望していた7月も,その望みも達成され,次は梅雨明けを待望しているのですが,気がつけば,残すところ1週間もありません。この調子でいくと,いつのまにか夏は去った,ということになりかねませんね。
 ワトソン,ベリー著,青木薫訳「DNA」(講談社)。やっと終わった。500頁の大冊である。共著ということだが,ワトソン氏の個人的意見もかなり述べられているから,ベリー氏の役目はアシスタントといったところでしょうか。1953年のDNAの二重らせん構造の発見以来の,遺伝子学の状況を詳しく述べたものである。二重らせん構造発見の回顧談は,何度聞いてもおもしろい。その後のこの分野の発展史が要領よく述べられている。ヒトゲノム解読,遺伝子工学の発展など,新しい手法,分野が開拓されるにつれて,学問と社会との問題,研究と企業との問題などが出現する。一頃話題になったクローン人間のことは触れられていないが,遺伝子治療が高度に進展すれば,当然のことながら遺伝子改良動物,遺伝子改良人間にまで技術が到達するのは明らかであろう。われわれは大変な時代に生きているのだということがわかる。いわば,神の領域であるから,この分野の進歩を止めればいいようなものであるが,科学の成果によって医療法の発展が期待できるのだから,誰にも学問の進歩を止めるわけにはいかないだろうと,思った。
  
 
2009年7月27日。月曜日。晴れ。旧暦6.6. 乙酉(きのと とり)九紫大安。
 素晴らしい入道雲が出ておりましたが,梅雨はまだまだ終わらぬようです。大安の蝉かしましく梅雨明けぬ。    
 シェイクスピア作,御輿員三訳「ペリクリーズ」(筑摩・世界古典文学全集46)。これはお伽話のような奇跡物語。航海中に妻は娘を生み,死ぬ。娘は途中の島に託す。後年,娘を捜しているとき,死んだはずの妻も生き返っており再会するというハッピーエンド。場面場面に口上役の詩人が出て,舞台に上がらない出来事を説明して,どんどんと物語を進めるという趣向は古めかしいが,効果的で退屈しない。
 
 
2009年7月28日。火曜日。晴れ。旧暦6.7. 丙戌(ひのえ いぬ)八白赤口。
   中途半端な天気です。湿度が高いのでまだ梅雨明けとはいえないでしょう。ところで海水浴場はどうなっているのでしょうか。先日,大雨の後の尾道水道を橋の上から見たら,泥水のような色をしていました。こういうのを浄化してしまうのだから,海の力は偉大だと思いました。とはいえ,梅雨が終わらないと海水温も低いのではないかと思われます。暑くないだけ,散歩には楽ではありますが,やはり本格的な夏が早くきてほしいですね。遅梅雨の七月送る夾竹桃。
  村井吉敬「エビと日本人Ⅱ」(岩波新書)はきわめて現代的な本である。多くの問題が指摘されている。いろいろ考えることが多かったが,日本がエビの世界一の輸入国でないことに,安心した。とはいえ,その多くを海外に頼っているのは,他の食品と同じだが,自給率となると極端に低い。その輸出国が東南アジアであることは予想通りであったが,その実態には驚く。集約型の養殖というのは狭いところで何万匹ものエビを飼い,餌や薬品を与え,空気を送る。さらに,マングローブの林が伐採され養殖池が作られることもあるという。エビに限らず食をめぐる自給率の問題も指摘されている。ともあれ,現在のわれわれを取り巻く社会の一面を理解するのによい本である。
 
 
2009年7月29日。水曜日。晴れ。旧暦6.8. 丁亥(ひのと い)七赤先勝。
 今日は夕方から雨になるという予報だった。確かに雨雲が出現して,今にも降りそうな雰囲気ではあったが,落ちてきたのは1粒,2粒。これでは雨,とは書くわけにはいかない。雨雲に抗して弱し油蝉。
 福沢諭吉「福翁自伝(抄)」(中央公論社・日本の名著33)を終わった。完全版が青空文庫にあるはずであったが,前から読んでいたので,こちらで終わった。自分の考えは憶せず述べ,成功談とも言える多くの出来事は,さらりと叙述し,初めから目論んでいたのではなく,偶々うまくいったように語るので,読者には受け入れやすい。しかし,このようにうまく運ぶことが才能であって,諭吉という人はやはり偉い人であったに違いない。機を見るに敏で,果敢な行動家である。と同時に勉強家であった。そのように,この自伝を私は読んだが,他の人はどのように読むのだろうか。
 
 
2009年7月30日。木曜日。晴れ。旧暦6.9. 戊子(つちのえ ね)六白友引。
 少し空気が乾いているように感じられたので,本を置いて開かずの間にしている二階の窓を開けた。この調子で梅雨明けしてほしいものだ。
 日中も曇りがちで気温が上がらなかったせいか,夕方には涼しくなる。散歩にはちょうどよい。藤豆のまだ暮れぬ日に揺れにけり。
 シェイクスピア作,本堂正夫訳「ヴィーナスとアドゥニス」(筑摩・世界古典文学全集46)
 いよいよラスト2である。恋愛詩であるが,これはまことにつまらない。気の利いたアフォリズムが無いわけではないが,言葉の浪費のような印象すら受ける。
 
 
2009年7月31日。金曜日。晴れ。旧暦6.10. 己丑(つちのと うし)五黄先負。
 やや湿気は昨日よりも多いが以前ほどではない夕方公園を散歩した。雲が多く月は今日も見えない。 小刻みに揺れるポプラの葉は若し。
 庭の藪甘草は終わった。百日紅が久しぶりにピンクの花をつけている。そして,今月は,今日で終わり。 雨を待ち雨に倦みにし七月は梅雨のままにて今去らむとす。多謝御愛読。
 原民喜「氷花」(青空文庫)は,連作「原爆以後」の2作目ということである。戦後の混乱期,まさに絶望の中で生きる。東京の友から新しい人間を見にこないかとさそわれて,上京する。夜学で教えるようになったものの,常に飢餓状態にある。幸い原爆の後遺症は出ないもののふらふらで生きているような状態。小説を書くにも体力がない。そんな中で倉敷へ行き,さらに広島にも行き,少しずつ復興していく親戚のようすをみる。今から思うと,ついこの前のことではあるが・・・。