2019年3月2日土曜日

夕凪亭閑話 2009年6月

009年6月1日。月曜日。晴れ。旧暦5.9. 癸丑(みずのと うし)八白先勝。
 6月になりました。
 本日は大変暑い日で,そろそろ梅雨入りだろうか,と思ったのですが,夜は意外とさわやかな空で,上弦の月がくっきりと浮んでておりました。
 F.D.ピート著,久志本克己訳「超ひも理論入門(上)」(講談社ブルーバックス)はかなり古い本であるから,最近の進歩が記されていないのではないかと思われるだろう。そうであろう。しかしそれでも,この本は今読んでも,十分に古びていないのはどういうことだろうか。もし同じような内容で,今書かれたとしたら,最近の成果を述べるのが中心になり,黎明期の仕事がほとんど削られることになる可能性が高い。このように考えたとき,この本で扱っていることが,今後益々貴重に思えてくるに違いない。勿論,他の類書と同様物理学の基礎的なところはわかりやすくても,ひも理論に入るとすぐに難しくなるのは,止むを得ないにしても。
 
入夏残芳
入夏残芳花落余
青苔疎竹是我居
老鶯猶有歩幽径
山館緑陰風意徐
 
2009年6月2日。火曜日。晴れ。旧暦5.10. 甲寅(きのえ とら)九紫友引。
 日中は暑いが,夕方から気温が下がり,昨日,今日の黄昏時のすがすがしさは素晴らしい。今年は春になっても暖かくならず,値千金の春宵一刻を味合うことができなかったが,ホトトギスが鳴き始めた頃から初夏らしくて気持ちがよい。
 そんなくつろいだ気持ちで,ふと宮沢賢治の作品を開いた。今更賢治の魅力を云々しても始まらないが,「雪渡り」(角川文庫「セロ弾きのゴーシュ」)をちょっと読んでみて,大変愉快な気持ちになった。これは子どもと狐の交遊という大変楽しいテーマが雪の唄とともにリリカルに描かれた名作である。そして子どもだけにできる友情・・・
百合
山居老木満池塘
林下泉声六月涼
百合清閑花一朶
風揺浅碧又昏黄
 
2009年6月3日。水曜日。晴れ後曇り。旧暦5.11. 乙卯(きのと う)一白先負。
 午後,雲って気温が上がらなかったせいか,夕刻も昨日のようなさわやかなものではなかった。やや寒いような感じを受けるのは,半袖で夏の気候に慣れたころだからだろう。
 シェイクスピア作,北川悌二訳「ジョン王」(筑摩・世界古典文学全集45)。歴史劇だからという訳ではないが,少し退屈な作品が続いたせいか,これは飽きのこない作品であった。ジョン王の性格ははっきりしないが,戦争,駆け引き,和解,陰謀,暗殺と確実にドラマは動く。動きあっての台詞だろう。台詞はこれまた,素晴らしい。
夜更かしの仲間になりし時鳥
老鶯と呼ぶなとばかり美声あげ
子供らは暑さまかせの衣替え
 
 
2009年6月5日。金曜日。晴れ。旧暦5.13. 丁巳(ひのと み)三碧大安。
  先日何気なく取り出した角川文庫の「セロ弾きのゴーシュ」が,まだ机の上に出ているので,「ざしき童子のはなし」というのを読んでみた。童子には「ぼっこ」とルビがある。例の座敷わらしのことではないかと思って興味深く読んだ。第一話の子どもだけが外で遊んでいるとき,留守の家の中にいた,というのが私のもっているイメージですが,後の例で,親戚じゅうが集まって大人たちもいたときに出たというのは,ちょっと理解しにくい話です。小学生の低学年なら,誰もいない家に一人で帰ったら,ときどき怖い思いをすることがあるのは,今も昔も変わらないでしょう。まして山村の農家。家と家との間は,離れたろころもある。家の中は薄暗い。都会の家のように鍵がかかっているわけではない。犬猫ねずみ,人だって往来は自由だ。そんな薄暗い家に,夕方一人で小学生が帰って,ランドセルを上がり框に投げて,すぐに外に出る,というような状況を想像してみましよう。もし,その時ねずみでもチュウと鳴き,その声が自分の足音と重なって,聞き取りにくくなったとしたら,ふと家の中になにかいるのだろうか,と怖くなって,子どもは脱兎のごとく我が家を後にするでしょう。こういう状況ででてくるのが,「ざしきわらし」だと思っていたのですが,違ったようです。
 
聞子規
孤眠一叫夢醒時 
枕上幾年聞子規
村々雲際山月落
幽居半夜憶君姿
 
 
 
2009年6月6日。土曜日。晴れ。旧暦5.14. 戊午(つちのえ うま)四緑赤口。
  池のセメントを塗って,杏子を取り入れして,「セロ弾きのゴーシュ」を読んで寝ました。と,小学生の日記のように書くと,実に楽しい。書きようではなく,それぞれが楽しいことなのだ。セメントは酸性雨に溶けるので,ときどき塗り直してやらないといけない。どこから水漏れがしているのかわからないので,至る所を何度も塗る。塗れば塗っただけ水は漏らなくなる。「水も漏らさぬ・・・」というのは,実は大変なことなのである。「鼠一匹・・・」とは雲泥の差である。・・・至福の時である。
 杏子は,ほとんどが黄色くなった。完熟する前に腐ったり,落ちたり,虫に食われたりする。実は熟してはいないが,機は熟した。最もよく熟れたのを2つほど食べた。酸っぱいけどうまい。青梅と似ているので青酸中毒になったらいけないと思い,少しで止めておく。
 至福の時。・・・初夏の午後は静かに流れた。
 
2009年6月7日。日曜日。晴れ。旧暦5.15. 己未(つちのと ひつじ)五黄先勝。
 宮沢賢治「シグナルとシグナレス」読む。
夏一日
新樹好景吐鵑知
空老浮生結夢遅 
感旧孤吟青草裏
池亭映水勝花時
 
 
 
2009年6月8日。月曜日。晴れ。旧暦5.16. 庚申(かのえ さる)六白友引。
 宮沢賢治「猫の事務所」は,今風に言うといじめについての話です。猫たちが生き生きとしているのは,人間を生き生きと描くことができるからでしょう。
 外では野良猫が姦しい声をあげております。よその猫は好きになれませんね。
 5月は記録的な小雨で,田植えができないところがあると,新聞にのっておりました。6月になったのに,梅雨の気配が感じられませんね。もうそろそろ九州地方が入梅してもよい頃だと思うのですが。今週半ばに雨マークが出ておりますが,いきなり入梅ということにはならないでしょうから,早く降って,例年並みに梅雨になってほしいものです。
 
初夏風韻
一庭有味杏枝初
窓外南風樹陰疎
松影枕書眠不得
幽情如水山居座
 
2009年6月9日。火曜日。曇り。旧暦5.17. 辛酉(かのと とり)七赤先負。
 レイチェル・カーソン女史の「沈黙の春」(新潮文庫)は,随分前に読み始めたのだが,わかったようなつもりになり,おしまいまで読まずにいた。その後英語版を求めたら,美しい点画の挿し絵や,索引,引用文献などがついていて好感が持てた。しかし,こちらも最後までなかなか辿りつけないので,翻訳のほうを最後まで読んでみることした。
 農薬禍はもう常識になっていると思うのは,私だけで,若い人たちは,かつてこのような怖ろしいことがあり,その反省の上に現在の生活があるということを知っているのだろうか。ほどよく使われているので害も少ないと,みんな思っているのかも知れない。確かに蚊や蠅はいないほうがいい。それにこの季節に多い毛虫なども。殺虫剤のシーズンが到来した。昆虫に悪いものは,人間にも悪いのだと自覚しておくことが大切だろう。また,癌との関係もカーソン女史の警告に耳を傾けておくことが大切だ。14章「四人に一人」。これまで,多くの化学物質が,食品の中に入っていたものを含めて,発癌性という名のもとに追放されてきた。しかし,追放されるまで何年も使われてきたものも多い。ということは,今使っているものだって,やがては同じ宿命を辿る化学物質が多数あるに違いない。敬して遠ざける勇気をもちたいものである。
 
2009年6月11日。木曜日。晴れ。旧暦5.19. 癸亥(みずのと い)九紫大安。入梅。
 一昨日入梅したと,昨日の朝刊に報じられており,昨日はまことに梅雨らしい雨でした。いつもなら,周辺が入梅しているのに,広島地方気象台はなかなか入梅宣言をされず,いらいらするのですが,今年はまことにタイミングがよかった。勿論,天気予報の中でも入梅ほどはっきりしないものも珍しいのでしょうが,やはり宣言してもらえると安心します。・・・・安心はしたものの,週間予報では雨マークがまことに乏しい。
 佐藤賢一「聖者の戦い 小説フランス革命Ⅲ」(集英社)。バスチーユ陥落から1年が経ちます。その間に,憲法制定国民議会はいろいろと改革を進めます。特に聖職者の特権を廃止しようとするのですが,しぶとい抵抗にあいなかなか進みません。それが「聖者の戦い」ということです。その中にあって,ジャコバン党のロベス・ピエールは次第に力をつけてきます。一方,ミラボー伯爵は病身ながらも活躍するのですが,次第に王党派よりになっていきます。先が読みたいところですが,次作は9月の発売予定ですので,少し間が開きます。
 
梅天閑雅
濛々漠々夢難通
欲読幽斎散午風
雲気満山書帙湿
閑人黙坐夕陽空
 
2009年6月12日。金曜日。晴れ。旧暦5.20. 甲子(きのえ ね)一白赤口。
 27℃か28℃くらいまで上がったのでしょうか。屋外はかなり暑かったようです。梅雨のようにない1日でした。
 宮沢賢治「北守将軍と三人兄弟の医者」。いやはや賢治の想像力に感嘆する他はありません。どこからこんな話がでくるのでしょうか。三人兄弟の医者というのは,人を見る,いわゆるる普通の医者,さらに獣医と植物を診る医者ということです。北守将軍というのはちょうど中国の匈奴相手のような砂漠の警護を30年して身体が鞍とくっつき,鞍が馬とくっついて離れなくなり,それに将軍の身体に草が生えたというわけだ。それを三人の医者が取り除くという話である。
 
 
2009年6月13日。土曜日。晴れ。旧暦5.21. 乙丑(きのと うし)二黒先勝。
からから空梅雨で,今日も暑い日でした。雨が降ってほしいものです。雨がないからといって,それでは梅雨ではないのか,というと,やはり蒸し暑い。今日も,夜の7時過ぎでしょうか,大変蒸し暑く,エアコンを入れようかと思ったほどです。少し我慢していると,7時40分ごろでしょうか,気温は下がらないのに,少し冷たい風が吹いて暑さがおさまりました。湿度の問題でしょうか。乾いた風が吹きはじめたということかも知れません。あの蒸し暑い時が,瀬戸の夕凪だったのでしょうね,きっと。
 シェイクスピア作,大山俊一訳「ヘンリー五世」(筑摩・世界古典文学全集45)。これも飽きない作品である。ただ,大軍のフンランス兵に対してあっと言う間にイギリス軍が勝利してしまうというのは,理解しかねる。いかにもご都合主義である。ご都合主義といえば,幕ごとに訳文では「コーラス」という役柄ではあるが,解説人がでてきて口上を述べる。作者に代わってということである。場面や時がころころ変わろうと,想像してくださいと言うわけだから,変幻自由で違和感ものだが,想像力に乏しいこちらには,かえって理解の助けになって有り難い。さて,劇は理解できても,理解しがたくかねがね不思議に思っているのが,王家の婚姻である。今回は和平のためということで,本当は勝者のエゴでフランス王女キャサリンをイギリスに娶る。言葉の通じない異国に嫁ぐ王女の心境やいかに。一人で行くのではないので,こちらが想像するほどのことはないのかも知れないが,よくわからない。
 
 
2009年6月15日。月曜日。晴れ。旧暦5.23. 丁卯(ひのと う)四緑先負。

  宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」は賢治の夢を描いた,たいへん優れた未来小説です。凶作から農民を救いたいという思いが込められています。そのためにはブドリのようにしっかり勉強をして観測をすることが必用です。ただ,まだまだ完全に自然は制御できなくて,冷害を防ぐために火山を爆発させるのですが,最後には人が一人死なないといけないということで,科学技術への安易な信頼を戒めているように思いました。
 
 
2009年6月17日。水曜日。晴れ。旧暦5.25. 己巳(つちのと み)六白大安。
 今日も暑い日だった。昨日と,一昨日は夕方雷が鳴ったのですが,雨は降りません。五月からの小雨で,ダムの水が減っています。全国的には梅雨らしく雨が降っているところもあるのでしょうが,こちらは,雨無しの梅雨です。空梅雨というもおかしいくらい,はじめから雨が無いのです。このまま雨のない7月8月になると,生活にまで影響がでるだろう。梅雨前線よ,上がってきておくれ。
 宮沢賢治「ありときのこ」「やまなし」。いずれも短編ながら名作である。こういう作品を見ると,賢治の発想が,賢治が住んでいた東北の自然から来ているのではないかと思う。山があり川があり,畑や田圃がある。その自然だけを終日見ているだけではない。別に熾烈な生活がある。その中で見た自然である。そこまではいい。その先が問題だ。その自然から,あのような作品が何故生まれてくるのか。それがわからない。
 
2009年6月19日。金曜日。晴れ。旧暦5.27. 辛未(かのと ひつじ)八白先勝。
 今日も暑かった。最高気温が31℃くらいか。週間予報では来週の月曜日から雨マークが出た。台風の影響もあるかもしれない。これまでの小雨を取り返すだけの雨が降って欲しいものだ。
 角川文庫の「セロ弾きのゴーシュ」には,賢治生前に発表されたものではあるが,単行本にしていなかったものが収められている。そして,付録として,草稿の「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」と「ペンネンノルデはいまはいないよ 太陽にできた黒い棘をとりに行ったよ」の2篇が載せてある。「グスコーブドリの伝記」の草稿だと思ってもよい。前半がよく似ている。しかし,後半が大きく異なり,これはこれでまた,奇妙な物語世界が始まる。それにしても賢治の不思議な世界に驚嘆する。
 
2009年6月20日。土曜日。晴れ。旧暦5.28. 壬申(みずのえ さる)九紫友引。
 シェイクスピア作,中野里皓訳「ヘンリー八世」(筑摩・世界古典文学全集45)。これも退屈しない作品である。しかし,よくわからない。ヘンリー八世もよくわからない。キャサリンの弁舌は爽やかで,名文である。
 丹波篠山での恐竜の化石発見のニュースがうれしい。ブームになればいいですね。なにしろティラノザウルスですからね。レックスだと思う人もいるでしょうね。その仲間だと割り切りましょう。それから実物を見て小さくてがっかりする人がいることでしょうが,大きいのは恐竜本体で,全身復元模型を作ると迫力があって,ポスターの主役はたいていがこちれですね。出てきたのは化石の一部ですから・・・。でも,本物といわれると,限りなく夢が膨らむのも事実ですね。しかし,恐竜の研究などで日本で生活できることはほぼ不可能だし,そういうことをしている大学もないということで,多くの子ども達の夢は大人になるころまでには萎んでしまいますね。でも,恐竜展というのがあると,何歳になっても行ってみたくなるから不思議ですね。
 天から落ちてきたオタマジャクシ騒動は不思議だ。菅茶山の「筆のすさび」にも天から小豆が降ってきたという話があるから,特別なことではないだろう。気象現象の一つだろう。私の家の屋根にも柿の実が落ちていることがある。これは鴉の仕業である。
 夜になって,少し湿度が高くなったようです。本格的な梅雨になるのでしょうか。
 
2009年6月21日。日曜日。曇り時々雨。旧暦5.29. 癸酉(みずのと とり)一白先負。夏至。
 曇り時々雨。その時々がしばしばあって,雨が降り出すのだがすぐに止む。トータルしてもたいして降っていない。でも庭木には多少のお湿りになったようだ。蒸し暑いのでエアコンを入れた。
 夏至であるが,雲っていたので,遅い夕暮れの光景は楽しめなかった。
 サイモン・シン著,青木薫訳「フェルマーの最終定理」(新潮文庫)は,この手の本にしては珍しく楽しめる本であった。途中,何度も読むのをやめてしばらく笑ってしまう。数についての奥の深い話にしばし絶句。ピタゴラス学派が宗教集団だというのにはいささか疑問をもったが,読み進んでいくうちに,なるほどこれは宗教だと思った。完全数とか社交数とかいうのを,考える情熱は宗教的情熱と呼んでいいだろう。そして,そういうものが数学という学問の流れになるのだから,不思議だし,そのプロセスを見事に跡づけているのがこの本の特徴で,そのことを知るだけでも十分にこの本を読む価値はある。勿論,感動的なフェルマーの最終定理を証明する数学者たちの感動的な物語が主題ではあるが。さらにまた,別の教訓も得た。すなわち,数学パズルを侮ることなかれ!
 
2009年6月22日。月曜日。曇り時々雨。旧暦5.30. 甲戌(きのえ いぬ)二黒仏滅。
  少しまとまりのある雨が降った。でもまだまだである。
  丹羽準兵・守屋洋訳「三国志上」(さ・え・ら書房)。三国志もまた,源氏物語などと同じように挫折の歴史である。というと意味不明な文章になってしまう。私の読書体験において,挫折の歴史だという意味である。いやいや,これだけに留まらない。「戦争と平和」も「風と共に去りぬ」もまたしかり。ただ単に読みかけて中断しているというのとは違う。いろいろなテキストで読み始めるのだが,最後まで到達しない,という意味で,挫折の歴史なのである。途中まででも,あるいは部分読みでも,最近はそれなりの意義を認めて,おおいにやっているのだが・・・。さて,その三国志の児童用があったので,とりあえず読んでみることにした。上下二冊の上巻が終わった。赤壁の戦いまでである。
 抄訳ではあるが,けっこう面白い。主人公劉備は水滸伝の登場人物のように,優れた武将ではない。英雄の器ではない。しかし,愚直ないい男である。愛すべき男である。しかし,どこかもの足らない。そこを補うのが,脇を固める豪傑たちである。敵役となる曹操は読者に好まれないように書かれている。しかし,滅法強いのである。劉備に次から次へと試練を与えるわけだ。かくしてドラマは嫌がおうにも盛り上がる。
 
2009年6月23日。火曜日。曇り時々雨。旧暦閏5.1. 乙亥(きのと い)三碧大安。
 シェイクスピア作,西脇順三郎訳「詩 愛人の嘆」(筑摩・世界古典文学全集45)。この卷には詩が載っております。有名なソネット集はこの前読んだので,今回はパスです。ということで,まず「愛人の嘆」という作品ですが,詩のようにありません。ぱっとしない作品です。次作に期待しましょう。
 夜になって小雨が降りましたが,雨らしくありません。
 
2009年6月24日。水曜日。晴れ。旧暦閏5.2. 丙子(ひのえ ね)四緑赤口。
 雨が遠ざかった。たったあれだけの雨で。雨よ降れ降れ降れ,と今日も祈ろう。
 新潮文庫の「銀河鉄道の夜」から,「よだかの星」を読む。何度読んでも胸を打つ。名作である。ただ,わからないのは,絶望の中で救いがないことである。星になったから,救われたのだ,と単純には思ってしまうが,果たしてそれでいいのだろうか。カブトムシを食べて,虫の命を取ることを反省する。そしてカワセミに不必要に魚をとらないように言う。良いことをした,と子どもが読むと思うかもしれない。嫌われ者であっても,よいことをして読者には同情される。そして星になった。よいことをすれば,神様には見放されなくて,星になることができる,ということが書かれているのだろうが,この作品にはそれぞれの動物たちが必死に生きているということが間接的に伝わってくる。だから,胸を打つのかも知れない。
 
2009年6月25日。木曜日。晴れ。旧暦閏5.3. 丁丑(ひのと うし)五黄先勝。
 今日はやや湿度も下がり梅雨らしくない天気。
 丹羽準兵・守屋洋訳「三国志下」(さ・え・ら書房)。関羽,張飛,劉備と,志半ばで去る。跡を継ぐ孔明。しかし,これまた志半ばで病没。星落つ秋風五丈原である。
 
2009年6月27日。土曜日。晴れ。旧暦閏5.5. 己卯(つちのと う)七赤先負。
  日も梅雨とは思われないよいお天気。来週は雨が降りそう。期待しよう。
 「銀河鉄道の夜」(新潮文庫)を読む。未完成作品だけに,注意して読まないとすぐに分からなくなる。今度は何となくわかった。未完成とはいえ,初めと終わりができており,中心の銀河を行く鉄道が夢の中でのことということになるのだから,一つの作品といってもよいが,さらに練られたわかりやすくなっていれば,さらに素晴らしい作品になっていたのではなかろうか。構想が雄大で斬新である。幻想的でありながら,豊富なイメージが鏤められていいる。もし,さらに賢治が生きておれば,カムパネルラの運命は,変わったように思う。現状では,ほぼ絶望的ではあるが。あるは,サソリと反対のことをして死ぬのだから,これ以上の変更はあり得ないとも言える。
 
2009年6月28日。日曜日。晴れ。旧暦閏5.6. 庚辰(かのえ たつ)八白先負。
  今日の夜から雨の予報であったが,そのようではなさそうである。明日は雨ということで,少しは降るのだろうか。備後地方が特に小雨で,他の地域では例年よりは少ないとはいえ,かなり降っているようだ。
 今日もからから天気で,あまり蒸し暑くはなかった。それでもエアコンは使っているが・・・。6月は雨の季節だから,例年背景を水色系統にするのだが,今年は横着をしてこんな色を無造作に設定したのがいけなかったのかも知れない。
 宮沢賢治の「双子の星」はこれまた見事な作品という他はない。完成度も高く,話がわかりやすくて,よい。星座に因んだ擬人化された登場人物たちの役割は賢治固有の想像力が働いていて面白い。それぞれの動物と悪玉善玉のイメージがやや意外であるのが,却ってこの作品の深みを増しているようだ。
 
2009年6月29日。月曜日。雨。旧暦閏5.7. 辛巳(かのと み)九紫大安。
 やっと雨らしい雨が降った。干天の慈雨である。雨喜び(アマヨロコビ)である。あまよろこび,などと書いても知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。興味有る方は,そうですね,郡誌とか町誌とかいう地域の風俗などを記したものを読まれたら記載されているかもしれません。場所によっては,そのときのご馳走まで,だいたい決まっていた,という所もあるでしょう。
 猪木正文著「数式を使わない物理学入門」(光文社)はかなり古い本である。何と昭和38年の出版である。そして今読んでも面白い。中には今ではあまり話題にはならないような話しもあるが,これはこれで夢を育む。
 また,この種の本ではあまり触れられないウィルソンの霧箱(桐箱ではない)などの素粒子の飛跡確認装置については,著者の専門ということもあって詳しく書かれてあって,大変興味深かった。ただし,発明者たちの発想がなぜ生まれたのか理解に苦しむ。それほどに,意外な発明なのである。蒸気の過飽和,沸騰直前の高温(適当な言葉がない。過沸点ととか言うような言葉はないのだろうか)の状態に素粒子や放射線が通過すると相転移が起こるというわけである。ならば,過冷却に当てても起こるのだろうか。
 
 
2009年6月30日。火曜日。雨。旧暦閏5.8. 壬午(つちのえ うま)一白赤口。
 雨マークが出ていたが,午後になって激しく降った。でも夜になると止んだ。もっと降らなければならない。昨日,今日と二日間だけ,雨らしい雨が降った。しかし,5月6月の記録的な小雨を補うにはまだ足りない。もっと降ってもらわないと,夏が大変だ。
 宮沢賢治「虔十公園林」(新潮文庫)はよいお話である。ちょっと頭の弱い虔十が空き地(といっても自分のところの土地だが)に杉を植える。土地が悪いから育たないとみんな悪く言う。確かにそうなる。しかし子ども達が遊び場と重宝する。成人した子ども達が虔十公園林として顕彰する。人の役に立つことの素晴らしさが伝わる。天童さんの「悼む人」にも度々出てくる。誰かの役に立ち感謝されるというだけで,生きた価値があったのだという,現代にも通じる考えである。
 
 6月なのに,雨の心配(降らないことの)ばかりしていたという,変な6月も今日で終わり。小雨の夏など来てほしくない。