2009年11月1日。日曜日。晴れ後雨。旧暦9.15.庚戌(かのえ、いぬ)二黒大安。
午後雨。1ヶ月ぶりに降った感じ。ほんとうに備後地方は雨が少ない。秋雨前線も菜種梅雨も最近到来してないような・・・。
雨マークが出ていたので,晴れているうちに散歩に出てくる。いつもの公園は町内会の文化祭とかをやっているので,雑踏を避けて山の上にある県境の小学校まで上がる。気温も天気もまずまず。桜が赤くなり,遠くのほうに更に赤くなった樹が見える。コオロギが鳴き,野鳥が素早く飛ぶ。10年前は眼下の団地の端まで歩いていたように思う。さて,10年後にはどこまで歩けるか。多分,ここの小学校もなくなっているのではなかろうか。
ここの小学校は閉鎖後は老人ホームにする予定で設計されていると聞いたことがある。日当たりはいいし,自動車の雑音はないし,近くの山は鶯がやかましいほど鳴くところだし,フクロウの鳴き声も聞こえるし,それになにより天国に近いのがいい。ただ,難点を一つあげれば,海が見えないことぐらいか。こういうのは,地震さえなければ東京に住んでもいいというのと同じで,一種の我が儘だから無視してもらえばいい。ここの老人ホームに入る予定があるわけではないし・・。児童数も減っているので,分離してきた元の学校へ統合されるのは時間の問題ではなかろうか。
住宅団地も,そこの家も,人間と同じように成長する。そして,老いる。人間以上に急速に老いる。というのが最近の感想。
久しぶりにトップページの背景を変えました。やや季節はずれですが。いつものようにSunrise Yellowさんからお借りしています。
2009年11月2日。月曜日。晴れ。旧暦9.16.辛亥(かのと、い)一白赤口。
この冬最初の寒波到来。急激な気温の低下は身体に悪い。夜の散歩は止めておく。明日も寒さは収まらないだろう。せっかくの休日がもったいないが,仕方がない。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅲ」(筑摩書房)。「第十九章 コンスタンティウス帝の独裁-ガルス副帝昇任とその死-ユリアヌスをめぐる危機とその即位-サルマタエ戦争およびペルシア戦争-ガリアにおけるユリアヌスの戦果」
コンスタンティヌス大帝とその後継皇帝たちの虐殺ぶりには、ある種の血の伝達があるのではなかろうかと思われなくもない。たとえ悪徳臣下の指嗾があったとしても、それに溺れるところはやはり遺伝だと思われる。そんな血で血を洗うような渦中にあって、大帝の甥であるガルスとユリアヌスがかろうじて生き延びる。そのユリアヌスを歴史の表舞台に登場させるのが、コンスタンティウス二世の皇后、才色兼備のエウセビアである。
ならば、エウセビアはその後ずっとユリアヌスを庇護し続けるのかと思えば、残念ながらそうはならず、ユリアヌスは彼女の嫉妬に悩まされることになる。小説「背教者ユリアヌス」では、どのように描かれていたのか印象にないから、あまり触れられていないのかもしれない。あるいは脇道へ逸れるのを恐れて深く考えずに読んだだけかもしれない。
ユリアヌスとガリアのことは、この章の末尾に出てくる。辻邦生さんが、ユリアヌスを書くきっかけが、ユリアヌスの浴場跡を間近に見たことであるということがエッセーに書かれていたが、カエサルが支配下にいれたガリア、特にパリの文明化はユリアヌスの頃から始まったということであろうか。
2009年11月3日。火曜日。文化の日。晴れ。旧暦9.17.壬子(みずのえ、ね)九紫先勝。
寒波は昨日で峠を越したようだ。寒いがまずまずの天気。
広島県知事選挙の期日前投票に行ってきた。今回はこれといって支持する候補もいないのだが,かといって棄権する積極的な理由もないので,行くことにした。
せっかくの休みだから少し古いものを整理することにした。はじめから刀筆の吏の意識はなかったので,仕事の上ではほとんど記録を残してはいないが,個人用パソコンの中には夥しい文書が残っている。一応日記と題されたものでは,1999年以来印刷していないので,そろそろ打ち出しておいたほうがいい。
古い物を見ると,昭和60年(1985年)12月15日から,ワープロによる日記を始めたようである。ワープロの前は日本語タイプライター「パンライター」を使っていたが,再利用の不可能なことを自覚して以来積極的には利用していないから,パンライターで書いた日記はわずかである。その後,ワープロなるものが出た。リコーかブラザーか,2行ほどが見える液晶画面のものだ。当時,パソコンはやや高価であり,BASICをする程度で,機種の進歩が目覚ましくワープロとしては買う気にならなかった。
その頃はまだ液晶のモニターなど無かったので,ワープロ専用機でブラウン管画面のものが出たら買おうと様子待ちをしていたら,やっとNECから文豪mini7というのが出たので買った。それが昭和60年の12月だろう。それ以来のデータはDOS変換とやらをしてパソコンワープロのほうへ移してある。久しぶりに見て気づいたのだが,1989年のものがデータも打ち出したものもない。データ変換したのさえ,かなり昔のことになるので,どういう事情かは記憶にないが,多分フロッピーが破損したのではなかろうか。
さて,印刷製本してあるのが,1998年末までであるので,10年間も印刷していない。その間に私のものの大部分がB5からA4に移ったという変化がある。したがって今後は,A4にすることにした。
吉村昭さんの「歴史小説集成」では,単行本の巻末についている「あとがき」と「参考文献」が掲載されていないので,「アメリカ彦蔵」(讀賣新聞社),「長英逃亡」(毎日新聞社)を借りてきて,そこだけ読んだ。資料の扱い方,調査の苦労,資料のない処の書き方等参考になる。また,参考文献を見ると主人公についてはかなりの研究書が公になり,人物としては相当周知のものを小説として書いたということがわかる。
彦蔵で思い出したが,「蔵」という字を子どもの名前に使った。高校になって何かの書類に書く必用があって「難しい字だね。こんなに書くのが難しいとは思わなかった」と言ったら,「今更言うなよ」と言われて返す言葉なかった。しかし,後年,大学に入り風邪をひいて医務室へ行ったときそこの先生が「かっこいい名前だね」と言ってくれたと,帰省して満足そうに話していたので,積年の胸のつかえが下りた。
2009年11月4日。水曜日。晴れ。旧暦9.18.癸丑(みずのと、うし)八白友引。
11月下旬を思わせるほどの寒さだった。
ニーチェの「この人を見よ」(手塚富雄訳・岩波文庫)は,昭和46年4月30日に買って,5月14日に読み終わっている。その後時々開いたりはしている。わかりやすいところもある。論争の方針として,「第一に,私は勝ち誇っているような事柄だけを攻撃する」「第二に,わたしはわたしの同盟者が見つかりそうにもない事柄,わたしが孤立し-わたしだけが危険にさらされるであろうような事柄だけを攻撃する」「第三に,わたしは決して個人を攻撃しない」「第四に,わたしは,個人的不和の影などはいっさい帯びず,いやな目にあったというような背後の因縁がまったくない,そういう対象だけを攻撃する」(以上p.35)と書く。何とも苛烈ではないか。ここまでの決意で発言できる人が何人いるであろうか。
「ゼロの焦点」の映画化は二度目なのだろうか。前作は二度見て,本も読んだ。横溝正史の「悪魔の手鞠唄」とともに好きなものだ。「悪魔の手鞠唄」の過去の解明された像に対して「ゼロの焦点」が現在形で進むから,スリルはこちらの方がまさる。いつ頃読んだのだろうかと思い,新潮文庫を取り出してみたら小さく「~1989.5.31」と記してあった。日記では失われている一年のようだ。印象深いシーンはいくらか覚えているが,はじめの方を読み直してみると,行き詰まるほどの主人公の描写に圧倒される。男36歳,女26歳の晩婚ではあるが,現在ならそうでもあるまい。
2009年11月5日。木曜日。晴れ。旧暦9.19.甲寅(きのえ、とら)七赤先負。
吉村昭さんの「大黒屋光太夫 下」(毎日新聞社)と「生麦事件」(新潮社)を借りてきて「あとがき」と「参考文献」を読む。おもしろい。岩波の「歴史小説集成」に再録されていないのが残念である。
レヴィ=ストロース氏が亡くなられた。室淳介氏の訳になる「悲しき南回帰線」(講談社文庫)を読んだのは大昔のことである。いつ頃のことだろうかと思って,文庫本の外国作品のスのところを捜したら幸いに出てきた。しかし,「48.10.05」というゴム印が上下ともに押してあるだけで,読んだ日付は書いていなかった。最後まで読んだように思っている。その日付を確かめるノートは今は手元にない。退屈はしなかったが,その後他の著作を読んでいないのは,単に廉価なストロースのものが目につかなかったからだろう。アマゾンとブラジルについては後年,移民関係の本を読んで,再読したいと思って,世界の名著59を時々開いたが進んでいない。それと雑誌で対談などを読んだことがある程度。・・ということであるが,ご冥福をお祈りしたい。
2009年11月6日。金曜日。晴れ。旧暦9.20.乙卯(きのと、う)六白仏滅。
寒波が遠ざかり,平年並みの秋に戻ったようだ。木々は紅葉してますます秋らしくなる。庭の石蕗の黄色い花が枯葉の中で一際鮮やかだ。葉はジュラシックパークのような感じで昔から好きではないが,花の色はよい。石蕗の花の下ではメダカの子が泳いでいる。夏の後半餌を余りやらなかったのと,秋が早く涼しくなったので,遅く生まれた子らの成長が遅い。ここ二三日はできるだけ餌をやるようにしているが,この時期では成長に結びつかない。
最近,驚くような事件や事故が頻発している。いろいろと考察したいのはやまやまだが,このホームページを開設したとき以来の,事件と薬品のことについては書かないという原則をやはり守りたい。
昨日,三人の七十歳の方のお話を聞く機会があった。三人ともエネルギッシュに活躍されている方々だが,その人たちのお話を聞きながら,人生の目標を七十にしようと思った。即ち,定年退職後に第二の人生だという意識がもしあったとしても,その第二の人生が永久に続くものではないのだから,この区切りを七十歳にすべきだと思った。その後は,ほんとに余生だろう。もし生きていても。
したがって,定年後の十年間だけは,目標をもってできるだけのことはしよう。ただし,期限付きで,残してはいけない,ということで。
昔,NHKのアナウンサーで読書家の鈴木健二さんの書かれた「30代に男がしておかなければならないこと」という本を,30代の私は読んだ。最近,この本を見ていないので,もう散佚したのかもしれないが,今でも強く印象に残っている。男が40代50代で仕事ができるのは30代にした結果だということが書かれてあった。40代になって特別のことができるのではない,ということであったと思う。そのアドバイスに従って,30代の私は猛烈に働き,猛烈に本を読んだ。その結果として,鈴木さんのおっしゃられた通り,充実の40代50代があったように思う。もう一つ,30代で家を建てておくことというのもあったが,これは実践しなかった。
ということで,第二の人生は,たったの10年間だと覚悟して,綿密なプラン作りと,体力作りと,助走が必用だろう。
2009年11月8日。日曜日。晴れ。旧暦9.22.丁巳(ひのと、み)四緑赤口。
珍しく暖かい日で,久し振りに窓を開けたままで,昼寝をしたり・・・という一日でした。そして午前,午後と散歩。先日の寒波のせいか紅葉が驚くほど進みました。桜,台湾楓ははまさに紅葉。落ち葉は真っ赤です。銀杏とポプラは黄緑色で日々変わっていきます。銀杏がやや黄色が強いようです。家のまわりの溝にも,近くの公園の桜の葉がやってくる。風の通路でもあるし,これは仕方がない。掃除をしていると,白の山茶花が一輪咲いていた。咲き終わりの頃,高さをそろえるために大幅にカットしたので,今年はあまり咲かないだろうと思っていたが,たくさん蕾が膨らんでいる。
部屋を片づけていて,このところ,面倒なものは皆二階に上げて,そのつもりになっていることに気づいた。何年か前,できる問題から解き,できない問題は後回しにするのが試験問題を解く秘訣で,受験エリートの官僚にはその体質が染みこんでいるので,難しい問題は後回しになり,結局いつまでも解決しない・・・などという説を読んで感心したことを思い出し,苦笑。
できるところからして,できないものは後回し,というのはことさら試験にかぎらず,我々の日常においても,よく取られるパターンではなかろうか。そうしたほうが能率もよい。できるところからやっていくというのは,科学研究でも当然のことで,それが依拠するデカルトの合理主義もそうなっており,そのことは「方法序説」のはじめのほうの方法にあったような・・・・。
ということで,整理整頓もできるところからやり,最後の山は別の部屋へ,というので,いいのかも。
2009年11月9日。月曜日。晴れ。旧暦9.23.戊午(つちのえ、うま)三碧先勝。
蒸し暑い日だった。昼過ぎ少し雨が降ったが,まるで降ったとは言えない程度。11月も今日で三分の一が終わり,いよいよ秋から冬へと季節は移り変わる。季節の変わり目だからというわけではないのだろうが,お腹の大きい猫がまた家のまわりをうろつきはじめた。我が国の現状をみるにつけ,猫のことであろうとも,お目出たい限りだと言いたいところであるが,でも,困る。幸い,産んでそのままにした親はかつていなくて,何日かすると親子ともどもいなくなるのだが,それでもいい気持ちはしない。生まれたての仔猫は可愛いのだが,行く末の宿命を考えるとやはり喜べない。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅲ」(筑摩書房) 「第二十章 コンスタンティヌス大帝改信の動機,およびその効果-キリスト教,すなわちカトリック教会の公認とその組織」
前章でユリアヌスの時代まで行ったのにまた,ここで戻ってキリスト教について延々と述べられる。ただし,改信の動機についてはよくわからない。しかし,その後の公認にともなう庇護に,教会内部の腐敗の萌芽があることがよくわかった。体制内に組み込まれることの危険性からキリスト教においても逃れることができなかったことがわかる。
2009年11月10日。火曜日。曇り。午後雨。旧暦9.24.己未(つちのと、ひつじ)二黒友引。
40日振りの本格的な雨で,久々に夕食後の散歩を中止する。何となく運動不足。
午後,4時間ほど小さな会議があったのだが,クッションの悪い椅子に座っていたせいか,最後のほうで腰が痛くなった。クッションが悪いだけで日ごろは快適に使っている椅子なのに・・・。やはり,もう若くはないのだ,とまた認識した一こまであった。
アランの著作というのは,私たちの世代より少し前の世代によく読まれたのではないかと,勝手に想像するだけなのだが,世界の名著のものも,岩波文庫の「幸福論」も強く惹きつけられるところがないと思っていたのだが,昨夜,半分眠りながらどこということなく開いて読んだ一節は,朝になっても妙に印象が残っている。それはどの部分であったのだろうかと,改めてページをめくってみると,102頁にある「29 運命について」というところであった。「お金はそれを崇拝する者のところへ行く。」(p.105)お金なんかよりも芸術のほうがはるかに価値がある,などと嘯いている男はいつまでも貧乏であろう。お金こそが人生を左右すると信じている男は大抵金持ちになっている,というような考え方である。その通りだと思う。しかし,60を前にして,今更,お金こそが至上の価値だと考え方を変更しようとも思わない。だから,いつまでたってもお金は貯まりはしない。
2009年11月11日。水曜日。雨。午後曇り。旧暦9.25.庚申(かのえ、さる)一白先負。
昼過ぎに雨はやんだが風が強く吹いていた。低気圧の影響だろう。公園の桜の葉が玄関のほうへまで飛んできていた。桜の葉は半分ほど無くなった。
吉村昭さんの「七十五度目の長崎行き」(河出書房新社)の中の三陸海岸旅行記「陸中海岸の明暗」をgoogleの地図を見ながら読んだ。 日本のチベットなどと呼ばれる漁村を舞台に「星への旅」「海の奇蹟」という本が書かれたということであった。
吉村さんの海や漁村を舞台にした小説に見られる独特の暗く閉鎖的な印象は,島田荘司さんの「飛鳥のガラスの靴」に出てきた漁村とともに深く印象に残っていたので,それらの舞台かと思って興味津々で読んだ。「海の奇蹟」もそれらと同じような印象で読んだものと思っていた。そして「星への旅」はまだ読んでないので読んでみなければ,とも思った。
・・・ところが,確認するための書棚を捜したら読んであるのは「星への旅」のほうで,「海の奇蹟」は見あたらないから,まだ読んでないということがわかった。2006年12月13日の夕凪亭閑話にも書いてあるので,間違いはないようである。
さて,その旅行記のほうであるが,六時間ものバスの旅と聞いただけで,パラグアイを思い出した。パラグアイの事情は多くの本で読んでいるのでたいていのことは驚かない。ともあれ,観光バスとか高速バスでなく,他の交通機関がなくての長距離のバスというのは,閉所恐怖症のような気持ちになって息苦しくなった。それでも,機会があったら一度行ってみたいな,いや,やはり止めておこう,という感情の揺れを初めから終わりまで感じながら読んだ不思議な旅行記だった。
2009年11月12日。木曜日。晴れ。旧暦9.26.辛酉(かのと、とり)九紫仏滅。
夕凪亭の午前7時15分の気温が15.8℃だから,随分寒くなったものだと思う。最近では,ずっと上着を着ている。夜も,曇っているわりには気温は低く,石油ストーブを点けたり消したりしている。
秋山虔「源氏物語 若い人への古典案内」(現代教養文庫)は,もう若くはない私にとっても随分よくわかる古典案内だと思う。岩波新書の第一印象がよくないので,こちらにも期待はしていなかったのだが,物語が進むに連れて益々よい本だと思い出した。岩波新書が成立論(?),こちらがダイジェストという違いのせいかも知れない。こちらが終われば,岩波新書に再チャレンジしてもいい,と思っている。それはさておき,こちらのダイジェストはダイジェストでありながら,結構感動できる。解説でもなく,粗筋でもなく,やはり見事なダイジェストであると,言っておこう。
そして,ふと思ったのだが,前半では光源氏の浮き名とともに,それぞれの女性の個性に目が移り,登場する男性たちがみな同じように見えてしまう。勿論,はじめのほうの雨夜の品定めの条では,それぞれ好みを主張するのだが。しかし,須磨,明石に出てくる明石の入道は,特別の存在で,なかなか興味深い。こんなところにも紫式部の才能が発揮されている。
2009年11月13日。金曜日。雨。旧暦9.27壬戌(みずのえ、いぬ)八白大安。
朝から雨。秋雨というより,冬の雨。13日の金曜日だが,大安。
一日中,市内のホテルで仕事。日中は晴れていたと聞いたが,外を見なかったのでわからない。9時過ぎに帰るときは,激しい雨。
数日前から,「井上靖全詩集」(新潮文庫)というのを出して眺めていたのだが,以前もっていたイメージがないので驚いた。91年から92年頃に読んで,随分感激したものだが,その時の感じとかなり異なる。私のもっていた散文詩というものの考え方が変わったわけではないのだが。ボードレールはどうだっただろうかと思い,二階に上がってみると岩波文庫の「パリの憂愁」「悪の華」,そして堀口大學訳「ボードレール詩集」があったので,持っておりた。こちらは難しい。
2009年11月14日。土曜日。雨のち晴れ。旧暦9.28癸亥(みずのと、い)七赤赤口。さんりんぼう。
今日も午前中,同じホテルで仕事。午後はいつものように,昼寝と散歩。
昨日は,福山大学副学長の松田文子先生の講演をお聞きした。少子化,核家族化などで子どもの社会性が育ちにくくなっているなど,現代社会の特に最近の半世紀あまりの変化をもとに子どもをとりまく環境,生育の環境が大きく変わったことを指摘され,今およびこれから大人たちはどうすればいいかというお話であった。まことに説得力のあるお話であったが,それ故に,なぜそれに対応して学校や社会がシフトしてこなかったのかという疑問が残った。これだけ社会が激変し,こどもを取り巻く環境が大きくかわったというのに,学校をはじめとする社会の容器のほうは旧態依然の外形で乗り越えようとしている。
そして,家庭や親にできる日常的対応のいくつかが提案された。例えば,子どもの自我を強くすることを援助する,社会性を身につけるのを助けるなど。しかし,これらの方策がマニュアルどうりあてはまるわけはないであろうから,個々の親が真剣に考えるということを前提にしなければ成り立たないだろう。
今日は,小型ヘリコプターメーカー社長の松阪敬太郎さんの講演をお聞きした。プロジェクトXでも紹介された倒産寸前の紡績工場から小型ヘリメーカーへ転換の動機が人を喜ばせたいという夢にその原点があったという感動的なお話であった。数ヶ月前のご講演と合わせて,夢の共有というロマンに魅了された。
2009年11月15日。日曜日。晴れ。旧暦9.29.甲子(きのえ、ね)六白先勝。七五三。
結局,朝まで夕凪亭で寝てしまった。あまりよくないことだが。午前中,因島へ。昼過ぎに道端で売っている蜜柑を買って帰りました。
溝に集まった桜の葉を掃除して,二時頃の一番気温の高い頃をねらって県境の小学校のほうへ散歩。桜は八割方散って,山漆なども赤くなっている。坂を上がるにつれて高圧線がヒュヒュウと鳴り,確かに冬だと再確認。帰りは,滑走路のような長い直線道路は風が当たるので,住宅街の中を帰る。日曜日の午後だから,庭を見ればだいたい家族構成が想像できる。以前に比べて老人世帯が増えたことが明らかに分かる。
帰ってから昼寝。夕食後,黄昏の中をさらに少し離れた公園へ行って散歩。
玉鬘に出てくる豊後介という男も源氏物語の中では特異な人物です。夕顔の遺児玉鬘を太宰の少弐の遺言を果たすべく,その長男の豊後介は玉鬘を上洛させます。地方豪族の横暴にすべての人たちが屈してしまう中,一人敢然と兄弟姉妹を九州に置いて恐怖の中を無事都へ届けます。状況としては豊後介も屈しても当然と思われるような場面ですから,その意志の強さには敬服します。その玉鬘が運良く源氏の保護下に入るきっかけとなる長谷寺詣のところもなかなかドラマチックで感動的です。余談ながら,長谷寺参拝の記憶はなまなましいのに,考えてみれば早いもので,3,4年が経つのではないでしょうか。近鉄でさらに伊勢のほうへ行けば,映画にも出てきた赤目四十八滝があるようだが,今後も,そこまでいくことはないでしょう。
その後の展開もおもしろいのだが,省略。かくして,教養文庫版源氏物語も宇治十帖を残すのみとなった。
2009年11月16日。月曜日。晴れ。旧暦9.30.乙丑(きのと、うし)五黄友引。
夕凪亭の午前5時の気温は12.8℃。少し寒いように思う。
昔,子どものホームページで,「キリ番ゲットだぜ!」とか「ゾロ目獲得!」などという文字を見て,驚いたことがある。しばらく何のことか分からなかったが,カウンターの数字遊びのことと分かって感心した。子どもというのは何でも遊びにしてしまう。考えてみれば,自分の開いたときに目的の数字になるかどうかは,なかなか難しい。待っていたら他人に取られてしまう。かといって早く行って一つ手前ならアウトだ。二つ手前なら,一人が進めてその直後にヒットさせるのをひたすら努めるというのでいいのだろうか。三つ手前なら,一人が入った後になると,一つ手前になりアウト。二人が進めるのを待たなければならないが,その後を逃すと,やはり他人のところへいく。以上がキリ番ゲットの数学。奧が深い。何はともあれ,祝5000ヒット!
源氏巡りの続き。記憶の新しい宇治十帖は置いておいて,今日は,折口信夫,池田弥三郎「国文学」(慶應通信)を開けてみた。これは,私の青春の尻尾である。通信教育の教科書である。かつて慶應義塾大学通信教育部の文学部の学生だったことがある。このことは,履歴書には書かなかったので,いつ入学していつ退学したか,定かではない。その頃の日記なりノートを開けてみればわかるかも知れないのだが・・。
表紙に「24 APR 1980」というゴム印が押してあり,その左に赤ペンでNO.11,下に(4)と書いてある。ゴム印はロンドンで買ってきたものだから,当時は珍しいものだった。以上三点が私が受けとった時の記録である。NO.11というのは11冊目の教科書という意味だろう。「24 APR 1980」は言うまでもなく,受けとった日付のことである。(4)はその時4冊あったのか,それとも4回目の配送だったのか,今となっては覚えていない。
その頃,慶應大学の通信教育は入学生の3%しか,卒業しないというくらいシビアなものであった。そして私はといえば,多数派に属して,期限がきて,退学ということになったはずである。授業料は完納したから,除籍というわけではないと思う。除籍か退学かという問題については,吉村昭さんや五木寛之さんのエッセーに同じような話がでてくる。
たかが教科書,されど教科書。不完全燃焼の青春はいつまでもくすぶり続けるものらしい。レポートを書いて,単位を取っておれば,もはや振り返る必用もないのに,そうしなかったばっかりに今も離せない。いつまでたっても蜥蜴のように尻尾を切り捨てて,先に進むことができない。
宇治十帖については「第一部第二部に比べては,二流文学と断定して,差支えない」(268頁)とか,「源氏物語の読者としては,この長い物語の,第三部を形成する卷々は,思い切って,敢えてカットしてしまっていい部分である。少なくとも,異質のものとして扱うべきであろう」(269頁)と,小気味よく裁断される。
2009年11月17日。火曜日。晴れ。旧暦10.1.丙寅(ひのえ、とら)四緑仏滅。
昨夜12時くらいから雨が降り出して,ずっと降っていたようである。昼過ぎに止む。寒い。
吉村昭「七十五度目の長崎行き」(河出書房新社)は, 前半が主として旅行記,後半が記録文学的エッセーで,作品の舞台や背景が書かれたものが多く,大変興味深く読んだ。
早いもので11月も折り返し点を越えた。毎週毎週何かがあり,一週間の予定ばかり考えていたら,もうここまで来ていたという感じだ。まさに木を見て森を見ずだ。しかし,どうあがいても時の進行に抗すべきもない。だが,時間の船に乗ることはできる。日々積み上げていけば,膨大な量が堆積することは確かだ。絵を描く人は毎日少しずつ,というように。しかし,そんな趣味のない私としては,少しずつ読んでいくだけだ。今は,朝読のほうが「ローマ帝国衰亡史」で,夜読が「菅茶山」。夜読の予定については,最近書いたように,「頼山陽とその時代」,「北条霞亭」,「伊澤蘭軒」,「蠣崎波響の生涯」などの江戸の漢詩系の文人がよさそうである。
朝読のほうは,次を「千夜一夜物語」にして,終わりにしようと思っていたのだが,11月5日に考えたように,69歳まで続けることができるとしたら,順序を変えて,やや敷居の高いドストエフスキーを先にして,以下,ギリシア悲劇,千一夜物語,プルタルコスの英雄伝,プラトン全集,四書五経・・・など。これらは以前にも候補に上がっていたのだが,先送りにしてきたので,どこまで選ばれるか自信はないが。それに,もし生きておれば,ということで。
朝からドストエフスキーというのは,朝からビフテキを食べるようなもので,胃にもたれそうである。だが,「白痴」と「賭博者」を我慢すれば,他は短編であるから,まあいいか,と楽観的に考えておこう。朝読はややペースが落ちたので,それぞれが一年では終わらないかもしれない。
2009年11月18日。水曜日。晴れ。旧暦10.2.丁卯(ひのと,う)三碧大安。
そうか,今日は大安だったのか。それで時ならぬ,西の空だけが明るい頃に,(隣の結婚式場の)教会の鐘が鳴っていたのか・・・。
当たり前のことだが,日向は暖かく,日陰は寒い。すなわち冬の日。そんな一日だった。
久々に,小野寺健編訳「20世紀イギリス短篇選 上」(岩波文庫)から。H・E・ベイツ「単純な生活」を読んだ。夫は週末嬉々として山小屋へ行く。妻はその単調な生活が大嫌いである。こういう関係はわからぬでもない。ところが大雪が降って,土地の使用人の息子が世話をしにやってきたことから、一転する。D・H・ロレンス流に妻と少年の関係が進むのだろうと思ったが,見事に話をそらされてしまった。途中,妻の気持ちの描写で,昔流に言えば,レコードの針が飛ぶようなところがあったが,そういう心理を書こうとしたのかもしれない。あるいは,訳者の解説にある「英国人でないとわかりにくいのかもしれないと思われる面があるが」(p.319)に相当したところかもしれない。
海外長編小説ベスト20を報じる新聞の切り抜きがデスクマットの間にはさんであって,時々無言の圧力を与えられて1年以上がたつ。昨夜,その雑誌のバックナンバーを注文しようとしたら,品切れになっていたので,図書館の予約を入れたら,今日の午後届いたので,借りてきた。
「考える人」(2008年春号)である。まず,グラビアは琵琶湖の美しい自然。思わず,かつて今津の「琵琶湖周航の歌記念館」で買ってきた下澤忠夫写真集「湖国光響」(東方出版)を出して開く。定年後に住んでもいい土地・・琵琶湖周辺,高知,阿蘇山などなど,と思う。
さて,その特集「海外の長編小説ベスト100」だが,その選び方と,選者が気になるところ。選者さん達129人のうち,私がよく読んでいる人が二人,一二冊は読んだことのある人が数人。要するに,私の趣味に合う著作家の人たちは既に亡くなられたり,第一線から隠退されている方が多いのだから,気にすることはないということがわかった。
出版社の,本を売るための宣伝企画と言ってもいいものだが,結果はなかなか面白いのでランクだけでもコピーしておきたい。それを,順次塗りつぶしていこうなどと思う年齢は十分に過ぎているので,そういうことはしないが・・・。
2009年11月19日。木曜日。晴れ。旧暦10.3.戊辰(つちのえ,たつ)二黒赤口。
日没後,山の端は赤く染まりその赤が蒼にかわったところに細い三日月が出ていた。よく晴れて夕風は冷たい。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅲ」(筑摩書房) 「第二一章 異端に対する迫害-ドナティスト派の分離-アリウス派論争-アタナシウス-コンスタンティヌス帝およびその息子帝たち治下における教会と帝国の混乱-異教への寛容」
キリスト教に限らずとも起こることだと思うが,禁止されているうちは,それぞれの流派の違いはあっても,それを強く主張する必用はないだろう。それが一度公認されるや,我こそが正当だ,主流だと本家争いが起こるのは,ごく当たり前のことのように思われる。それが,宗教の場合は,他派との違いを明らかにし,他を否定することによって自己の立場を確立していかなければ,存在基盤そのものが危うくなるだろう。だから,同じキリスト教でありながら,何と言うことを・・・という外野の批判とは関係なく驚くような戦いが起こるのである。そういう血腥い話。ただ,キリスト教公認後には異端となった古代ローマの神々については,意外と寛容であったと記されている。そうでなければ,背教者ユリアヌスの出番がなくなる。よくしたもので,多少は逆戻りもあり得たという状況だったのだ。
「海外の長編小説ベスト100」(続き) さて,選び方についてはp.50に書いてある。選者に10作品を順位をつけて挙げてもらい,1位を10点,以下10位を1点として,順位のない場合はすべて1点として集計し,上位から並べたというもの。これはこれで妥当なことだと思う。
第1位 ガルシア=マルケス,「百年の孤独」207点で37人。
去年の4月,新聞でこの特集のことを知り,早速購入してみた。鼓直訳。新潮社。20頁ほど読んで,その後すすんでいない。気長に,そして所々読んだりしてみたいとは思うが,現時点では,あまり興味がない,ということを記しておきましょう。マルケスは1928年のコロンビア生まれということで,原文はスペイン語だろう。気が向いたら買うかも知れないが,今はそのつもりはない。
2009年11月20日。金曜日。晴れ。旧暦10.4.己巳(つちのと,み)一白先勝。
4時過ぎに起きて,7時前に仮眠をとるつもりが,そのまま起きていたので,今日は一日中,昼行灯だった。午後から寒波が少し緩んだので,夕食後歩いてきた。暗いのに鰯雲のような雲が出て,見えるのは三日月と木星だけ。
兵隊に妻子がついて行くという話が、奇しくも吉村昭さんとギボンに出てきたので,書いておく。吉村昭「回り灯籠」(筑摩書房)の111頁の「天狗勢と女」には「天狗争乱」の水戸天狗党について行った女・子どものことが書かれており,アメリカ映画「モロッコ」を思い出したと書かれてある。(長崎行きのほうにも,似たような話がある)。ギボンのほうは,衰亡史Ⅲの278頁。ユリアヌスがアルプス越えを余儀なくされた兵士たちに対してとった措置。「彼はそこで夥しい数の駅馬車を動員し,兵たちの妻女や家族たちの輸送を許した。彼としては心ならずも課せざるをえなくなった苦難に対し,せめては軽減の努力を払ったのだ。」 ユリアヌス副帝が,ガリアで皇帝に推挙される少し前の話。西暦360年のこと。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第2位 プルースト,「失われた時を求めて」163点で25人。
どこまで買ってあるのだろうか,と二階に行って捜してきた。いずれも井上究一郎訳で,ちくま文庫で3巻まで,筑摩の世界文学全集48巻(A5版の黒いもの)「ソドムとゴモラ」。文庫本の4,5卷が飛んでいることになる。
どこまで読んだのだろうかと,見てみると,1巻の436ページで止まっている。・・という具合に青春の挫折の痕跡は,今後も累々と続くことであろう。以前にも書いたように,今できないことが定年後にできるなどとは思ってもいないので,定年後に読みたいというような夢のまた夢のようなことは書かない。しばらくの間,このランキングに沿って夕凪亭の本棚に並べてみよう。
明日から晩秋ではなく,初冬三連休。食事と果物を除く菓子類等を口に入れまい,というのが生活目標。克己!
2009年11月21日。土曜日。晴れ。旧暦10.5.庚午(かのえ,うま)九紫友引。
少し寒いが二時頃散歩。夕方も。月があまり大きくならない。
吉村昭「回り灯籠」(筑摩書房)終わる。「ちくま」に連載されたとき,時々読んでいたものもあったが通して読んだ。それに「新潟日報」に連載された新潟県にまつわるエッッセー。それから城山三郎さんとの対談「きみの流儀・ぼくの流儀」の三部構成。
どこを読んでもおもしろいのだが,一つ気になることが書いてあったので書いておこう。城山さんの発言「海なんて,そう毎日は見てられないですよ。海は変化ないから,見てるとボケる気がする。むしろ山は春夏秋冬変わるでしょう。だから年を取ったら山の見えるところに住めと言う人がいますね。そうすると座りながら変化を楽しめるから。」(p.213)
城山さんの海というのは茅ヶ崎の海で太平洋のことだろう。かつて響堂新さんに車で三浦半島の先端を案内してもらったことがある。ただただ広大な視界に圧倒されて海の変化が小さく見えた。それでも浦賀の港には漁船やプレジャーボートがたくさん係留されていて狭い道との対照が随分風情があった。・・・三島さんの「天人五衰」の冒頭は,伊豆の海の変化が延々と書き連ねてあったではないか。それに,私の理想とする瀬戸内海は朝夕四季折々変化に富んでいることは太平洋の比ではないと思うが。とはいえ,客観的に考えると,四季を通じての変化という点では確かに山には負けるのは事実だろう。瀬戸内の山は山というほど高くはないし,ボケ防止にどちらがいいか,今後の課題としておこう。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第3位 ドストエフスキー,「カラマーゾフの兄弟」155点で20人。
手元にあるのは,米川正夫訳の岩波文庫全四冊と亀山郁夫訳の光文社古典新訳文庫全五冊。最後まで読んだのは,岩波文庫。それに劇団四季だったかどうかも,もう忘れたが舞台もあって見た。それらの日付を確かめることはできなかった。おそらく,記録として残していないのではないかと思う。ただ残っているのは岩波文庫を購入した日付のみである。一巻が昭和46年12月27日,二巻が昭和47年4月7日。三巻四巻が8月1日である。このことから推定すれば,その年の秋には読み終わっていたのではなかろうか。
世界文学の最高作品であるという多くの評者の見解をかつても信じていたし,それを確かめるべく他の作品をすべて読んでないのだから,今も同じように信じていることに変わりはない。だからこの作品を読み終わった日には,地球が反対に回り出すのではないかと,当時の私は密かに期待していた。しかし,第四巻の最終頁の最後の一行を読んでも,何も起こらなかった。私の目の前には,以前と同じ空空莫莫たる空間が広がっているだけだった。このような期待と認識が,その後の大長編小説を読む努力を喪失させたのもまた事実であった。
連休1日目の生活目標は,何とか達成。
2009年11月22日。日曜日。曇り後雨。旧暦10.6.辛羊(かのと,ひつじ)八白先負。小雪。
今日は朝昼夕と3回散歩する予定だったが,昼頃から降り始めた雨は予想外に本格的に降り出して朝の散歩だけしかできなかった。まとまった雨はメダカ池を満たすのでうれしいが,冬の雨は冷たい。
吉村昭「欠けた椀」(新潮社『島抜け』所収)は,山梨県の飢饉に材を得た歴史短編。息子が餓死し,次いで妻も餓死するという,哀しくも悲惨な状況を描いたもの。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第4位 セルバンテス,「ドン・キホーテ」135点で18人。
持っているのは集英社の世界文学全集愛蔵版3の会田由訳の正編のみ。いつものことであるが,ほとんど読んでいない。
だからまだ後編など買う必用もないのだが,岩波文庫でもよいが,ここは筑摩の古典世界文学全集のものが古本であるので,重複するが前後セットで求めておこうと思ってはいるものの,実行していない。
この世界古典文学全集全50卷(54冊)は,たいていどこの図書館にもあって借りれば済むのだが,私のように書き込みをする人間にとっては手元に置いておくと何かにつけ重宝である。とはいえ未だ揃っていない。以前どこかに書いたように,まず35冊を若気の至りでホルプのセット販売で7万5千円で買ったのが昭和53年頃だろうか。その後,読むつもりで千夜一夜物語4冊を買いたし,先年シェイクスピア6冊を買って読んで(これは昨年から今年にかけて書いた通り),残りはわずか。
残りは以下のようになっている。「17老子荘子」。これは古本でもでてこない。明治の新釈漢文大系で買った。福永光司さんのものなら朝日文庫や朝日選書に同じものではないが,あると思う。「24ABC三国志Ⅰ~Ⅲ」「30AB韓愈ⅠⅡ」。これらも古本になかった。これらは第一次配本の昭和39年頃には揃ってなかったものだ。「39 40セルバンテスⅠⅡ」。買うべし。「50 ゲーテ」。内容はファウストとゲーテ詩抄,大山定一訳。ファウストは讀賣文学賞を受賞された手塚富雄訳の中央公論版があるので,今のところ必用なし。という訳でございます。ついでながら,三段組みの筑摩世界文学大系と一部重複があるが,こちらは二段組で読みやすい。
二日目も生活目標を守りました。
2009年11月23日。月曜日。晴れ。旧暦10.7.壬申(みずのえ,さる)七赤仏滅。勤労感謝の日。
朝昼と散歩していると,今日のように明るい日ざしの元では,余計に家々の光沢が気になった。まだ20年も経っていないのに,こんなに褪色していいのだろうか,というような家が多い。それほどわれわれは苛酷な環境に生きているのだろうか。熱,紫外線,酸性雨,埃,カビ等の細菌類,以上5種が壁や屋根を褪色させる原因だと思う。何年経っても変わらないように見えるのが,やや濃い茶の系統。同じようなかつての新建材だが,やはりいいものは高かったのではないかと思う。夕凪亭の外壁は白っぽいグレーの安物。
夕食後は,暗くなっていた。花王石鹸からやや成長した月が木星に何か話しかけている構図・・・。天頂にはカシオペア座。
教養文庫版源氏物語で宇治十帖の前半を読んだ。前半のさらに前半は薫の出生のこと,後半が大君,中君と薫,匂宮との出来事である。確かに本編と比べればちょっと調子が違う。しかし,これらを独立した短編小説のようなつもりで読むと,これはこれで素晴らしい。勿論人物の関係は本編を引き継いではいるが,あまり気にする必用はない。風習の違いさえ乗り越えれば,現代小説を読むような感覚で通用する。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第5位 カフカ,「城」134点で22人。
こんなに高い位置にあるとは思ってもみなかった。人数から言えば4位です。こちらは河出のカラー版世界文学全集38の原田義人訳。こうして一冊ずつ降ろしてくると,相当投資したように見えるが,いずれも105円の古書である。紙質も素晴らしいし,ついつい買ってしまうのである。ただ,今も昔も置き場所に苦労していることには,変わりはない。これも初めのほうだけしか読んでいないが,おもしろくなかった訳ではない。
第6位 ドストエフスキー,「罪と罰」119点で18人。
こちらは意外と低い。もっと上位に来るかと思っていた。読んだのは集英社の世界文学全集,江川卓訳。図書館で借りたもの。高校2年か3年だろう。記録を捜しても出てこないと思う。その後,これも大昔の話だが,メールオーダーという会社があって,1回目の配本だけを無料でくれて,以降は断りの葉書を出せばいい,というような方法でさまざまなシリーズの案内がきていたことがあった。ブルーワーカーという,ピストンとロープが組み合わさった運動具の日本発売元である。その一つが米川正夫訳の「罪と罰」(ロシア文学全集1)。こちらは,いろんなところを拾い読み。1972年5月10日9版発行となっている。その頃いただいたものだろう。思い出した。ブルーワーカーを買った友人が紹介欄に書いたので,案内が来だしたのだ。
「罪と罰」は映画も見た。暗い青年が川に飛び込むシーンが印象に残っている。
ということで,5位と6位,二つあわせても105円。とはいうものの,床の補強,本棚や本棚用の板,子どもの生活空間の圧迫・・・。読んで古本屋へもって行く人たちのほうが利口なのかも知れない。今日は文化の日ではないが,文化というものにはお金がかかるらしい。
三日目も生活目標を守りました。明日からの反動に備えるべし。
2009年11月24日。火曜日。曇り後雨。旧暦10.8.癸酉(みずのと,とり)六白大安。
昨日の好天気が嘘のように寒い日だと思っていたら,午後になって雨が降り出した。気温も益々下がり,まるで真冬。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅲ」(筑摩書房) 「第二十二章 ユリアヌス,ガリア軍団に推され皇帝を名乗る-その進撃と勝利-コンスタンティウス帝の死-ユリアヌス帝の民政」
いよいよというか,やっとというか,ユリアヌス篇である。この特異な哲人皇帝の登場によってギボンの筆は,一段と勇躍する。その運命,性格,能力,努力,環境,時代・・いずれもドラマならざるは無し。辻邦生さんならずとも,魅了されよう。これほど愛すべき人物は多士済々のローマ史の中でもそんなに多くはいまい。ギボンなど長すぎて・・という方はこの章だけでも読んでみられるがよい。そして,もし時間があれば,あわせて辻さんの畢竟の大作「背教者ユリアヌス」も。とはいえ,ユリアヌスはこれで歴史の舞台から去るわけではなさそうである。次卷の二章がさらに費やされる。
ともあれ,やっと三卷目が終わった。一月半もかかっている。残り七卷。来年の秋くらいには終わらせたいものだ。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第7位 メルヴィル,「白鯨」
阿部知二訳のものが筑摩世界文学全集24のメルヴィル集にある。誰でもこの書の巻頭を見ると驚くだろう。いきなり出てくる夥しい数の文献に,まず圧倒される。作者のこの作品にかける意気込みの凄まじさが溢れているではないか。少し読んだところで,しばらく出払っていたのだが,帰ってきたので読もうと思っていたら,幸いDVDで映画を見る機会があったので,見てしまった。最後まで読んでしまうのは何時の日になることであろうか・・・。
2009年11月25日。水曜日。曇り後晴れ。旧暦10.9.甲戌(きのえ,いぬ)五黄赤口。
今日は三島由紀夫さんの命日。晴れた夕空には見事な弓張月がくっきりと浮かんでおり,三島さんの命日にふさわしい。昭和45年。1970年だから,39年経った。来年で40年になるのか・・・。あの日は,今日のように暖かい日だった。
宇治十帖の後半は浮舟の話である。大君,中君の異母妹である。大君は既になく中君は匂う宮の下にある。浮舟はその匂う宮と薫に愛されて悩み宇治川に身を投げる。そして横川の僧都に助けられ出家するという,まことに哀切な話である。ここを読んで,秋山虔「源氏物語」(現代教養文庫)を終わった。表紙に黒インクで1990.3.30.~とあり,やや色あせている。その後に2009.11.25.と鉛筆で書いた。出版社は既にないが,紙はまだ白い。上質のものが使われていたのだろう。
「春の雪」の綾倉聡子は松枝清顕と婚約者の宮様の両方に愛されたという訳ではないが,最後は出家した。似たような構図ではある。それはさておき,「天人五衰」では,まことに謎に満ちた結末が待っている。綾倉聡子の出家後の姿である月修寺門跡は,本多繁邦に対して,松枝清顕の存在を否定する。認識論を骨格とする小説に主人公の痴呆とか忘却ということはあり得ない。綾倉聡子が松枝清顕との濃密な時間を(映画ではあまり描かれていなかったが)忘れることはあり得ない。だから,二人だけのことに留めて,本多繁邦の介在を拒否したのかというような,俗っぽい解釈の可能性を込めて読んでみたが,見事に跳ね返された。最後の有名な結末に向かって流れるように物語は収斂する。ここはもう,本多繁邦にとって「記憶もなければ何もないところへ」言葉の力でもっていく論理に脱帽するしかない。言葉で創られた世界も,あると思えばある。ないと思えばない。そんな世界をあると思わしめた,という作者の自負もあったかもしれない。
海外の長編小説ベスト100の全リストをコピーしてから,机の上の黄緑色のマーカーが目に入ったら,誘惑に勝てなかった。朝令暮改,意志薄弱!
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第8位 トルストイ,「アンナ・カレーニナ」
これも,最後までは読んでいないが,持っているのは中村白葉訳、桑原武夫解説の河出のカラー版世界文学全集21。昭和42年6月発行のもので、古書店で100円。
有名な冒頭の文章を引用しよう。
幸福な家庭はすべてよく似よったものであるが,不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である。
オボロンスキイ家では何もかもが乱脈をきわめていた。
嘘である。幸福な家庭もみなそれぞれに幸福である。そのことは地方紙の投書欄を見ただけでもわかる。だから,これは作家としての宣言なのである。幸福な家庭は似たようなものだから,小説として書いても仕方がない・・と。それにしても凄い書き出しだと思う。その後の「オボロンスキイ家では何もかもが乱脈をきわめていた。」も神業というしかない。
映画は500円DVDの中にある。DVDの中古品は買うことがないので,どれくらいかはわからない。
今日は三島さんの命日でもあるので,「美徳のよろめき」の冒頭も見てみたい。
いきなり慎みのない話題からはじめることはどうかと思われるが,倉越夫人はまだ二十八歳でありながら,まことに官能の天賦にめぐまれていた。
昭和32年4月号の婦人公論であるから,ダイヤモンドのように輝いていたに違いない。二十八歳というところに,疑問を呈する方もおられるかもしれないが,何しろ昭和32年なのだから,それでいいのかもしれない。
2009年11月26日。木曜日。晴れ。旧暦10.10.乙亥(きのと,い)四緑先勝。さんりんぼう。
今日は昨日と同じようによいお天気で,例年並みの晩秋に戻ったよう。木々は紅葉し,落ち葉が覆う。
吉村昭「事物のはじまりの物語」(ちくまプリマー新書)。これまで読んできたエッセーとほぼ似たようなものだが,表題のように,我が国ではじめて使われたのはいつ誰によってか,というところに主眼がおかれたものである。いずれも歴史小説執筆の後日談のようなタッチで書かれているので,肩が凝らずに読むことができた。
花王石鹸というのは顔も洗えるということからきているとか,蚊取り線香ははじめは普通の線香のような形をしていたが,すぐになくなるし長くすれば折れやすくなるという欠点があったのを上山英一郎の妻が渦巻状にしたらと提案したとかいうような話が出てくるので,大変面白い。
また,西洋料理をはじめとする舶来物が幕末明治の時代に外国から入ってくるのだが,その経緯とエピソードは,この時代の歴史小説を多数書かれた著者の調査の結果が遺憾なく発揮されていて素晴らしい。
こんなハードルの低いものばかり読まずに,もっと長編小説を読め,今に読めなくなるぞ,という自省の声が聞こえなくはないのだが,読まないよりはまし,ということで,許しておくことにしよう。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第9位 カフカ,「審判」
これもやはり105円のものがありますが,同じような状況です。こちらは集英社の愛蔵版世界文学全集30で,リルケとカフカのものが収められております。「審判」は立川洋三氏の訳です。
第10位 ドストエフスキー,「悪霊」
これは終わりまで読みました。一応。何時頃読んだのだろうか,といろいろ捜したのですが,やはり分からない。分かる方が不思議なのだ,と思ったりします。例によって購入日だけはわかりました。米川正夫訳のドストエフスキイ全集(河出書房新社)の9,10卷で,いずれも昭和51年11月15日に購入しております。後のほうに値段を貼ってあった紙を剥がした跡がありますから古本です。
以上ベスト10のうち,終わりまで読んだのが三冊。いずれもドストエフスキーのものだけ,という結果です。カタカナ苦手の私としては,よくぞ三冊も入っていたものだと思うくらいです。
老後は,図書館や古書店から隔たった田舎に隠棲することも考えて,ここまでのところはほとんど揃っているわけですが,さて,一日10ページ読んだとして,何年かかるのだろうか? こういうのは考えても仕方がないから,やめておきましょう。
それよりも,いつ読んだのだろうかという問題は,私にとっての失われた時を求めて,ということですね。結論としては,本に記入してあるのが一番早くわかった,ということです。購入日,値段(古書の場合),読み始めの日付,読み終わった日付,などなどを鉛筆で薄く書いておくのが一番いいということがわかりました。でも,すべての本と一緒に生活できるわけではありません。それに図書館から借りた本では無理ですね。
次は日記の類です。読書ノートというものは定番のものがあるのかどうか知りませんが,もしあったとしても三〇年も経てば,捜すのは大変です。市販の日記帳で使ったのは,今までに5,6冊くらいでしょうか。どれも不便で長続きしなかった。でも,これは見事に残ってはいます。それから,梅棹忠夫教の信者であった私はB5版の京大式カードというのを使っていたことがあります。後にさらに小さなものに移ったのですが,読書録から住所録・日記まで。でも,今はどこに行ったのでしょうか。箱に入ってどこかにあるのか,あるいはもうなくなっているのか,分かりません。
そして,最後にたどり着いたのが大学ノート。これはどこででも使えますし,複数同時並行といことも可能でした。そして終わったら表紙にその期間の年月日と住んでいた住所をマジックではっきりと書いておきました。また,最後のページには読書記録や映画の記録を日付だけですが,書いていったこともありました。これも散佚するので,あるとき,パンチで穴をあけて,通し番号をつけて,チューブファイルに入れました。およそ50冊。一応散佚は防げます。でも,何時読んだのか捜すことは不可能です。
そして時代が代わって,ワープロ日記。検索を掛ければ出てきます。でも何年もたつとファイル名がたくさんあって,・・・・無理ですね。嗚呼。
2009年11月27日。金曜日。晴れ。旧暦10.11.丙子(ひのえ,ね)三碧友引。
今日もよいお天気。しかし,明日,明後日と気温は下がりそう。
ドストエーフスキイ,米川正夫訳「白痴Ⅰ」(河出書房)。あの緑色の小型の河出の3期に分けて100卷にした全集で,グリーン版と呼ばれていたものではないかと思う。Ⅰといっても書肆の便宜によるもので二冊に分けた,その一冊に過ぎない。だからまだ,第三編の途中なのである。そして,何も起こらない。おもしろいのか,おもしろくないのかもわからない。概して退屈であったということは言える。しかし,小林秀雄さんだって四回も読んでおられるのだから,一回の途中で,何かを言うことは失礼というものであろう。ということで,ここは単なる読書の一里塚の記録。
隔月連載の,恩田陸「夜の底は柔らかな幻」(オール讀物2009.11.)は,前回相当に盛り上がっていたので,そろそろクライマックスかと期待していたので,今回は意気消沈というところである。いや,もっと言えば,物語がスタートしたときの期待と,密度の高さはどこへ行ったのか,と言いたくなる。作者には何か大きな企みがあるのかもしれないが,やや脇に逸れすぎていないだろうか。二ヶ月後に期待。
天童荒太さんの「静人日記」というのは「悼む人」の付録かと思っていたのだが,続編かと思われるほど長くなって,今月号で終了した。こちらは,天童さんのものは読みたいと思いながらも忠実な読者ではなかったので,単行本になってから,見てみることにしよう。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
第11位 エミリー・ブロンテ,「嵐が丘」
読んだのは,河出のグリーン版。三宅幾三郎訳。手元にあるのは,筑摩の世界文学全集19。読んだ記録が出てきたのが奇蹟だと思う。1968年(昭和43年)の旺文社・学生日記というのが残されている。当時(今もだが),日記という言葉は,三日坊主という言葉と同義語だと思っていた。そしてそれに抗した結果として,一月だけは,びっしりとページを埋めていた。
幸い,その埋められた日々の中に,この「嵐が丘」があったのである。記録されるということと,その記録が存在するということの両方がそろって,はじめて失われた時を求めることができる。だから,奇蹟なのである。1月6日から7日にかけて,夜を徹して読んだようだ。姉に勧められてとか,レベルの低い少女小説かと思っていたが,どうしてどうしてなかなかいい,などと書いてあった。終末部は感心しないとか,後半期待はずれ,というのもある。そしてしばらくして,その内容が頭に残っていないことに気づいたことを覚えている。以来,長いものは時間をかけて読むべきだと決めたこともよく覚えている。
この後,二都物語とか暗夜行路を読んでいるようだが,このことはすかり忘れていた。
先日,頁をめくっていて2月のところで「H先生がシニア和英辞典を薦められた」(日記ではHではなく漢字)という稚拙な文字が飛び込んできて,私は目を白黒させた。10年以上前のことだが,同僚の結婚式が広島であったとき,H先生は主賓として出席されていた。早速ご挨拶に伺い,「先生には習っておりませんが,姉が担任していただき,先生のことはよく覚えております」などと,当時のことを話した。私が卒業後転勤され,その同僚の高校三年のときの担任だったということであった。
グゥアーン。暗転・・・。40代の私は記憶力の減退など微塵も感じることなく,風を切って生きていた,と思っていた。愕然とした。老化は既に始まっていたのだ・・・。ひょとすると,私は自分で思っているほど賢くはなく,単なる変人に過ぎないのではないかとしばし思った。
2009年11月28日。土曜日。晴れ。旧暦10.12.丁丑(ひのと,うし)二黒先負。
家の斜め前にある公園のポプラが黄金色の葉をひらひらと冬の風になびかせている。桜の赤い葉はほぼ散り尽くしたのに,ところどころしつこく残っている枝があって,忘れたころ,落ち葉を溝のほうまで飛ばす。色づく街を明るいうちに歩くと,ブロック塀を越えて冬空を背景にスラッと伸びた皇帝ダリアの薄紫色の花びらが可憐である。ダリアの原種だそうであるが,ダリアと言われても首を傾げる人も多いことだろう。冬のヒマワリというのはどうだろうか・・・勝手にそう呼んでおこう。
最近家の前を,街を走っている普通の大きなバスが通るようになった。初めは道路工事の迂回路くらいに思っていたのだが,そうでもない。貸し切りの紙が貼ってあって,高校生が乗っている。近くの県立高校と麓のJR駅の間を往復しているようだ。浜田の事件を受けての措置だとは思うがあまりにも対応が早いので感心した。以前から検討していたことを実行したのかもしれないが,いいことだ。
新型インフルエンザが大流行だが,どんなに用心しても,感染するときはする。まして,睡眠や食事を十分にとらなかったりしたら・・・言うまでもない。だから,最大限に対策をとる。事故も同じで,どんなに注意し,想定できる危険を取り除いておいても起きる。事故とはそういうものなのである。英和辞典には「Accidents will happen.[どんなに用心しても]事故は起こるもの。」(旺文社英和中辞典)とある。柳田邦男さんが意志未来willなのだと,20年ほど前にテレビで指摘されていた。よくテレビで,大事故が起こったあとで,「危ないところだと思っていた」とか「何時起こるかひやひやしていた」といかにも常識人らしく言う人の談話が放送されることがある。こういうことは口が裂けても言うべきことではない。無責任だし,当事者にとっては何故改善要求を出すなりしてくれなかったのかと言いたくなるではないか。
宇治十帖といっても,宇治のイメージが掴みにくい。それで,数年前,西国三十三観音巡りの途次,宇治の平等院へ寄った。中学校の修学旅行以来で感動の連続であった。しかし,今となっては鳳凰堂の放生池に写る勇姿は記憶の彼方へ遠ざかり,参道の茶舗で食べた抹茶をふりかけたソフトクリームの味だけが鮮明に思い出される。凡人の人生というのは,そんなものかも知れない。宇治川は予想以上に大きな川であった。しかし,宇治の山荘というのは果たしてどんな雰囲気なのだろうか。
教養文庫を二階にもって上がったついでに,「新潮古典文学アルバム8 源氏物語」を降ろしてきた。このシリーズは,私としては珍しく配本されるごとに,すべて最後まで読んだものだ。ほとんで写真であるが。7頁に小さな宇治川の写真がある。浮舟は身を投げたのだが,こんなところで死ねるのか,と思う。現に死ななかったのだから,いいのか・・・。他に,瀬田川・石山寺とか近江の三井寺とか長谷寺などのゆかりの地の写真もある。ということで,西国三十三観音霊場巡りは恰好の古典旅行でもあるが,結願はしていない。少しは老後の楽しみを残しておかなければ,ということで。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
12位「戦争と平和」,13位「ロリータ」,14位「ユリシーズ」,15位「赤と黒」。
いずれも,これまで同様,あることはあるのだが,最後までは読んでいません。それでも,「戦争と平和」と「赤と黒」は少しは読んだ。「戦争と平和」は映画を見て結末もわかったし・・・。いずれも部分的には見ることはあるかも知れませんが,最後まで読むということはないでしょう。
2009年11月30日。月曜日。晴れ。旧暦10.14.己卯(つちのと,う)九紫大安。
「海外の長編小説ベスト100」(続き)
容量が大きく成りすぎたようだ。動きが鈍くなった。とりあえず,20位まで記して,この話題は終了することにしよう。(詳細は,また別の機会に)
16位「魔の山」,17位「異邦人」,18位「白痴」,19位「レ・ミゼラブル」,20位「ハックルベリイ・フィンの冒険」。
このうち,読んだのが前二冊,中二冊は時々,後一冊は持っていない。機会があれば買っておこう。
明日から師走。私は走らないが・・・。
これにて,11月の夕凪亭閑話を終了としたい。
御愛読を多謝。向寒のみぎり,読者の皆様もご自愛を。
* 容量が大きく成りすぎたし,見た目にも煩雑なので,原題,作者名の原文表記,原典へのリンク等,削除しました。google検索などで容易に得られますので。