2019年3月3日日曜日

夕凪亭閑話 2009年12月

2009年12月1日。火曜日。晴れ。旧暦10.15.庚辰(かのえ,たつ)八白赤口。
 12月になった。満月を見ながら歩いてきたが,予想外に暖かかった。
 吉村昭「わたしの流儀」(新潮社)。最近読んだエッセーと似たようなところもあるのだが,やはりこれはタイトル通り,吉村流生き方を書いた本だと思うのがいいだろう。すなわち,内容にぴったり合ったタイトルだということである。
 特に,気にとめていいのは64頁の「句会」である。句会での点の入れ方から,吉村さんは人によって好みが違うのだという。そして「小説などでも,ある作品を傑作と思う人もいれば駄作だと思う人もいる。それは読む人の生まれつきそなわった鑑賞眼によるもので,その人の素質なのである。」と言い切る。世の名作などというのも個人の好み次第でいいというわけだ。
 またユーモア溢れたところもある。例えば料理屋で養豚業者かと勘違いされれば,それで通すという話とか。自分の人相についてのエピソードとか。
 こうして続けて読んでくると,どの話がどこに書かれていたか,渾然一体となりわからなくなるのだが,合わせて考えて,吉村さんの取材では一回で完璧を期さなくてもいいということがわかる。そして,不明なところが浮かべば電話なり手紙で問い合わせればいいし,あるいは再度訪ねればいいということになるのだろう。
 この本は沼隈町から配送されたものだ。平成の大合併で福山市になり,簡単に借ることができる。合併のよい面である。郷土史資料なども,独自のものがあり,足を運ばなくてもよいので助かる。
 
 
2009年12月2日。水曜日。晴れ。旧暦10.16.辛巳(かのと,み)七赤先勝。
 日没後,東の山際に大きな満月が出ている。空も澄んで美しい。右下がやや欠け始めているが。ちょっと見には,十分満月で通用する。
 画家の平山郁夫さんが亡くなられた。平山さんの作品をはじめて見たのは,昭和52年頃だと思うが,まだブームになる前のことで,周囲には平山さんのことを知っている人はいなかった。広島の福屋百貨店だった。斬新で美しかった。以来,展覧会,院展,美術館などで作品を拝見する機会は度々あり,おそらく他のどの画家よりも平山さんの作品を一番多くみているのではないだろうか。作画中の映像もたくさん拝見したが,ヘリコプターで黒部渓谷をスケッチされている姿が印象に残っている。もう新しい作品が生まれてこないのは残念である。「向島より因島を望む 因島大橋」(1999年)という,マグネット付きシートの複製を見ながら,ご冥福をお祈りしたい。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房) 「第二三章 ユリアヌス帝の宗教-信教の全面的自由-異教礼拝の復活,およびその改革の試み-イェルサレム神殿の再興をはかる-キリスト教徒に対する巧妙きわまる迫害-両教徒間の狂信と非行」
 やっと第4卷目に入る。実は,戦後の代表的な論客で,文芸評論まで手がけた多才な訳者中野好夫さんは,1985年2月20日に亡くなられ,本書の最後の仕上げは弟子筋の方によってなされた。だから,本巻が中野さんの絶筆である。反戦平和論は不思議と読んでいないが,「アラビアのロレンス」以来,「スイフト考」や「文学の常識」さらにシェイクスピアなどの翻訳等々,全てを読ませていただいた訳ではないが,読んだものに関してはいずれも印象深いものがあった。そういう訳であるから,この卷はその恩恵に感謝しつつ,生前の面影を偲びつつ読んでいきたい。
 さて,本章はユリアヌスが,国教になっていたキリスト教に対して異教であるローマ神殿への礼拝などを認めたことから生じる軋轢について延々と述べられる。当然のことながら,行き過ぎも多々ある。さらにユリアヌスは反キリスト教の立場をとるのだから悲劇は繰り返される。従って,辻さんの小説には描かれていなかったような面も出てくる。
 宮殿でもそうであろうが,支配者が変わっても,同じ位置に別のイデオロギーで置かれるように,神殿も,宗教が変わっても,同じ位置で礼拝が行われる。都市には,それぞれの役目を行うのに都合のいい場所というのが,ある程度は決まっているということであろうか。
 
2009年12月3日。木曜日。雨。旧暦10.17.壬午(みずのえ,うま)六白友引。
 朝起きると,いつもより寒くて,おまけに曇っている。雨の音もしている。二三日前に週間天気予報を調べたら,傘マークは無かったのに・・・と,思いつつ外を見ると,見るからに寒そうな冬の雨である。今日が土曜日だったらよかったのに・・・と横目で炬燵を眺めながら,いつもより早く出て行く。高校生を駅やあるいは学校まで車で送る親が多い。おそらく全国的な傾向だと思う。
 吉村昭さんの「死顔」(新潮社)は最後の作品集で,「ひとすじの煙」「二人」「山茶花」「クレイスロック号遭難」「死顔」の短編小説と,夫人の津村節子さんの「遺作について」が収められている。「クレイスロック号遭難」は未定稿,「死顔」は遺作である。
 「ひとすじの煙」は,雪国の湯治場で結核の術後を送ったとき,見聞きしたことを記したものである。旅館の使用人である二人組の夫婦のうち,若い方の妻が子ども抱いて,荷物を運ぶ。それを見て何もしない亭主や環境に絶望して自殺した。その火葬の煙がタイトル。
 「二人」はたくさんいた兄弟のうち最後から三番目であった次兄の死によって兄と二人になった。それがタイトル。兄弟ともに,人間は必ず死ぬものだという自覚をする。「山茶花」は保護司の話。吉村さんにはこの系列の作品もかなりある。
 「クレイスロック号遭難」は条約改正を主題にしたもの。「死顔」は「二人」と同様次兄の死を扱ったものであるが,作品のねらいが,タイトルに示されていると思えばよいだろう。いずれも,しみじみとした味わいのある作品。
 以下,節子夫人による吉村さんの遺書の要点。
 「延命治療は望まない。自分の死は三日間伏せ,遺体はすぐ骨にするように。葬式は私と長男長女一家のみの家族葬で,親戚にも死顔を見せぬよう。電話は,ただいま取り込んでいるので,と拒(ことわ)って貰って応対せぬこと。弔電お悔やみの手紙を下さった方には失礼していちいち返事を書かぬこと。そして原稿用紙に,弔花御弔問ノ儀ハ故人ノ意志ニヨリ御辞退申シ上ゲマス 吉村家 と筆で書き,門に貼るようにと言い遺こして逝った。香奠はかねがねいただかぬ話をしていた。」(p.151-152)
 私も,ほぼ同じ思いである。いずれ,トップページに書いておかねば。
 先日,ラジオ深夜便2009.12.で,同世代の玉木正之さんの「脳出血から復活できた理由(わけ)」を読んで,そういう年頃かと改めて思った。机の引き出しの底のほうを少し片づけた。
 
 
2009年12月4日。金曜日。晴れ。旧暦10.18.癸羊(みずのと,ひつじ)五黄先負。
 夕食後歩くと,たった二日しかたっていないのに,月はまだ昇ってなくて,よく晴れて星がよく見える。南のくじら座は,工場の明かりではっきりとしない。東のほうがよく見える。オリオンなどだろう。
 富士川英郎「菅茶山 下」(福武書店)終わる。上巻五五六頁,下巻五四〇頁の漢字だらけの本を,今読み始めるとしたら,おそらく躊躇し,辞めることであろう。ともかく最後までたどり着いたことに安堵している。
 これで富士川英郎さんの,私が勝手に呼んでいる茶山三部作を終えた。ここに記念に,その三部作と読んだ日を記すと,筑摩日本詩人選の「菅茶山」(200.8.5.18.),東洋文庫の「菅茶山と頼山陽」(2008.6.12.),そして,上巻(2009.3.29.)という順である。小林秀雄さんの「本居宣長」のときも少しずつ蝸牛の歩みだったが,今回は,さらにそれよりも遅く,たいていが一日に二頁程度しか読んでいない。その分,記憶にはよく残ったが,しかし半年もたたないうちに,それらは渾然一体となり,忘却という川の中で日々彼方へと押し流されていく運命にあることは当然のことで,これはこれで仕方がない。それでは,茶山が好きかというと,今も昔も,そんなに好きなというほどのことはない。しかし,かなり親しみをもてた,ということはできる。
 そして内容といえば,実に素晴らしい,これ以上のものが今後書かれることはあるまいと思われるほどの大作である。だからといって,これを読者の方々に勧める気持ちは毛頭無い。ただ,私がここに住んでいるから読めただけである。岡山にいても,広島にいても,読むことはなかったと思う。というのは,菅茶山は,そこの山の向こうに住んでいた人なのである。車で行けば,三〇分もかからないだろう。それに岡山,広島県下のローカルな地名がだいたい分かるのも重要なことであった。
 菅茶山の簾塾は深安郡神辺町にあったが福山市のすぐ隣で,先般合併して福山市になった。太宰治の「盲人独笑」は当時は別村で,今は同じ神辺町で,少し東のほうの,箏曲家葛原勾当がひらがな木版で押した日記がもとになっている。葛原勾当の孫が,ぎんぎんぎらぎらの作詞家葛原しげるである。葛原しげる作詞の校歌は膨大な数にあがり,その全貌はまだ掴めていない。かつて神辺町立図書館の方々が調査をされていたが・・・。その図書館は福山市の市立図書館の分館となっている。
 
2009年12月5日。土曜日。晴れ一時雨。旧暦10.19.甲申(きのえ,さる)四緑仏滅。
 少しだけ,古い物を廃棄。同世代の話題と言えば健康・病気のことがよく出るが,身の回りの整理も,時々上がる。これが難しい。何年か前の年賀状に,「今年のキーワードは捨てるです」と書いたことがあるが,1年を経て,こういうことは二度と宣言してはいけないと身にしみた。だから今は,積み木崩しをしても,決断できかねるものは,また元のところに戻して,少しでも減ったらよしとすることにしている。こういうように思うと,軽い気持ちで整理して捨てようかと決心できる。
 夕凪亭のある高台は標高100メートルほどだから,麓よりは落葉が早いのか,公園の樹木はほとんどの葉を落とし,枝の影が青い空を背景に揺れている。午後,前線が通過し,俄に曇り寒風が木の葉を舞上げた。その後またやわらかい陽が照りだしたので,散歩。昼寝をして,夕暮れにも,散歩。
 夜の読書(夜読)は昨日,「菅茶山」が終わったので,予定通り中村真一郎さんの「頼山陽とその時代 上」(中公文庫)に入る。普通,読み始めた時には,途中で止めることが多いので記録しないのだが,おそらく,大丈夫だろうから,記しておく。とは言っても,途中まで読んでいるので,48頁から。「第一部 山陽の生涯」のうち「二 病気と脱藩」。脱藩出奔は計画的なものではなく,病気によるもの。後の四〇歳の山陽に連なる行動であるという解釈を斥ける。その通りだと思う。幕末・明治の福山藩の儒者・江木鰐水翁の山陽伝の正しい評価がなされている。
 休日の気儘な読書。世界の名著で「史記列伝27李斯列伝」を読む。再読。せっかく始皇帝に取り立てておられながら,趙高に従ったままに最後は身を滅ぼす。まさに晩節を汚したわけである。
 吉村昭「わたしの普段着」(新潮社)。これも随筆集。それぞれが,これまでより,少し長い。人生観あり,取材の思い出あり,旅のこと,人のこと・・・いずれも楽しい話題満載である。人生の達人,見事な生き方である。多いに参考になった。感謝。
 
 
2009年12月6日。日曜日。晴れ。旧暦10.20.乙酉(きのと,とり)三碧大安。
 風は冷たく,冬の雲は寒々と威圧的ではあるが,時折り陽は射す。そんな時をねらって朝昼夕と三回散歩。
 そして休日の気儘な読書。「城之崎にて」など。
 「頼山陽とその時代 上」「三 病気その後」。三〇歳になってもまだ子どもらしい山陽がいる。やや病気が回復したということで,ある程度の自由が許されるがブレキーが利かない。放蕩息子ぶりを発揮する。福山の菅茶山から招待を受けたことは頼家にとっては渡りに舟であった。ゆくゆくは後継者にしようとしていた茶山の期待を裏切って京都へ出て行く。このあたりの山陽の病気を踏まえた性格分析に著者の筆は冴える。
 
2009年12月7日。月曜日。晴れ。旧暦10.21.丙戌(ひのえ,いぬ)二黒赤口。大雪。
 今日は東広島市へ出張。あまりにも寒いので,寒がりやの私は,仕事が終わると図書館にも生協にも寄らず,早々に退散。ラジオで県南部は気温が上がらなかったと聞いた。
 夜,小さなグループの忘年会。例によってお酒は飲まないので,車で行く。ノンアルコールドリンク,いろいろあったが,先日読んだ週刊誌の糖尿病に関する記事が頭に残っていたので,いつものようにウーロン茶で通す。
 予備軍まで入れると二人に一人とか。安いものばっかりしか食べていないのに・・という声も聞いた。食材を安く押さえて,濃い味付けで補うということがまかり通っていないだろうか。転ばぬ先の杖,いろいろ・・・。
 
 
2009年12月8日。火曜日。晴れ。旧暦10.22.丁亥(ひのと,い)一白先勝。
 昼間,部屋の中から外を見るとよく晴れて明るく輝いていてよいお天気のようだった。しかし,気温は上がらず,夜になるとさらに寒くなった。それに,今日はよく動いたので散歩はしなかった。昨夜に続いて,冷え込むので,夕凪亭を冬モードにした。すなわち,カーテンで仕切って,三分の二にした。ちょっと狭い感じはするが,暖房効率がよくなった。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房)「第二四章 ユリアヌス帝,アンティオキア市に滞溜-ペルシア遠征行の戦勝-ティグリス渡河-ユリアヌス帝の後退とその死-ヨウィアヌス帝の即位-屈辱的和議によるローマ軍の救出」
 ユリアヌスが死んだ。無謀にも,甲冑を着けずに乱戦の中に出て行き,誰が投げたのかもわからない投げ槍に当たって,まもなく死んだ。大帝国の責任のある皇帝のとる態度ではない。しかし,そのような天衣無縫とも言えるような勇姿が魅力だったのかも知れない。そういう行動の連続がローマ兵の絶大な支持となって,ここまで来れたのかも知れない。だが,それにしても軽率であった。結果として,ローマ兵はより悲惨な状況に放り出された。死の直前の,毅然たる言葉も記されており,さすがに最後まで哲人皇帝であり続けた人の威厳に満ちた死を我々は想像することができる。
 吉村昭さんの短編小説集「天に遊ぶ」(新潮社)は,原稿用紙10枚以内の短編小説を目指したものです。いくらか随筆風のものもあるが,いずれも味のある心境小説で,こちらの分野でもある境地に達していたことが伺われる。感心したものをひとつだけ記しておく。「西瓜」は別れた妻とホテルの喫茶室で会うという話。元の妻が「この喫茶室では西瓜を出すのね。注文してみます?」と言う。そして,物語をある方向に向けて,終わる。見事ではないか。
 
2009年12月9日。水曜日。晴れ午後曇り,一時雨。旧暦10.23.戊子(つちのえ,ね)九紫友引。
 午後から曇が出て,小雨が時々,夕方からよく降る。寒い。冬の雨。歩けない。
 秋山虔「源氏物語」(岩波新書)。「Ⅰ 光源氏の誕生」。2回目の挑戦である。前回がいつのことかは定かではない。只,購入したの日は昭和47年2月24日と記されているから,そのころであろう。そしてあえなく挫折・・・。これは以前に記した通り。源氏への挑戦は,以後挫折の繰り返しであった。だから,今回は恐る恐る1章ずつ,読んでいくことにしよう。まずは楽しく読んだ。
 こちらは読まなかった本の記録。吉村昭「歴史小説集成 七」(岩波書店)には「冬の鷹」「夜明けの雷鳴」「暁の旅人」の長編と「雪の花」「梅の刺青」の二短編が収められている。そして巻末作品余話として「「孤然とした生き方」という解体新書の翻訳に従事した前野良沢のことが書かれたエッセーがある。例によって巻末エッセーを読んで返した。
 

2009年12月10日。木曜日。曇り時々雨。旧暦10.24.己丑(つちのと,うし)八白先負。
 朝から小雨。一日中曇り空。夕方,そして夜と,かなりの雨。冷たい。
 秋山虔「源氏物語」(岩波新書)。「Ⅱ いわゆる成立論をめぐって」。早くも成立論である。前回,といってもやがて40年になろうというぐらい前の話だが,ここが挫折の第一段階ではなかったかと思う。嫌な予感がした。ところが,ところがである。面白いのだ。複雑な成立論が,簡潔に,また意義深く説かれる。二年前なら,ここに紹介される論文を集めていたかもしれないが,そういうことをする気力は今の私にはない。未来が無限大であるなどとは思っていないので,これはこれで理性的な判断だと思っている。
 読んでいない本の話。吉村昭「歴史小説集成 六」(岩波書店)。
 読まない本の話を書くのもおかしなことで,もう止めようと思っていたのだが,先日,岩波書店のPR雑誌「図書」12月号を見ていたら,この集成の一覧があった。そして,今月で完結と記されていた。既に読んである作品をマーカーで塗った。わずかに三冊。と同時に,巻末エッセーの読んでいない巻も残りわずかなのを悟った。だから,ついでに最期まで記しておこうという気になった。ということで,またまた借りてきた。この巻には「ふぉん・しいほるとの娘」と巻末作品余話「出島」が収められている。「出島」を読んで,返すつもりであったが,タイトルを眺めているうちに,ついつい本文のほうに目が移ってしまった。2週間が期限。次の予約が入っていなければ,さらに2週間。できるだけ読んでみよう。昨日,胃カメラ開発に材をとった「光る壁画」を読み始めたばっかりであるが・・・。
 
2009年12月11日。金曜日。雨。旧暦10.25.庚寅(かのえ,とら)七赤仏滅。さんりんぼう。
 四時半に起きる。13.0℃。外は雨。激しくはないが,まずまず降っている。夕方止んだ。気温も上がったようなので,夕食後,30分ほど歩く。電飾がきらびやか。
 秋山虔「源氏物語」(岩波新書)。「Ⅲ 宿世のうらおもて」。前章の成立論のところででてきた,紫上系と朧月夜系の物語を分けて考えて,紫上系に話をもっていく。それ故,若紫の話になる。ということで,成立論が早い段階で紹介された意味が明瞭になる。著者はそのあたりを十分計算に入れておられるようだ。光源氏と藤壺,六条御息女などとの関係が要約されているが,教養文庫と同様,実に感動的にまとめられていて,感心する。結局,須磨明石まで話は行ってしまうが,何しろ長い複雑な物語だから,混乱した頭を整理してもらうには,なかなかよい。ということで,ここまでは楽しめた。
 与謝野晶子「全訳 源氏物語 上巻」(角川文庫)。「一 桐壺」。何度目かの,二度目の源氏である。前回は「帚木」で止まった。今回はそこはするりと迂回しながら,何とか先へ進みたいが。とはいえ,通して読まなくても,部分読みでいいかとは思う。とはいえ,年甲斐にもなく,二度目に挑戦。
 「頼山陽とその時代 上」。「四 遊蕩と禁欲」。評判のよくない山陽について,九州で山陽を嫌った人たちは,古い儒学派の人たちで,山陽に心酔した若者は,新しい時代の文学を感じたという見方は新鮮であった。すなわち,時代の革命児であったのだということである。そして,もう少し長く生きておれば,後世の山陽像は異なったものになったであろうと,書かれる。また,もっと早く亡くなっていた場合はまた別の像が。
 
2009年12月12日。土曜日。曇り。旧暦10.26.辛卯(かのと,う)六白大安。
  連日曇りがちだったせいか,雨に濡れて庭は早春のよう。しかし,喜んでばかりはいられない。明日は5~6℃低いという予報。本日は読書その他,すべてをお休みにする。明日も。
 途中経過だけ,書いておきましょう。吉村昭さんの短編集「青い骨」(五月書房)の「死体」は酒に酔ってホームから落ちたところを電車に轢かれて死んだ男の死体を引き取った隣人の主婦の話。その住んでいる環境が凄い。「さよと僕たち」は肋骨摘出の術後の生活を送る,本人と,弟とお手伝いさんのさよという少女の話。兄からもらうお金が少なく,さよが,ネーブルを万引きする最後が,何とも哀切な話となっている。
 「光る壁画」(新潮文庫)のほうは,胃カメラの開発をする,箱根の老舗旅館の息子である主人公が,旅館のほうは妻に任せ,東京での会社勤めに徹している。文献を読んで下調べをしている段階。内視鏡等の歴史が,要領よくまとめてある。電灯がエジソンによって発明される前はろうそく等を光源としており,エジソンの発明は,医学分野でもすぐに役だったということがわかる。

2009年12月13日。日曜日。曇り。旧暦10.27.壬辰(みずのえ,たつ)五黄赤口。
 予想していたほども,寒い一日ではなかった。したがって,いつもの日曜日のように30分の散歩を3回。その他は,昨日同様すべてお休み。
 途中経過。「ふぉん・しいほるとの娘」は鳴滝に塾を開く土地を見に行ったところです。かつて長崎に行ったとき,(不思議と長崎には何度も行ったのですが),一人でしたので鳴滝へ電車で行き,たっぷりと2時間ほどかけて全ての資料をじっくりと読んで見ました。・・・今は全て忘れましたが。その後,稲佐山へロープエイで登り,歩いておりていたら雲行きが怪しくなるし,日は沈むし,随分不安になっていたところ,軽トラに乗って草刈りにきていたとおぼしき人が乗せてくれて,中腹のホテルまで無事辿り着いたという思い出があります。
 
 
2009年12月14日。月曜日。晴れ。旧暦10.28.癸巳(みずのと,み)四緑先勝。
 少し気温がまた下がっていっているようです。ですから,夜の散歩はお休み。
 池田明子さんの「頼山陽と平田玉蘊」(亜紀書房)を昨夜,ネットで予約しておいたら,近くの図書館に配送されたので,帰りに寄って借りてくる。参考文献もかなりたくさんあるようだから,この本もついでに買っておこうか,という気持ちになる。
 吉村昭さんの「青い骨」(短編集「青い骨」所収)は,以前読んだような気持ちがあるのだが,ストーリーから考えて,読んでないことはあきらかだ。こんな変な話は一度読んだらだれでも記憶に残る。しばらくして,思い出した。佐渡へ石仏を盗みに行く男の話があった。その男は死神で,心中魔なのだった。それと,通底するところのある,変な話だ。吉村さんには,このような死と戯れる人間を書く一流の才能がある。しかし,このようなものばかり書いておられたら,太宰賞作家・吉村昭という名前は残っても,リアルで躍動感に溢れた歴史小説は生まれなかったことだろう。「戦艦武蔵」以降の転身ぶりに称賛を送る読者のほうが多いことだと思う。
 
 
2009年12月15日。火曜日。晴れ。旧暦10.29.甲午(きのえ,うま)三碧友引。
 今日も寒い。夜,9時頃になっても,外を歩いている人たちの声がする。こちらは寒くて,ストーブを強くすれば,眠くなったりしているのに,元気なものだと感心する。
 「頼山陽とその時代 上」。「五 女弟子たち」では平田玉蘊や江馬細香と山陽の関係が述べられるが,いずれも疑問点が残る。山陽の獲得した自由を,明治以降,薩長の「田舎漢」たちの遅れた男女関係の意識が逆行させる,と指摘する126頁の記述は,エマニュエル・トッドさんの人口社会学の立場とも呼応する鋭い指摘である。
 
 
2009年12月16日。水曜日。晴れ。旧暦11.1.乙未(きのと,ひつじ)二黒大安。
 3時に起きる。寒い。6時頃には歩いている人がいる。6時頃から一時間ほど仮眠。
 午後からどんどんと寒くなった。午後6時前に,の車外温度計で7℃。今日も歩かない。
 吉村昭さんの「白い虹」,「白衣」(短編集「青い骨」所収)は,ともにそれぞれの殺人に至るまでの経緯が細かく書かれている。そしてどちらも,トルストイのいうところの,それぞれに不幸な家庭の様子でもある。
 与謝野晶子訳「二 帚木」。あまりおもしろくない。やはり,好きになれない。
 
 
2009年12月17日。木曜日。晴れ。一時小雪。旧暦11.2.丙申(ひのえ,さる)一白赤口。
 四時半に起きる。相変わらず寒い。おそらく北国では雪とは呼ばないような雪が昼頃舞った。うれしくもないが,一応,初雪である。
 今日も寒い一日だった。日没後の暮色は素晴らしかったが,震えた。車外温度は昨日よりもさらに下がり,4℃。規則正しい生活とは言いがたいが,一応,早寝早起き。殊更,朝型を目指しているわけではない。
 吉村昭さんの「墓地の賑い」(短編集「青い骨」所収)を読んだ。
 この話は凄い。姉妹と義弟がいる。姉妹の母も義弟の母もいない。父もいない。姉が婿養子をもらう。毎朝,妹は義兄の靴を磨いて姉妹で会社に行く義兄を送り出すという,危険な情景が描かれていると思ったら,妹は義兄と列車に飛び込み,心中する。義兄は死に,妹は両足首を切断するが生き残る。姉の冷たい仕打ちが始まる。姉はヒヨコに色をつけて売るというビジネスをはじめる。義弟は死んだヒヨコを墓地に捨てるのが仕事である。そして義弟は閉じこめられた妹に食事を運んだりする。そんな三人の歪んだ関係のもと,姉のビジネスは大きくなり,そして突然,壊滅する。力作である。
 以上で,短編小説集「青い骨」を終わる。原著は,「青い骨」として,昭和32年小壺天書房から自費出版されたということが「まえがき」に記されている。萩原得司氏の解題が添えられており,本書は自費出版本のうち「無影燈」と「昆虫家系」を除き, 昭和36年に発表された 「墓地の賑い」を加えたものだと説明されている。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房)「第二十五章 ヨウィアヌス帝の統治とその死-ウァレンティニアヌス帝選立。弟ウァレンスを共治帝として登用、かくてついに東西両帝国に分割-プロコピウスの叛乱-民政と教会政治-ゲルマニア-ブリタニア-アフリカ-東方-ドナウ地方-ウァレンティニアヌス帝の死-二子グラティアヌス、ウァレンティニアヌス二世、西帝国を継ぐ」
 というような内容からも伺えるように,有名な皇帝の時代ではないので,あまり関心もなかった。やや,退屈な章であった。少しだけ,部分的な感想を書く。165から166頁にかけて南方の蛮族,すなわちアフリカ人のことが出てくる。肌の色の違う人間に対して一度は恐怖感に捕らえられたものの,北方の蛮族に対してほど狂暴でないことがまもなくわかる。今に至るまでアフリカ人がアフリカから出て領土を広げたことはないのである。このことは,人類がアフリカで誕生し,ホモサピエンスにまで至ったことを考えると,そこに大きな意義があるように思われる。好戦的な北方蛮族,並びにもとの地中海人たちの闘争の歴史をみれば,もし人類の揺籃期が,これらの地帯でおこっていたら,現在まで種を保存し得なかったのではないかと思われる。未来においても。
 秋山虔「源氏物語」(岩波新書)。「Ⅳ 権勢家光源氏とその周囲」。前章の続きである。すなわち,紫上系の物語の後半をまとめて解説する。しかし,この源氏物語のメインストーリーは何分複雑であるので,その細部まで記憶していないので,なかなかついていけない。やはり,本文に当たるしかないようである。
 
 
2009年12月18日。金曜日。晴れ。旧暦11.3.丁酉(ひのと,とり)九紫先勝。
 3時に起きる。8.2℃。相変わらず寒い。朝の車外温度は4℃。5つの信号のうち,2つが緑で,車が暖まる前に着いてしまう。夜になっても相変わらず寒い。空を見上げると,全体には雲は覆ってなく,雪雲のような雲が,何個も散っている。全体を覆えば底冷えはしないのだろうが・・・
 吉村昭さんの短編集「遠い幻影」(文藝春秋社)を今日から読む。まず「梅の蕾」は三陸海岸の無医村の村長さんが診療所の所長を捜す苦労話を背景にした話である。その村のおかれた状況と村長の努力の経過が無駄なく要所要所で紹介される。そして,医師と夫人の村人との交流が淡々と語られる。
 「青い星」は戦死した次兄に恋人がいたことを,同級生の知人から聞かされ,さらに子どもまでいたこと知った。自分にとっては姪になる女性に会ってみたくなる。名古屋でトンカツ屋をしていたと聞いて,あるかも知れないと思いつつ行き,客として入る。「過ぎ去ったことは過ぎ去ったことであり,それはそのままにしておくほうがよいのだ」(p.45)と思い,名乗らずにお金を払って出る。
 
 
2009年12月19日。土曜日。晴れ。旧暦11.4.戊戌(つちのえ,いぬ)八白友引。
 3時に起きる。5.5℃。何とも寒い。遅い夜明の後にも雲が多く朝日も時折しか入らない。いつもなら,レースのカーテンも開けているのだが,冷気を少しでも遠ざけるため,今日は一日中閉めていた。
 さくらんぼの葉がどんどん散っていく。先週掃いたのにまた落ちてたまっている。さくらんぼは桜とよく似ているが,花が咲くのも少し遅い。落葉も。まだ,半分ほど残っている。
 日落余光猶在天。歩こうと思ったが,北風が冷たく吹いていたのでやめた。
 吉村昭さんの「ジングルベル」(短編集「遠い幻影」所収)は刑務所の職員の話である。吉村さんの作品に時々出てくる,刑務所や保護士などの一連の系列のものである。しかし,本作は傑作である。なぜなら,生きる価値観の変遷をこれほど見事に活写したものは珍しいからである。主なストーリーは刑務所から出ての作業中,三ヶ月後に仮出所を控えた模範囚が,逃走するというもの。その理由は,「ジングルベルの曲が聞こえてきたんです。それをきいているうちに,なぜが胸が急に熱くなって自然に足が動いて・・・」(p.64)というのが理由であるが,主人公の刑務官も上司も当然その気持ちは理解できない。
  かつて父親は仕事,家庭は母親がという分業とそれに伴う価値観が大勢を占めていた。しかし,いつの間にか世の中は変わり,父親も母親も同じように仕事をし,家庭においても同じような役割をもつようになり,そういう価値観が普通のようになった。勿論,すべてというわけではないが,その勢いは留まるところを知らない。お父さんは仕事,クリスマスは母親と子どもだけで,という家庭で育てられていたら,この囚人のようなことは起こっていないだろう。両親揃ってクリスマスを行い,父親になっても同じようにしていたら,それ以外のクリスマスのあり方は考えられない。
 こういうことは「お受験」でも,同様だろう。両親とも子ども時代塾に通い,今ほどではないがお受験をしてきた。そして子ども達にも,同じように接し,強いる。センター試験というのがある。初期には共通一次試験と呼ばれていた。その形式に対して多くの批判が寄せられたものである。しかし,今は言っても仕方がないから誰もいわない。その共通一次試験を受けた世代の子どもたちの多くが,すでにセンター試験を受けていることだろう。やがて,三世代にわたって受けるという状況はまもなくやってくる。
 かつてニューファミリーという言葉があった。そしてそれが当たり前になって,その言葉は自然に使われなくなった。それに伴う価値観は全国津々浦々まで浸透したことだろう。その価値観の善悪はともかくとして,それは,核家族とともに(核家族もその価値観の中にあるのかもしれない)広がったので,古い価値観と衝突したり,相対化されることなく受け入れられてきた。そしてテレビという媒体を通して無意識のうちに。・・・それから約35年。それは孫の世代へと受け継がれていっている。どうあがいても,単細胞を脱却する道は難しい。この逃走した囚人を攻める資格は誰にもない。
 
 
2009年12月20日。日曜日。晴れ。旧暦11.5.己亥(つちのと,い)七赤先負。
  五時に起きる6.9℃。
  今日は東奔西走ではなく,西奔東走。東走のときパトカーさんに捕まってしまった。山陽道最高地点の手前。以前にも同じところで捕まった。論語の雍也篇を思い出した。
  哀公問,弟子孰為好學。孔子對曰,有顏回者。好學,不遷怒,不貳過。不幸短命死矣。今也則亡,未聞好學者也。 (哀公問ふ,弟子孰か學を好むと為すかと。孔子對へて曰く,顏回といふ者有り。學を好み,怒りを遷さず,過を貳びせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ學を好む者を聞かざるなりと。) 
  怒りは遷(うつ)さないが,過を貳(ふたた)びする。幸い馬齢を重ねて未だ死せず。
 例によって,土日は読書その他,お休み。久し振りに漢詩にチャレンジ。
   初冬偶感
短日柴扉客訪稀
寒庭秋去落楓飛
斜陽一点南窓裏
古径枯枝暮鳥帰
 平声上五〈微〉韻「稀・飛・帰」。結句の頭四字がやや収まりが悪いが,このままにしておく。
 新潮日本文学18の永井龍男集を見ていて,しおりの全巻目録を見てはっとした。「45三島由紀夫集」が目に入ったからである。まさに,これこそが運命の書であった。それも因縁の45だということは今回,気がついた。窓の外に蜜柑畑が広がる高校の図書館で借りたのが,いつの頃かは,もはや記憶にない。この一人一巻の文学全集の第一回配本であった。そして,どこかにノーベル文学賞候補というのもあったように思った。
 早速,発行日と掲載作品を確認するために借りてきた。幸い月報まで,貼りつけてあった。高校の図書館はこういうことはしてなかった。
 借りてきたものは,昭和四三年九月十二日発行,昭和六十年三月三十日十五刷。年譜は初版のままで改稿されていない。内容は「仮面の告白」「愛の渇き」「潮騒」「金閣寺」「宴のあと」「午後の曳航」,そして村松剛さんの解説。年譜(四十三年九月まで)。月報のほうは,三島「電燈のイデア」,安部公房「精神の城塞」,中村真一郎「青春と文学1」。
 さて,この本を手にする前に「潮騒」は読んでいた。ありきたりの感動のない小説だと思っていた。しかし,この本を読んで参ってしまった。そして,単行本の「春の雪」「奔馬」を発売とともに求めた。この本を読んでいなかったら「春の雪」も「奔馬」も買うことはなかったはずである。だから,この本をどこまで,いつ読んだのか,が今回の探究の目的であるが,残念ながら,日記の類の記録は今のところ出てこない。おそらく今後も出てくることはあるまいと思われる。
 今回分かったのは,発行日から類推するに,昭和四十三年の九月の後半以降であろう。次ぎに,どれを読んだか? その後,「愛の渇き」を除いて別のもので読んでいる。
 「潮騒」はこのときが,もし読んだとしたら再読であるはずだが・・・。「仮面の告白」「金閣寺」「午後の曳航」はこのときだろう。「愛の渇き」と「宴のあと」は読んでいないと思うが,「愛の渇き」はストーリーを知っているから,やはりこのとき読んだのだろうか。「宴のあと」は,後年読んだときが初めてだと,記憶している。しかし,記憶というのは曖昧なものだということを,今の私はよく知っている。ということで,運命の出会いが昭和四三年の秋だったということは,確認できた。
 
2009年12月21日。月曜日。晴れ。旧暦11.6.庚子(かのえ,ね)六白仏滅。
 朝,太陽が隣家の向こう側を廻っているので,8時過ぎにならないと夕凪亭に日が入ってこない日が数日続いた。ついこの前まで8時前から入っていきていたのに。明日が冬至だから,また太陽が上がっていくのであろう。少しの我慢か。それにしても寒い。我は夏至の子。やはり,昼間が長いほうがいい。軽トラの石焼き芋の声がする。冬の夜既に更けにけるかな。
 吉村昭さんの短編集「遠い幻影」より。「アルバム」は家の解体に工事のダンプカーの運転手が元ボクサーで,親しく話をすると華やかりし頃の新聞記事を貼ったアルバムをもってきて見せるという話。過去の栄光にいつまでもかかわって現実をないがしろにするというのではなく,過去のベストのときが,現在の励みになっているという場合もあるということ。
 「光る藻」は食糧難のとき食用蛙(今ではウシガエルというが)を上手にとる少年の話。戦後の混乱期,食糧難のときの話。さて,現在のような時代から,戦争を経ずして食糧危機になったら,日本に住む人たちは,どのようにその状況に馴化していくのであろうか。そういう頃までは生きてはいないだろうが,あり得ない話ではない。
 「父親の旅」は嫁に行った娘が子どもを残し,別の男と失踪した。その娘の住所が分かり,連れに行って戻ってきた,という話。雑誌に溢れている不倫の話ではあるが,男親の視点で描かれた重厚な作品。
 
 
2009年12月22日。火曜日。晴れ。旧暦11.7.辛丑(かのと,うし)五黄大安。冬至。
 少し寒波が弱まった。がしかし冬の雲がかたまって浮いている。
 中村真一郎「頼山陽とその時代」。「第二部 山陽の一族 一 父春水」。時代を描くには,父の時代も書いておかなければならない。父と母の性格と環境があってはじめて山陽のような天才児が出現する。その父春水の学問と仕事が丁寧に紹介される。後世のわれわれから見れば,立派な作家をもった父はさぞ幸福であったであろう,と思う。しかし,父には新しい時代の価値観を認めることができない。不幸な老後であり死である。
 吉村昭さんの短編集から。「尾行」は興信所のアルバイトをする男の話。見事に尾行をして仕事をやり抜くのだが,読み終わって,主人公と同様「疲労を感じた」。
 「夾竹桃」は,孤児として育った少女が父の住所を調べて,自分の家庭を犠牲にしてまで訪ね追求するという話。「青い星」の「過ぎ去ったことは過ぎ去ったことであり,それはそのままにしておく方がよいのだ」(45頁)という作者の感慨とは逆を行った悲劇。
 
2009年12月23日。水曜日。小雨後晴れ。旧暦11.8.壬寅(みずのえ,とら)四緑赤口。さんりんぼう。天皇誕生日。
 少しまた暖かくなった。午前中小雨。午後晴れる。久々に散歩。30分を2回。今日から,少しずつ夕暮れが遅くなるのに期待。
 「頼山陽とその時代 上」「二 春水の知友」。ここもなかなか面白い。特に鴨方の儒者・西山拙斎についての記述は格別おもしろい。
 吉村昭さんの「桜祭り」は長兄の死後,その遺産相続にあたって,別の女に生ませ,認知していた子どもも絡んでくるという話。話者にとっては一応甥,話者の姪に当たる相続の中心人にとっては義理の兄弟という関係になる。その手続きと邂逅,そして別れが,行き詰まるような筆致で描かれる。短編集のタイトルは「遠い幻影」だが,そのタイトルを見ていると,近い幻影のように思われた。
 「クルージング」。これはクルージングに招待された中に,一年下の子どもの頃の友達がいて,当時の空襲の頃を回想する話。中心は,裕福な家庭でありながら,老婆を連れて避難しなかったということだろう。
 
 
2009年12月24日。木曜日。晴れ。旧暦11.9.癸卯(みずのと,う)三碧先勝。
 また暖かくなった。快晴である。ラヂオはこれでもかこれでもかとクリスマスソングを流している。通勤途上にある洋菓子屋はガードマンを二人も雇って朝から賑わっていたが,子どもたちがケーキを食べに帰ってくるでもなく,ケーキなしの聖誕祭。夕刻,西の空が微かにまだ赤みを帯びている頃歩く。上弦の月。
 吉村昭さんの「眼」は公園のホームレスの死ぬ前の眼差しについての話。「遠い幻影」は,戦争中,出征兵士を線路で見送っていた人たちの何人かが通過列車に轢かれた。しかし,戦時中のことで報道はなされなかった。微かな記憶をもとに事実と確かめる。年を取ると明らかにしておかなければと気になることが出てくるということだ。そう言えば,幼い日に行った親戚などは,その後深いつきあいもないがどういう親戚だったのだろうか,と気になることもある。こういうのが年をとって死が近づくと気になるものだ。どうせ死んでしまえば,すべてが無になるのだから,どちらでもいいようなものなのに・・。
 これで,吉村昭さんの短編集「遠い幻影」(文芸春秋社)を終わる。
 今借りてきて読んでいる「尾道今昔」の著者である入船裕二さんの訃報が新聞に載っていた。ご冥福をお祈り致します。 
 
2009年12月25日。金曜日。晴れ後雨。旧暦11.10.甲辰(きのえ,たつ)二黒友引。
 やや暖かい日が続く。夕方から曇り雨。
 吉村昭さんの短編集「碇星」(中央公論新社)へ入る。「飲み友達」,「喫煙コーナー」。ともに妻を亡くした男三人の話。「飲み友達」のほうは定年前。一人の孤独な女を巡って話が展開する。「喫煙コーナー」は退職後の話。駅のデパートの喫煙コーナーで無聊をかこつ三人がいつしか知り合いになり互いに生き甲斐を見出していくという寂しい話。
 三島さんは昭和三〇年代にニューヨークの公園にたむろする老人たちを見て「鏡子の家」でその状況をシニカルに描いたが,同じ状況が日本にも現れた。これはもうどうすることもできない。さて,夫に先立たれた女と,妻に先立たれた男はどちらが長生きするかと言えば,だれでも女のほうだと答えるだろう。左様に一人暮らしの男の生活力は乏しい。それに引き換え女は,はるかに強い。吉村さんのエッセーにも,夫の死後若返ったように生き生きしている妻の姿を書いたものがあったが,そうであろう。
 雨夜  
寒窓凭几冷侵衣
朋友欲追消息稀
星没閑庭啼鳥寂
誰憐灯細雨声微
 平声上五〈微〉韻「衣・稀・微」。
 
2009年12月26日。土曜日。晴れ。旧暦11.11.乙巳(きのと,み)一白先負。
 吉村昭さんの「花火」は結核の手術として五本の肋骨を切除してもらった医師の入院見舞いと通夜への参列を記したもの。「受話器」は同級生と老後を楽しむのだが,親しい一人がいつのまにか離婚して一人暮らしをしていたという話。「牛乳瓶」は夫が出征し,残された牛乳店を街の人たちが支えるが,最後は国の施策で牛乳そのものの仕事が廃業させられたことを描く。「寒牡丹」は定年離婚で妻が出て行った話。「牛乳瓶」以外は,いずれも還暦前後のやや高齢の人間の,人生の後半にさしかかった人間模様であり,こういう話に愛着をもつようになったということは,そういう年齢に自分がさしかかった故であることは間違いない。
 
 
2009年12月27日。日曜日。晴れ。旧暦11.12.丙午(ひのえ,うま)九紫仏滅。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史 Ⅳ」(筑摩書房)。「第二六章 遊牧民族群の習俗-シナからヨーロッパへフン族の進出-ゴート族の敗走-ゴート族,ドナウ河を渡過-ゴート戦争-ウァレンス帝の敗死-グラディアヌス帝,東方帝国をテオドシウスに譲る-テオドシウス帝の人物とその勝利-ゴート族との和解成る」
 スキタイ人,タタール人などのアジア系の蛮族が紹介される。遊牧民はその本性から言っても,行動範囲が広く,対外問題になりやすい。また,歴史を動かしやすい。188頁では食糧が,190頁では住居が,ともに戦闘に適していたことが挙げられる。
 その詳しい生活ぶりととともに,フン族(匈奴)とか蒙古などの遊牧民がやや脈絡なく紹介されるのだが,その記述は興味深い。そして,それらの遊牧民族に押された形でゴート族(スキタイ人)がドナウ川を越える。高校のとき習った世界史ではゲルマン民族皆動くとか言って覚えた三七五年頃の話になる。その状況を読むにつけ,ヨーロッパの宿命のようなものを思う。
 その後の失地挽回というか戦意立て直しにテオドシウス一世の活躍があった。その条で,中野さんは第二次ポエニ戦争でハンニバルを衰退させたローマの武将ファビウスについて注記をする。そして高校の世界史で習った漸進的社会主義のフェイビアン協会というのがこのファビウスの作戦に基づくということをここで知った。
 吉村昭さんの「光る干潟」は,戦争中に住んでいた浦安に行って様変わりした風景を見て当時のことを思い出す。「碇星」は以前読んだ「死顔」と同系列の主題。総務部で葬式の采配のベテランだった男が退職後,嘱託として働いている。自分が死んだ時は顔窓のない棺桶を作ってくれと元上司に依頼される話。確かに死顔など曝すものではない。最近葬儀が終わって出棺までに最後のお別れといって一般会葬者にまでお別れさせる葬儀が増えた。以前は近親者だけがしていたことだ。されるのも嫌だし,するのも嫌だ。吉村さんの主張に同感である。
 以上で吉村昭さんの短編集「碇星」(中央公論新社)を終わる。
 途中経過ながら,「ふぉん・しいほるとの娘」はまだ,二百頁のあたりです。これまでの山場はなんと言ってもシーボルト事件です。実は,台風が来たためにシーボルト事件が発覚したということがよくわかります。もし,台風さえなければ,おそらくシーボルトはもっと多くの資料を持ち出し,それらはヨーロッパに紹介されて,日本の評価が高まっていただろうし,また今では見ることのできない貴重な当時の記録がヨーロッパで残っていたということもあったと思います。そして犠牲者となった有能な方々がさらに日本の学問を進展させていただろうと思うと,不幸な事件だったと思います。それにしてもシーボルトの元に集まった医者たちの向学心の高さには驚きます。このとき,もっと門戸を開いておけば,今のような非国際国家ではない国になっていたのではないかと思うと残念です。やはり,江戸時代の鎖国は,長すぎたと思う。
 
2009年12月28日。月曜日。晴れ。旧暦11.13.丁羊(ひのと,ひつじ)八白大安。
 またぶるぶる寒さがやってきた。今日は御用納め。明日から休みに入るので始業前に聞いていた外国語のテキストをもって帰る。それに図書館が正月休みに入るので,吉村さんのを3冊と清張セレクションを1冊借りて帰る。
 13夜の月が昼間から出ており,寒風の中美しく輝いているのだが,寒いので散歩は取りやめ。昨日,炬燵を窓側へ移して,冬モードの2/3のほうにもってきたので快適になった。その分,炬燵から出られない。以前書いた,炬燵の足の延長具とテレビ枕の試用結果を報告すると上々である。腰が痛くなることは減った。しかし,すぐに眠くなるので,絶えず歯を磨いていないといけないのが,やっかい。ついでに炬燵板も置いた。するとすぐに物置台になるのでよろしくない。
 吉村昭さんの短編集「遅れた時計」(毎日新聞社)より,「水の音」。水道局で漏水を調べる仕事をしている男は耳が敏感になりアパートの隣りの部屋の音もよく聞き分けることができる。水道が漏れている音を聞き,修理したことから子どもと二人だけで住む若い女と知り合いになる。引っ越し前の女に旅行に誘われて行く。女は夫が刑務所にいる事情を話す。出所した男と最後の荷物を片づけて女は去る。その時「女の顔には少しの感情もあらわれず,牧夫は,そのしたたかさに呆れた。が,何事もなかったように振舞う女の平然とした態度が,今後男との生活を平隠に持続させてゆくにちがいない,とも思った」というような話。
 「駆落ち」は年上の夫と子どものある女と上京して二人で暮らすが,女が交通事故で片足が義足になり,生活に窮乏して故郷に帰る。女は「若いきれいなお嫁さんをもらってね」と言って駅で別れる。男は予想されるごたごたを避けるために東京へ引き返す。
 
 
2009年12月29日。火曜日。晴れ。旧暦11.14.戊申(つちのえ,さる)七赤赤口。
 少し寒いが,穏やかな一日。食品スーパーは正月用品を買う人たちで朝から賑わっていた。夕方寒くなった。月は大きくなったが散歩はやめた。
 吉村昭さんの「笑窪」は,双方が子どもを連れた再婚話である。明るく美しく楽しい,申し分ない相手であるのに,最後に男のほうがお断りする。明る過ぎる故に。かつて,同様な理由で二人の男性も断っている。断られても,この女性も子ども達も沈むのではなく,子どもは明るく「振られたね」と言ったというような家庭である。そして,お別れのパーティを,前の二人も呼んでするのを子ども共々望むというのだから,明るさを通り越している。
 「蜘蛛の巣」は予備校に通う甥が四十を過ぎた女性と同棲し家に帰らなくなったので,連れ戻すのに骨を折るという話。この女性の場合も過去にやはり若い男性二人に同様に押しかけられ同じようなことがあり,縁を切っている。その一人は自殺したという。甥もやはり家に帰ったものの自殺未遂を起こした。この女性には若い男を魅了する何かが在るのである。
 
2009年12月30日。水曜日。晴れ後雨。旧暦11.15.己酉(つちのと,とり)六白先勝ち。
 昼頃から小雨。下界に下りていくと,歳末らしい賑わい。
 「頼山陽とその時代 上」の「山陽の叔父たち」は,いわゆる頼三兄弟のうち,父春水以外の,春風,杏坪の事跡を主としてその交遊と詩文から点描したものである。それぞれの個性と一族に流れる才が小気味よく紹介されていて楽しい。とりわけ杏坪は広島藩の吏員として県北の荒蕪地の責任者として苦労を重ねたのであるが,その詩文にはまことに魅力に溢れたものが多い。
 晩年の「耳ハ鳴リテ常ニ蝉ヲ聞ク」というのは,耳鳴りのことだろう。私も数ヶ月前に初めて体験したとき,肩か耳の後に蝉が止まっているのだろうと思ったことを鮮やかに思い出した。少し,その時のことを書いておこう。
 首の後が痛くて,ふらつくような感じに何度が襲われたので,これは脳卒中にでもなったかなと思って,MRIをとってもらった。まったく異常がないということであったので一安心した。しかし,今度は二日ほどして,夏でもないのに蝉が鳴くようになった。三日ほど断続的に襲われて,ネットで調べてみてたら,自律神経失調症によっても起こるとあって,首の運動が紹介されていた。頭を左上右上左というような運動を3回繰り返し,めまいがするようだったら中止するようにとあった。左回し3回,右回し3回というのもあった。
 自律神経失調症というのは,製薬会社に勤めていた頃扱っていた薬にあったので,文献をいくらか読んだ。不定愁訴という言葉も並んで出てきていた。当時はむち打ち症といって,自動車で後から追突されたとき,頭が急に後に傾き,首が痛くなり,何日も身体の不調が続くという症例があった。それに効くという薬だったのである。
 雪道で後に転んだとき,頭を守るせいか反射的に首を上に上げて首が数日痛かったことがあったが,これも似たようなものだろう。
 というようなことから,首が原因かと納得し,書かれている首の運動をゆっくりと,首の凝りをほぐすようにやってみた。さらに自分でも付け加えて,左後上右前上左後を3回,右後上左前上右後を3回とか,首を左に回し右に回しを3回というようにやってみたら,その日からぐっすり眠れて,耳鳴りは止んだ。そして二日も続けると,すっかり首のまわりは柔らかくなって,体調は元に戻った。肩が凝るときは,首も凝るので,今でも時々は首の体操をする。
吉村昭さんの短編「オルゴールの音」は会社でいろないろなことが起こるということを書いたもの。「遺体引取人」は心中した嫂の遺体を引き取りに行く話。嫂の夫,すなわち主人公の兄は米国出張中であり,帰れない。嫂の実妹が近くにおり,一緒に行く,心中の相手は,主人公の大学の同級生である。遺体は持って帰るわけにいかないので,当地で荼毘に付して遺骨を二人で持って帰る。さて,家に入れるのがいいのか,と迷うところで終わる。やはり,この作品の眼目は,心中の相手の学生が,心中未遂歴があったというところだろう。そしてその男について「由緒ある家系だというが,労働とは無縁の血が淀みに淀んでかれのようなつかみどころのない男が生まれ出たのだろう」と言い,また「奇妙な儚さと陰鬱な翳が同居している。それが為体の知れぬ魅力となって,女を誘いこむんだろう」と吉村さんは書く。
 
 
2009年12月31日。木曜日。晴れ時々小雪。旧暦11.16.庚戌(かのえ,いぬ)五黄友引。
 激しくはないが,一日中,小雪がちらついていた。本年も今日で終わり。
 「頼山陽とその時代 上」の「四 山陽の三子」「五 三つの時代」。
 山陽の三人の子どもの数奇な宿命。父の時代,山陽の時代,そして子どもの時代。世代ごとに大きく変わる。中村さんは,この変遷を明治,大正,昭和の時代にアナロジーをめぐらす。国家のために生きた時代。芸術のための芸術。政治の時代。・・・ならば,平成の時代は何と要約すればいいのか。
 以上で中村真一郎「頼山陽とその時代 上」(中公文庫)を終わる。
 吉村昭さんの短編「遅れた時計」は郷里に帰って結婚した女が,バーに勤めていたことを偽っていたということで離縁されて,戻ってきたという話。習慣で,煙草を吸おうとする夫や親戚にマッチを擦ってさし出す,おしぼりを広げて手渡すという動作から疑われたということ。「十字架」は戦時中墜落後逃亡して行方不明となっていたアメリカ人兵士の白骨が発見され,母親が引き取りにきたときの話。村人はピストルで威嚇されたので,猟銃で射殺していて,戦後GHQの厳しい探査に戦々兢々としたことなどが明かされるが,実はヒグマに襲われて死んだものを,村人が猟銃で撃ったと自慢しただけだったということ。
 これにて,本年の夕凪亭閑話を終わる。御愛読を感謝。よいお年をお迎え下さい。