2019年3月2日土曜日

2009年5月 夕凪亭閑話

2009年5月2日。土曜日。晴れ。旧暦4.8. 癸未(みずのと ひつじ)五黄大安。
 季節は巡って完全に初夏の陽気になりました。日向に出ると太陽の日射しが皮膚を刺すようにするどい。公園の桜の緑が濃くなって,いかにも夏が来たという雰囲気を盛り上げている。名前を知らない小鳥が囀っている。東風がここちよい。すべてが,初夏です。
 天童荒太「永遠の仔 下」(幻冬舎)終わる。話題の新刊書というのには,手を出さない主義だから,「永遠の仔」や「家族狩り」の評判は聞いていても手に取ることはしませんでした。偶々雑誌で「悼む人」を読んで,こんな話を書ける人はどんな人だろうかと不思議に思って,図書館へ行ってみたら,他の本は無くて,「永遠の仔」だけがあったので,読んだ次第です。テーマも現代的で,小説としても面白く,あっという間に読んでしまいました。実際に犯罪を犯す人たちが,こんなに善人ばかりだとは,思いませんが,毎朝,新聞で見る悲しい事件の全てが犯人が悪い,というだけでなく様々な個人の力ではどうしょうもない要因が潜んでいるかもしれないと思うことはできます。
 
2009年5月3日。日曜日。晴れ。旧暦4.9. 甲申(きのえ さる)六白赤口。
 以前録画した「華氏451」を見る。本を読むことを禁じた社会というアレゴリーSFを映画化したもので,はじめは退屈な映画だと思っていたが,取り締まるべき主人公の消防士が本を読むことに目覚めてから,俄に面白くなる。本を取り締まり焼くのが消防士の仕事になっているのは,firemanという言葉の逆用からだろう。
 
 
2009年5月5日。火曜日。晴れ。旧暦4.11. 丙戌(ひのえ いぬ)八白友引。
 大型連休中に遠出をするという愚は百も承知だが,つい動いて失敗した。ただ,山陽道の混雑を避けて,旧2号線を久しぶりに走った。バイパスも利用せず,福山,赤坂,松永,尾道と久しく通っていない道だ。かつての山陽道というのは,府中,御調,三原というコースがあり,福山から赤坂を通って尾道に出るのはかなり後の話ではないかと思うのだが,どうなのだろうか。三原までいくには,府中を通ったほうが近いかも知れない。尾道に行くには,わざわざ鞆まで出て船で行くということもあるまいから,旧2号線沿いをてくてくと歩いたのではないかと思われる。幸い,車も少なくすいすいと流れた。
 今日は,子どもの日である。もう老人に近い大人だが,いつになっても子どもの日というのが一番うれしい。子どもの頃,かなり大きな張り子の虎があって,金太郎人形などと一緒に出していたのを思い出す。張り子の虎は頭と尻尾がはずれるようなっていて,箱から出して組み立てると,頭がよく動いて愛嬌があった。 
 天童荒太「幻世の祈り 家族狩り第一部」(新潮文庫)。図書館の文庫本コーナーを覗くと,幸い一卷があったので借りた。こういうのは滅多にないことだから,この先,次の卷に運良く出会えることができる保証はないので,ゆっくり読むことにしたい。今の段階では,「永遠の仔」ほど,すぐに先が読みたい,という気持ちにはなっていないので,「あれば読む」という,消極的な態度である。
 シェイクスピア作,中野好夫訳「ヘンリー四世 第二部」(筑摩世界古典文学全集44) 訳文はよいのだが,おもしろい話ではない。そのせいか,読む速度も落ち,やっと終わったという感じだ。でも台詞は光る。歯切れのよい翻訳。名訳だろう。これで,6巻本のシェイクスピア全集のうち四巻が終わった。あと二卷弱・・・。
 
 
2009年5月9日。土曜日。晴れ。旧暦4.15. 庚寅(かのえ とら)三碧赤口。
  昨日,今日と,暑い日になりました。でもこれまで例年より寒かったせいか,モッコウバラがまだ咲いております。黄色い花をもう少し楽しむことができます。メダカは卵を産んでいるのですが,まだ今年は1匹も孵りません。やはり,気温のせいでしょうね。昨日から,さくらんぼの収穫をはじめました。昨年よりかなりたくさん実をつけました。ヒヨドリが来たら,物干し棹を叩いて追っております。
 初夏の満月です。大潮です。海が呼んでいるような気持ちになります。 
 天童荒太「遭難者の夢 家族狩り第二部」(新潮文庫)。タイトル通り,主人公達は遭難者である。そして,それでも思い思いの夢がある。物語が大きく動き出した。それも悪い方へ。どれだけがよいほうに展開し,どれだけが悲劇に終わるのか,読んでみないとわからない。
 
 
2009年5月11日。月曜日。晴れ。旧暦4.17. 壬辰(みずのえ たつ)五黄友引。
  暑くなった。昼間は真夏だ。夜も寒くはない。この暑さで,サクランボがどんどん熟れていく。しかし,真っ赤になったと思ったら雀やヒヨドリに食べられてしまう。それが悔しいので,もう1日まてば完熟するのに,と思われるものまで手を出す。やはり,完熟したものには負ける。青い実が少なくなった。この調子では週末には無くなるかもしれない。
天童荒太「贈られた手 家族狩り第三部」(新潮文庫)。あっという間に終わった。それぞれの危機は益々深まる。家族心中と動物死体遺棄事件の謎は深まる。どちらの犯人も登場人物の中にいる筈である。タイトルが「家族狩り」なのだ。すなわち心中に見せて,家族を壊している者がいるということだ。さて犯人は誰か。必ず登場人物の中にいるだろう。なぜなら推理小説の形態をとっているのだから。これまでに登場したこともない第三者が犯人でした,などということはあり得ない。執拗に追う主人公の馬見原警部補が犯人ということはあり得ない。
 
 
2009年5月12日。火曜日。晴れ。夕方から小雨。旧暦4.18. 癸巳(みずのと み)六白先負。
  日中は暑い。おまけに紫外線がきつい。
 早朝から雀の襲来にあってさくらんぼが全滅。こんなことなら,昨日,少々熟れてないのも,採っておくのだった。夕方から雨が降り出したので,脚立を軒の下に入れた。
 天童荒太「巡礼者たち 家族狩り第四部」(新潮文庫)。三部,四部の盛り上がりは素晴らしい。もう目が離せない。そして,こんなに早く,犯人を公表していいのだろうか,と危ぶむ。
 
 
2009年5月13日。水曜日。晴れ。旧暦4.19. 甲午(きのえ うま)七赤仏滅。
 朝からよく晴れている。庭に出てサクランボを見ると,ほとんど食べられている。今朝も朝からスズメの来週だ。焼き鳥になりたいのか! と,言ったところで通じる相手ではない。昨夜の雨に濡れた葉をかきわけて,下のほうのまた熟れてないのを二つ三つ採って,ほうばる。まずくはない。ペッペと,池に入らないように種を遠くへ飛ばす。太宰に「桜桃」というのがあった。
天童荒太「まだ遠い光 家族狩り第五部」(新潮文庫)。結末にやや不満が残ったが,悪くない終わり方だ。それぞれが成長して,新しく出発する。これはこれでよいだろう。明日からまた普通の生活に戻ろう。
 
2009年5月14日。木曜日。晴れ。旧暦4.20. 乙未(きのと ひつじ)八白大安。
 夕方,風が強くなった。気温が少し下がったようだ。日中は暑かった。メダカが昨日,今日と孵った。ホテイアオイの根についた卵をせっせと別の容器に移すことが大切である。それから,混住している黒と黄を分けるということも必用だ。
佐藤賢一「革命のライオン 小説フランス革命Ⅰ」(集英社)。セーヌ川にミラボー橋というのがあった。シャンソンにもあったような気がする。ポン・ヌフというのもあった。一度だけパリに行ったとき,地図で色々と調べたが,自分の足で選んで渡ったわけではなく,どちらがどこにあったか忘れた。凱旋門とシャンゼリー通りとルーブルの位置関係くらいは今でも覚えている。このあたりでマリー・アントワネットが処刑されたのではないかと思いつつ見上げたオベリスクは思った以上に美しかった。佐藤賢一さんが書いたのだったら読んでも悪くはないな,と思った。確か「黒い悪魔」をオール讀物で,「カポネ」を野生時代で読んだが,どちらも悪くはなかった。だから,長いものだろうが,読んで損はしないだろうという予感はあった。面白くなければ途中でやめればいい。最後まで読むのが目標ではない。一年で終わらなくてもいい。そんな,きわめて消極的に読むことにした。革命の初期の立て役者ミラボーと,そして第二幕の主役,恐慌政治のロベスピエールの卷だ。まだ,ロベスピエールは大物ではない。気は小さいが,少しだけ政治的に優れたところもある。ミラボーが後継者として拒否しなかっただけの才覚はもっている。逼迫した国民議会の窮地の場であるヴェルサイユを去って,二人がパリへ向かうところで,序曲は終わる。2巻も読んでみようか,という気持ちになった。 
 
2009年5月16日。土曜日。晴れ。旧暦4.22. 丁酉(ひのと とり)一白先勝。
  時折煮えきらないような小雨が降るが,本格的には降らない。自動車の上についた埃を染みにする。サツキが終わり躑躅が咲きかけている,ばらは少し。

 天童荒太「孤独の歌声」(新潮文庫)。これまた激しい作品であった。読み出したら途中で止められなくなる。カバーに「天童荒太という名の伝説は,本書から始まる」とあるが,誇張ではない。
 
2009年5月17日。日曜日。雨時々曇り。旧暦4.23. 戊戌(つちのえ いぬ)二黒友引。
 変な雨。おかげで毛虫が増えた。

 シェイクスピア作,三神勲訳「トロイラスとクレシダ」(筑摩・世界古典文学全集45)。いよいよ「シェイクスピアⅤ」に入る。トロイ戦争に題材を得たものであるが,史劇的な趣には乏しい。何が主題だかわからないような作品であるが,台詞はさすがにおもしろい。三幕,三場のユリシーズの「時」をめぐる詩想の豊かさには舌を巻いた。ふと思うのだが,他の名作でも台詞こそが主眼であって,ストーリーは言葉を載せる器であろう。
 
2009年5月18日。月曜日。晴れ。旧暦4.24. 己亥(つちのと い)三碧先負。さんりんぼう。
 図書館でオール讀物2009年3月号を借りて来る。「悼む人」の直木賞選評を読む。評者の小説観の違いがよく出ている。井上ひさしさんが「ドストエフスキー顔負けの,この度胸ある文学的冒険に脱帽しよう」(p.32)と書かれているのが注目に値する。天童さんの現代の目前の問題に立ち向かう迫真の姿勢こそドストエフスキー的である。さすがに,井上ひさしさんは,そのへんのところをよく捉えていらっしゃる。他に,この号には「静人日記」とエッセーと,彫刻家・舟越桂さんとの対談が掲載されている。
 
2009年5月19日。火曜日。晴れ。旧暦4.25. 庚子(かのえ ね)四緑仏滅。  
天童荒太「とりあえず,愛」(集英社・短編集「あふれた愛」)は,いわゆる育児ノイローゼ(と言われている)現象をテーマに,夫婦のコミュニケーションの難しさを描いたものです。リアルに描かれていて(もっとさらりと描いていれば,よりよかったのですが)よくある現象だろうかと思いました。しかし,これくらいの齟齬で離婚するのなら,はじめから結婚などしないほうがいいのではないかという感想をもちました。(だから,結婚しないんだよー,という若者の感想が聞こえそうですが・・・)
 
2009年5月20日。水曜日。晴れ。旧暦4.26. 辛丑(かのと うし)五黄大安。
 少し暖かくなったので,メダカの卵が増えた。順調に孵っている。しかし,明日は雨予報である。気温が下がらなければいいが。
 天童荒太「うつろな恋人」(集英社・短編集「あふれた愛」)は,よい作品である。前半の天使のような明るい少女との出会い,心ひかれていく男,という話が美しい。そして後半の破局へ向かう男の一途な心が,余裕をもって描かれておりよい短編小説になっている。短編集の総タイトルが「あふれた愛」で,この短編集の中に「あふれた愛」という作品があるわけではない。ということで,このテーマが全作品を貫くテーマなのであろう。溢れたということは悪く言えば過剰ということで,本作も「とりあえず,愛」もそれぞれ主人公の過剰な愛が破局の原因になっていることは共通している。
 
2009年5月21日。木曜日。晴れ夜小雨。旧暦4.27. 壬寅(みずのえ とら)六白赤口。
 夜,雨という予報だったが,ほんのわずかばかり降っただけ。このところ少し雨が少ない。梅雨までまとまった雨はないのだろう。
 天童荒太「やすらぎの香り」(集英社・短編集「あふれた愛」)。これは過剰な愛で状況が悪化するという話ではない。思うように行動が伴わなくて,ひきこもりがちな二人が更正していこうとする健気な物語。
 三浦展「下流社会」(光文社新書)は,ミステリーより怖い話だ。この本を読んでいると,今後の日本社会が大変な社会になるということがよくわかる。いや既に,そうなっていると思ったほうがいい。そして三浦氏は巻末に,そうならないための提言をしているのだが,残念ながら事態を回転させるようなものではない。また,実現にはほど遠い反語のようなものである。
 
 
2009年5月22日。金曜日。晴れ。旧暦4.28. 癸卯(みずのと う)七赤先勝。
 今日も午後雨という予報が二三日前には出ていたのに,ほとんど降りませんでした。夕方外に出てメダカの世話をしていると,ポツリ,ポツリと二滴雨が当たっただけです。メダカの世話といっても,ペットショップに売っている白い布でできた魚を掬う網でゴミを採ったり,底に溜まった小さなゴミを,灯油を注ぐのに使うサイホンで吸い上げるくらいです。それに水を回転させ空気を入れてやることも大切です。回転というのは低いところのものを高いところへ上げる,という意味です。
   天童荒太「喪われゆく君に」(集英社・短編集「あふれた愛」)。は小説らしいよい作品です。コンビニで深夜アルバイトをする19才の少年は,高校を中退して,東京にでてきてはいるものの,何らかの目標があるわけではなく,ゲームとオートバイとバイトとが生活の中心という,フリーターです。クリスマスの夜,深夜,客の一人が倒れ,死にます。その妻と少年との微妙な関係が物語の中心です。少年は死んだ男が眠っているのではないかと思い,足でつついたりして,すぐに救急車を呼ばなかった負い目があり,自分の思いとは逆の行動をしばしばとります。世の中の若者すべてが,このように生きているとは思いませんが,それでも人は,自分の思うことと違う行為をしばしばしているのかも知れないと,思います。
 そして不本意にも未亡人を訪ね話しをします。彼女が語る,思いでの地へ,少年は恋人とバイクで行き,写真をとってきて彼女にみせるということを何度か続けます。恋人は,写真に写ろうとする少年の目には自分がいないことを感じ,離れていきます。結果,最後は人のいない風景を写した写真を未亡人に見せるということになります。これを見た彼女は夫の死を受け入れることができるようになり,突然実家に帰ります。
 彼女からの手紙により,少年は自分の行為が彼女の役にたったことを知らされ,生きる意義のようなものを自覚するとともに,死んだ男のことも考えることができ,この事件に伴う縛られたような思いから解放され,新しく生きる意欲をもつというわけです。
 ということで,「悼む人」の一歩手前の境地が書かれているように思いました。この短編集はこれで終わりです。前の2つが過剰な愛が悪い方へ向かい,後の2つは,過剰な愛に包まれた人たちの話ということです。特に最後の本作品は,現実にはあり得ないような話しになっているだけ,小説として楽しめ,作者のねらいがよく現れた見事な作品になっていると思います。
 
2009年5月23日。土曜日。晴れ。旧暦4.29. 甲辰(きのえ たつ)八白友引。
 日中は真夏のような太陽。朝夕がこの季節にしてはやや涼しいか。
 かつて,河出書房の雑誌のような体裁の文芸読本というシリーズがあった。現在の状況は知らない。そのうちのドストエーフスキイは,昭和51年に発行され昭和52年の七版は680円である。なぜ,こんな本をもっているのかというと,やはりドストエフスキーの魅力と難解さ故だと思う。そしてそれは今でも変わらない。いや,益々難解に思えるし,同時に魅力も増している。ということで,久しぶりに取り出して,池田健太郎氏の「ドストエフスキイ小伝」を読んだ。作品と作家の生涯が短いながらも要領よくまとめられていて,改めてこの作家の不思議な生涯に驚いた次第です。
 
2009年5月24日。日曜日。晴れ一時雷雨。旧暦5.1. 乙巳(きのと み)九紫大安。
 午後,激しい雷雨。cats  and  dogs というのがあるが,まるで天井裏で猫が走り回っているような音がして,こういうのを言うのだろうかと思った。入梅が近いのかも知れない。 
 シェイクスピア作,工藤昭雄訳「終りよければすべてよし」(筑摩・世界古典文学全集45)。ストーリーはこれまた荒唐無稽で,感動的なものではないが,やはり台詞のおもしろさは,ある。そういう意味では楽しい。
 
2009年5月25日。月曜日。晴れ。旧暦5.2. 丙午(ひのえ うま)一白赤口。
  佐藤賢一「バスティーユの陥落 小説フランス革命Ⅱ」(集英社)。 ベルサイユの国民議会は停滞が続く。しかし,革命は確実に動きだした。主な事項を,手元の年表から拾うと,次のようになろうか。711日にネッケルが大臣罷免され,翌12日,パレ・オワイヤルでデムーランに指揮された民衆蜂起が起こる。14日,バスチーユ陥落,17日,そして人権宣言などあるものの再び停滞。105日,ベルサイユ行進,6日国王パリに移る。こうなると,流れは止まらない。しかし,これまでの立て役者ミラボー伯爵の動きがついていかない。ロベスピエールはだんだんと失望し始める。パリの蜂起を指導したラムーランもやはり,歩みがのろくなる。後から歴史を眺める者はいかようにも鳥瞰できるが,当事者にとっては想像を絶することが日々進展していたのではないか。その中で想像できる範囲が個々人によっておのずと異なる。想像できる範囲内で人は協力し,時の人になれる。ミラボーの役割はほぼ終わりに近づいた。しかし,まだ命は続いており,後世どんない悪く言われようとも,自分の想像する革命を押し進めるしかなかったのだろう。
 
2009年5月26日。火曜日。晴れ。旧暦5.3. 丁未(ひのと ひつじ)二黒先勝。
 瀬戸内寂聴さんの訳で「桐壺」(源氏物語一,講談社)を読んだ。長い原文の直訳ではなくて,平成の日本語の普通の長さにしておられるので,大変読みやすい。そして,原作のもつ品位と陰影に富む描写を,美しい日本語で置き換えておられるので,雰囲気がよく伝わってくる。さて,「桐壺」は何度も読むのだが,これはこれでひとつの完結した作品になっているようだ。勿論物語の発端と思っても一向に悪くはない。・・・とはいうものの,今回,最後まで読むつもりではじめたわけではない。ちょっと読んでみたくなったので読んだ,とい程度であるのだが,期待以上であったので,いつかは寂聴訳で終わりまで読んでみるのもいいかなと思った。 
 
2009年5月28日。木曜日。晴れ一時雨。旧暦5.5. 己酉(つちのと とり)四緑先負。
  栗本薫さんが亡くなられた。同世代の人の死は考えさせられる。「僕らの時代」や「文学の輪郭」は買って読んだ。才能のある方だと思った。そちらの方向で書き続けておられたら,読み続けたと思うのだが,別の方向に向かわれたので,ほとんど読んでいない。子どもが読み出したので揃えた「魔界水滸伝」は面白かったが,こちらの根気が続かず,はじめのほうで止まってしまった。精力的なお仕事にただただ敬服するばかりです。ご冥福をお祈り致します。
 
 寂聴訳源氏「空蝉」。「帚木」はパスして,後半の空蝉に続くところから。タイトルもさることながら,テーマが実にいいと,いつも思う。非常に現代的である。どうしてこういう話が書けたのか不思議に思う。
 Amazonから R.G. Bhandarkar の First Book of Sanskritと Second Book of Sanskrit が届いた。ハードカバーだけど薄い本で値段は1,044と 634円。類書はネット上にpdfであるのだが,印刷が鮮明でよい。特に子音の結合文字がわかりやすい。
 四月の上旬に注文していたので少し時間がかかったが,確実に届いたので安心した。
 
2009年5月29日。金曜日。晴れ。旧暦5.6. 庚戌(かのえ いぬ)五黄仏滅。
 何とも変な天気が続いている。暑くなったと思ったら寒かったりして・・。とはいえ,週末になると元気が出るのはいつものことである。
 ああ,もう五月も終わりだ。来週になれば,6月になる。
 「波」を読んでいて,大庭みな子さんの全集の広告を見て,今更のように昭和が終わり,20世紀が終わり・・・・世代が変わり,世間の風潮も随分と変わったものだと思う。このような個人の全業績を集めた文学全集が出版されてもいい人たちが,何人もいるはずだが,と思うのは私だけではあるまい。しかし,それが難しいのが現在の社会状況だと思うと,悲しい。学校図書館も,公立図書館も相当数あるはずなのに,個人全集の多くを揃えているところは,意外と少ないのであろう。利用者のことも大切だがいいものを揃えておくことも,図書館の使命ではないかと思うのだが,現状はどうもそのようにはなっていないようだ。そんな状況であるが,ともあれ,大庭さんの全集がでることは,喜ばしい。
  E・M・ファオースターの「岩」(小野寺健編訳「20世紀イギリス短篇選(上)」(岩波文庫))は,「レベッカ」の海を思い出したが,それとは関係なく,事故に遭い,村人が嵐の中を助け出した。その後日談。テーマは「命の値段」。というのは表向きで,人間と人間の溝のことが書きたかったのではないかと思う。暗い。だが,こういうことを書く人というのは多いに興味がある。
 
2009年5月30日。土曜日。晴れ。旧暦5.7. 辛亥(かのと い)六白大安さんりんぼう。
 暑い日。夜になっても暑い。
 ヴァージニア・ウルフの「キュー植物園」(小野寺健編訳「20世紀イギリス短篇選(上)」(岩波文庫))も,やや暗い。明るい公園を描いているのに。いや公園を,彼女は描いていない。公園にいる人たちの意識を執拗に追う。これは彼女の気質によるものだろうか,それとも意識的に文学の方法として描写をしただけなのであろうか。どちらにせよ,こういう作業を延々と続けていると,自分の意識までが意識の底のほうに潜り込んでいくのではないか。
 
初夏雑詠
荷風燕語一陽流
蛙鼓一過去不留
初夏薔薇山館夕
池頭新樹杜鵑愁
 
2009年5月31日。日曜日。晴れ。旧暦5.8. 壬子(みずのえ ね)七赤赤口。
 梅雨前のはっきりしない天気の中,躑躅が鮮やかに夏の日を浴びております。もうしばらくはもちそうです。この頃になると周囲の雑草を除くのにあわせて,地面すれすれの部分を刈り込みたくなりますが,花が散るまで待つことにしましょう。
 モーリス・ルヴェル著,田中早苗訳「麻酔剤」(青空文庫)。麻酔というのは,手術の痛みを感じなくて済むのだから,これほどありがたいことはないのですが,このまま永遠に戻って来れなくなることはないのだろうか,と誰しも思うものでしょう。ということで,麻酔にまつわる話はいろいろあることでしょうが,その一つが本作品でうまくまとまっております。本当にあった話だとは思われませんが,小説としてはそれなりのリアリティがあります。
偶成
千紅不動尚天涯
睡味幽斎聴子規
燕子帰来春巳去 
落花午日憶人時
 
五月が終わりました。
ホトトギス啼いて皐月を送りけり