2019年3月2日土曜日

2009年4月 夕凪亭閑話 

2009年4月1日。水曜日。晴れ時々雨。 旧暦3.6. 丙子(ひのえ ね)一白友引
 朝からにわか雨になる。昼間も夜も時々降って,車の上には黄砂の醜い跡が残った。気温が高かったせいか,桜が一層開いた。でも夜は寒い。寒い四月の訪れである。
 シェイクスピア作,平井正穂訳「尺には尺を」(筑摩・世界古典文学全集44)。いよいよ「シェイクスピアⅣ」に入る。集中,「空騒ぎ」と「コリオレーナス」は最近読んだので,今回は飛ばす。「尺には尺を」というのは目に目をということである。領主である公爵が司法権を代理のアンジェラスに任せて,外国に行く。しかし実際には修道僧に姿を変えて,自分の評判を探るという趣向である。そして,そこでアンジェラスの邪心が発覚し,公爵の筋書きでアンジェラスを懲罰するというのが本筋である。そして,個々の事例が喜劇的に作られている。すなわち,寓話的であり,一種のおとぎ話として展開するところにこの作品の特徴がある。非現実的な話ではあるが,そう思って読むと,大きな破綻もなく,よくまとまった作品だと言える。
 
2009年4月2日。木曜日。晴れ。 旧暦3.7. 丁丑(ひのと うし)二黒先負
 いつまでたっても,のどかな春になりませんね。そんな中,桜だけは中途半端に,少しずつ咲いて,少しずつ散っていくのでしょうか。行く春や鳥啼き魚の目に泪とかいう句がありましたが,やはり暖かい春でないと惜しむべきものも惜しまれません。
 寺田寅彦「日本楽器の名称」(全集4)。言葉は文化であり,文化は言葉であるから,楽器に限らず,各国の言葉を比較すれば,おのずと文化の誕生と発展と伝播の軌跡のいくらかが顔を覗かせるであろう。その試みを楽器の名称に求めたものである。楽器は多くの民族に独自のものがあり,また交易とともに広範囲伝播しつつ,改変されたり名称が変わったりしているだろうから,類似の楽器の名称を並べ発音を比較するだけでも,類似性が浮かびあがる。現在のように出版流通の規模が大きくなかった当時においては,このようなものも,意義があったと思われるが,現在のように学問が分化し,さらにあらゆるところに学的プローブが入れられているご時世になれば,さらに学問的に研究されていることは容易に想像がつく。それにしても,寅彦の蒐集は広範囲で,かつ発想の特異なものもあり,現在の学問水準に照らしてもいくつかの卓見があるのではなかろうか。
 
 
2009年4月3日。金曜日。晴れ。 旧暦3.8. 戊寅(つちのえ とら)三碧仏滅さんりんぼう
 珍しく明るくよく晴れた。週末の雨マークも消えた。今日は気温も上がり花見日和
  頭から足の先まで,全身白い布と服で身を包んでバイクに乗っているおばさんとすれ違った。一瞬,月光仮面の再来かと思った。月光仮面と言っても,若い人にはわからないと思うが・・・。
 寺田寅彦「土佐の地名」(全集4)。先日に続いて,いわば「考証もの」とでも分類すればいいのかも知れない。それについては,鴎外や露伴を思いだした。素人とはいえ,これだけ並べれば,立派なものだ。寅彦に「考証家」の尊称を授けるのにやぶさかではない。
地名がアイヌ語と関係が多いというのは北海道だけの話だと思っていたので,土佐の地名とアイヌ語を対比して意味づけをするあたりに多いに興味をそそられた。ひょっとすると,中国地方にもアイヌ語に類似した地名があるような気持ちになった。アイヌ語を勉強するのなら,白水社の「CDエクスプレス」シリーズがよいと思う。このシリーズは随分とそろえてあるが,アイヌ語はまだ買ってもいないし,射程にも入っていない。少し,興味をもった。今後の成り行きに任せたい。
 
 
2009年4月4日。土曜日。雨。 旧暦3.9. 己卯(つちのと う)四緑大安
 朝から雨である。桜の花がほぼ満開で土曜日で大安であるのに,雨というのは残念である。この雨で一段と春めいて来ることだろう。
 寺田寅彦「比較言語学における統計的研究法の可能性について」(全集4)は,はなはだ興味深いものであった。楽器について,土佐の地名について,他言語等と比較していたがついに,問題を一般化して言語学の領域への言及である。日本語と他国語の類似点を数例挙げた後で,寅彦は偶然性の問題へと切り込んでいく。しかし,言語学の細かな議論にまでは踏み込まず「可能性について」の示唆で終わっているのが惜しまれる。寅彦は掉尾で共同研究を提案しているのだが,この小論が発表された昭和三年の我が国でそれに応じるほど学問世界は開かれていなかったのではないか。もし状況が今日のようであったら,共同研究をもし込む言語学者の一人や二人はいてもおかしくはない。また,この文章が英語かドイツ語で発表されていたら,当時でも多少の影響はあったのかもしれない。ここに書いているようなことは,ケインズの例を持ち出すまでもなく,斯学の発展のためには益することがあると思われる。
 
2009年4月5日。日曜日。晴れ。 旧暦3.10. 庚辰(かのえ たつ)五黄赤口清明
 春らしいよいお天気でした。いたるところで花見に向かう人たちを見かけました。家の前の公園に咲いていますので,わざわざ行くまでもないのですが,そういう人たちを見ているとのどかな気持ちになります。公園に猿がいるのかと思ったら小さな女の子が二人,桜の木のかなり上のほうまで登っておりました。桜の木は折れやすいのではなかったかな,と後で思いましたが,小さい子なら大丈夫でしょう。
 夕方,別の公園へ散歩に行ってみたら,あまり咲いていなくて驚きました。まだ蕾がかなりあって,木によっては三分咲きというのもありました。変な春ですね。
 リルケ著,川村二郎訳「マルテの手記」(集英社・世界文学全集53)。一回目が終わったというわけであるが,どのように終わったのかもわからないほど,曖昧模糊としている。少しずつ読んでいたら,いつのまにやらおしまいになってしまったというわけである。この作品は小説ということになっているが,最初から最後まで,そのことには違和感があった。書かれていたことの大半は忘れたが,その素材の素晴らしさは,何物にも代えがたい。正直言って得るものはそれだけである。思想のようなものを期待するのが間違っているのかも知れない。よくわからないが,どのページを開けても,ひきつけて止まないものがある。それなのに,そこからどこへ行くのかというと,どこにも行かないのである。それでいいのかも知れない。
 
2009年4月7日。火曜日。晴れ。 旧暦3.12. 壬午(みずのえ うま)七赤友引さんりんぼう
 昨日,今日と桜が一段と咲いて,満開に近い。今日は20℃くらいまで上がったようだ。夕方公園を散歩すると,花見の人が雨が降らなければ週末まで持つだろうと言っていた。そうかも知れない。満月に近づく月が桜によく似合う。蝙蝠も飛んでいる。猫もでてきている。
 オール讀本の連載で「悼む人」を少し読んだ。宇和島のことを瀬戸内海地方と書いてあった。以前,私もそう思っていた。八十八カ所巡りをしたとき,蜜柑畑はあるし,海もおだやかだから,瀬戸内の延長かと思っていた。地図で見ると,宇和海というのがあって驚いた。
 
 
2009年4月8日。水曜日。晴れ。 旧暦3.13. 癸未(みずのと ひつじ)八白先負
 昨日の宇和島の件。気になるところであるが,天童荒太さんは愛媛県のご出身であるから,間違えるはずはないから,あれは小説中の話者がそのように誤解して発言したという設定だろうと思う。 
 夕食後散歩。桜が美しい。満月に近い月。清水に祇園をよぎる桜月夜今宵会う人みな美しきというのが「みだれ髪」にあった。こんな感じか。
 ソシュールの「一般言語学講義」を読んでいたら,有名なテーゼが出てきた。「ところで,言語(langue)とはなんであるか?われわれにしたがえば,それは言語活動(langage)とは別物である;・・・・以下略」(岩波書店,小林英夫訳,p.21
 
 
2009年4月12日。日曜日。晴れ。 旧暦3.17. 丁亥(ひのと い)三碧先勝
 気温が日々上がっていき,まるで今日は6月のような陽気で,夏が来たように思いました。寒暖の差がひどくて,戸惑いますね。でも,さわやかでいい日が続いていると言ってよいでしょう。桜の花は雪のように散っています。早くも緑の葉が出て,輝いています。見事な温度センサーですね。
 天童荒太さんの「悼む人」を終わった。なかなか感動的な話です。他人の死を悼んで全国を放浪する男,というだけで素材からして奇抜です。リフォームだの,オール電化だの,株のなんとか,マンションを買わないか・・・等,しつこい勧誘やセールスで,世の中溢れておりますので,知らない人と話をするのを極力避けているのが,ここ数年の生活の基本です。もちろん,道など尋ねられたら丁寧に返答はしますが・・・。こういう傾向は多分,私だけのことではなく,世の中の多くの人に見られるのではないかと,思います。そういう状況の中で,亡くなった方について教えてくれと言われたら,週刊誌の記者か宗教的な勧誘かと眉を顰めるのが大方の反応ではないでしょうか。そういう,行為を主人公はします。そして,その行為を続けていると,中には,喜ぶ人や,理解してくれる人が出てくることもあるかもしれません・・・。と,いうように読者に思わせてしまうのが,作者の技量で,最後は,納得させられてしまいます。架空の物語でありながら,なかなか存在感のある話です。脇を固める人たちにも,十分筆がさかれ個性的に描かれております。飽きのこない,印象に残った感動的な作品です。
 
2009年4月13日。月曜日。晴れ。 旧暦3.18. 戊子(つちのえ ね)四緑友引
 シェイクスピア作,三神勲訳「シンベリン」(筑摩・世界古典文学全集44)。これはよくできた小品です。悲劇にも喜劇にも分類するのはむずかしいでしょう。前半の複雑な展開に対して最後の問題解決の部分がやや安易な展開のように思いました。しかし,この部分を丁寧に収束させていたら時間もかかるし,ドラマのスピードから言っても好ましくないのかもしれません。
 昨夜,パソコンのトラブルが発生した。主にデータの運用に使っていた外付けハードディスクが壊れた。以前内蔵HDが壊れたので,外付けなら安心だと思い,大量のデータを移し,そちらをメインに使用していたのである。最近のものが失われた。安心しきっていたのがいけなかった。内蔵,外付け同時に保存しておくべきだったと思っても後の祭り。
 
2009年4月14日。火曜日。雨。 旧暦3.19. 己丑(つちのと うし)五黄先負
 久しぶりの雨で,野山がいっそう新緑に輝くでしょう。少し寒かったが,これは仕方がない。
 パソコンの故障,続報。外付けHDの復旧は無理のようです。内蔵HDを二台体制にしました。外付けが思ったより弱かったので,内蔵と別のパソコンを利用してバックアップ体制を強化しようと思います。
 寺田寅彦「雑記(Ⅱ)」(全集4)。花火の話の中で,「私は自分が子供の時に九段上の広場で見た、手拭を撚(よ)ってこしらえた蛇(へび)を地上において、それが今に本当の蛇になると云って、その周囲に円を描いて歩きながら、笛を吹いて往来の暇人を釣っていた妙な男の事を思い出した」(p.50)という奇妙な文章に出会います。何が奇妙かというと,漱石の「夢十夜」に出てくる話のひとつだからです。同じ光景を漱石も見たのでしょうか。
 
2009年4月15日。水曜日。晴れ。旧暦3.20. 庚寅(かのえ とら)六白仏滅。
 よいお天気が戻ってきました。初夏の陽気です。やっと夕凪亭を夏モードに変えることができます。狭くしていたカーテンをはずし,常時奥のほうにも行き来できるようにします。カーテンひとつですから,いつでも行き来できたのですが,やはり,これを取り払うと気分的にも違います。
 柳の木を用いて解熱鎮痛に利用していたことは有名な話で,サリチル酸は柳(学名 Salix alba)に由来する。その柳にまつわる茶山の話が,富士川英郎「菅茶山 下」(福武書店)に出てくる。江戸の医師・石原柳庵が長崎で西湖の柳を手にいれ,帰途神辺の茶山を訪ねた。茶山に「東都石原君亮得西湖柳索詩」の詩がある。(p.40) 柳庵というのは,このことに因む名前かどうかはわからない。メモ代わりに記しておきます。
 
2009年4月17日。金曜日。晴れ。旧暦3.22. 壬辰(みずのえ たつ)八白赤口
 モッコウバラが咲き始めた。黄色が映える。少しの間だが楽しめる。
 寺田寅彦「路傍の草」(全集4)。短いものの集まりである。集中,初期のラジオ放送の様子が書かれて興味深い。音は悪く,不愉快な感情の方が強い。竹を立てて針金を渡してアンテナとする。現在では,いやずっと前からAM放送は内蔵アンテナの進歩で,外のアンテナ無しで聞かれるが初期の頃のそのようなこともしたようである。一部のマニアだけかと思っていたが,一般家庭でもされていたような記述である。大正14年の文章である。
 近くの書店に行ったら,洋書コーナーが無くなっていた。文化はこのように少しずつ衰退していく。栄枯盛衰は歴史の教えるところである。
 
2009年4月22日。水曜日。晴れ。旧暦3.27. 丁酉(ひのと とり)四緑大安
 久しぶりに庭に出て,ホテイアオイの根を見てみると,メダカの卵がついていたので,別の容器に移した。モッコウバラが満開で連日の陽気に,もう散り始めた。
 シェイクスピア作,中野好夫訳「ヘンリー四世第一部」(筑摩・世界古典文学全集44)。これは長いだけで中身のあまりない台詞劇のようだ。駄洒落地口の応酬で,それなりにおもしろいのだが,劇的な展開に欠ける。中野好夫氏の名訳は,あくまでも日本の風土において,原作の雰囲気を伝えようとしたものであり,それはそれである程度成功しており,敬意を表したい。一方ではまた,すべてを日本流にしなくても,断絶を承知で,あるいは洒落になっていなくてもいいから直訳調で,どんな言葉が使われていたのか知りたくなった。だから,翻訳になれた頭には,却って日本的な駄洒落に置き換えなくてもいいように思った。そういう意味では,この翻訳は,舞台で演じるぶんにはよいだろう。
 
2009年4月25日。土曜日。雨後曇り。旧暦4.1. 庚子(かのえ ね)七赤仏滅。
  朝から激しい雨。まさに筍雨で,明日竹藪に行けば,雨後の筍がひしめいていることでしょう。今日は,旧師・旧友と会う会があり,夜岡山へ行ってきた。駅の賑わいにはいつもながら感心する。帰りは,最寄りの駅にタクシーがいなかったので,夜道を30分ほど歩いて帰った。山道で,初夏の風が大変気持ちよかった。
 モーパッサン作,高山鉄雄訳「脂肪のかたまり」(岩波文庫)。最近,新潮文庫のモーパッサン短編集(四)があるということ知ったのだが,まだ買っていないので,こちらを読んだ。処女作にして出世作だということであるが,まったく見事な作品である。粗筋は簡単なのだが,知らずに読んだほうが楽しいだろうから,紹介しないでおこう。プロシア・フランス戦争に関するものは他の短編にもいいものがあったが,これも素晴らしい。師のフローベールが激賞し,フローベールは間もなく亡くなった。その後10年間の作家活動でモーパッサンは数々の傑作を世に残した。まさに出藍の誉れである。フローベールの作品は「ヴォバリー夫人」と「感情教育」ぐらいしか読んでないので,よく知らないのだが,昨今の若者はどちらをよく読むのであろうか。(どちらも読まないのだろうか。)
 
2009年4月29日。水曜日。晴れ。旧暦4.5. 庚辰(かのえ たつ)二黒友引。昭和の日。
 少し暖かくなって,最高気温22℃くらいでしょうか。これくらいになると,メダカが卵を産みます。帰りに尾道市立美術館へ「栄光のルネサンスから華麗なロココ」展を見に行ってきました。絵もよかったのですが,天気がよく尾道水道がいつもにもなく美しかった。
天童荒太「永遠の仔 上」(幻冬舎)。こういうのを読んでいると,他のものが読めなくなります。