2019年3月2日土曜日

夕凪亭閑話 2009年8月

2009年8月1日。土曜日。雨後晴れ夜半雨。旧暦6.11. 庚寅(かのえ とら)四緑仏滅。八朔。
 梅雨が明けぬまま8月になった。朝から雨。時に激しく。後晴れ。しかれども夜半より雷雨。いよいよ梅雨明けか,の期待。
 四国地方は昨日梅雨明けしたそうだ。
 
 八朔にめずらしき柑子ありけり瀬戸内の寺
 青い空まぶしくもある青い海わが散骨の何処がよしや
 百日紅静かに咲けり草の中この梅雨空の遅き夕べに
 
 
2009年8月2日。日曜日。晴れ。旧暦6.12. 壬卯(みずのえ う)三碧大安。
 雨上がりの青空。8月にしては気温が低い。梅雨明けには近いのだろうが,やや空気中の湿度は例年より高い。雲が久しぶりに少ないせいか,満月に近づいた月がやっと見えた。その近くの明るい星は木星だろう。アメリカではまた月に人を送ろうなどと言っているが,基地を作るのでないのなら無人探査機でいいのではないかと思う。 夏空を見上げてみればまた雲が。 
 坂口安吾「黒田如水」(青空文庫)読む。歴史上の人物の姿といっても最初に記録した人の主観が後々まで大きな影響を与える。すなわち所詮は一個の伝説に過ぎない。その伝説を後世の著述家がどう変形し,さらに伝説を加えようと自由である。結局証拠のないところには,己の夢を見るしかないからだ。黒田如水すなわち,黒田官兵衛を書くふりをして秀吉と家康についての安吾の見た夢がこの作品である。
 
 
2009年8月3日。月曜日。晴れ。旧暦6.13. 癸辰(みずのと たつ)二黒赤口。
 夜になって雲が出て,気温が下がらない。月はしばしば雲の彼方に。最高気温31℃ですから,この時期にしては変ですが,異常というほどのことはないでしょう。歴史上残る大飢饉などというのも異常な気象のせいでしょうから,昔から気候というのは時に大きな変動が伴うものでしょう。そう思うと,今年くらいならまだ,ノーマルのうちかもしれません。でも,こんな夏は寂しい。月見れば湿った空気部屋に入り。
 バックミンスター・フラー著,金坂留美子訳「バックミンスター・フラーの宇宙学校」(メルクマール)を読み始める。これも途中で止めるかもしれない。第一章にシナジーについて明解に書かれている。そのまま引用しておく。
  シナジーとは「それぞれの部分の働きを個別に見ていては予測もつかない,全システムの働き」を意味する。(p.7
 
 シェイクスピア作,高松雄一訳「ルークリース」(筑摩・世界古典文学全集46)。劇詩である。テーマは妻自慢の悲劇に立ち向かう烈婦。ローマ7代目の王の王子タークィンは妻自慢の話題で人気を得た,従兄弟のコライタインの妻ルークリースを陵辱する。ルークリースは夫に復讐を誓わせてから自害する。ストーリーは明確である。これを時系列に沿って詩う。たったこれだけのことだと思う無かれ。シェイクスピアのペンは自由自在に踊る。一つの動作,一つの感情に対して,機関銃のように言葉が続く。わずか数秒の動作に,それを描く言葉の方が長い。まさにシェイクスピア劇のエッセンスのような作品である。
 さて,これをもってシェイクスピア全作品の読書を終わり,ほっとしたところである。冥途への土産を一つ増やしけり。
 
 
2009年8月4日。火曜日。晴れ。旧暦6.14. 甲巳(きのえ み)一白先勝。
  やっと中国地方も梅雨が明けました。昨年より約1ヶ月,例年より約2週間遅い梅雨明けです。雲は多いものの少し湿気は減ったようです。梅雨明けて登る満月夏の空。
  立花隆「小林・益川理論の証明」(朝日新聞社)。 「サイアス」といってももう記憶している人は少ないかもしれない。「科学朝日」と言えばそれでもまだ何のことか想像できるだろう。朝日新聞社が発行していた科学雑誌のことである。誌名が「サイアス」に変更して,しばらくして休刊となった。休刊というのは廃刊と考えてよい。その休刊まで連載されていた高エネルギー研究機構のレポートを小林・益川両氏のノーベル物理学賞受賞を機にまとめたものである。このレポートは加速器実験で小林益川理論のPC対称性の破れを検証するプロジェクトであったわけで,そのことと二人のノーベル賞受賞は密接な関係がある。したがって今回の受賞はこの加速器実験を成功させた日本の基礎科学が受賞したと考えていいと立花さんは指摘する。また,連載の後半では「サイアス」存続の署名活動のレポートが記され,この雑誌の意義について書かれている。新聞社が科学雑誌を持つということの意義は人的コネクションということだけでも非常に大きい。それを失ってもいいほど新聞と雑誌の連携はうまくいっていなかったのだろうか。ならば仕方がないが・・・。さらに,高エネルギー研究機構のスタッフとの対談があり,楽しい。これはこれでひとつのドキュメントである。
 
 
2009年8月5日。水曜日。晴れ。旧暦6.15. 乙午(きのと うま)九紫友引。さんりんぼう。
  暑くて暑くて何も考えられない。そんな一日でした。でも,夕方にわかにかき曇り,ほんのわずかだが,小粒の雨が落ちた。
 
 クリスティ,山崎昮一訳「火曜日の夜の集会」(南雲堂)は,サロン小説で,タイトルの通り,火曜日の夜に集まって,一人が謎を含んだ話をし,他の人たちが謎解きをするという趣向の作品で,正解者は言うまでもなく,ミス・マープルである。ただ,読者との知的パズルであるかというと疑問は残るが,登場人物が楽しく書き分けられているのでよしとしよう。
 
消夏求涼
山居矮屋日西傾
十里黄昏雲自生
涼動空簾風有影
池亭夏木只蝉声
 
2009年8月6日。木曜日。晴れ。旧暦6.16. 丙未(ひのえ ひつじ)八白先負。
 広島原爆の日。先日,「夏の花」を読んで,その悲惨さをあらためて思った。
 今日は昨日以上に暑い日だった。34℃くらいにまでなったのだろう。おまけに蒸し暑い。いつまでも梅雨のような天気だ。梅雨の終わりに雷が鳴らなかった年は,よくこうなる。梅雨の終わりが猛烈な雷雨だったら,梅雨が明けるとともにからっとした真夏になるのに,どうやら今年は違うようだ。美しい満月に傘ができている。梅雨に似た雲間に登る満月にちょっと寄り添う木星が。
 DVDで「郵便配達は二度ベルを鳴らす」を見た。4回も映画化されているようだ。1981年のブ・ラフェルソン監督。ジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラング、マイケル・ラーナー出演の4作目か。あまりいい映画とは思わない。原作は,新潮文庫が手元にあるが,田中西次郎さんの解説によれば,ヘミングウェイよりも早いハードボイルドで, カミュの「異邦人」にも先立つということである。
 
 
2009年8月7日。金曜日。晴れ。旧暦6.17. 丁申(ひのと さる)七赤仏滅。立秋。
 今日もまた暑かった。でも夏らしい青空。夕方の雲は自在に変転し美しかった。夕焼けの雲消えて蝙蝠飛び回る。
 大原麗子さんが亡くなられた。平凡パンチか週刊プレーボーイか,忘れたが,グラビア,美しかった。寅さん映画の牛久沼の人妻役も。ご冥福をお祈りいたします。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書店)の「第11章 クラウディウス帝の治世-ゴート人の敗北-アウレリアヌス帝の戦勝,凱旋,そして死」を終わった。パルミュラというのはローマ史跡の一つだと思われるが,そこの女王ゼノビアの話がとりわけ興味深い。知性と美貌の女王といえばかの有名な伝説のシバの女王を思い出すが,本人はクレオパトラを目指していたのかもしれない。しかしアウレリアヌス帝に負けてからがよろしくなかった。命ほしさに部下のせいだと言ったりしたという。潔く自死しておれば,クレオパトラと併称されたかもしれないのに残念である。晩節を汚した訳だ。
 
 中里介山「大菩薩峠」(青空文庫)「甲源一刀流の巻 一から七」まで。
 ビクトル・ユーゴー著,豊島与志雄訳「レ・ミゼラブルLES MISERABLES」(青空文庫) 「第一部 ファンティーヌ  第一編 正しき人 一 ミリエル氏」まで。
 
2009年8月8日。土曜日。晴れ。旧暦6.18. 戊酉(つちのえ とり)六白大安。
 昨夜から今朝にかけて暑い夜だった。今日も暑い日だった。でも立秋も過ぎたし,日の入りも早くなったし,お盆過ぎには秋風が吹くだろうから,もう少しだ。
 有朋自遠方来、不亦楽乎! 高校時代の友人が帰省の途次,寄ってくれる。盆と正月の功罪のうちの功のほうである。
 月がでていないと思っていたら,23時ごろになってかなりのまとまった雨が降った。時ならぬ雨音涼し熱帯夜。
 昭和4211月発行の河出書房・カラー版日本文学全集5には「平家物語」と「平治物語」が現代語訳で収められている。これも数年前某古書店で100円で買ったものだが,紙も綺麗で傷みもなく重宝している。こういうのを勿体ないという思いで買い続けていたら,家というものが人が住むためにあるのか本を置くためにあるのかわからなくなるのだが,よい買い物だったと今でも思っている。平家は,岩波の新日本古典文学大系で出たとき,最後まで読んだのだが,記憶も曖昧になったので,少しまた読んでみることにした。中山義秀氏の訳で,大変美しい現代語訳だと思う。平家は原文の場合は華麗な文体に溺れてつい意味を考えずに読んだところも多いが,現代語訳だと意味がまず頭に入ってくる。これはこれでよろしい。第一卷は,必衰の平家一門の序曲ともなるところで,至る所に衰退の兆しが伺われる。なかでも「祇王」は,見事な短編小説といってもよく,哀感漂うとともに,平家滅亡の宿命を必然ならしめる力ももっている。平家の作者は徒然草いうところの信濃前司行長という人が多くの部分を書いたものと信じるが,それにしても見事という他ない。
 
2009年8月9日。日曜日。雨。旧暦6.19. 己戌(つちのと いぬ)五黄赤口。
  朝起きたら激しく雨が降っている。昨夜の雨が続いていたようだ。二三日前に見た天気予報では一週間ほどは雨の降らない予報であったのに驚くではないか。ということで,大雨の中買い物に行っただけで,ずっと家の中にいた。お盆が近づいたので部屋の模様替えをした。三部屋も片づけたので,いささか,くたびれた。机の上に何も置かないようにしたいものだが,そうはいかない。そのためには本棚を空けて,机の上にある小物を移せばいいのだが,いつのまにやら戻ってくる。
 昨日の猛暑とうって変わった今日の雨には驚いたが,海水浴には絶好の日であったろうに残念だ。潮もまずまずだし,お盆前の日曜日で本来ならばどっと押し寄せるといってもよい日だった。お気の毒さま。大雨のもとをたづなば時ならぬ台風前の卵なりけり。
 
2009年8月11日。火曜日。晴れ。旧暦6.21. 辛子(かのと ね)三碧友引。
 台風一過。地震もあり,大変な夏だ。夏なのか災害来るは秋なのか。
 バックミンスター・フラー著,金坂留美子訳「バックミンスター・フラーの宇宙学校」(メルクマール)。難解である。フラーの本は二冊しか見ていないが,実に難解である。こちらのはそれでもやさしいかと思っていたら,やはり難しい。随所にはっとするような指摘があるのだが,それを前後の文章と関連づけようとすると忽ち発散してしまう。でもなかなかいいことを言っているということはわかる。こういう革新的なことは,多くの信奉者の方々に再解釈普及伝道をしてもらう価値が十分にある。教育の重要さ。映像等エレクトロニクスの活用の意義。学問の専門分化は危険。知識は指数関数的に増えてきたことを考えれば,今後の進歩は想像を超えたものになる。(p.180) アインシュタインが特殊相対性理論の論文を書いた当時はスイスの特許局に勤めていたのは周知の事実だ。またスイスの伝統的な産業に時計があるのもよく知られている。何枚もの時計の特許申請の用紙を見ていて,時間の本質とは何だろうかと考える。・・・というようには,小生は考えないが。
 サム・メンデス監督作品「アメリカン・ビューティーAmerican Beauty」(1999年)を見た。昔「タクシードライバー」を見て,私小説だと思ったのを思い出した。その延長線上の最高傑作であろう。私小説的洞窟から抜けだし,精神の荒廃を描きながらも,舞台はアメリカであるが,まさに現代文明の闇の部分そのもので,それを描くのに成功している。
 
 
2009年8月12日。水曜日。晴れ。旧暦6.22. 戊丑(みずのえ うし)二黒先負。
  朝から曇り。台風は通り過ぎても真夏は戻って来なかった。お盆休み。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書店)。「第12章 アウレリウス帝死後における軍および元老院の動向-タキトゥス帝,プロブス帝,およびカルス帝父子たちの治世」も,衰亡史なのだから,どんどんと国家の大黒柱がぐらついて,制度がついていかないということを証明する。しかし,それ以上によい制度がないのだから,結局は個人の力量に頼ることになる。しかし,後世から崇められるような賢帝となるような人物が頻出するわけではない。それだけ,内政と外交(防衛)の両方を見ることが大変だということでもあろうか。内政が対元老院対策とローマ市への食糧供給などとすれば,外交の中心課題は蛮族と呼ばれている,周辺部族の侵攻に対する防衛である。ローマは大帝国なのだから,当然のことながら国境線は膨大な長さになる。守る方が不利なことは明らかだ。だから,ロー帝国はよく長らえたと思う。そのように思えば,結果論としてローマの制度はすぐれていたということができる。しかし,個々の皇帝に対しては,結果として,蛮族を押しとどめておけば善政,侵攻されれば失政ということになる。評価は厳しい。しかし,歴史家の評価はさらに厳しく,あらゆる面を厳しく採点しようと鵜の目鷹の目で睨んでいる。
 さて,周辺部族との混交はローマ帝国滅亡後にはじめておこることではない。防衛線が破られるごとに混血は進み,後のヨーロッパを準備するのである。周辺部族の侵攻は彼らに生得の移動性というところにその特徴があるのではないかと,この章を読んでいて思った。彼らの移動性,非定住性がローマ国境を越えてヨーロッパを作り,さらにはアメリカ大陸にまて至った。勿論,宗教的な対立とか,ジャガイモ飢饉とか,それぞれの地域によって個別の事情があったにはせよ,そう考えてこそ大量の人々がアメリカ大陸へ渡ったことが理解できる。彼らの子孫の歴史は終わっていない。今いるところが気にいらなくなれば,月だろうと火星だろうと必ずや出ていくのである。
 
2009年8月13日。木曜日。曇り一時雨。旧暦6.23. 癸寅(みずのと とら)一白仏滅。
 今日も朝から雲って蒸し暑い。とはいえ梅雨のときほどではないが,いつもの夏とは違う。今朝も八丈島で地震があった。連日の地震だ。インドネシアでも起こっている。気持ちの悪い夏だ。
   「白鯨」を録画DVDで見る。海の話しになるとつい引き込まれてしまいます。雲を撮っても,空を撮っても,太陽を撮っても,やはり海の上のものが多様で面白い。だから,この映画の背景の映像がいかにも,作品の精神の奥底を象徴しているようで納得できます。勿論,演出や演技や,それに鯨の姿もいいのですが・・・。原作は途中まで読んだことがありますが,これはこれで素晴らしいものでした。
 
2009年8月14日。金曜日。晴れ。旧暦6.24. 甲卯(きのえ う)九紫大安。
 やっと空気も乾いて夏空になりました。しかし,気温は上がらずやや秋の気配。お盆ですから,朝夕が涼しくなるのは当然で,通常の夏に戻ったのかなと安心しております。
 気温が低いせいか午前中はエアコンを入れず天井扇を久しぶりに回して見ますと(幸い埃もあまり飛ばず),けっこう涼しく感じました。
 午後と夜は少しだけいれましたが,9時過ぎにはエアコンを消して窓を開けました。木星が明るく輝いているので,外に出てみると今年にしては珍しくよく晴れて,月も出ていないので白鳥座もくっきりと見えます。
 海老沢泰久さんが亡くなられた。「青い空」というのは,幕末の寺請制度について書かれたもので,知らないことだらけだったので色々と勉強になりました。それだけしか読んでおりませんが,お若いのに残念です。ご冥福をお祈り致します。
 カール・セーガン著,滋賀陽子・松田良一訳「百億の星と千億の生命」(新潮文庫)は著名な天文学者セーガン教授の最後の本です。現在の天文ブームの立て役者ですから,そのお名前はよく知られていることでしょう。まさに宇宙的視野で物事のわかる人で,それをまた社会に向けて発信された精力的な活動は記憶に新しいところですが,1996年に若くして亡くなられました。その博士の我々へ残されたメッセージの精華ともいうべきものが本書ではないでしょうか。前半は巨大な数,小さな数のイメージについての洞察。後半が,フロン,地球温暖化,核拡散,軍拡など人類がかかえる問題が取り上げられ人類が岐路に立っていることを教えられます。エアコンを入れた部屋で温暖化のことについて読むのは内心忸怩たるものがあるのですが,後半にぎっしり詰まったメッセージは貴重です。
 録画していたDVDで「個人教授」という,昔話題になったフランス映画を見ました。こういうのを見ていると,日本の高校生の制服というのはおかしいのでないかと思いますね。21世紀なんだから,そろそろ見直したほうがいいと思うのですが・・・。
 
2009年8月15日。土曜日。曇り時々雨。旧暦6.25. 乙辰(きのと たつ)八白赤口。
  雨が降って(天気予報外),涼しくなって・・・おかしいですね。
 帰省ラッシュ渋滞ご苦労さまです。「岡山で30キロ渋滞」の情報を見ながら少し走りました。幸い・・・と言いたいところですが,福山東出口500メーター前で止まりました。路側帯で順番待ちです。右側をすごいスピードで車が通り過ぎて行きます。自動車道で止まるというのは怖いものですね。
 DVDで「インタビュー ウイズ バアンパイア」を見た。狼男とか・・本で読むのはいいが,映像がおもしろいとは思いませんね。
 
 
2009年8月16日。日曜日。曇り後晴れ。旧暦6.26. 丙巳(ひのえ み)七赤先勝。
 変な天気です。今日からまた夏空の日々が始まるのかと期待と諦めの気持ちでいたのですが,朝から雲っています。そして少しですが雨が落ちました。昼ごろには太陽はでてきましたが,夏の天気とは思えません。夜は,すずしくなって夜半は秋のような風が吹いています。「ような」ではなく実際,秋なのです。短かった夏。印象の弱い夏でした。でも蝉の声と百日紅の赤い花が,夏の証拠をまだ残しております。白い百合と対照的で,紅白餅のようです。百日紅百合と並んで祝い餅。
 「続 猿の惑星」をまたまた見てしまいました。第一作を圧倒的に何回も見るのですが,二作目もなかなか含蓄のある映画だと思います。残念ながら,テレパシーを使う未来の人類は,わが主人公たちと手を結びともに協力して,猿族と戦うということをしないほど,遠くへまで進化した悲しい存在になっております。むしろ猿のほうが人間に近いかと,思ってしまいました。リメイク版のことは知りませんが,旧版では第一作,二作セットで考えたらいいですね。SF映画の傑作です。
 たいていの人が今日でお盆休みは終わりでしょうね。後は,選挙の話題が上昇するのでしょうか。季節のうつろいも,忘れずに楽しみたいものです。
 
2009年8月17日。月曜日。晴れ。旧暦6.27. 丁午(ひのと うま)六白友引。
 また,夏の日が戻りました。でも夜になるとさすがに秋の気配です。この前,GPSつきの携帯で測定してもらったら,この夕凪亭の高度が130メートルということであった。少し高く出過ぎているようだ。120メートルくらいだと思いますがね。そのせいか10時になると涼しい風が北や東から吹いてきます。虫の声も聞こえますね。空には木星がかなり高く出ております。木星の光届かぬ秋の虫。休み終え子ら出ていき秋の風。
 「福原麟太郎随想全集4 学問のすがた」(福武書店)はいい本である。特にシェイクスピアについて書かれているものは,味のある文章であった。特にマイナーな作品や,マイナーな人物の役割を論じて人生そのものを照らしだそうとするところが素晴らしい。また英国の文学が大人の文学であるというのも,興味深い話である。
 
2009年8月18日。火曜日。晴れ。旧暦6.28. 戊未(つちのえ ひつじ)五黄先負。
 夜が涼しくなった。二階で寝そべってそのへんにある物を読んでいた。扇風機だけで十分涼しい。日中は暑い日ではあったが。
 坂東眞砂子「眼玉の中の青空」(小説新潮2000・10月号)は小学生のいじめへの逆襲。いじめらられる少女の視点で書いたもの。大人の目の届かないところで起こる。
 
2009年8月19日。水曜日。晴れ。旧暦6.29. 己申(つちのと さる)四緑仏滅。
  朝五時に歩きに出ると,新月間近の細い細い月が金星の方を向いて出ていた。あっという間に明るくなって先に月が見えなくなった。太陽,月,金星と並ぶかと思われたがそれは無理だった。ビーナスの光り見つめる細き月。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書店)。「第13章 ディオクレティアヌス帝,およびその三僚帝マクシミアヌス,ガレリウス,コンスタンティウスの治世-秩序と平和の全面回復- ペルシア戦争とその勝利,および凱旋-新体制による統治- ディオクレティアヌス,マクシミアヌス両帝の退位,そして隠退」
  ここにきて衰え行くローマ帝国が一時的にせよもちなおします。ディオクレティアヌス帝の善政といってもよいでしょう。しかし,これは非常に危険な体制です。というのは二人皇帝二人副帝制を敷いたのです。ディオクレティアヌス帝の目が光っているうちは安泰です。そのようになりました。しかし,その後の分裂の芽を孕んだ体制と言えるでしょう。大帝国ですから一人ではとてもやっていけないわけですから,仕方がなかったとも言えます。ですから,どういう体制にせよ,安定をもたらすということはやはり政治家としては成功だと評価できるでしょうか。
 
2009年8月20日。木曜日。晴れ。旧暦7.1. 庚酉(かのえ とり)三碧先勝。
 一昨日より,昨日,昨日より今日と日中の残暑が厳しくなっていくようだ。夜は10時を過ぎると涼しくなる。
  朱川湊人「火の中のアマランス」(オール讀物20072)。魂は死んで肉体だけが生きている妻に,死んだ人が入り込むという設定。そのお客さんと主人公とのやりとり。しばらくしてまたお客さんは帰る。死者と生者との対話によって,生前の人生を描こうとするわけだから,大林宣彦監督の「ふたり」のような雰囲気。あるいは死者の生きていたことを思い出すわけだから,天童さんの「悼む人」にも通じる主題ということになる。最後の死者の世界への関与は蛇足。
 
 
2009年8月21日。金曜日。晴れ。旧暦7.2. 辛戌(かのと いぬ)二黒友引。
 暑気甚だし。朝からエアコンを入れる。夜になっても暑し。
 DVDで「奇跡の人」見る。主役は家庭教師のサリバン先生。miracle workerというのも,ヘレンケラー女史ではなく,サリバン先生のことであるということを初めて知った。ヘレンケラー女史の復帰活躍も奇跡に近いことだと思うが。
 
2009年8月23日。日曜日。晴れ。旧暦7.4. 癸子(みずのと ね)九紫仏滅。
  昨日から,九州へ行ってきた。写真
 山陽道で九州へ。九州へ入って少し渋滞するも雨の中を大分自動車道に回り九重へ。高原の美しい緑の中を九州電力・八丁原地熱発電所へ行き見学。その後,熊本県に入って池山水源へ。外輪山から下りて,泊まりは内牧温泉。
 今日,草千里と噴火口。高森町の湧水トンネルを見て帰る。写真。素晴らしい自然と豊富な水。スーパーで目にする多くの野菜果物が,熊本産なのがわかる。水と太陽に恵まれた豊富な耕地。大自然の中でゆったりと牧草を食べる牛馬。そして多数の観光客。本当に恵まれたところだ。大きな農家はたくさんある。ただ,新築された倉庫だの離れが夥しいなどという光景が見られない。どの農家も最近の普請のあとが感じられない。・・・要するに,建物だけから感じるに,元気がないのだ。後継者はいるのだろうか。労働にあった収入は十分にあるのだろうか・・・等々考えてしまう。全国で放棄されている耕作地が年々増えているし,食物の国内自給率が40%を切っているのは周知の事実である。私には農業政策について何らの方策もないが,このままでは大変なことになるのではないかと,これまで恵まれていると思っていた熊本県の一部の地域の農家の佇まいを見てそのように思った。
 
2009年8月24日。月曜日。晴れ。旧暦7.5. 甲丑(きのえ うし)八白大安。
 処暑が23日で,それを過ぎたせいでもあるまいが,急に秋らしくなった。人皆夜中に寒かったというが,旅の疲れか熟睡していたため気づかず。朝,涼しく秋の気配。車は窓を開けてエアコンを使用せずに走らす。
 夜にになっても寒い風が吹く。26℃だから,エアコンで冷えすぎたときと似たような感じ。
  三日月につくつく法師鳴きおさめ
 
 
2009年8月26日。水曜日。晴れ。旧暦7.7. 丙卯(ひのえ う)六白先勝。
 時ならぬ寒波も去って,またいつものような残暑が戻ってきた。青空が戻ってきたという残暑かな。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書店)。「第14章 ディオクレティアヌス帝退位後の紛争-コンスタンティウス帝の死-コンスタンティヌス帝およびマクセンティウス帝の登位-六皇帝の同時在位-マクシミアヌス,ガレリウス両帝の死-コンスタンティウス帝,マクセンティウス帝,リキニウス両帝を相次いで打倒-コンスタンティウス帝の帝国統一」 。
 ディオクレティアヌス帝の四分割統治の後遺症ともいうべき後継者争いの中でコンスタンティウス帝の子・コンスタンティヌス帝がカエサルのような早業で(とはいえ,時に時間をかけて)ライバルを次々と倒し,最後は単独統治に至る話しであった。その激闘の結果としての累々たる死者の数の裏に見える莫大な資金の消耗も,ローマ帝国の衰亡を早めたとギボンは見る。一時的には平和を取り戻すのだが,再興というほどのものではないというのだろうか。
 
 
2009年8月27日。木曜日。晴れ。旧暦7.8. 丁辰(ひのと たつ)五黄友引。
 また暑くなった。夕方雲っていてので,夜は涼しくなるかと思ったが,予想に反して暑い。今日は,投票に行ってきた。自民が勝っても,民主が勝っても,この捻れた社会が好転するようには思えない。しかし,一票だけしかないが,意志決定することはできる。そういう制度を信じるしかない。
 クリスティ,山崎昮一訳「女神像の家」(南雲堂)は,荒涼たる地の醸し出す雰囲気をうまく作品に反映させた佳品である。ヒースも出ればドルイド僧という言葉も出るという舞台装置の組立がうまい。
2009年8月28日。金曜日。晴れ。旧暦7.9. 戊巳(つちのえ み)四緑先負。
 残暑が続きます。午後から雲が出て,夜になっても減りません。上弦の月が雲間に見えます。 
  クリスティ,山崎昮一訳「金塊紛失事件」(南雲堂)。これも同じように火曜日の夜会の会員が話をして不可解な事件の謎解きを他の会員,もちろんミス・メープルがするという趣向である。その解明に論理が通っておればいいわけだ。ホームズが些細なことから依頼主の状況を推定するが如くに,ちょっとしたことから謎の解決をするのである。そして,たいていの読者の想像よりも多くの隠し球が明らかにされるところにこの本の面白さがある。
 
2009年8月29日。土曜日。晴れ。旧暦7.10. 己午(つちのと うま)三碧仏滅。
  今日もなかなか暑い日でございました。夕方,夜はかなり涼しくなりましたが。午後三時頃,尾道市街のほうで黒い煙があがっておりました。火事だったのでしょうか。
 クリスティ,山崎昮一訳「血染めの敷石」(南雲堂)。作者の作戦にまんまと引っかかって,材料不足だと思ったが,見事な罠であった。実際にはこういう形での殺人は不可能だと思うが,フィクションにしたときに妙にリアリティがあっておもしろ。これでいいのだろう。
 
 
2009年8月30日。日曜日。晴れ時々曇り。旧暦7.11. 庚未(かのえ ひつじ)二黒大安。
  晩夏である。午後も意外と涼しかった。夜は冷たい風が吹く。台風の影響か。
 クリスティ,川崎淳之助訳「青いてんじくあおいの花」(南雲堂)。肝心なトリックを見破れなかった。完全な負けである。これが解けないとは情けない。
 
2009年8月31日。月曜日。晴れ。旧暦7.12. 辛申(かのと さる)一白赤口。
 また月曜日がやってきた。朝から曇っているし涼しい。関東地方へ台風が接近している。新聞は昨日の衆議院選挙の結果でもちきりである。私の生涯でも,そう何度もあるとは思われない自民党の惨敗であるから,新聞がかき立てるのも無理はない。
 初秋の気配濃厚な夜である。日暮れも日に日に早くなっていく。日没後の薄暮と呼ばれる時間も驚くほど短くなっている。七時を過ぎるとあっという間に暗くなって,気温の低下とともに,季節の移り変わりが手に取るように感じられる。
 クリスティ,川崎淳之助訳「茶のみ相手」(南雲堂)。他の作品に比べるとはじめから引きつけられる調子なのだが,いかんせんこれが推理小説になるのか,と思わせるほど何の手がかりも,伏線もトリックもない単なる事件ではないかと思ってしまうのである。ところがところが見事な論理的な推理。手がかりがないのも手がかりであったという見事な推理小説で,今回も完敗。