2019年3月3日日曜日

夕凪亭閑話  2009年9月

2009年9月1日。火曜日。晴れ。旧暦7.13. 壬酉(みずのえ とり)九紫先勝。二百十日。

 九月になった。朝夕が一段と涼しくなった。夕暮れも日に日に早くなっていく。今日は二百十日。漱石の作品にも「二百十日」というのがあった。阿蘇山で台風にあって,草の間から深い窪地に落ちる話しであった。先週,阿蘇に行ったときに,そんなことが起こるのだろうかと思って,地形を注意深く見てみると,確かに深い窪地が長く続くところが所々にあることがわかった。小説のようなことが起こってもおかしくはない。
 クリスティ,川崎淳之助訳「バンガロー事件」(南雲堂)。この話は話者が固有名詞を思いついてつけていく,それも聞き手の提案を参考にしながら,という凝った作品であるので,読者は状況が掴みにくい。しかし聞き手とのやりとりがおもしろく最後まで楽しい。肝心の謎解きについては,今回もまたミスマープルにやられてしまうのだが,これは仕方がない。残念なことはない。
 
2009年9月2日。水曜日。晴れ。旧暦7.14. 癸戌(みずのと いぬ)八白友引。
 またまた残暑。夜は雲が出て,少し暑かったがそれでも9時過ぎには秋の夜になった。
 アーノルド・ベネット「故郷への手紙」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。公園のベンチで死んでいく船乗りが(最後は病院で死ぬのだが)家族のことを思い出したり,母親へ手紙を書いたりすることによって,生きてきたことを逆照射する作品で,心に残る作品である。web上には著者のたくさんの作品があり,ゆっくり読んだら愉しいだろうと思うが,そのような時間は残念ながらない。
 
2009年9月3日。木曜日。晴れ。旧暦7.15. 甲亥(きのえ い)七赤先負。さんりんぼう。
 午後,急に雨が降り出したがすぐに止んだ。気温は下がらず,夜になっても暑い。昨日以上に暑い。残暑。せっかくの十五夜が雲に邪魔されて綺麗に見えないのが残念。
 チェスタートン著,直木三十五訳「金の十字架の呪い」(青空文庫)。有名なブラウン神父ものなので期待して読んだがよくわからない。テーマはよい。最初,カタコンベのことかと思ったが,似ているがそうではないようだ。ローマで見たものは,弾圧時代のクリスチャンが隠れていたところだということだった。
 
2009年9月4日。金曜日。晴れ。旧暦7.16. 乙子(きのと ね)六白仏滅。
 本格的な残暑。雲が少ないせいか,16日の月が明るく出ている。虫の声なども聞かれ秋の気配ではある。
 サマセット・モーム「ルイーズ」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。モームは昔から親しんでいるが,あまり読んでいない。おもしろくないので途中でやめる。しかし,本作はまずまず。心臓の弱い今にも死にそうな女が二人の夫に先立たれ,まだ生きている。話者はそのルイーズという女の正体は弱い女ではないと思っている。しかし,娘が嫁にいくと死んでしまった。これとても弱くて死んでしまったというよりも,我が儘で死んでしまったともとれるところが本作品のおもしろいところである。
 
 
2009年9月5日。土曜日。晴れ。旧暦7.17. 丙丑(ひのえ うし)五黄大安。
 今日も残暑。と言っても暑いのは福山市で,しまなみ街道を走ってきましたが秋の空気はさわやかで,エアコンを止めて窓を開けて走りました。この頃の潮風は膚にべとつくこともなく快適です。多くの車が窓を閉めて走っていましたが,自然を楽しむという気持ちがほしいですね。
 ラドヤード・キップリング「船路の果て」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。イギリス文学の中でも植民地主義の文学の占める割合はどれくらいあるのか知りませんが,多様性を与えているのは事実でしょう。この話は灼熱のインドでの話です。退屈な四人の男達の退屈な話だと思っておりましたら,いつのまにか死に直面する男の話に変わります。医者は代わりの男を呼ぶように忠告するのですが,その男のためにはならないし,大丈夫だと言い張るところは健気で考えさせるものがあります。果たして,その男は生きる事に倦んでいて,自ら幕引きをしたのだろうか・・・とか。 
(写真:容量オーバーで掲載できなくなりました。)
因島大橋より。右奧は弓削島,左側が百貫島。「暗夜行路」に出てくる島です。「その頃から,昼間は向い島の山と山との間にちょっと頭を見せている百貫島の燈台が光り出す。それはピカリと光ってはまた消える。」(第二の三,講談社文庫ではp.133)。
                                
 
2009年9月6日。日曜日。晴れ。旧暦7.18. 丁寅(ひのと とら)四緑赤口。
 まだまだ夏は終わっていないぞ,という思いを新たにした1日でした。猛残暑。でも,夜になるとさすがに秋ですね。明るい木星とだんだん小さくなっていく月の供宴。
 P.G.ウドハウス「上の部屋の男」 (小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。O・ヘンリーや芥川の技巧的なコントに短編小説の面白さを発見する機会は多いのだが,本作品の結末はそれらの中でも最上のものだろう。まだ読んでいない人の読書の楽しみを妨害するのはよくないので,粗筋は書かないほうがよいだろう。それにしても,こんなに素晴らしい作品を探し出す編者の読書の広さにも脱帽である。
 
2009年9月7日。月曜日。晴れ。旧暦7.19. 戊卯(つちのえ う)三碧先勝。白露。
 昼間はやはり暑い。しかし,雲がなく日暮れとともに気温は下がる。こういうときは秋の虫の音がいっそう賑やかだ。鈴虫の鳴く公園はたそがれて木星一つ空に瞬く。
ジェイムズ・ジョイス「痛ましい事件」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。孤独な独身の男性が自分の方から声をかけて船長夫人と知り合いになるが,夫人がその気になったときに身を引くという話を書いた傑作。結末が痛ましいだけでなく,この男の精神がより痛ましい。そこがこの作品の中心。
 
2009年9月8日。火曜日。晴れ。旧暦7.20. 己辰(つちのと たつ)二黒友引。
 日曜出勤だったから今日はお休み。台風12号のせいか暑くならず秋の気配濃厚。台風の涼運びたる鰯雲。
 1976年のNHKドラマ「怪傑黒頭巾」の8回分を一挙にDVDで見た。杉田かおりさんの可憐な演技がいいですね。原作者の高垣眸さんは尾道出身の方で,以前,志賀直哉の旧居跡にある尾道の文学記念館に行ったとき,作品が展示されていました。
 D・H・ロレンス「指ぬき」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。あのチャタレー夫人のロレンスである。またしても,戦争で負傷した夫という話で,心の乖離を記したもの。
 
 
2009年9月9日。水曜日。晴れ。旧暦7.21. 庚巳(かのえ み)一白先負。
 今日も秋の気配。秋の月斜めに登り冷気来る。
 ジョイス・ケアリ「脱走」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。会社経営をする男が,妻も子も自分の存在などないと思って,雲隠れする話。家族のほうから言えば,失踪であろうか。男の気持ちは,伊勢物語の有名な「身をえうなきものにおもひなして・・・」というものに近いのではなかろうか。その気持ちと逃避行がじつに丁寧に描かれている好短篇である。しかし,作者は「ノイローゼ」と書くことによって,心理を病理への収斂させる。この言葉さえなければ,傑作になるのに。 
 
2009年9月10日。木曜日。晴れ。旧暦7.22. 辛午(かのと うま)九紫仏滅。
 夜は寒くなりました。朝も。
 昨夜は,松竹大歌舞伎・近松座公演を観てきた。近松の「冥途の飛脚」の歌舞伎版「恋飛脚大和往来 封印切 新町井筒屋の場」は主人公・忠兵衛が坂田籐十郎。といっても,中村扇雀さんという印象のほうが強い。白黒テレビの時代から扇雀・玉緒兄妹あるいは扇雀・千景夫婦として日本全国知らぬ人はいなかったほどの大スターだ。その扇雀さんは人間国宝で上方歌舞伎の大黒柱。その近松座公演は平成の大文化事業で後世に残る価値あるもの。忠兵衛の相手役遊女梅川を演じるのが中村壱太郎さんで,19才の孫というから,この組み合わせもまた歴史に残る希有な事例となるだろう。あでやかな中村壱太郎さんが,舞踊「連獅子」では村娘役をして,これまた清楚な少女役の美しさも決まっていた。その時の親獅子が中村翫雀さんで,壱太郎さんの父,坂田籐十郎さんの長男だというから,中村家三代の大熱演であったわけだ。坂田籐十郎さんの封印切の各場面の名演技は勿論素晴しい人間国宝の至芸であったが,片岡愛之助さんの親獅子を圧倒する子獅子の舞と,封印切での悪役・八右衛門の熱演も素晴らしかった。将来が楽しみな人である。期待したい。
 エリザベス・ボウエン「幽鬼の恋人」(小野寺健編訳・20世紀イギリス短篇選上・岩波文庫)。第二次大戦中,疎開から荷物をとりにロンドンの家に戻って見ると,前の大戦中に死んだはずのフィアンセから約束の時間に伺うという手紙が来ている。そして実際に現れるというオカルト話であるが,ややリアリティに欠ける。オカルト話にリアリティなど不要だという説もあるかもしれないが,物語として迫ってこない。むしろ,この作品の価値は戦時中の様子の描写にあるのではなかろうか。
 
2009年9月12日。土曜日。雨晴れ。旧暦7.24. 癸申(みずのと さる)七赤赤口。
 朝から雨。白メダカ秋雨の中じっとして。
 すっかり秋になった。
 近松の「冥途の飛脚」は平凡社世界名作全集40近松名作集(昭和34年)に井上友一郎訳が収められているが,旺文社文庫(守随憲治訳)で読んだ。近松の原作は七五調の名文で惹かれるが,かなり難解でいつの間にか意味がわからなくなっていたりする。そもそも現代語訳など不可能なものであろうが,よい訳であった。なお,岩波では旧版の日本古典文学大系の近松浄瑠璃集にある。小学館のはもっていない。読者は愚かな男女だと思うだろうが,考えてみればロミオとジュリエットだって,他のシェイクスピアの悲劇の主人公だって,みんな愚かな人たちであった。その愚かな人たちが,愚かな行為をせざるを得ないというのがまさに人間の人間たるところだろう。
 
2009年9月17日。木曜日。晴れ。旧暦7.29. 戊丑(つちのえ うし)二黒大安。
 すっかり秋らしくなったし,日暮れも早い。
 高校時代の友人に,尾道から出ていた因島行きの船便について尋ねた。東廻りは向島と岩子島の間を通っていたのかということと,終点は三庄なのか土生なのかということ。私の場合は西廻りだったから,東廻りのことは詳しくは知らない。寄港地の名前など詳しい便りが帰ってきた。終点は土生だということだった。土生丸だから・・・当然だし,三庄には泊めておくところがなかったということである。航路は向島と岩子島の間でいいのではないということだった。地図を見ても妥当だ。40年という年月はかなりのものを忘却の彼方に押しやってしまう。そういうものを早いうちに文章にしておくことが大切だと両人とも思っているが,なかなか進まない。公開するとしたら,あまりいい加減なことは書けないし。今はメールとして溜めていくしかない。
 ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書房)。「第一五章 キリスト教の発展,初代キリスト教徒の思想,風習,数,およびその状況」
 例えば弓削達さんの「永遠のローマ」にもあるようにキリスト教はローマ帝国に入ることによって世界宗教になったのだから、ギボンがここで1章をキリスト教発展史に費やしているのは、当然といえば当然のことであるが、やはり英断であろう。そして各種の教会史を元に書かれた力作ではある。しかし、私が興味をもつのは、原始キリスト教と呼ばれるイエスの死後から百年くらいのところであり、やはり本書でも期待は満たされなかった。
 蛇足ながら,「軍隊用につくられた多くの国道が,ダマスクスからコリントスまで,またイタリアからヒスパニア,ブリタニアの果てまで,宣教者たちの往来を容易にした」(p.252)
 
2009年9月24日木曜日。晴れ。旧暦8.6. 壬申(みずのえ、さる)四緑先勝。
 気温上昇。Max.30℃くらいか。こおろぎの声静かなり戻り暑気。
 養老猛司「考えるヒト」(筑摩書房)。養老さんの著作に接すると脳の話がわかりやすく書かれているのではないかと思うのは私だけではあるまい。そして,脳の構造を解剖学的に説明し,この部分にこういう働きがある,この部分はこういうことをするのが得意だという既存の知識が語られることを期待する。さらに,それを踏まえて我々のよく知っている問題が見事に解剖されることを。本書では,日本人の英語は読みができても話せないとか,日本人が漫画好きとか。(本書p.170~)。見事な分析でであり論断である。まるで手品のような。そうだ,こういのうを養老マジックと呼んでおこう。養老マジックは誤っていないのか? 誤っていないのである。誤っていればいつまでも養老さんの本が売れ続けるわけがない。事実,納得できるし,本書の読後感は楽しいものだった。ただ,それだけではないのじゃないかと,少し思った。
 
 
2009年9月29日。火曜日。雨後曇り。旧暦8.11. 丁丑(ひのと、うし)八白赤口。
連日の暑さ。また,夏に戻ったようです。ということは,夏から秋への季節の変わり目がもう一度きそうです。用心しなければ。
 読まなかった本の話。ピーター・バーグ著 井山弘幸・城戸淳訳「知識の社会史」(新曜社)。井山弘幸氏のお仕事は,時々参考にさせていただくことはあるのだが,それにしても凄い本を訳されたものだと思う。子供がおもしろそうだというので,市立図書館のネットワークで近くの図書館に配送してもらったものだが,2週間の期限がきたので明日返すことにする。ちらちらと頁をめくってみるに,知った名前,知らない名前が夥しく出てきて大いに興味をもったが,残念ながら少しも読めなかった。3年前なら読んでいたであろうが・・・。そして,これからも,多分98%ぐらいの確率で読まないだろうから,哀惜の念を込めて,ここに記しておくことにする。
 
2009年9月30日。水曜日。雨時々曇り。旧暦8.12. 戊寅(つちのえ、とら)七赤先勝。さんりんぼう。
 昨夜,一昨夜とエアコンを入れたが,今日は入れなくてもよい。
 富士川英郎「菅茶山 下」(福武書店)に面白いことが書いてあったので,メモ程度に。p.312は最後の江戸勤めを終え郷里神辺に帰って後,尾道に遊んだときの事。
       「坊寺」は傍示峠で,これを境として,その北側が福山領なのであった。
 尾道のことはよく知らないが,防地口というバス停があったが・・あの辺りのことか。
 ついでにここには,江戸に行くのが三度くらいは故郷がいいと思うが,もっと回を重ねると居住してもよしという気になるという文に,富士川氏は,
     それは昭和の今日の東京が,なお江戸から引きついで持っている,その不思議な魅力のひとつと言うことができるだろう。
と述べておられる。お金があればね,と閑話子は付け加えるが。
 
読まなかった本の話。
 またまた私の目の前を通過したのですが、興味深そうに見えたので書いておきましょう。西川寿勝他著「蘇我三代と二つの飛鳥」(新泉社)には高松塚や石舞台のわかりやすい構造図が記されており、古いことを思い出しました。飛鳥を訪ねたことは2回しかありません。1度目は法隆寺、薬師寺、唐招提寺、・・・等々を訪ねたときです。石舞台まで地図で確認して訪ね、車を走らせていたら高松塚という文字を見つけ、確かここより700メートルとかいう標識のところへ車を駐めて、走って行って、さっと写真を写して、また走って帰りました。何しろ車の中に下の子が寝ていたからです。こういうことは二度とすまいと,その時思いました。
 二度目は、二三年前、西国三十三観音霊場巡りの旅をしたときです。以前にも書いたことがあると思いますが、長谷寺にお参りした後、第六番壺坂寺へは近鉄の壺坂でおりてそこからタクシーで行き、タクシーにはそのまま待ってもらい、そこから第七番岡寺まで行ってもらいました。帰りは何とかなりそうだったので、タクシーには帰ってもらいました。ということで歩いて山を下りていると幸い民宿でレンタサイクルを置いているところがあって、借りることができました。石舞台にちょっと寄り、近鉄の飛鳥駅まで帰る途中、高松塚近くに新しい道ができておりました。高松塚そのものは内部は見られないのだし、外は竹藪の一角ですから、その周辺の雰囲気を楽しめばそれでいいのです。
 ・・ということで、書き出したらきりがないのでやめますが、ちらちら見ていると、図が多くてまことに楽しい本です。でも、残念ながら今は読みません。ということは、永遠に読めないということではないかと思います。年をとるとこういう悟りに似た諦めも必要ではないかというのが最近の人生観です。二年前なら読んでいたのになーと思いつつ・・。
 
 9月は今日で終わりです。あまり書かなかったが,御愛読を感謝。