一応晴れ。トリプルタイフーンのせいか変な天候です。よそのおうちの庭を車から見ますと,けっこう松が枯れています。柿が色づき,アメリカハナミズキの葉が部分的に紅くなっています。また,公園の桜の葉がこれも一部だが紅くなって散り始めている。季節は確実に秋。
読まなかった本の話。
吉村昭「歴史小説集成一」(岩波書店)。吉村昭さんの長編小説は単行本でも文庫本でも入手しやすいのですが,今回岩波からまとまったものが刊行されることになって読者としてはうれしい限りです。第一巻には「桜田門外ノ変」と「生麦事件」が収められております。井伊大老は,先年西国巡りをしたとき,琵琶湖竹生島の三十番宝巌寺と近江の三十一番長命寺との途中で彦根城に寄ってきましたので,大いに興味のあるところです。これも,夕凪亭閑話のどこかに書いております。それに「天狗争乱」ともつながりますしね。「生麦事件」は島田荘司さんの芦ノ湖にロシア軍艦が現れるという壮大な推理小説にでてくる「大津事件」との記憶がごちゃまぜになっているので,読んでおきたいところです。
巻末には「波」1999年2月号に掲載された「生麦事件」刊行後の講演録が再掲されております。取材秘話ともいうべき,この種の文章は作品の後書きやらエッセーでしばしば読んでおりますが,楽しいし参考になりますので,「波」でも読んだ記憶がありますが,読んでみました。三島由紀夫さんは,完成した作品についてはこういうふうに多くを語らず,従って講演もされなかったので,その対照の妙がおもしろいと思いました。吉村さんの三島由紀夫訪問の思い出の談話はラジオで聞いたことがありますが,このこともどこかで書いたようなので,今日はやめておきましょう。
さて,残念ながら,この二つの作品も読まずに終わりそうですね。ついでながら,少し読みかけた舟橋聖一さんの「花の生涯」も。数年後にやってくる定年退職後の膨大な時間があるではないかと,思う方がおられるかもしれません。定年後に在職中よりも本がよく読めるというのは,「甘い幻想」というものでしょう。そういう幻想はもっておりませんので・・・。
・・・ということで,この本も期限までに返却しておきましょう。
2009年10月2日。金曜日。雨。旧暦8.14. 庚辰(かのえ、たつ)五黄先負。
雨の金曜日です。気温はあまり下がっておらず,秋雨という感じではありませんでした。もう明日は仲秋の名月ですね。夜だけでも晴れてほしいものです。
読まなかった本の話。
北山茂夫「柿本人麻呂論」(岩波現代文庫)。岩波新書の「壬申の乱」「万葉群像」「柿本人麻呂」等々,手頃な長さで,ほどよく程度が高くて,文章は明解ですので,北山茂夫さんのファンは結構多いのではないかと思います。「壬申の乱」は若い頃、目を皿のようにして読んだ記憶があります。
その北山さんの歴史研究者としての論文を収めたものです。とはいえそんなに肩苦しくもないし,章ごとに分かれているので読みやすいと思われます。
柿本人麻呂については梅原猛さんのもので読んだ限りでは,やはり「はっきりしない」というのが結論です。茂吉の人麻呂論もそろそろネット上で読めるのではないかと思いますが,読むことはないでしょう。井沢元彦さんの「猿丸幻視行」はおもしろい小説ですが,ああいうものを書く器用さはありませんし,時々短歌や長歌を読むだけでしょう。
解説には私の知らなかった著者の職歴なども書かれて興味を覚えました。・・・ということで、この本とは解説を読んだだけでお別れです。
2009年10月3日。土曜日。晴れ。旧暦8.15. 辛巳(かのと、み)四緑仏滅。
満月だから,当然大潮です。全国のニュースでも話題になった鞆の浦のところで,鳴門海峡と下関から入ってきた潮がぶつかります。因島大橋のある「めかりの瀬戸」は,そこから指呼の間ですから,ほぼ同じ頃満潮になります。大潮の昼だたえと言って,正午頃が満潮。そして6時間後が干潮ということになりましょうか。毎日約1時間ほどずれていくのですが。15時過ぎに通ったときよく晴れて潮がどんどん引いていくのがわかりました。遊んでばかりいないで,貝掘りでもして来なさいと,以前言われていたのですが,もう少し遅い時間まで待たないと行けないし,腰が痛くなるし,秋の海は寂しいし・・・といろいろ理屈をつけて,今日も行かなかった。先週は,若いお嬢さんがロードスターで走っていてかっこよかったですね。でも幌を降ろして走っていたのが残念。私はエアコンを切っていつも窓を開けて走っております。気持ちがよいですねえ。しまなみを歩く子どもに秋の風。大潮の裸の島に日は沈む。
適当に涼しく,適当に晴れて,満月が雲の間で輝いております。名月をそれぞれの地で眺めをり。
蔵書葬送
蔵書一代といいます。母方の祖父が亡くなって後、祖父の書斎を見ていたとき、祖母が言っておりました。好きな本を持って帰っていいよと。蔵書一代と。
何々文庫というほどのものでない限り、普通の家では個人の蔵書など一代で散佚するのが常でしょう。私の蔵書もその例外ではありません。きわどいものを選り分けるのも面倒だし、気になる書き込みを消すだけのゆとりもありませんから、どこかに寄贈することなど絶対にありません。だから、主が不在になった後は、時とともに分散し、邪魔になれば燃えるゴミやリサイクルゴミになって消えていくことでしょう。中には移民関係の貴重な資料もないわけではないが・・・。
というような案配ですから、すでに分解は始まっております。子供たちがもっていったり、追加したりと。
チーム・バチスタの何とかという本などは,いつのまにやら無くなって,いつのまにやら戻ってくるというのを繰り返していました。「氷点」と「続氷点」はミスキャストのせいか時間帯が合わなかったのか知りませんが,動きませんでしたねえ。
この前ある本を話題にしていたら「持って行っていい?」「12月に使う予定があるので今はちょっと・・」という会話になった。こちらも現役ですから。でも、だんだんと、どうぞどうぞということになるのでしょうね。
(以下想像)これが孫になると、読んでいるものでも、いいよ持っていきなさいと言って、自分は図書館から借りてくるようになるかもしれませんね。これを「愛情」と呼ぶのかどうかは知りませんが、多分そうするでしょうね。
ということで,散佚していく書物に少しずつお別れを言っておくのがいいかもしれませんね。
まず,ハイデガー「存在と時間」。(誰も持っていきませんけど・・)
実存主義は今でも好きです。・・などと初恋のようなことを言っておりますが,事実初恋でしょうね。思想の初恋? いや初恋の思想,と言っていいのでしょうか。その後の構造主義,脱構築,ポストモダン・・・好きになれませんでしたね。でも,ハイデガーの実存主義というのは,よくわかりません。現象学なのですね。ですから,ハイデガーのものが私の生活に影響を与えたことはありません。強いて上げれば,ハイデガーの著作の中に「ニーチェ」(白水社)があるという事実が,ニーチェの森で溺れかけたとき,ずいぶん励みになったものです。
「存在と時間」は,世界の名著と,岩波文庫,上巻は一応読みました,それにドイツ語原著のSein und Zeit。対応ページ数があっているものです。それに木田元さんの解説本などなど。二十世紀最大の哲学書ということで,酔おうと努力はしたのですがね。このまま墓場の中にもっていっても,味のないガムやするめを噛んでいるようなものでしょうね。高田珠樹さんの「ハイデガー」(講談社)で,ハイデガーの生まれ育った環境を読むと,なぜおもしろくないのかわかったような気持ちになりました。・・・ということで,そろそろお別れする潮時かなあと。ハイデガー酔ったつもりの青春か。
三島さんの「絹と明察」にハイデガーの哲学というのが出てきましたね。それに,琵琶湖の情景が美しく描かれていたような・・・・。ハイデガーのところはともかく,主人公が青年でない話が合うような年になりましたので,読み直してみるといいかもしれませんね。「宴のあと」なども。
2009年10月5日。月曜日。晴れ。旧暦8.17. 癸未(みずのと、ひつじ)二黒赤口。
昔,ジャックの豆の木という話を聞いたとき,豆が木になること自体が想像できなかったので,外国では不思議なものが育つのかもしれないと疑問に思ったものである。公園を散歩していると藤棚から空豆そっくりの豆果と呼ばれるものが垂れ下がって秋風に揺れている。これなら,天に向かって延びる木になってもおかしくはないな思った。藤豆の大きく揺れて秋の午後。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅱ」(筑摩書房)。「第一六章 ネロ帝からコンスタンティヌス帝期まで,ローマ帝国政府の対キリスト教政策」。迫害されたキリスト教がついに公認に至るという画期的な歴史展望である。しかし,本当のところはなぜキリスト教が最終的に勝利を占めたのか分からない。数の優位か,原理の正しさか,個々のキリスト教徒の忍耐と慈愛なのか,皇帝それぞれの人間性なのか・・・。そもそもギボンが利用する教会史そのものが,公平な立場にたつ歴史記録ではないのだから解釈に相当の幅が生じることは仕方がない。最後に,ギボンはローマ皇帝に迫害されたのより遥かに多くの血が,宗派どうしの抗争で流されたと記す。
なお,ギボンにはすぐれた自伝があるということである。中野さんの解説によるとおもしろそうである。
・・ということでやっと訳本の二巻目が終わった。この調子で読んで,来年の秋頃終わるのだろうかと不安になるが,その先の予定がないのだから,さらにもう一年かかってもいいかとも,今は思う。
メモとして。 富士川英郎「菅茶山 下」(福武書店)
見延典子さんの「頼山陽」にも出てきた,尾道の画家・平田玉蘊女史は京都で頼山陽に振られて,その後独身を通したのかと思っていたら(小説は最後まで読んでおりませんので,どう書かれているかは知りませんが),「文化十二,十三年頃には結婚していたことが知られるのである」(p.316-317)とあった。
蘭学者の坪井信道も菅茶山を訪ねている。(p.323)
伊能忠敬の門人・箱田左太夫は備後国箱田村の出身で,「後に榎本氏を嗣いだが,榎本武揚はその子である」(p.324)とある。
2009年10月6日。火曜日。曇り時々雨。旧暦8.18. 甲申(きのえ、さる)一白先勝。
朝,5時半に起きたので,まだ暗かったが散歩に行く。少し寒い程度。小雨。
読まなかった本の話。
吉村昭「歴史小説集成 三」(岩波書店)。図書館に第二巻がなかったので,先に三巻を見よう。この巻には「彦九郎山河」と「長英逃亡」が収められている。
彦九郎,すなわち高山彦九郎の京都三条の座像については,以前にも書いたので繰り返さないが,街道を行くの司馬さんと吉村さんとでは,随分と考え方が異なるようだ。
大旅行家・彦九郎に従って東北の飢饉や雲仙普賢岳の爆発を追体験するのも一興だろう。特に普賢岳は,もちろん爆発が治まってからだが,一度だけ近くまで行ったことがある。しかし,その時のことはどこへも書いてないし,当時の日記はこちらの操作ミスで失われてしまっている。地元の写真家が写した絵はがきが残るだけだから,大いに読書欲をそそられる。
一方,高野長英は蘭学者だが,蘭学者の有り様は時代によって随分と逕庭がある。おそらく長英の時代が最も悪い時代だったのではないかと思われる。長英が一時身を寄せた伊達宇和島藩の幕末の文化レベルもに大いに興味があるところである。
しかし,今は読めない。したがって,いつ読めるかわからない。ずっと読まない確率のほうが高いような・・・。
ということで,今回も巻末作品余話の二編のエッセー「『彦九郎山河』を書いて」と「試料を咀嚼する」を読んで,返しておこう。
2009年10月7日。水曜日。曇り後雨。旧暦8.19. 乙酉(きのと、とり)九紫友引。
この季節には珍しい台風の接近で,にわかに慌ただしくなった。午後から降り始めた雨は次第に大粒になり,本格的な雨空となった。風がわずかだが吹いている。いくら四国山脈に守られているとはいえ,やはり中心気圧が高緯度にさしかかってもいつものように下がっていかないのが気になる。
長沼毅「深層水『湧昇』,海を耕す」(集英社新書)
NHKのプロフェッショナルにも出演されたことのある長沼先生の著作である。海洋牧場構想で,随分と幅広い分野にわたる考察に溢れており,一言で内容を要約することはできないが,敢えてそんな愚を犯せば,元金と利子のうち,元金には手をつけないで,利子の部分を利用することが持続可能なライフスタイルに繋がるというものである。その利子とは,窒素循環(栄養循環と言ってもいいかもしれない)のうちの追加部分を食料として,もちろんプランクトンに始まる食物連鎖によるのだが,採りいれようという発想である。そしてのその窒素新生産の部分を窒素源の要とするというわけである。(これじゃ,なんのことかわからないか)
なお本書にはメルヴィルの「白鯨」,クラークの「海底牧場」などへの専門家としての興味深い言及があるということも付け加えておこう。
2009年10月8日。木曜日。曇り。旧暦8.20.丙戌(ひのえ、いぬ)八白先負。寒露。
台風はかなり東へ逸れて,風はほとんど吹かなかった。雨はこれまでの分を取り返すかのようによく降った。台風一過青空が広がったと思っていたが,夕方から寒くなった。
初音ミクが入荷したので,少し遊ぶ。ということで,本を読む時間が無かった。
蔵書葬送
芥川竜之介全集(岩波書店)は、小説もエッセーの類もごちゃ混ぜで年代順に並べたものである。最近完結したのではないかと思われる安部公房全集などもこのタイプだと思われる。私の好みから言うと、こういうのはあまり好きではない。やはり分野別に編集されたもののほうが読みやすい。
さて、この芥川全集は、活字も大きく年をとってからも読めると思っていたのだが、今では青空文庫で読めるので、活字の大きさは関係ない。
とはいえ,芥川の小説というのはワーキングメモリーの減少する老後には向いているのではないかというのが,最近の考え。漫画の類は極めて特別のもの以外はほとんど読まないので,大抵の読書が文字からイメージを組み立てるということになる。読んで作ったイメージにさらに次の文で読んだことを重ねたりしながらイメージを変更したり付け加えたりする。そういう脳の働きをするのがワーキングメモリーである。そのワーキングメモリーが減少するのが老化のひとつであろう。
年とともに,ということもあるが,病気をすれば老化が進むのと同じように,体調を崩すとパソコンのメモリーチップを一つずつ取り去っていくように,脳の機能が落ちていくのがわかる。それがよくわかるのがワーキングメモリーだ。だから,壮にして学べば,則ち老にして衰えず。労にして学べば,則ち死して朽ちず(佐藤一斉「言志晩録60」)とは言うものの、年をとってからの読書はなかなかきつい。そういう状況には、芥川の小説がいい。芥川のように微分型の作家の作品は若者に読まれても,人生がないなどと生意気なことを言っていつしか相手にされなくなるのであろうが、それは人生を知らない若者のいうことであって、芥川の天才は様々な人生を見事に微分しているのである。
ただ、私には芥川の苦悩というものがよくわからない。わかろうとして研究書を読んだり、晩年の作品を精読したわけではないが。
しばらく読んでいないので、今昔、宇治拾遺の世界よりも、南蛮ものとか開化ものと呼ばれるものを、もう一度読んでみてもおもしろいのではないかと、時々思う。
2009年10月9日。金曜日。晴れ。旧暦8.21.丁亥(ひのと、い)七赤仏滅。
朝夕がめっきり涼しくなった。水を飲まなくなると腹が減って困る。しかし,夕食後はできるだけ食べないように努力している。いつまでも若くないのだ!
読まなかった本の話
吉村昭「歴史小説集成 五」(岩波書店)
本巻には「大黒屋光太夫」と「アメリカ彦蔵」が収められている。いわゆる漂流譚である。
四囲を海に囲まれている我が国では,時に漂流して外国にまで行ったり,あるいは外国船に救助されたりする場合があった。南米の移民史などを見ていると,記録に残る最初の日本人は漂流民であったなどというのが出てくることもある。まして鎖国下のことであるからその体験は貴重で珍しいものであったに違いない。
海というものは不思議なものである。コップ一杯の水道水には,クレオパトラが飲んだワイン一杯の中に入っていた水分子が400個くらい入っている計算になる。(もっとも,水分子では絶えず酸素原子とくっつく水素原子が交換しているので,同じ水分子ということはあり得ないのだが・・・)。ということで,海はどこにでも通じている。私などは瀬戸内海を見ても故郷に繋がっているときわめて内向きな発想しかしないが,先年四国遍路のおり,足摺岬の駐車場でジョン万次郎の像を見たときには,太平洋は外国に通じているのだと,改めて思ったものだ。
一回目に行ったときは,岬の中の道を行き,帰りは西側の海沿いの道を帰った。二回目は行きも帰りもその海沿いの道を通った。途中狭いところもあるが,こちらが近道のように思えた。その海沿いの道の一部がジョンマンロードで,途中で崖下に降りればジョン万次郎の生地,中浜村に至るが,訪問はしなかった。
さて,漂流民の運命であるが,もちろん不幸な生涯を終えた人の数のほうが圧倒的に多いのだろうが,ごくわずかの何人かは恵まれた生涯を送っている。まず第一に外国人の間では,日本の身分に関係なく個人の才覚と努力が認められたはずである。それから,運良く帰国できれば,これまた新知識・情報の保持者として為政者にとって重宝な人物であったに違いない。鎖国下の日本に帰国後は幽閉されて必ずしもその経験は生かされなかったという説があるが,最近の資料によって逆転したものの一つが大黒屋光太夫の例であろうか。
史実に忠実に,そしてなおかつ小説として書かれた物語を読むのは有意義であるだろが,しばらくは読めそうにないので,今回も巻末の作品余話「史実と小説」の講演録と「隣国アメリカ」の随筆を読んで終わりとする。
2009年10月10日。土曜日。晴れ。旧暦8.22.戊子(つちのえ、ね)六白大安。
秋晴れのよいお天気の一日。例によってしまなみを走ってきた。因島大橋から珍しく四国山脈までくっきりと見えていた。こんなにはっきりと見えたことはかつてない。先日の台風雨で空気中の塵埃が綺麗に洗い流されたせいであろう。
因島大橋から見える四国というのは真南ではない。弓削島の東端をかすめているのでかなり東側に寄っている。すなわち東南の方向である。燧灘の向こうは四国の伊予三島,川之江あたりであろうか。四国霊場では,愛媛県の最後の辺りで,三角寺,雲辺寺がある。
先日,山陽新聞社のホームページを見ていたら,同世代の編集委員の方が二度目の歩き遍路に挑戦,と書いてありました。その健脚ぶりに敬服。もっぱら車遍路しかできないが,機会があればもう一度・・・などと思ってしまう。できれば,途中遊びながら。大急ぎで廻るのも,それはそれでいいのだが,周囲にはゆっくり見るに値するところも多い。
四国遍路をしたいと思っている方へ・・・。兎に角若いうちに廻ることです,それぞれの流儀で。年を取って行くのは大変です。A4のクリアブックを準備して,ロープウェイの切符の半券やら,領収書やら,お寺でいただく地図・パンフやら,奇特な方からいただくスケッチやら・・何でも捨てずに鋏んでいくのがいいでしょう。(外国旅行でもそうですが。)
太田静子「『斜陽』の子を抱きて」(復刻版)(婦人公論2009.10)を読んだ。この文章を発表することの目的が二つあったように思われた。一つは,幾人かのライバルたちへの勝利宣言。書き,発表されることによってのみ証明されるという悲痛さ・・。二つ目は,当然のことながら娘への伝言・遺言。これも手稿ではだめで,発表されることによって絶大な魔力をもつ。そしてその娘は生涯,それを宿命として受け入れざるを得ないし,また誇りとして生きる。静子さんは太宰以上に文章の力を知っていたのでしょうね。
2009年10月12日。月曜日。晴れ。旧暦8.24.庚寅(かのえ、とら)四緑先勝。
今日が体育の日のようである。
時々,タイムトラベルかワープかその方法はともかく,別の星に来ているのではないかと思うことがある。1年ほど前,若い夫婦がイタチを二匹連れて散歩させていた。半月ほど前,60過ぎのおじさんが豚を散歩させていた。
今日散歩していたら,これまた若い夫婦が犬を三輪車に乗せていた。カメラをもっていたので撮らせてもらおうかと思ったが,“ほほえましい光景に,どこかのおじさんが喜んでくれた”と誤解されると思ったので,やめた。傍ではだっこされた男の子が泣き叫んでいた。当たり前だ。自分の座るべきところに犬如きに座られたらたまらない。少々頭の悪い子でも,これくらいのことはわかる。人権は犬権より尊い。
いつから,こんな世の中になったんだ。初めに言葉ありき,で言葉の問題である。テレビタレントやらの言う「犬に餌をあげる」を真似た国民がいけない。最近はテレビを見ることがないので知らないが「犬にお食事をあげる」くらいのことは常識なのかもしれない。タレントとは言い得て妙である。タレントと芸能人を混同してはいけない。芸能人というのは芸の道に日夜精進している人たちのことである。先の連休に東京デイトでライオンキングを見てきたという娘のホームリサイタルを聞かされたが,さぞかし感動的な舞台であったことだろう。その裏には芸能人たる人たちの想像を絶する訓練があってのことだろう。
一方,タレントという言葉は,新訳聖書にまで遡る。マタイによる福音書の25章を見ていただきたい。ある人が旅にでるとき三人の僕に5タラント,2タラント,1タンラト預けた。しばらくして帰ったとき,前者2人はそれぞれさらに,5タラント,2タラントを儲けて差し出し喜ばれた。1タラント預けられた僕は1タラント返したが,怒りをかって追放された。私はこの話はキリスト教の倫理と反すると思うのだが,そんなことはどこにも書いていない。このことから「富めるものは益々富み,貧しき者は益々貧しくなる」ことをマタイの法則と呼ぶ。富めるもののほうはいいとして何故貧しき者が益々貧しく為らないといけないのかわからない。
そして5タラントを10タラントにする,2タラントを4タラントにするような能力をタレントと呼ぶ。投資すれば必ず儲かるというものではない,偶々儲かっただけである。それをタレントと呼ぶわけである。底がしれているではないか。私には変な誘惑に抗してじっと,その1タラントを守り通した僕の忍耐力のほうがはるかに優れていると思われるのだが。
2009年10月13日。火曜日。晴れ。旧暦8.25.辛卯(かのと、う)三碧友引。
秋が本格的に深まっていくのだろうか。
長沼毅監修「深海生物大図鑑」(PHP)
先日読んだ長沼先生の本に出てくる生物を,写真で見ることができる。奇妙で,気持ちの悪いものもいるのだが,生命の多様性と進化の妙に今更ながら驚かされる。胎児の10ヶ月間の成長の写真に生命進化の跡を想像するのと似ている。
本来は何かになるべきものだったのだろうか、と想像してみても始まらないが、今後いかように進化するのか楽しみなものたちである。
2009年10月15日。木曜日。晴れ。旧暦8.27.癸巳(みずのと、み)一白仏滅。
秋らしくなった。早朝,深夜,夜中は寒いので一週間くらい前からストーブを入れている。ここだけを読んでくださる方は夕凪亭は海の近くだと思われるかもしれないが,以前にも度々書いてあるように,標高100メートルほどの山の上なのです。ここからは海は見えません。残念ながら。10分も歩けば見えますが,普段の散歩コースではないので,平日は行きません。
今日は,夕日が格別きれいだった。ぎんぎんぎらぎらの作者の生家にも近いので,夕日はいつもきれいです。
ギボン著,中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅲ」(筑摩書房)。「第一七章 コンスタンティノポリスの創建-コンスタンティヌス帝およびその後継者たちの政治組織-軍律-皇宮-財政」。
各章ごとにかくの如き長々しいタイトルがついているのが本書の特色であるが,これが実に内容をよくあらわしているので,私が内容を云々する必要がほとんどないということである。このへんのところは,塩野七生さんの著書ではアジア式の宦官・・と書かれていたところだと思うが,中国の巨大な官僚組織を彷彿とさせるような,無駄な組織がアジアに近いローマの辺境首都で起こるというのは,何を意味するだろうか。乾いたローマ本土に比べて,コンスタンチノープルまでくると,人間関係までも湿気を帯びてくるだろうか。それとも,食べ物の違いだろうか。
2009年10月16日。金曜日。晴れ。旧暦8.28.甲午(きのえ、うま)九紫大安。さんりんぼう。
朝5時過ぎに起きると,東南の空に細い細い月が上を向いて出ている。そろそろ新月で大潮だなと,海の見えない夕凪亭で思った。
今日は大安のせいか職場の隣の結婚式場の教会の鐘が何度も鳴る。新しい家庭が生まれば,また減っていく家族もある。生々流転,諸行無常である。
四国巡礼を始める同僚に,掛け軸に御朱印をいただくのなら,高野山を先にして,最後は八十八番札所前の土産物店で,表装と高野山の箱書きを頼むのがいいとアドバイス。(逆も可能ではあろうが・・)
読まなかった本の話
ナシーム・ニコラス・ダレブ著,望月衛訳「ブラック・スワン 上」(ダイヤモンド社)。大変評判のよい本である。図書館に予約して5,6番目でやっと届いた。そして予約状況を見ると,次の予約が入っているということで,2週間後の延長は不可ということである。
さて,私にはこの本の価値がわからない。81頁まで,曲がりなりにも読もうと努力した。しかし,限界である。翻訳について文句を言うつもりは全然ない。原文にあたっても同じことだと思う。
こちらの波長が合わないだけで,若い人たちには(もし,読めばだが)こういう考え方がしっくりいくのかも知れない。
ということで,さっさと返却して,次の予約者の方にまわしてあげよう。
2009年10月17日。土曜日。晴れ。旧暦8.29.乙未(きのと、ひつじ)八白赤口。
午前中所用。午後昼寝。夕方散歩。典型的な土曜日の過ごし方。
読まなかった本の話
朽木ゆり子「フェルメール全点踏破の旅」(集英社新書)。
なぜ,今頃フェルメールなのか? 別にフェルメールが好きだとか興味があるというわけではない。ただ,あの有名な《真珠の耳飾りの少女》の仕掛け絵が,職場の私の机の隣の戸棚に貼られて数ヶ月・・・。仕掛けというのは見る角度によって彼女の角度も変わるというありふれた美術館のお土産にすぎないのだが。その彼女に見つめられても血圧が上がるというほどの美人ではないので,気楽に日々眺めていた次第。何とも不思議な魅力をたたえた絵ではないか。ということで借りてきたこの1冊。活字を追うのは目が疲れるので,すばらしい写真で楽しませていただきました。
2009年10月18日。日曜日。晴れ。旧暦9.1.丙申(ひのえ、さる)七赤先負。
連日朝からヒヨドリがきている。南天の実を食べているのだろうか。
季節の変わり目には,扇風機とストーブを交換するという年中行事がある。そろそろ面倒になってきた。だんだんと横着になって空いた部屋に置いたままになったりする。
簾を取り外しながら,秋空に向かって「もうエアコンを自分で取り付けることはしないぞ」と宣言した。人生の秋ですからね。そのうちメダカ飼うのやめた,といつ言い出すかわからない。去年は,来年は海水魚にチャレンジしようなどと思っていたが,1年たってその元気はなかった。そういえば,毎年春になると兎を飼いたいと思ってその衝動を抑える理由をいろいろ考えていたものだが,最近そんなこともなくなっている。
年齢だけではない。食べる肉の量を少なくしているのも,「元気」を押さえている原因だと思う。肉をたくさん食べて,元気を出して,寿命を縮めるか,あるいは肉を減らして,元気も減らして,寿命を延ばすか? これは難しい問題である。ということで,今日また「しないこと」を一つ追加しておきました。
「しないこと」を増やして身軽になったと思ったら「しておかなければならないこと」が,じわりじわりと押し寄せてくるのがわかった。とりあえずは,ハードディスクの中の整理。何十年もの堆積,どうすればいいんだろう。分類して,打ち出して,製本しておくのが最も安全なような・・・。
ローマ帝国衰亡史Ⅲ
p.67になって,やっと,やっとユリアヌス帝の登場である。思えば,この長い衰亡史を読み始めた動機が「背教者ユリアヌス」の背景を知りたいということだった。
2009年10月19日。月曜日。晴れ。旧暦9.2.丁酉(ひのと、とり)六白仏滅。
オリオン座大流星群がいよいよ見られる。しかし,インフルエンザ大流行の最中星ばかりも見ておられない。
私の近くにもインフルエンザの脅威がひしひしと押し寄せてきている。クワバラクワバラ。できるだけ人と話をせず,ほどほどに仕事を切り上げ,できるだけ人に近づかぬことだ。そして,やはり睡眠と果物を十分取ることで,ここは切り抜けたい。とはいえ,早く寝れば早く目が覚めるという,老人型体質では,睡眠はいつもと同じである。幸い先日スーパーで買ってきた安い蜜柑があるので,これに期待をつなぐことにしよう。
ハードディスクの筐底から古い文書を呼び出し,日の目を見なかったものたちに,光を当てたり蘇らせようというのは,水子供養というか,ゾンビごっこというか,いやはや壮絶な光景です。
今日の中国新聞に安佐南区出身の医学史家・富士川游氏のことが載っている。その四男が今読んでいる「菅茶山」の著者・富士川英郎氏である。ドイツ文学者の富士川英郎氏は東京生まれだが,旧制広島高等学校にも学ばれておられるので,ほとんど広島県人と言ってもいいような人である。なお,富士川游氏の記念モニュメントが広大医学部の中庭にある。医学資料館にもいろいろと展示されている。
一方,富士川游氏の理解者・協力者で医学史に造詣の深かった精神科医の呉秀三博士は広島藩医・呉黄石の三男で,東京生まれということになっている。呉秀三博士の息子さんがギリシア文学の呉茂一氏だから,富士川英郎氏と境遇が大変よく似ておられる。(細部はともかく)。
なお呉秀三博士のお母さんが,かの有名な岡山・津山藩の蘭学者・箕作阮甫の長女・せきである。箕作阮甫の四人の娘たちから,日本最大の学者家系が発生する。これは今に至るまで続く華麗なる一族で,これだけの人材を輩出した家系が存在するということは奇跡と言ってよい。
2009年10月20日。火曜日。晴れ。旧暦9.3.戊戌(つちのえ、いぬ)五黄大安。土用。
5時に起きたので流星群を見ようと思った。しかし,雲が覆って無理だった。おかげで一日中眠かった。夜早く寝るとさらに朝早く目覚める。こういう悪循環に入らないように眠くてもある程度はがまんしないといけない。学生の頃はこれとは反対方向への悪循環で悩まされたものだが,いつ頃から逆転したのか。50代初めの人からも似たようなことを聞くから,私一人だけのことではないようだ。
クワバラクワバラというのは,桑畑のことかと思っていたが,どうやら菅原道真の所領の名称であるようだ。そして,そこには雷が落ちなかったので,雷から逃げるときはクワバラクワバラと唱えるようになったという。
桑畑であろうとなかろうと,言えることは,雷の通り道から逸れていたということである。雷の通り道というのは町中に住んでいるとわからないが,山が入り組んだ地形に住んでいる人は,長年の経験で雷の通り道があるということを知っている。
もう一つは,もし桑畑だと仮定して,クワノキの樹形が雨に濡れて,避雷針のような働きをしたのかも知れない。お寺などでよく見る避雷針は太い電線でアース(接地)されていて,いかにも落雷で生じた大電流を大地に逃がす役割をしているように思われる。しかし,それは本来の目的ではなく,字の通り,雷を避ける,忌避する働きがある。しかし,耐えきれなくなったときには落雷するので,太い電線でないといけない。
2009年10月21日。水曜日。晴れ。旧暦9.4.己亥(つちのと、い)四緑赤口。
五時半に起きる。16.5℃。やや寒いか。よく晴れている。少し東の空を見るが星は流れない。
今日は久しぶりに明るいうちに歩いた。「風と共に去りぬ」の映画に出てくるような素晴らしい夕焼けだった。(ややオーバーか?)。気温が日々下がる。
その昔,「ノルウェイの森」が流行った頃,大学の先生から「いやぁ,凄いね。みんなノルウェイの森を読んでいるんだよ。凄いねぇ」というようなことをお聞きした。その時,「二十歳の原点」の頃を思い出した。「ノルウェイの森」の頃,大学を訪ねたことはないのでわからないが,「二十歳の原点」の頃も凄かった。
その「二十歳の原点」を実家の書棚から,もってきた。昭和46年5月10日発行で,私が買ったのは,昭和47年5月10日の29刷版で,5月18日に買ってある。定価は450円である。因みに授業料が月千円の時代である。やがて,40年が来ようとしている・・・。
「ノルウェイの森」は1987年9月10日の発売である。「二十歳の原点」の16年後である。ということは,「二十歳の原点」を読んだ親の(高校生くらいの)子どもが「ノルウェイの森」を読んでもおかしくはない。そして今,「ノルウェイの森」から22年。「ノルウェイの森」を読んだ親の子どもが大学生になっていてもおかしくはない。また,「二十歳の原点」を読んだ親の子が大学生であってもおかしくはない。さて,その大学生たちに「1Q84」はどのように写っているのだろうか,というのが今夜の疑問。そして,どういう年齢の人たちが「1Q84」を買うんだろうか。
私はといえば,初期の村上作品は密かに読んでおりましたが,ベストセラーズの嫌いな私は「ノルウェイの森」の大ヒットとともに村上作品からは遠ざかり,「ノルウェイの森」を読んだのは,ずっとずっと後の話しです。ですから,「1Q84」はまだまだ読みません。
2009年10月22日。木曜日。晴れ。旧暦9.5.庚子(かのえ、ね)三碧先勝。
少し寒くなったので,散歩の時着る服を増やしました。
「二十歳の原点」は二十歳で自殺した女子大生の日記です。結果的には全てが遺書です。ですから,この本を読むということは,ある程度の覚悟が必用です。 読むまでもなく,「私は自殺しました。あなたはどうしますか?」と,この本は語りかけていたのです。著者は昭和二十四年生まれですから,村上春樹さんと同じ年齢でしょうか。
私のもっている本のうしろには,カミュ全集の広告が載っております。全10巻。第1回配本/第1巻・8月25日と。(昨日,書いたように昭和47年版です)。11月17日に1巻を買い,翌年48年2月9日に2巻を買っております。その後は買っておりません。読むのが追いつかなかったのでしょうね。
さて,その2巻は「異邦人 シーシュポスの神話」で,代表作2編と「文芸評論,その他小品」という内容です。「シーシュポスの神話」の最初の論考は「不条理と自殺」というもので,いきなり「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値する否かを判断する,これが哲学の根本問題に答えることなのである。 c'est repondre a la question fondamentale de la philosophie.」(清水徹訳,p.82)と,あります。カミュは哲学が答えるべきだとは書いていません。哲学のは主格ではなく所有格です。個人で考えるしかないということは,自明です。(またまた,アクサン記号が落ちてしまいました)
2009年10月23日。金曜日。晴れ。旧暦9.6.辛丑(かのと、うし)二黒友引霜降。
秋晴れのよいお天気。午後,空いていたので休暇をとろうと思ったが,昼寝をして生活のリズムを崩すだけかな,と思いやめた。
中野好夫訳「ローマ帝国衰亡史Ⅲ」(筑摩書房)。第一八章 コンスタンティヌス帝の性格-ゴート戦争-コンスタンティヌス帝の死~三子による帝国の分割-ペルシア戦争-コンスタンティヌス二世およびコンスタンス帝の悲劇的最期-マグネンティウスの簒奪-内戦-コンスタンティウス二世帝の勝利
なぜこんなに似たような名前で家系を埋めていかなければならなかったのか理解に苦しむのだが,本文はもっともっと紛らわしい名前のオンパレードで,とうてい覚えきれない。フラウィウス家というのだが,その系図はp.74にでている。有名なコンスタンティヌス大帝の父がコンスタンティウス一世。大帝の子が,クリスプス,コンスタンティヌス二世,コンタンティウス二世,コンスタンス,コンスタンティア,ヘレナというのだからちょっとでもタイプミスがあれば,あっという間にわからなくなる。もし,ラテン語原典にあたれば,格変化まであるから,さぞかし大変だろう。
さて,コンスタンティヌス大帝の業績は,キリスト教側の讃辞を差し引いても,前半は(ギボンによる限りでは)偉大で,大帝の名に値するだろう。それに対して,晩年の暴虐ぶりはいかがなものか。勿論,このような血を血で洗うような醜い惨劇は,他の皇帝にも,あるいは諸外国においても,中国や日本でもあったようなことだが,凋落期のローマには珍しいほどの前半の業績ゆえに,惜しんであまりある。かくして,多くの血族後継者たちに恵まれておりながら(必ずしも全員が優秀であったわけではないにしても),その者たちが再興しなかったのは嘆かわしい。
2009年10月24日。土曜日。曇り。旧暦9.7.壬寅(みずのえ、とら)一白先負。
曇りがちで,時々吹く風は明らかに秋風。公園の桜がかなり色づいた。午前中所用,午後,昼寝,夕方散歩と郵便局。先週と同じパターンです。ただ,昼寝の時間が1時間長かったような・・・。
夜になっても少し寒い。炬燵を出すことにした。2時3時に目が覚めて,そのまま起きておくのはきついので,明け方までに眠るのに都合がいいかと,思って。キャンプにもって行っていた,ウレタンのスポンジにアルミを貼ったものを一番下にして。炬燵の足を伸ばす小道具を先日ホームセンターで買ってきたので,つけてみた。3.5センチ高くなると,炬燵の上で作業はできない。腰が痛くなるのでするつもりもないが。寝返りを打つのには,都合がいい。もう1セット買って,足せば7センチ上がることになるが,とりあえずはこれでいこう。電気炬燵は膝のためには実によいのだが,腰のためにはよくない。それに眠くなる。ほどほどにしよう。
2009年10月25日。日曜日。曇り。旧暦9.8.癸卯(みずのと、う)九紫仏滅。
若者のすなるTwitterといふものを老人もしてみむとてするなり,という心境にはとてもなりませんが,世の中には面白いものを「発明」する人がいるものだと,感心しております。また,それをおもしろく利用する人が多いのにも。そのうちさらに凄いものがでてくることだと思います。
こういう世界を見ていると,どんどんと世の中が変わって,こちらが益々うしろの世界へ後退しているように思えます。・・それで満足しているから,いいのですが。
秋山ちえ子「九十二歳の近況報告」(ラジオ深夜便2009.11)を読んだ。時々ラジオで歯切れのよい発言をされていた秋山ちえ子さんである。九十歳になってすべての講演,原稿を引き受けないことにした方の文章とは思えないほどの張りのある文章に感激。どうすれば,九十歳を越えてこのような知性の健康が保てるのだろうか,と思った。機会があれば著書も読んでみたいと思った。
2009年10月26日。月曜日。雨後曇り。旧暦9.9.甲辰(きのえ、たつ)八白大安。
朝(7時)の夕凪亭の気温は18.5℃でした。
Twitter流に,仕事おわた。こたつnow,などと書いてみたくなります。それはさておき,今日は散歩していると雲間からほんの三十秒ほどですが,弦月が出てきて,また隠れました。今年は曇り空が多くて,星や月が去年ほど見えなかったようです。
一日中曇っていたせいか,夜になってますます寒くなりました。そして,お腹も減ってきます。さっきゴキブリをしてくると,黒棒と元祖ボールプラス小粒やねんを発見。黒棒はみるみるうちに肉になります。元祖ボールは開けるとやめられなくなります。産業医の先生との懇談も近いことだし・・・。
蔵書葬送というほどまだ散佚していないようなので,蔵書鎮魂ということにしておきましょうか。鴎外選集。
結局,鴎外全集は買わなかったことになる。新書版の鴎外選集全21巻(岩波書店)を買ったからである。当時は,今のようにインターネットで安い全集を捜すということなどなかった時代であるから,偶々出版されたこれに飛びついた。もし全集のほうが発売されていたら,そちらにしたかもしれない。皆読んだら,やはり全集をなどと思ったこともあったが,そういうことはもうあり得ないようだ。
でも,この選集で「渋江 抽斎」も読んだし,翻訳ものもいくらか読んだし,・・ということで悪くはなかった。それに小堀桂一郎さんの解説もわかりやすかった。
最後の史伝の北条霞亭は,茶山の後継者だし,伊澤蘭軒は福山藩の藩医だから,最後まで読みたいとは思うものの,今読んでいる富士川英郎さんの大著「菅茶山」が残り三分の一もあり,この後,苦労して手に入れた「頼山陽とその時代」(中公文庫)が待っている。それが終わって「北条霞亭」,そしてさらに元気があれば「伊澤蘭軒」というところでしょうか。そうすると,中村真一郎さんのほうが,借りて読んだ「木村蒹葭堂のサロン」はいいとして、ほとんど読んでないはずの「蠣崎波響の生涯」まで辿り着けないように思われる。
鴎外に戻ると、「最後の一句」「安井夫人」「山椒大夫」など、また読みたいものです。高校一年か中三のときに読んだきりのものもありますから、こういうのももう一度読んでおきたいと思います。蛇足ながら、安井夫人の夫が宮崎の儒者・安井息軒で、そのお弟子さんが吉村昭さんの「ポーツマスの旗」の主人公・小村寿太郎です。
2009年10月27日。火曜日。晴れ。旧暦9.10.乙巳(きのと、み)七赤赤口。
秋晴れのよいお天気ですが,だんだんと気温が下がり,桜の葉かますます紅葉していきます。県北のほうでは,かなり紅葉は進んでいるのではないかと思われます。
炬燵に入っていたら,1時間ほど寝てしまった。そのまま寝てしまえば超朝型になってしまうし,起きていたら夜型になってこれまたよくないのだが,結局起きることにした。
蔵書鎮魂 漱石全集。
漱石全集は岩波のものと集英社のがあります。岩波のは全17巻で最終巻は昭和51年発行で各巻2800円です。これは昭和53,4年頃に地方の書店に新本として置いてあったものを定価通りで求めました。インフレが進行中でしたから,かなり安い買い物ではなかったかと思います。集英社のは,少し小型で読みやすいかと思い,それに安かったので,つい手が出ました。両方とも解説もよく,読みやすく重宝しております。最近は青空文庫から一括ワープロソフトへコピーし,読んだところから消しながら読むというのが多いのですが,活字が悪いというわけではありません。これは読む場所の問題です。
最晩年は,インターネットも止め,図書館へいくのも億劫になるでしょうから,多いに期待しているところです。暗くて閉所恐怖症になりそうな「坑夫」や,苦手な「虞美人草」は,もう読むことはないと思いますが,その他のものは,読み返してもいいかと思っています。半年ほど前,「それから」「こころ」を読んで以来,マイブームは去っておりますので,しばらくはご無沙汰ですが。
2009年10月28日。水曜日。晴れ。旧暦9.11.丙午(ひのえ、うま)六白先勝。さんりんぼう。
読まなかった本の話。
吉村昭「歴史小説集成 二」(岩波書店)は「天狗争乱」の他「彰義隊」「幕府軍艦『回天』始末」が収められている。
「天狗争乱」は以前読んで,吉村さんの代表作の一つだろうと思った。それにしても凄い話だし,それを小説にするということも凄いことだと思った。
「天狗争乱」には,政治運動は動き出したら止まらないという,三島さんが「行動学入門」で述べられているようなことが,具体的に書かれていると思う。それは,かつての学生運動やその後期の連合赤軍事件でも似たような現象となって現れた。個人個人の考え方は細部では,あるいは,中には本質的に異なっていても,ある目的のために行動が起こる。するとまもなく個人個人は,ちょっと違うのではないかと思いながらも,行動を続ける。するともう,修正が効かないのだ。そのギャップに気づきながらも,最期の悲劇に向かって突入する。そんな思いは抱いた人はいなかったのだろか。
筑波山は遠くで仰ぎ見ただけで,近くには行っていない。また,水戸のほうに廻るような余裕もなかったので,未だ,水戸へは足を踏み入れたことはない。
何年か前,職場で小旅行を企画したとき,敦賀の原発がメインだったので,ついでに天狗党の墓所にもお参りするコースを設定した。思った以上に墓所は小さかった。下関の赤間神宮の隅っこにある平家一門の墓と同様,敗者の墓というのは寂しいものである。一時獄舎として使われたニシン蔵が移築されてあった。蔵というから天井が高く豪壮なものだと想像していたが,意外に小さかった。このニシン蔵というのは,司馬さんの「街道を行く」によると,北海道のニシンは日本海ルートで方々に水揚げされ,その貯蔵所がニシン蔵で,かつては多数あったが,現在残っているのは,ここだけで,その残った理由は天狗党の獄舎跡ということである。訪ねたときは,資料館とはとうてい言えないほどの荒れようであったが,今は少しは整備されているのであろうか。
天狗党のことは辻邦生さんの「銀杏散りやまず」の中に,「夜明け前」にも出てくるというようなことが書いたあったようなないような・・・と微かに覚えているが。
また,江戸城明け渡し後,福山藩は新政府に恭順を示したのだが,その結果,函館戦争への出兵を命じられた。頼山陽の晩年の弟子である福山藩の儒者・江木鰐水はそのときの参謀としてイギリス船モナード号で,鞆から出航し日本海廻りで函館に向かう。途中,越前大野藩の藩士を載せるために敦賀に寄港し,天狗党の墓に参詣している。
他の二作品は,今回も読めそうにありません。
巻末作品余話として収載されている「天狗勢と女」「輪王寺宮の足跡」を読んで返しておくことにしよう。
2009年10月29日。木曜日。晴れ。旧暦9.12.丁未(ひのと、ひつじ)五黄先勝。
しばらく開けたことのない鍵のかかっている個人用戸棚のものを外に出す。外から見えるガラス戸戸棚だったら,絶えず不要なものを整理するのだが,開かずの戸棚になると,ついついいらないものまで溜め込んでしまう。一度に整理するわけにいかないので,まずは見えるところへ。そして,少しづつ捨てていこう。二年も使わなかったものはまず捨てても大丈夫だと決心して捨てるしかない。
吉村昭「敵討」(歴史小説集成 四)(岩波書店)。今回も読まずに返す予定であったが,つい誘惑に負けて読んでしまった。武士の仇討ちの話だから,ルポルタージュ的なやや硬質な文体は不向きではないかと危惧していたが,どうしてどうして,仇討ちの行政的手続きの話が入ってくるところから俄然その特徴を発揮して,小気味よいほど文章が決まってくる。これは引き続き出てくる,幕府の官吏の人事行政の描写において益々強みを発揮して,一巻の歴史ドラマと相成る次第である。仇討ちが単なる殺人ではなく正式な仇討ちとして認められない限り,犯罪者になる。逆に,法的な手続きを踏んだ正当な仇討ちと認められれば,尊敬もされ称揚もされる。しかし,経済的にも精神的にも仇討ちがいかに大変であるかということが追々語られる。そのひとつは主人公らが長崎からの帰途に聞いた話である。豪農の家の前で行き倒れになって,遂に名もあかさず,そこの奉公人として一生を終えた武士のことが出てくる。
ふと,中島敦の「山月記」を思い出した。これは芸術家小説ではないかと。かつて,東京で学生生活を送った人から聞いたことがある。山手線沿いには,文学修行中の小説家予備軍がゴマンといると。ミュージシャンや芸人の卵はもっと多いだろう。漫画家や画家の卵については知らない。彼らの多くは定職にも就かず,フリーターをしながら芸の道に精進している。そして,夢を達成する人は,そのうちのごく僅かで,多くの人が名を成すことなく生涯を終える。そのようなことを吉村さんが知らぬはずはない。そういう思いを込めて書かれたのかどうかは知るよしもないが,仇討ちの世界も同じである。事実上,脱藩して仇討ちの旅に出る。目的を達せない者のほうがはるかに多い。そしてお家断絶という無惨な結末。
目的を達した人の人生が素晴らしく,そうでない人の人生がつまらない人生だったなどとは言えない。それぞれの人生がそれぞれ価値ある人生であったに違いない。このようには,書かれてはないが,そのような思いが伝わってくる小説であった。
2009年10月30日。金曜日。晴れ。旧暦9.13.戊申(つちのえ、さる)四緑先負。
いつもと同じように歩いても,汗の量が多かった。少し暖かったのか。でも,日曜あたりから寒波が来るようである。ご用心ご用心。
三角形のマットを捜していたら,テレビ枕という名で売られていた。寝ころんでテレビを見るのによい角度になっている。テレビは見ないのだが,炬燵で使っているリクライニングの座椅子がどうも合わないので,変えてみたいのだ。若い頃は身体を器具に合わせていたのか,不平を言わずあるものを使ってきた。最近どうも,椅子のコロの滑らかさとか,クッションの強度とか,バネの柔らかさだとかが,合う合わないがでてきだした。炬燵でも同様で,合わないとすぐ腰や首が痛くなる。年をとってわがままになったのか,身体が硬くなったのか,不自由なことだ。ということで,テレビ枕の試行。要するに,本を読みながら寝るための適正な角度と,底の高さを求めての果てしない探究なのである。
吉村昭(歴史小説集成 四)(岩波書店)には「落日の宴-勘定奉行川路聖謨」「黒船」「洋船建造」「敵討」の四作品が収められている。「落日の宴」は大正昭和の詩人・川路柳紅の祖父で,徳川幕府の官吏で,幕府瓦解に殉じた川路聖謨の話であるから,題名からわかるように本集が幕末期を描いた小説であると想像できる。短そうな「洋船建造」のページをめくっていると,ついつい引き込まれそうになったので,意を決して断念。巻末作品余話の「日本人にとての“鏡”」と「紫煙となった辞書」を読んで返しておくことにする。
2009年10月31日。土曜日。晴れ。旧暦9.14.己酉(つちのと、とり)三碧仏滅。
沈まぬ太陽ではなく,沈む太陽をゆっくりと眺めておりました。5時をちょっと過ぎたあたりです。今日は朝から黄砂のような霞が漂っていたせいか,夕日はことのほか綺麗で真赤に染まって雲のない霞んだ空を静かに沈んでいきました。
さて,映画「沈まぬ太陽」は前評判も上々だし,週刊誌に原作が連載されていた頃,少しだけ読んだが面白そうだったし,それに二人で行けば一人1000円になるというサービスもあるので,久々にシネコンに足を運んでみようと思った。が,しかし,インターミッションがあるとはいえ3時間半以上閉鎖空間に閉じこめられるというのは,老体にはきついし,それに何よりも,始めのほうからクシュンというのは苦手なので,やはりDVDの発売を待つことにしましょう。とはいえ,多いに流行って元気のないメディア界が久々に活況を呈することは多いに喜ばしいことです。盛況をお祈りしたい。
10月の夕凪亭閑話はこれにて終了としたい。多くの方々の御愛読に感謝。