重井村四国八十八カ所
はじめに
この重井村四国88カ所の調査報告は、川口・焼酎屋の柏原清氏の資料をもとに、久保・角栄屋の村上安弘氏がまとめられた重井の石造物別冊「重井村四国88カ所」を参考に、再調査したものである。
お遍路さんと言えば四国八十八カ所札所巡礼を思い出し、観音さんと言えば西国三十三観音巡礼を思い出すとともに、地元にあるそのミニチュア版を連想される人も多い。
特に、因島では、大浜灯台の1番から重井八幡神社上の88番までほぼ島内一周を巡る札所が整備され、「島四国」「新四国」として、島内はもとより周辺近島にも有名で、巡礼の人波はかつては早春の島の風物詩であったことは周知のことである。その札所のお堂もよく整備され、地元の人たちの協力で維持されている。
この島四国に対して四国4県の弘法大師ゆかりの寺を巡る、四国八十八ケ所霊場のことを「本四国」と呼んで区別している。
重井村四国
1816文化13年 近隣島々に四国八十八所御本尊を勧請。白滝山頂に祭祀。
1847弘化4年 末広講結成(願主 村上貞兵衛)
1850嘉永3年 重井村四国八十八カ所霊場建設(伝承)。(村四国)
1912明治45年壬子 重井の大師講連中の発起で因島四国八十八カ所霊場建設。(島四国、新四国)。
補注。
松本賢編、「ふるさと三庄」、三庄老青会連合会、昭和59年、p.37に、次のように記してある。明治四十五年(一九一二)因島重井の大師講連中の発起で島内八十八ケ所に堂宇を設立し、大師入寂の旧三月二十一日を期して巡拝を始めたのが始まりである。
重井村四国以外、
因島では
因島四国88カ所(島四国)
中庄村四国
外浦村四国
田熊村四国
三庄明徳寺山四国
三庄善徳寺内
因島公園鯖大師周辺
また西国三十三観音霊場を勧請したものとして、
白滝山西国三十三観音札所
細島三十三観音
三庄観音寺三十三観音
三庄奥山三十三観音(これは四種程度のものが混在している)
中庄金蓮寺境内三十三観音
大浜福泉寺境内三十三観音
また椋浦金蔵寺跡には三体の三十三観音があるが実体は不明である。
因島以外の近島では
生口島四国
生口島薬師寺一日島四国
佐木島島四国 洲の江山三十三観音
生名島島四国
生名島立石山三十三観音
向島四国
向島 寺境内三十三観音
弓削島四国
佐島島四国
岩城島四国
岩城島 寺三十三観音
他に
笠岡市神島四国88
小豆島四国88
大島四国88
などが有名である。
重井村四国八十八カ所霊場
全配置図
およその巡拝路は、山田の島四国83番一宮寺からはじめて、山田、有浜、須越、須越奥、上迫(上坂)、善興寺、山ノ神、片山、伊手樋、明神、長崎、須鼻、馬神、北の浜、久保、大小路、南小路、砂原、小林、昭和橋、青木上、青木、東の浜、宮沖、宮の下、宮の上、白滝山、川口、丸山、一本松という順になる。
1番 竺和山 霊山寺 釈迦如来 高野山真言宗 霊山の釈迦の御前に巡りきて よろずの罪も消え失せにけり のうまく さんまんだ ほだなん ばく
山田。島四国83番一宮寺内。文字確定。「霊山寺 末廣講中」
2番 日照山 極楽寺 阿弥陀如来 高野山真言宗 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口ぐせにせよ おん あみりた ていせい からうん
山田。文字確定。「二ばん 極楽寺 願主 末廣講中」
3番 亀光山 金泉寺 釈迦如来 高野山真言宗 極楽の宝の池を思えただ 黄金の泉澄みたたえたる のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
山田。文字確定。「三ばん 金泉寺 願主 末廣講中」
4番 黒巌山 大日寺 大日如来 東寺真言宗 眺むれば月白妙の夜半なれや ただ黒谷に墨染めの袖 おん あびらうんけん ばざらだどばん
有浜。島四国82番根香寺横。文字確定。「第四番 大日寺 再建 末廣講中 丈吉 幼平」
5番 無尽山 地蔵寺 勝軍地蔵菩薩 真言宗御室派 六道の能化の地蔵大菩薩 導きたまえこの世後の世 おん かかかび さんまえい そわか
駐在所前。島四国80番国分寺内。文字確定。「五番 地蔵寺」
6番 温泉山 安楽寺 薬師如来 高野山真言宗 仮りの世に知行争う無益なり 安楽国の守護を求めよ おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
須越。文字確定。「六ばん 安楽寺 廿一人組」
7番 光明山 十楽寺 阿弥陀如来 高野山真言宗 人間の八苦を早く離れなば 至らん方は九品十薬 おん あみりた ていせい からん
善興寺境内、芋地蔵堂前。位置推定。
8番 善明山 熊谷寺 千手観音 高野山真言宗 たきぎとり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため おん ばさら たらま きりく
島四国81番白峰寺横。位置推定。
9番 正覚山 法輪寺 涅槃釈迦如来 高野山真言宗 大乗のひほうもとがもひるがえし 転法輪の縁とこそきけ のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
須越奥池西(畑の中)。文字確定。「九」
10番 得度山 切幡寺 千手観音 高野山真言宗 欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障りとぞなる おん ばさら たらま きりく
上坂、蔵本前。位置推定。
11番 金剛山 藤井寺 薬師如来 臨済宗妙心寺派 色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたたぬ日も無し おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
上坂、12番の下。文字確定。「十一ばん 藤井寺 願主」
12番 摩盧山 焼山寺 虚空蔵菩薩 高野山真言宗 後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか
上坂、権現山登山口付近。文字確定。「焼山寺 又 市」
13番 大栗山 大日寺 十一面観音 真言宗大覚寺派 阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世後の世 おんまか きゃろにきゃ そわか
上坂。11番の下。文字確定。「一の宮」
14番 盛寿山 常楽寺 弥勒菩薩 高野山真言宗 常楽の岸にはいつか至らまし 弘誓の船に乗り遅れずば おん まいたれいや そわか
上坂。柏原神社からの通路。文字確定。「常楽寺 九人」
15番 薬王山 国分寺 薬師如来 曹洞宗 薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死の秋の紅葉ば おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
上坂。蔵本前。文字確定。「国分寺」
16番 光耀山 観音寺 千手観音 高野山真言宗 忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ おん ばさら たらま きりく
勉強堂東、源兵衛屋前。文字確定。「十六ばん」
17番 瑠璃山 井戸寺 七仏薬師如来 面影を映してみれば井戸の水 結べば胸の垢や落ちなん おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
公民館よりやや東。文字確定。「十七ばん 井戸寺 願主 大本屋」
18番 母養山 恩山寺 薬師如来 高野山真言宗 子を産めるその父母の恩山寺 訪ひがたきことはあらじな おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
善興寺入口。公民館上道路沿い。文字確定。「恩山寺」
19番 橋池山 立江寺 延命地蔵菩薩 高野山真言宗 いつかきて西のすまいの我が立江 弘誓の舟に乗りて至らん
善興寺境内。芋地蔵堂前。文字確定。「十九番 立江寺」
20 霊鷲山 番鶴林寺 地蔵菩薩 高野山真言宗 しげりつる鶴の林をしるべにて 大師そいます地蔵帝釈 おん かかかび さんまえい そわか
大出酒店(ヤマキ)西。写真屋の塀と蘇鉄の横の二ケ所。
21番 舎心山 大龍寺 虚空蔵菩薩 高野山真言宗 大龍の常にすむぞやげに岩屋 舎心聞持は守護のためなり のうぼう あきゃしゃきゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか
山ノ神。山神社の西。文字確定。「廿一ばん 太龍寺 十二人」
22 番 白水山 平等寺 薬師如来 高野山真言宗 平等にへだてのなきと聞く時は あら頼もしき仏とぞみる おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
25番明神井戸の左奥。文字確定。「平等寺 十四人」
23番 医王山 薬王寺 薬師如来 高野山真言宗 皆人の病みぬる人の薬王寺 瑠璃の薬を与えまします おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
伊手樋。甲山寺から少し西。文字確定。「廿三番 薬師如来」
24番 室戸山明星院 最御崎寺 虚空蔵菩薩 真言宗豊山派 明星の出ぬる方の東寺 暗き迷いはなどかあらまじ のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃまり ぼり そわか
伊手樋。23番の少し西。文字確定。「二十四ばん 東寺 二十三人組」
25番 宝珠山 津照寺 楫取地蔵菩薩 真言宗豊山派 法の舟入るか出ずるかこの津寺 迷う我が身を乗せてたまえや おん かかかび さんまえい そわか
明神井戸。位置推定。
26番 竜頭山 金剛頂寺 薬師如来 真言宗豊山派 往生に望みをかくる極楽は 月の傾く西寺の空 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
厳島神社東。角の家の庭。文字確定。「ばん 西寺」
27番 竹林山 神峯寺 十一面観音 真言宗豊山派 みほとけの恵みの心神峯 山も誓いも高き水音 おんまか きゃろにきゃ そわか
明神。米十屋。文字確定。「廿七ばん」
28番 法界山 大日寺 大日如来 真言宗智山派 露霜と罪を照らせる大日寺 などか歩みを運ばざらまし おん ばざらだどばん
島四国86番志度寺内。文字確定。「廿八ばん 大日寺 八人組」
29番 摩尼山 国分寺 千手観音 真言宗智山派 国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり おん ばさら たらま きりく
明神。厳島神社の南。文字確定。「○十九番 国分寺 十九人組」
30番 百々山 善楽寺 阿弥陀如来 真言宗豊山派 人多く立ち集まれたる一の宮 昔も今も栄えぬるかな おん ありみた ていぜい からうん
明神。厳島神社の南。(29、30合祀)。文字確定。「三十ばん 一○宮」
31番 五台山 竹林寺 文殊菩薩 真言宗智山派 南無文殊三世の仏の母と聞く 我も子なれば乳こそ欲しけれ おん あらはらしゃ のう
播磨口くぐり橋。位置推定。
32番 八葉山 禅師峰寺 十一面観音 真言宗豊山派 静かなる我がみなもとの禅師峰寺 浮かぶ心は法の早船 おんまか きゃろにきゃ そわか
長崎。島四国72番曼茶羅寺前。文字確定。「禅師峰寺 弥七」
33番 高福山 雪渓寺 薬師如来 臨済宗妙心寺派 旅の道うえしも今は高福寺 後の楽しみ有明の月 おん ころころ せんだぎ まとうぎ そわか
黄幡さん内。位置推定。
34番 本尾山 種間寺 薬師如来 真言宗豊山派 世の中に蒔ける五穀の種間寺 深き如来の大悲なりけり おん ころころ せんだぎ まとうぎ そわか
黄幡さん内。位置推定。
35番 医王山 清滝寺 厄除薬師如来 真言宗豊山派 澄む水を汲めば心の清滝寺 波の花散る岩の羽衣 おん ころころ せんだぎ まとうぎ そわか
藤井医院。文字確定。「清滝寺」
36番 独鈷山 青龍寺 波切不動明王 真言宗豊山派 わずかなる泉に澄める青龍は 仏法守護の誓いとぞ聞く のうまく さんまんだ ばさらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
カネタカ。文字確定。「青竜寺 十一人組」
ここから、北浜へ入る。
37番 藤井山 岩本寺 不動明王 観世音菩薩 阿弥陀如来 薬師如来 地蔵菩薩 真言宗智山派 六つのちり五つ社あらわして 深き仁井田の神の楽しみ のうまく さんまんだ ばさらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん おん あろきゃ そわか おん あみりた ていぜい からうん おん ころころ せんだり まとうぎ そわか おん かかかび さんまえい そわか
北浜。月読み祠隣。位置推定。
38番 蹉跎山 金剛福寺 三面千手観音 真言宗豊山派 補陀洛やここは岬の舟のさお とるもすつるも法の蹉跎山 おん ばさら たらま きりく そわか
島四国道隆寺の上、農道の下にある。位置推定。
39番 赤亀山 延光寺 薬師如来 真言宗智山派 南無薬師病悉除の願こめて 詣る我が身を助けましませ おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
北の浜 吉右衛門家 位置推定。「寺企院 十七人組」
37〜39はいずれとも判断しかねるが、本四国38番は足摺岬だから馬神にした。3739をこのようにすると本四国の位置関係に似てくる。
ここから久保に入る。本四国では阿波から伊予へ入る。
40番 平城山 観自在寺 薬師如来 真言宗大覚寺派 心願や自在の春に花咲きて 浮き世のがれて住むやけだもの おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
久保。村上明祥氏宅。位置推定。
41番 稲荷山 龍光寺 十一面観音 真言宗御室派 この神は三国流布の密教を 守り給わむ誓いとぞ聞く おんまか きょろにきゃ そわか
久保。角栄屋。文字確定。「四十一番 龍光寺」
42番 一棵山 佛木寺 大日如来 真言宗御室派 草も木も仏になれる仏木寺 なお頼もしき鬼畜人天 おん あびらうんけん ばさらだとばん
久保。島四国76番金倉寺前。文字確定。「四十二番」
これはバス通り(東西橋—西の浜)から見えるところである。
43番 源光寺 明石寺 千手観音 天台寺門派 聞くならく千手不思議の誓いには 大盤石も軽くあげ石 おん ばさら たらき きりく そわか
小林。島四国79番高照院内。文字確定。「四十三番 明石寺」
44番 菅生山 大宝寺 十一面観音 真言宗豊山派 今の世は大悲のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞ待つ おんまか きゃろにか そわか
久保。旧廣島屋。文字確定。「四十四ばん 大宝寺 四人組」
45番 海岸山 岩屋寺 不動明王 真言宗豊山派 大聖の祈る力のげに岩屋 石の中にも極楽ぞある のうまく さんまんだ ばさらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
大小路。田中医院。位置推定。右側(外)は44番大宝寺(2つある)。
46番 医王山 浄瑠璃寺 薬師如来 真言宗豊山派 極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
藤井医院西。文字確定。「四十六番 浄瑠璃寺 願主 今先わ」。35番と併せて参拝。
47番 熊野山 八坂寺 阿弥陀如来 真言宗醍醐派 花を見て歌詠む人は八坂寺 三仏じょうの縁とこそ聞け おん あみりた ていぜい からうん
小林島四国79番高照院横。文字確定。「四十七番 八坂寺」
43番とともに。52番の次に廻るのがよい。
48番 清竜山 西林寺 十一面観音 真言宗豊山派 弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺にまいれよ おんまか きゃろにか そわか
久保。峰松幹夫氏宅。位置推定。+お寺無縁墓地(東)。文字確定。「○○八番 西林○」
49番 西林山 浄土寺 釈迦如来 真言宗豊山派 十悪の我が身を捨てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ のうまく さんまんだ ぼだなん まく
南小路。ミチフク前。+郷照寺外。 文字推定
ここから砂原道に入る
50番 東山 繁多寺 薬師如来 真言宗豊山派 よろずこそ繁多なりとも怠らず 諸病なかれと望み祈れよ おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
砂原。島四国78番郷照寺内。文字確定。「五十ばん 繁多寺」
外には49番、70番もある。
51番 熊野山 石手寺 薬師如来 真言宗豊山派 再方をよそとは見まし安養の 寺にまいりて受くる十楽 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
砂原。カジヤ横。文字確定。「石手寺 九人組」
52番 龍雲山 太山寺 十一面観音 真言宗智山派 太山へ登れば汗の出でけれど 後の世思えば何の苦なし おんまか きゃろにか そわか
小林。トラヤ。文字確定。「五十二番 太山寺 十三人組」
53番 須賀山 円明寺 阿弥陀如来 真言宗智山派 来迎の弥陀の光の円明寺 照りそうふ影は夜な夜なの月 おん あみりた ていぜい からうん
小林。島四国80番国分寺 外位置推定
54番 近見山 延命寺 不動明王 真言宗豊山派 くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな のうまく さんまんだ ばさらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
砂原。助七屋。幼稚園門の前。位置推定。
55番 別宮山 南光坊 大通智勝如来 真言宗醍醐派 このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹 おん まか びしゃな じゃなのう ひぶう そわか
青木。昭和橋東。文字確定。「第五拾五番 嘉永三庚庚六月吉日
56番 金輪山 泰山寺 地蔵菩薩 真言宗醍醐派 みな人のまいりてやがて泰山寺 来世井の引導頼み置きつつ おん かかかび さんまえい そわか
青木金毘羅神社(玉垣の上)。文字確定。
57番 府頭山 栄福寺 阿弥陀如来 高野山真言宗 この世には弓矢を守る八幡なり来世は人を救う弥陀物 おん あみりた ていせい からうん
青木上。くらんだ(崖の中)。位置推定。
58番 作礼山 仙遊寺 千手観音 高野山真言宗 立ち寄りて作礼の堂に休みつつ 六字を唱え経をよむべし おん ばさら たらま きりく
青木。青木道路改修碑横。文字確定。「五十八ばん 千光院 願主 万」
59番 金光山 国分寺 薬師如来 真言律宗 守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよ恵む薬師なりけり おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
東浜。島四国86番志度寺内。文字確定。「国分寺」
60番 石鉄山 横峰寺 大日如来 真言宗御室派 たて横に峰や山辺に寺建てて あまねく人を救うものかな おん あびらうんけん ばさらだとばん
伊浜。玉屋前(道路を隔てた石垣の中)。位置推定。
61番 栴檀山 香園寺 大日如来 真言宗単立 後の世を思えばまいれ香園寺 止めて止まらぬ白滝の水 おん あびらうんけん ばさらばとばん
東浜。島四国87番長尾寺内。文字確定。「六十一番 村上六三郎 柏原金四郎」右の二人佛も61番。「六十一番 香光寺 中個 中」
62番 天養山 宝寿寺 十一面観音 高野山真言宗 さみだてのあとに出でたる玉の井は 白坪なるや一の宮かは おんまか きゃろにか そわか
細口。平和堂駐車場。文字確定。「六十二番 ○○寺」
63番 密教山 吉祥寺 毘沙門天 真言宗東寺派 身の内の悪しき悲報を打ち捨てて みな吉祥を望み祈れよ おん べいしら まんだや そわか
伊浜。八幡神社下南。延命地蔵。
62番と64番の間がない。この周辺で探すと、八幡神社の南に真新しい延命地蔵がアルミの小祠の中にある。これを63番とさせてもらう。
64番 石鉄山 前神寺 阿弥陀如来 真言宗石鉄派 前は神後ろは仏極楽の 万の罪をくだく石鉄 おん あみりた ていぜい からうん
宮ノ上。島四国88番大窪寺の北。文字確定。「六十四ばん 前神寺」
65番 由霊山 三角寺 十一面観音 高野山真言宗 恐ろしや三つの角にも入るならば 心をまろく慈悲を念ぜよ おんまか きゃろにきゃ そわか
白滝山。観音堂前。文字確定。「六十五番 三角寺」
本四国ではここから讃岐に入る。
66番 巨鼈山 雲辺寺 千手観音 真言宗御室派 はるばると雲の辺りの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る おん ばさら たらま きりく
白滝山山頂 大師立像周辺仏W5 文字確定。「六十六番 ○辺○」
本四国では最も高い位置にある札所。
弘法大師立蔵(白滝山山頂展望台下)
四国八十八カ所御本尊(白滝山山頂展望台下)
67番 小松尾山 大興寺 薬師如来 真言宗善通寺派 植え置きし小松尾寺を眺むれば 法の教えの風ぞ吹きぬる おん ころころ せんだり まとうが そわか
白滝山中腹。伝六さん(通称墓所)。文字確定。「六十七番 小松尾寺」
伝六さん(通称墓所)の仁王門よりの小祠が67番である。
68番 七宝山 神恵院 阿弥陀如来 真言宗大覚寺派 笛の音も松吹く風も琴弾くも 歌うも舞うも法のこえごえ おん あみりた ていぜい からうん
西洋館下。文字確定。「六十八番 九人組」
69番 七宝山 観音寺 聖観世音菩薩 真言宗大覚寺派 観音の大悲の力強ければ 驚き罪をも引き上げてたべ おん あろきゃ そわか
川口。権兵衛裏。文字確定。 「十六番 観音寺 十人組」
70番 七宝山 本山寺 馬頭観音 高野山真言宗 本山に誰が植えける花なれや 春こそ手折れ手向けにぞなる おん あみりとう どはんば うん ばった そわか
島四国78番郷照寺横。文字確定。「七十番 本山寺 十三人組」
71番 剣五山 弥谷寺 千手観音 真言宗善通寺派 悪人と行き連れなんも弥谷寺 おん ばさら たらま きりく
川口。大下裏。位置推定。
72番 我拝師山 曼荼羅寺 大日如来 真言宗善通寺派 わずかにも曼荼羅おがむ人はただ ふたたびみたびかえらざらまし おん あびらうんけん ばさらだどばん
川口。大師堂前。文字確定。「○○二番 十王 十人組」
73番 我拝師山 出釈迦寺 釈迦如来 真言宗御室派 迷いぬる六道衆生救わんと 尊き山にいづる釈迦寺 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
川口。宇根。位置推定。
74番 医王山 甲山寺 薬師如来 真言宗善通寺派 十二神味方に持てる戦には 己れと心かぶと山かな おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
川口。大脇田。文字確定。「七十四番 光山寺」
75番 五岳山 善通寺 薬師如来 真言宗善通寺派 我れ住まばよも消え果てじ善通寺 深き誓いの法のともし火 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
川口。ミネギ。文字確定。「善通寺 六人組」
76番 鶏足山 金倉寺 薬師如来 天台寺門宗 まことにも神仏僧をひらくれば 真言加持の不思議なり おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
川口。井戸横。文字確定。「金倉寺 願主」
77番 桑多山 道隆寺 薬師如来 真言宗 願いをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まく欲しさに
川口。トウスヤ。文字確定。「道○寺 九人組」
78番 仏光山 郷照寺 阿弥陀如来 時宗 踊りはね念仏唱う道場寺 拍子をそろえ鐘を打つなり おん あみりた ていせい からうん
川口。ヒコシ下。位置推定。
79番 金華山 高照院 十一面観音 真言宗御室派 十楽の浮き世の中をたずぬべし 天皇さえもさすらいぞある おんまか きゃろにか そわか
川口。リンカツ。位置推定。祠の中。
本四国は崇徳上皇が崩御後安置された寺で天皇寺ともいう。
80番 白牛山 国分寺 十一面千手観音 古義真言宗御室派 国を分け野山をしのぎ寺々に まいれる人を助けましませ おん ばさら たらま きりく
川口。表参道伝六ロード交差点。左奥に「国分寺」
81番 綾松山 白峯寺 千手観音 真言宗御室派 霜寒く露白妙の露のうち 御名をとなうる法の声々 おん ばさら たらま きりく
川口。小段。位置推定。「三人組」
82番 青峰山 根香寺 千手観音 天台系単立 宵の間の妙降る霜の消えぬれば 後こそ鉦の勤行の声 おん ばさら たらま きりく
川口。リンカツ。文字確定。祠の外。「八十二ばん 永天寺」
83番 神毫山 一宮寺 聖観世音菩薩 真言宗御室派 讃岐一宮の御前にあおぎきて 神の心を誰かしらいう おん あろりきゃ そわか
丸山。小丸山下。文字確定。「一ノ宮寺 末廣講中」
84番 南面山千光院 屋島寺 十一面千手観音 真言宗御室派 梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武士 おん ばさら たらま きりく
丸山。丸小山山頂。文字確定。「八十四ばん 矢島寺 四人組」
本四国の屋島寺は屋島の高いところにある。元は島だが陸続きで高い山となっている。
85番 五剣山 八栗寺 聖観世音菩薩 真言宗大覚寺派 煩悩を胸の智火にて八栗をば 修行者ならで誰か知るべき おん あろりきゃ そわか
丸山。丸小山の東。文字確定。「八栗寺」
86番 補堕落山 志度寺 十一面観音 真言宗善通寺派 いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつ おんまか きゃろにきゃ さわか
丸山。丸小山道からさらに東へ。文字確定。「八十六ばん 志度寺」
87番 補堕落山 長尾寺 聖観世音菩薩 天台宗 あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ おんあろりきゃ そわか
丸山。増十屋。位置推定。
88番 医王山 大窪寺 薬師如来 真言宗 南無薬師諸仏病なかれと願いつつ 詣れる人は大窪の寺 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
一本松。位置推定。
高野山奥の院 小丸山の南西麓?
#かつてこの地は砂取り場であったが、今は尾道市文化財に指定されたダンジリの保管庫と民具を集めた倉庫がある。一宮寺の隣にはイ組ロ組の作った小祠がある。
☞1番から北へ向かって歩くと、かつて半鐘台のあった山田口に出る少し前に2番3番が道路の西側にある。
#山田口には道路改修碑と「右たくまはぶ、左中庄」の古い道路標がある。☞ここから有浜道を北に進む。
☞4→6→9→(6)→(三笠堂)→8→(降りる)16→10〜12→17→18
8→14 *1
9→11、12 *2
*1 柏原神社(荒神神社)からふくとく治療院のほうへ降りずに上坂のほうへ通じる細い道がある。これがかつての巡拝路だろう。
*2 須越奥池からさらに登り、農道を通って上坂の上のほうへ行く道もある。
☞4番。井上橋の西に島四国82番根香寺がある。その隣が4番。
☞4番、6番、9番、8番の順に参拝する。
✈️5番は53番のときにお参りする。
☞6番。4番から有浜道を北へ進んで、文化橋の手前で左折して須越道に入ると6番。さらに奥の須越奥池に9番。
✈️7番は18、19番の善興寺で参拝。
#9番。須越奥池は 年に作られた。現在半分土砂で埋もれているが、かろうじて溜池の面影を留めている。その池の西側の畑の中にある。ここが7番であると、須越から上坂(かみざこ)へと池の南西を通る巡拝路が推定されるのだが・・・。現在見られる石仏には「九」の文字がある。
☞9番の後は引き返して有浜道まで戻り、三笠堂前を公民館のほうへ進む。ふくとく治療院の前から8番へ上がる。
☞ダバオの西、ふくとく治療院の前を南(権現山方向)へ登る。#かつて重井四廃寺のひとつ無量寺のあったところは、後に荒神社となり「こうじんさん」と呼ばれていた。柏原土讃守土廟が建ち柏原神社となっている。その隣に島四国白峰寺があり、その傍に8番がある。本四国の讃岐白峰寺は崇徳上皇御陵があり、西行がお参りしたときのことは「雨月物語」に書かれてあり有名である。荒神社は瀬戸内海地方に多く、重井では、馬神新開遊水池のポンプ小屋の後ろに「馬神城荒神社」の小祠と細島に荒神社(重井四廃寺のひとつ長福寺の跡)がある。
☞9番の後に参拝する。
☞17番。上坂から西へ公民館のほうへ進むと弥八の手前の右側にある。
☞10番から15番がこの坂沿いにある。いちばん高いところが12番で、権現山登山口付近である。
☞16番。勉強堂より東へ1軒戻ると源兵衛屋で、その前にある。
#島四国80番国分寺の隣には郷新開住吉神社の小祠がある。駐在所横に大正橋改修の石碑がある。大正橋―青木道線を「新青木道」と書いてある。
#18番。善興寺の入口にある。この道は須越樋口道で年に改修された。その改修碑は公民館の庭にある。ここには他の石碑もある。
#19番。善興寺境内には芋地蔵堂の前に7番、19番、無縁墓地に48番がある。また島四国善通寺とその前に末広講、四国順礼像などがある。
☞善興寺での参拝を終わるともとの道に戻り西に進むと大出酒店(ヤマキ)西の四辻に出る。✈️ここで54番を参拝する。
☞20番の次は左へ山ノ神のほうへ坂道を登る。道の左手に山の神社があり、反対側に21番がある。
21番を終わるとさらに登り、ゴミステーションのところ(かつて山の神池があったところ)を右へUターンする。#左の丘が丸福公園のあったところで、さらに古くは天秀庵城跡で、船奉行片山数馬の居城である。北側の玉垣で囲まれた小祠は藤井神社で、ここからの眺望はまことによい。
22番。藤井神社、島四国74番甲山寺から西へ村四国は続くが22番は明神井戸のところにある。
23番。島四国74番甲山寺から、西へ進むと、右手の樋口へ降りる道のところに南無妙法蓮華経の石碑がある。南西の山側に23番はある。
24番。さらに西へ坂道を下るとやはり、左手山側にある。
厳島神社周辺は複雑である。
✈️28番。なぜか、東の浜の島四国86番志度寺内にある。
#島四国86番志度寺の登り口の反対側、郵便局の裏には青木新開住吉神社の小祠がある。
☞31番。明神さん周辺の参拝が終わると、バス通り沿いである。(島四国73番出釈迦寺の前を西に登り、突き当たりを北へ降りてもよい。)
#32番道路の反対側には南無妙法蓮華経の石碑がある。
☞ここが終わるとバス通りを明神さんの下まで戻る。バス停花壇の上(すなわち明神さんの北崖)が黄幡さん(黄幡神社)である。
&35番の西側にも小祠がある。これは、46番である。あわせて参拝。
✈️43番。ここは47番とともに。52番の次に廻るのがよい。
☞51番。東に向かい、岡崎医院を過ぎたら左へ。祇園さん山の縁にある。
51番からさらに北へ道なりに進み(右へ曲る)。小道の左手庭の前にある。
ここまでくれば、43番47番のある島四国高照寺がすぐである。
53番。国分寺。5番が国分寺内にある。
54番。53、54番は順路を逆にシテもよい。
ここはヤマキの下であるので、そのとき廻ってもよい。
55番次から重井川(大川原)の東へ入る。昭和橋の東、嘉衛門の前である。
55番。小祠の周辺にも文字がある。また隣には「開化橋」と書いた石柱がある。
55番から東へ進むと青木道に接する。そこのアパートのブロック塀沿いに11丁の白滝山の丁石がある。したがって白滝山の表参道が東の浜から始まっていたと推定できるが、郵便局から大師堂下までは青木道だから、白滝山の表参道は大師堂下からとしておく。
さて、昭和橋線と青木道との三叉路からを青木道を大師堂方面に進むと、左手の青木山(地王山)麓に青木の金比羅さんがある。入り口の目印がないのでわかりにくいが、左に長い進入路を進む。鳥居の下から石段を登る。石段が右にカーブするあたりにある。境内には金比羅大明神と長衛門が祀られている。
57番。金比羅神社から再び青木道に戻ってさらに大師堂方向へ進む。タツミ自動車前の交差点をさらに進むと左手の崖下に九丁の白滝山の丁石がある。同じ崖の右手に57番がある。ここから折り返して東の浜郵便局を目指す。
58。青木道と大正橋線との三叉路を過ぎるとまもなく右手に青木道路改修碑と58番がある。
59番。郵便局の手前の右の階段を上がると島四国志度寺である。
65番次は観音山(かんのんさん)(白滝山)の上である。歩き遍路では、64番からフラワセンターの前を通って、その先で左折して西洋館を目指そう。もし時間があれば、三叉路の下手にある岡本家の白塗塀の一部に切り込みがあり、岩が見えているので、拝見させていただこう。斜め上から見ると岩に小さな穴が穿たれている。盃状穴である。安産や子授けの祈願をした民間習俗で、重井には明神さん(厳島神社)と一本松と、ここ岡本家の3ケ所にある。一本松のものは現在中庄金蓮寺史料館の前にある。
白滝山の表参道は正式には西洋館の塀沿いの石段道を登る。途中で百華園からの道が合流し、伝六さん(通称墓所)の下で駐車場から来る道と合流する。仁王門を過ぎて右手に行くのが「くんぐり道」でくぐり岩や島四国85番八栗寺や奥の院がある。これは帰路通ることにして、左の表参道を通れば大日如来像が岩の上にある。枡を頭に載せているようなので、古くから「ますかべりさん」と親しまれてきたものだ。
65番。観音堂前の石仏群には4体の摩崖仏を含めて17体ある。既に村四国に慣れた目にはこのうちのどれが村四国かすぐにわかるだろう。それが65番である。
次は南の石段を登って山頂広場に出る。左に廻ると投身大の林蔵像の後ろにあるのが島四国番外寺白滝観音堂である。
次は鐘楼前へ行こう。南向きの弘法大師立像の前に四国八十八カ所ご本尊の小祠がある。その周辺の西向きの石仏群の中に66番がある。
白滝山からの下山
下山はトイレと事務所の間の裏参道がおすすめである。まもなく左手に塩釜大神の磨崖仏が2体ある。ご利益は子授け安産である。まっすぐ降りれば一丁のところで表参道と合流する。あるいはここで左折して塩釜さんをへて表参道へ合流してもよい。
一丁を過ぎて馬の背に至ると右が白滝フラワーライン8合目駐車場行き、左がクングリ道。左へ進路を取る。やや急な石段である。島四国八栗寺がある。左の細い道が白滝山奥の院への道であるが、柵がないので危険である。
次はどのルートでおりてもよい。自動車道でもよい。百華園を降りたら、南へ出て、西洋館のほうへ少し上がる。すぐに68番である。
西洋館の下の家の前にある。次は表参道を下る。白滝山道路改修碑がある。
まもなく伝六ロードと交差する。ここで参拝順を変える。地図参照。
参考順 80番 71番 72番 折り返し 71番 69番 かしはら電機下で再び伝六ロードへ戻って南へ。73番。
70番。50番繁多寺のある砂原島四国78番郷照寺の境内にある。
しげいみち