2015年5月29日金曜日

尾道市因島 因島城跡物語 序章

いんのしまみち 因島城跡物語⬅️ 序章 ➡️中庄小丸山城跡物語
伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

序章

いきなり城跡では、話が唐突なので、それまでの歴史を少し記しておきたい。
因島が歴史上はじめてあらわれるのは、よく知られているように、日本三代実録にある

授備後國無位隠嶋神從五位下

とある878元慶2年12月15日のことである。
鳴くよ鶯の平安時代になって約80年が経過している。

しかし、それ以前から人が住んでいたのは確実で、考古学資料から推定するしかないが、複雑な海岸線と温暖な気候から考えて、早くから人が住みついていたことは想像に難くない。

因島大橋架橋ならびに関連道路建設にともなう土木工事において、因島地区では重井町大石遺跡が文化財保護法の適用を受け、因島市教育委員会によって、1978昭和53年9月25日から10月12日まで試掘調査、1979昭和54年4月14日から10月31日まで発掘調査が行われた。
そこでは、弥生時代中期と推定される竪穴式住居跡2軒、近世の溝状遺構14本のほか、土器、石器、鉄製品などが発掘され、以下のような所見が得られた。
弥生時代中期の部族間抗争に関した砦、見張り台らしき遺跡の存在、石器の製作が行われた、弥生時代中期に因島にも鉄器が入っている、狭い沖積地と谷川を利用して、少人数で農耕生活を行っていた。

このことは、因島が離れ小島ではなく、人と物の交流が、早くから海を通して行われていたことを物語っている。そして、統一国家が成立し、律令制が行われれば、その支配下に組み込まれるのは当然であった。さらに海運の発達とともに、瀬戸内海が海の動脈として通商に活用されると、そのことはいっそう強められ、国家の趨勢と無縁であることは許されなかった。

因島全図。緑でない部分は、江戸時代以前は海であったところ。


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