2015年5月17日日曜日

因島中庄町 小丸山城跡物語

いんのしまみち なかのしょうみち 序章⬅️ 中庄小丸山城跡物語 ➡️片刈山城跡物語
伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

小丸山城跡物語


2015.7.14.


2015.7.14.画:


城郭配置図。Yahoo地図へ田中稔「因島史考」の図を参考に書き加えたもの。


水軍城より見た小丸山。右に中庄八幡神社。
[所在地]因島中庄町釜田
[標高]
[城廓]丘陵先端に二段の砦
[城主]初代地頭釜田兵衛
[史跡]荒神社横に、初代地頭釜田兵衛の屋敷跡
[現状]崩壊して砦跡は見られない。樹齢五百年位の西條柿の樹がある。屋敷跡は個人宅。
[その他]城跡の下の延命寺幡地家には崩壊で出土した五輪塔や幡地家先祖の碑がある。
[交通]大川橋バス停から徒歩10分。中庄八幡宮駐車場から徒歩5分。

中庄のお宮は、相撲で有名だが、大きな馬の像があったことをかすかに覚えている。小学校の遠足で行ったような気もするが、確かではない。あるいは、まだ車といっても荷車の時代、入川橋のところにあった宮地医院へ祖母に連れられて、祖父を連れていった帰りに寄ったのかもしれない。こちらは幼稚園に行く前のことだろう。どちらの記憶も曖昧で、はっきりしない。しかし、金属でできた馬の像だけは覚えている。・・・果たして、本当に馬の像があるのか、50年以上経って見に行ってみた。確かにあった。だから、一度来ていることは証明できた。だが、何時?それはわからない。同級生に小学校の時の遠足で行ったか、訪ねてみるしかない・・・。

その中庄のお宮は、かすかな記憶よりはるかに立派で、記憶にまったくない駐車場が石段の下に道を隔ててあった。その駐車場の東のほうで、目を南に向けると、家があって、家と家との間に、山なのか、庭なのかわからないほど、木のよく繁っているところがある。もし、その周辺に大きな、異常に大きな柿の木を見つけることができれば、そこが小丸山城跡である。すなわち、小丸山城跡は、中庄八幡神社の神域の東の端のほうにある。


一応、歴史の授業で守護地頭という言葉は習っている。鎌倉時代、鎌倉幕府のところだろう。しかし、地頭の実態となると一冊の本でも書ききれないぐらい複雑である。それを生半可な知識で書くと、却って誤解のもととなる。だから、自分でお調べ下さい、と書くしかないのだが、それではブログの意味が無くなるので、誤解を承知で書いておこう。
一言で言えば、荘園制を切り崩す楔が地頭だったのだ。義経に比べて頼朝は人気がないが、頼朝は政治家としては日本史上ベスト3に入れてもよいぐらいの天才だった。
荘園制度の歴史も複雑であるが、その複雑な歴史を経て、太閤検地でもって荘園そのものは完全になくなる。荘園制度という古い制度を崩壊させるまでに、それほど長い歴史が必要であったように、一部の有力者の既得権を剥奪するということは大変なことなのだ。それに挑んだのが鎌倉幕府の地頭なのだ。
一方、われわれは守護が県知事、地頭が市長ぐらいの素朴なイメージを抱いているが、それはそれでまた間違いはなかろう。警察権や司法権もあった。だが、それだけではなかった、というわけである。