伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之
一ノ城跡物語
2015.7.14.
城郭配置図。Yahoo地図へ田中稔「因島史考」の図を参考に書き加えたもの。
地蔵鼻から。
小早川家の墓。
[標高]202.7m
[城廓]本丸、東へ二段、北東へ七段。
[城主]1344〜1427、蒲刈小早川氏
[史跡]郭間に石垣、土塁、空堀。
[現状]本丸跡の平坦地がある。その前(西)に土塁、空堀。本丸跡から東へ下がると二段の平坦地がある。本丸跡から北東へ下がりながら七段の平坦地。ただし、どれを郭跡の平坦地と数えるかは難しい。
[その他]椋浦町に館跡、西方の蜜柑畑の中に小早川家の墓がある。
[交通]椋浦峠長戸庵大師堂から徒歩20分。
[歴史][歴史]観応2年(1351)12月、小早川貞平が因島地頭となり、また至徳3年(1386)に小早川弘景が三庄領家(庄園管理者)になった。いずれも蒲刈小早川氏で、因島村上氏が因島に来るまでの約80年間、蒲刈小早川氏が因島の支配者であった。
小早川氏というのは関ヶ原合戦後、蒲刈に移住した小早川氏の一族という意味である。
三庄の地蔵鼻から北方を見ると、奥山の東中腹から東(右手)へ雄大な山塊がなだらかに伸び、最後は急降下して備後灘へ陥入しているのがわかる。椋浦町の鶴ケ峰である。
鶴ケ峰の山頂(202.7m)を中心に一ノ城はあった。山頂の主郭から東側に下がって尾根が二つ伸びている。南側の尾根筋には二段の郭跡、北側すなわち、山頂の主郭からは北東に七段の郭跡が残っている。