伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之
百梵山城跡物語
2015.6.16.
[所在地]因島三庄町百梵。
[標高]82.4m
[城廓]本丸、二ノ丸、三ノ丸、武者走り(三ノ丸から本丸へ、二段)、東北、東、南東に削平地。
[城主]船奉行片山数馬
[史跡]本丸南方の石垣、武者走り。
[現状]東山麓に権現社(熊野神社)、東の削平地に天神社跡、その西に片山家の墓。墓地は近代のものと考えられる。
[その他]南東の削平地よりやや東に遍路道の道標。権現社の中に島四国、種間寺。
[交通]善徳寺下バス亭より徒歩15分。
[歴史]
三庄の百梵山(百分山)城跡は、村上水軍の船奉行(本によっては船手奉行)片山数馬の居城だったということで、とりわけ興味深い。
土生から三庄に行く自動車も通れる道は、南の安郷の隧道を抜けていく道と、北の土生の郷から峠を越えて千守の海岸へ出る県道の二つしかない。
北の土生の郷と三庄との境界の峠は現在は切り通しになっていて、椋浦峠から観音寺、善徳寺の下を通る船方道を通ってきても、一度、切り通しの底になる県道に降りなければならない。そこで再び南側に上がると因島公園やテレビ塔のある天狗山(浅間山)への山道が始まる。
多くの山道がそうであるように、ここもはじめは畑道である。右手に、一部が水に浸った枯れ木の上で亀が甲羅を干していたり、野鳥が餌を探しているため池が、灌木のすき間を通して見える。百分池である。百分池への入り口付近で左、すなわち三庄側の山への登り口が見つかれば、登山道とういうほど整備はされていないが、頂上まで登れる。そこが百梵山城跡の本丸付近である。
百梵山へ登らずに左右に蜜柑畑を見ながら少し左へ旋回しながら南方へ登っていくと、急に三庄側に視界が開けて、南に続く山稜と百梵山が隔てられているところに出る。よく見ると畑と畑との間に三庄側へ降りる人一人がかろうじて通れる草道が伸びている。実はこれは旧遍路路なのである。
石井坊薬師堂にお参りして、そしてハリコ大師とともに善徳寺内の34番雪渓寺でのお参りを終えて、次の権現宮(熊野神社)にある34番種間寺へはかつてこの道を通ったと思われる。少し草道を進み山の中に入る前に右に下り、竹薮の縁を反時計回りに下れば権現宮である。
草道を右折せず、そのまま竹薮と山との境になっている山の中を突っ切って下れば、片山家の墓や天満宮跡の近くに至る。これは、百梵山城跡の項で紹介してある。
さて、草道に行かず、左手に農小屋や、雨水を溜めた捨て小舟などのある畑を二段ほど登ると、今は耕作されてない畑らしきところを灌木が覆っている平地があり、さらにその奥に少し低くなった平地がある。これを尾根をはずさずに進めば、百梵山城跡の本丸跡に至る。ただし、瀬戸の日射しを受けた灌木・棘は夏の間に猛烈に成長するから、いつでも通れるかは保証の限りではない。
実は、片山数馬の居城と伝えられるところは、重井にもある。山ノ神と伊手樋の間といっても、わかる人は少ないだろうし、藤井神社のあるところといっても、やはり知らない人が多いだろう。公民館より少し西に行ったところにある田頭酒造の上の辺りと書けば多少はわかってもらえるだろうか。片山城跡とか天秀庵城跡と呼ばれる。
そして、三庄でもそうだが、その周囲の字(あざ)が片山である。
重井には村上吉充が本城とした青木城跡と、見張り所の馬神城跡と、この天秀庵城跡と細島茶臼山城跡などががある。この片山数馬が同一人物だとすると、村上水軍の最後の時代と考えられる。
なお、重井の権現山(竜王山)の中腹は遠見山とか「とおみんさん」と呼ばれているところがあり、これは狼煙(のろし)を見る場所という意味だから、水軍ゆかりの地に加えてもよいだろう。
さて、三庄に戻って、現代の感覚では、どうして村上水軍がこんな山の上に、と思うだろう。しかし、当時は内陸部まで海が迫っていたに違いない。土生の郷の近くには江の内とか湊という地名が残っているように、我々の想像以上に海は百梵山から近かったのではなかろうか。おそらく変電所の下辺りまで。
今は因島南中学校になっているところは、因島高校があったところである。そこの正門は坂の上にあったが、坂の下は、湊橋から大山神社、天理教会、あるいは市民会館入口あたりからでも、ほぼ平地であった。(排水のために多少の傾斜はあった)。
余談になるが、湊かなえさんも熟知されている土地である。だから、ペンネームが・・・と思うのは勝手だが、どこかのエッセーに姓と名を逆転させて云々と書いておられた。ついでに書けば、「望郷」の中で高校の帰りに出て来る魚屋さんというのは、市民会館入口のところにある魚屋さんが想起される。あの辺りはかつて、江の内と呼んでいたが・・・。
もっと詳しく書けば、因島南中学校前の信号辺りか、坂道が始まるので、おそらく、ある時代はその辺りが海岸線であったのだろう。水軍マラソンではないが、百梵山の山頂から、武者走りというのが見つかれば、そこを通って、上記信号まで何分で走れるか試みるとよいだろう。
三庄側もすぐに海で、予想外に近かったのではなかろうか。
ということで、この城は守りの城ではなく、攻めの城だったのではないだろうか。
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