2015年5月18日月曜日

因島重井町 馬神城跡物語

いんのしまみち しげいみち 青木城跡物語⬅️ 馬神城跡物語 ➡️天秀庵城跡物語

伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

馬神城跡物語


2015.7.14.



城郭配置図。Yahoo地図へ田中稔「因島史考」の図を参考に書き加えたもの。
白滝山から。青は昔の海。





[所在地]因島重井町馬神。馬神山山頂。
[標高]96.1m
[城廓]本丸、二ノ丸(西南部、一段低い)。南西部に大手口。
[城主]第三家老末永景光
[史跡]二段の平地が残っている。北側の崖下に石切り場跡。
[現状]二ノ丸跡に馬神大明神、妙見大菩薩、大山神社の小祠がある。
[その他]当時は島であって、天秀庵と岩礁の上に架けられた橋で結ばれていた。
[交通]重井西港から徒歩20分。
[歴史]村上吉充が向島余崎城より青木城に移ったとき、馬神城も作られた。
吉充は三原の城下町に習い、東(白滝山麓)に下臣団を住ませ、西を市場街として大疫神社(祇園社)をその守り神とした。市場街の名を留める「大小路」近くが海岸線だったのだろう。


ここも最初に、読み方について書いておきたい。
馬神は「まじん」とは読まない。「うまがみ」である。
これは「日本城郭大系」あたりが「まじん」とルビをふったために、森本繁さんなども踏襲されたものと思われる。テレビアニメなら「まじんやま」とか「まじんじょう」と書けばかっこよいかも知れないが、重井の馬神は「うまがみ」である。

ここは重井西港を見下ろせる除虫菊畑のあるところで、ある意味では因島の最大の観光スポットである。除虫菊畑は西の斜面にあり、午後の陽を反射した重井西港はまことに美しい。緑の海に白い航跡を残して、高速艇やフェリー、細島航路のこまたきなどが発着する。これらと朱に塗られた桟橋の取り合わせがおもしろい。さらに潮の干満によって、海の表情はがらりと変わる。特に大潮の満潮になると、溢れんばかりの海水が道路すれすれまで達し、その海面に写る景観の妙も楽しい。
瀬戸内海の中央よりやや西に位置するこのあたりでは、大潮の昼だたえと言って、正午に満潮、6時間後に干潮であるが、一日に約一時間遅くなる。
除虫菊の咲く初夏のころの日の入りは7時前後で、薄暮の時間も長く、いつまでも暮れない海面は夕空とともに変化し、そこに船舶や街の灯が反射して揺れる。これらと満開の除虫菊の白い花を重ねて撮ろうとするマニアで、段々畑は暗くなるまで賑わう。

馬神城跡への登り口は、その除虫菊畑のある農道をさらに岬の先端を目指して進むと、竹薮を過ぎて、大きく右へ迂回したあたりに案内板があるので、そこから登る。登らずに少し行けば石切り場の跡である。浮城と呼ばれ、これこそ水軍城と呼ぶにふさわしい三原城の築城に使われたと言われる。三原城と周辺史跡の多くは、工場進出だの新幹線工事だのと、都市化とともに失われていったが、その勇姿の半分でも甦れば、因島の水軍城などは吹っ飛んでしまうに違いない。


因島城跡物語 序章 中庄小丸山城跡物語 片刈山城跡物語 島前城跡物語 竹島城跡物語 堂崎山城跡物語 一ノ城跡物語 茶臼山城跡物語 竹島箱崎浦合戦 長崎城跡物語 荒神山城跡物語 青影城跡物語 山伏山城跡物語 大江城跡物語 天神山城跡物語 土生小丸城跡物語 百梵山城跡物語 千守城跡物語 三庄土井城跡物語 美可崎城跡物語 幸崎城跡物語 大浜土井城跡物語 青木城跡物語⬅️ 馬神城跡物語 ➡️天秀庵城跡物語 細島茶臼山城跡物語 終章 参考文献