2015年5月14日木曜日

因島土生町 小丸城跡物語

いんのしまみち はぶみち 天神山城跡物語⬅️ 土生小丸城跡物語 ➡️百梵山城跡物語
伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之

小丸城跡物語


2015.7.14.


2015.7.14.


城郭配置図。Yahoo地図へ田中稔「因島史考」の図を参考に書き加えたもの。

周辺図。







[所在地]因島土生町郷。
[標高]142m
[城廓]本丸、二ノ丸、三ノ丸。
[城主]第二家老稲井家治
[史跡]居館(対潮院)、公卿(朝家)屋敷跡、宝持寺跡、荒神社。
[現状]本丸跡に岩。宝持寺跡(石塔約150)、荒神社は宝地谷にある。宝持寺跡には石碑。
[その他]宝地谷には弥生中期後期初頭の住居跡二基、溝状遺構、袋状土壕などが出土。
[交通]変電所前バス停から徒歩15分。
[歴史]土生の郷はその名が示すように早くから開けたところである。因島村上氏の時代になって、第二家老稲井氏の城塞となった。居館は現在の対潮院であったが、江戸時代の庄屋宮地氏の宅も稲井氏の屋敷跡(現在も石垣が残る)だったとすると、小丸山は砦、見張り所だったのだろう。天狗山を経ての長崎本城への往来、大山峠を経ての中庄への往来等、地理的にも要衝の地であったと思われる。近くの丘には木野山砦もあり、百梵山城跡とともに、広い範囲にわたって関係者が住んだと思われる。


土生の小丸城跡は土生と三庄との境界となっている天狗山縦走路の北寄りにある。
三庄へ行く、土生町郷の峠のところから南に農道、百梵池、畑道が続くので、これを道なりに山道を登れば、思いがけなく平坦な尾根に出る。

ここが小丸城跡で、今来た道の方角が善徳寺という案内板がある。城跡は善徳寺方向ではなく北西に伸びる尾根のほうにも続く。こちらへ行かず、南方向、天狗山を目指して尾根を進む。近くに明徳寺の山四国の案内板などがあるだろう。やがて、かなり広く岩のあるところに辿りつく。このあたりが本丸跡である。
この平坦地は遠くからでもよくわかる。例えば、田熊の山伏山頂上から見ても、見事な台形に見える。この辺りを中心に小丸城はあったと思われる。

また、別のルートとして、土生の変電所の南、空谷から登る道もある。
変電所の上の才の池の隣りに島四国がある。ここを西に下ると少し開けた谷にでる。谷の西から南東に登る農道がある。空谷農道と近くの石碑に書いてある。この農道の上を鉄でできた小さな橋が渡してあるので、その橋の下を過ぎたら右後ろを振り返ろう。そこが宝地谷の宝持寺跡で、第二家老稲井家の菩提寺跡である。さらに下りると郷荒神社(須佐神社)がある。
さて、小丸城跡であるが、鉄塔の下を通って尾根まで出たら、今度は左(北方向)へ進もう。このあたりにも山四国の案内がある。尾根を北に進めばやはり本丸跡に出る。

さらに、因島南小学校の近くからのコースがある。
これは、大山神社東の小学校前から入り、グランド沿いに南東・南に進むと溜池がある。溜池の
手前の三叉路を山へ入る。石切り場を経て、道なりに登ると、やはり尾根筋へ出る。左へ進むとすぐに山四国がある。この尾根道を北へ進むと、空谷から上がってきた道と合流する。さらに北へ進めば本丸跡である。