伝説とロマンの島 因島城跡物語 著者 柏原林造、住原俊治、村上知之
茶臼山城跡物語
2015.7.14.
城郭配置図。Yahoo地図へ田中稔「因島史考」の図を参考に書き加えたもの。
[所在地]因島中庄町茶臼。
[標高]126.2m
[城廓]本丸、二ノ丸、三ノ丸、段状地(2カ所)、屋敷跡。
[城主]大鳥義直
[史跡]本丸跡、二ノ丸跡、三ノ丸跡。
[現状]本丸跡に石碑。二ノ丸跡付近に鉄塔。
[その他]屋敷跡の路地を隔てて山側に中世武家屋敷の面影を伝える徳井家住宅がある。東側中腹に松浦家祖先之碑。
[交通]西浦峠(青影トンネルの上)から徒歩10分。
[歴史]島前城の今岡通任は小早川に対抗するために茶臼山城へ大鳥義康(本によっては義直)を入城させた。広沢五郎を敗走させた後、堂崎山に小早川がいたのだろう。
茶臼山へは西浦峠から登る。峠道の北側の少し高くなった所に塞の神の小祠がある。おそらくそのあたりが、こちらからの登り口だったのだろう。
もちろん、屋敷跡というのが、中須賀池の三叉路の北、古風で珍しい長い竹壁で一際目につく徳井屋敷の下のほうに考えられるから、こちらからの登り口があったに違いない。こちらのルートは後に畑道として使われ、更に孟宗に侵略されて、今は竹薮の中に埋もれている。
西浦峠からは、蜜蜂農場の脇を通らせてもらい、鉄塔近くで右後方へ旋回して頂上を目指す。鉄塔の下辺りが三ノ丸で、そのまま南へ行けば二ノ丸。二ノ丸の方へ行かずにさらに一段、南東へ上がれば本丸跡の広場に至る。
ここで、忘れてはならないことは、西浦の県道沿いにある白壁の優美な臼岬神社が、茶臼山城に由来することである。西浦へ伸びる尾根の西端に見張り所があり、事代主を祀ったのが臼岬神社となった。社名から茶臼山と岬信仰が連想される。臼岬神社は後に出雲国須佐之男神社から勧請して、須佐之男神を祀るようになった。
ここからやや北に行った重井の長浜、因島高校のやや北側、ちょうど万田発酵(株)のトレードマークである巨大大根のところを権現山に向かって入ったところに、塚本神社(塚本さん)というのがあって、事代主が祀られている。おそらく臼岬神社から勧請されたものであろう。(もし、現在、臼岬神社で事代主が祀られていないとしたら、須佐之男神勧請のとき、放逐されてここへ来たということになる。)
西の尾根のみならず、東のやや北よりの尾根は、今は竹薮と化し、山頂へ続く蜜柑畑のおちこちに散見される見事な石垣は後のものかもしれないが、古城の延長だったような連想を誘うに十分な光景である。