かなり前ある政治評論家が、自分の残された時間が少なくなったので『論語』『ニコマコス倫理学』『法の精神』の三冊に限って読んでいると「週刊文春」に書いてあった。三冊に限定できるところが凄いと思った。よく無人島に1冊だけ持って行く本として何を選ぶかというようなことが言われる。『歎異抄』が多いとか。これは例え話であるから、適当に聞き流しておこう。そういう宣伝文句につられて読んでも無駄ではないが、やはり難しい。
さて、因島文学散歩の会で、時の人、渋沢栄一の『論語と算盤』を読んでいるのだが、『論語』を読む会を別に開くことになった。『論語』というのは不思議な本で、その学び方までその本の中に書いてある。「学んで時にこれを習う、亦説しからずや」と。学んだことを時々自分流に反復して、それが愉しくなくてはならないということである。また指導者には「我日に三省す、・・学ばざりしを伝えしかと」という耳に痛いことも書いてある。これは教師業をしていた時読んで冷や汗が出たものだ。
荻生徂徠か伊藤仁斎かを読んでいたら、「近頃の素読と言えば論語ばかり読んでいる。孟子を読まなければいけない」と書いてあった。確かに論語は短文が多く読みやすいが、孟子は格段に難しい。だから孟子で素読した方が力は早く着くだろう。徂徠は中国風に読むべきだと言った人だから、こんなことは言わないと思うが、現在でも素読は論語が定番である。それでいいと思う。
素読(そどく)と言うのは不思議な学習法である。もちろん、その前提となる漢文の訓読というのもまた不思議な翻訳法である。翻訳法というのが不適切なら外国語の学習法と言ってもいい。その最大の特徴は読む順序を日本語に合わせるということである。そのために読む順序を表す補助的な記号をつける。これを「返り点」という。同じ文字を使っていても話し方が違った故に起こった発明である。もちろん徐々に改良されたのであろうが。
スマホというのは素晴らしい魔法の小箱である。そしてもう一つの魔法の世界であるインターネットにどこででも繋がるのが凄い、と従来型の携帯電話、いわゆるガラケイ愛用の私でも思う。いや、そこまでは従来でも可能だった。それをフツーの人が、ほとんどの人が持っているところが凄いのである。だから、本会の資料でも、文学散歩のテキストでも、あるいは論語を読む会でも、本を買ったり、コピーを配ったりしなくても画面で読めばよい、と思っていた。ところが、本を買いましょう、ということになったので、論語を読む会では、全文の載っているもので、岩波文庫、中公文庫、朝日文庫、講談社学術文庫を見て比べてもらったら、活字の一番大きい講談社学術文庫を使うことになって全員が買うことにした。この本は、原文、書き下し文、現代語訳、語句の注の四部構成である。原文はいわゆる白文で返り点などの読む順序はついていない。ノートを2冊準備してもらい、1冊は上記のどの部分でもよいからひたすら写していく。10冊もたまれば、少しは賢くなったと思えるだろう。もう1冊はいわゆる学習ノートで、原文を写し、返り点などを書いたり、辞書で調べたりしたことを書く。こういう会は、どんな形でもよいのです。とにかく続けることです。続けているうちに自ずから形はできる。本会も例外ではないのです。
江戸時代の寺小屋で漢文の、と言っても論語のと言った方が良いのかもしれないが、その素読(そどく)は行われていたのかは知らない。漢学塾というのではもっぱら素読が中心だったのではないかと思っている。原文(白文)を見ながら、訓読文を何度も音読反復する。ものがない時代だから今のように訓読文を印刷したものを見ることはなかったと思う。原文のテキストがあるだけだ。少しすると原文を見て自分で声に出して言うことができるようになる。読めたのではない。覚えていることを言っているに過ぎない。やがて論語の「学而 第一」が皆言えるようになる。そして「為政 第二」が同じように言えるようになる。読めたのではない。覚えていることを反復するだけである。やがて、論語が終わる。「孟子」も終わる。徳富蘇峰が10歳になるかならない頃、『四書』『五経』『左伝』『史記』『歴史網鑑』『国史略』『日本外史』『八家文』『通鑑網目』なども読み、兼坂諄次郎から習うべきものも少なくなった、と言われるのはそういうことだろう。いつの頃からか、「覚えたことを言う」のと「読める」という区別がなくなっていたのだと思う。素読というのはそういう学習法なのだと思う。鴎外と露伴は抜群、荷風になると・・と言われるのは漢文の力のこと。学習の方法と量が違うのだ。
孔子について
良き教師は方向性を指し示す。すなわちこの生徒はこう教育すればこういう人間になるだろうと梅原猛は言い、孔子はまさにそのような教師であったと言う。(著作集18、p.180)
釈迦、孔子、ソクラテス、イエスの世界の四聖は「人類の教師」であった。和辻哲郎『孔子」(全集6巻、p.263。新潮文庫)
儒教について
われわれは、漢文の時間に、単語の解釈として孝とか礼教とかいうことばを習ったが、朝鮮のような、氏族や血族または村落秩序に儒教が生きてきた社会に接すると、日本には古来儒教は書物としてしか存在しなかったということをおもわざるをえない。司馬遼太郎『街道をゆく8』、朝日新聞社、文庫版、p87