2021年11月20日土曜日

沼隈町パラグアイ移住団の渡航船について

- 沼隈町パラグアイ移住史研究(2) -

 

1. はじめに

広島県沼隈郡沼隈町のパラグアイへの集団移住は,昭和31年から33年にかけて,12回に分けて行われた1)。 筆者は既にその渡航日(神戸港出航日)について明らかにした2)。本稿では同様の方法で,渡航船の船名を公刊資料に基づき明らかにした。本稿では,船名の確定に留め,排水量,船籍,航海の状況等については別稿で考察することにする。

 

2.方法

船名については,主として沼隈町広報に基づき,他の資料と照合した。なお,ここで記す渡航日とは,神戸港出航日のことである。

 

3.第一陣の渡航船について

第一陣については,『広島県移住史 通史編』に「6家族37人が昭和31年10月7日,金明会館での壮行式ののち,あき丸で神戸移住斡旋所に向かい,約一週間の訓練を経て,10月15日オランダ船チチャレンガ号で出発した」3)とある。 この記述は,『広島県移住史 資料編』のサンデー毎日の報道とも一致する4)。 これは「沼隈町広報」(昭和31年10月1日)にも記されている5)。以上のことから,第一陣(1956年10月15日渡航)の渡航船はオランダのチチャレンガ号ということがわかる。

 

4.第二陣の渡航船について

第二陣の渡航日については,「沼隈町広報」(昭和31年11月15日)の記事に「南米移住第二陣出発 11月2日出帆の大阪商船アメリカ丸」6)とあることから,第二陣の渡航船が,アメリカ丸であることが確認できる。なお、後述の第五陣の表記に合わせて「あめりか丸」とする。

 

5.第三陣の渡航船について

第三陣の渡航日については沼隈町広報には記されていない。(渡航日については「1956年12月5日渡航」2)と推定した。)『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』(以下『栄光への礎』と略記)の他地域の動態表の中に渡航日を記したものがあるので参照すると,チェベス地区の第15次入植者のところに「1956年12月5日ぶらじる丸 1957年1月30日エ市着」7)とあるので,第三陣の渡航船の船名は「ぶらじる丸」であることがわかる。

 

6.第四陣の渡航船について

第四陣の渡航船については沼隈町広報昭和32年1月5日に,「南米移住第四陣1月15日,テケルベルブ号(1万4千トン)で,南アフリカ経由で」8)とあるので,第四陣の渡航船はテゲルベルグ号(1万4千トン)(南アフリカ経由)だと確定できる。なおこの名称は『栄光への礎』の他地域の動態表に記載されている表記9)に合わせた。

 

7.第五陣の渡航船について

第五陣の渡航日については沼隈町広報昭和32年3月15日に,「南米移住第五陣出発 4月2日出航あめりか丸にて」10)とあるので第五陣の渡航船を,あめりか丸と特定できる。

                  

8.第六陣の渡航船について

第六陣の渡航日については沼隈町広報昭和32年7月15日に,「フラム第六陣出発 7月15日神戸港出帆のルイス号に乗船」11)とあるので,第六陣の渡航船を,ルイス号と確定できる。

 

9.第七陣の渡航船について

第七陣以降の渡航船についての記事を沼隈町広報に見つけることはできなかった。これは参考にした縮刷版が完全を期していないためであり,沼隈町広報に報じられなかったというわけではない。

そこで『栄光への礎』の他地域の動態表を捜したところ,アマンバイ地区に「第6次入植者 10家族 1957年10月2日あふりか丸 1957年11月23日入耕」12)とあるので,第七陣の渡航船は「アフリカ丸」だと確認できる。

 

10.第八陣の渡航船について

第八陣の出航日は,1957年12月30日である。『宮崎県南米移住史』13)によると1957年12月30日にぶらじる丸が出航していることがわかる。このことから,第八陣の渡航船は「ぶらじる丸」だと確認できる。

 

11.第九陣の渡航船について

第九陣の渡航は1958年4月17日である。『栄光への礎』の他地域の動態表を捜したところ,アマンバイ地区に「1958年4月17日ルイス号」14)とあるので,第九陣の渡航船は「ルイス号」であることが確認できる。

 

12.第十陣の渡航船について

第十陣の渡航日を1958年5月17日である。『栄光への礎』のチャベス移住地の動態表に「1958年5月17日テゲルベルグ」15)とあるので、第十陣の渡航船は「テゲルベルグ号」であることが確認できる。

 

13.第十一陣の渡航船について

第十一陣の渡航日は1958年7月4日である。『宮崎県南米移住史』に「1958年(昭和33年)7月4日発『あふりか丸』」16)とあるので、第十一陣の渡航船は「あふりか丸」であることが確認できる。

 

14.第十二陣の渡航船について

第十二陣の渡航日は1958年12月28日 である。その渡航船名は、現在のところ不明である。

 

15.結論

以上の結果をまとめると次の表のようになる。

 

 

渡航日(神戸出航)

渡航船名

第一陣

1956年10月15日

チチャレンガ号

第二陣

1956年11月2日

あめりか丸

第三陣

1956年12月5日

ぶらじる丸

第四陣

1957年1月15日

テゲルベルグ号

第五陣

1957年4月2日

あめりか丸

第六陣

1957年7月15日

ルイス号

第七陣

1957年10月2日

あふりか丸

第八陣

1957年12月30日

ぶらじる丸

第九陣

1958年4月17日

ルイス号

第十陣

1958年5月17日

テゲルベルグ号

第十一陣

1958年7月4日

あふりか丸

第十二陣

1958年12月30日

不明

 

16.おわりに

沼隈移住団の渡航船名について調べ,渡航日とともに記した。第十二陣の渡航船名については、今後の調査に待ちたい。

 

参考文献

1) 広島県、『広島県移住史 通史編』、p.597

        沼隈町教育委員会編集発行、『沼隈町誌 写真・資料編』、(平成16年12月)、p.92

2) 拙稿、「沼隈町パラグアイ移住団の渡航日について- 沼隈町パラグアイ移住史研究(1)-」

3)広島県、『広島県移住史 通史編』、p.597

4)広島県、『広島県移住史 資料編』、p.865

5)「沼隈町広報」 S31.10.1. 縮刷版、 p.53

6)「沼隈町広報」 S31.11.15. 縮刷版、 p.60

7)『パラグアイ日本人移住五十年史 栄光への礎』、p.329

8)「沼隈町広報」 S32.1.5 .縮刷版、 p.62

9)前掲書7)、『栄光への礎』、p.379

10)「沼隈町広報」 S32.3.15. 縮刷版、 p.66

11)「沼隈町広報」 S32.7.15. 縮刷版、 p.71

12)前掲書7)、『栄光への礎』、p.340

13)『宮崎県南米移住史』、p.530

14)前掲書7)、『栄光への礎』、p.344

15)前掲書7)、『栄光への礎』、p.329

16)『宮崎県南米移住史』、p.530