デベラ —せとうち抄—
十二月になると、鷹野橋商店街は平日でも賑わってきた。店頭で売られる商品の数々にも、歳末の装いが感じられるようになった。
信号が青になって電車通りを越えて、商店街のほうへ流れていく人々の足並みも、いつもよりせわしないように思われた。時おり肌をなでるように追い越していく寒風が人々を急がせる。人々は、足速に、そしてうつむきかげんに、アーケードのほうへ入って行く。
私もその人波に続いた。
幸いアーケードの下は、さきほどの寒風はこないので、やや日暮れていても、落ち着いた気持ちになった。
シャッターを下ろした銀行の前で、荷台を広げて、乾物や干物を売っているおばさんと目があった。日焼けした明るい顔の中で、きょろきょろと動く目が精悍だ。
「今日は安いよ」という声を聞くのと、立ち止まるのがほとんど同時だった。堆く積まれた昆布やワカメの隣にビニール袋に入った干しカレイが目に入った。傍に置かれた段ボールの切れ端に「尾道名産デベラ」と赤マジックで書いてあった。
あ、デベラか。郷愁に似た気持ちだった。デベラなんか自分で買って食べたことはない。でも、時々、それも毎年という訳ではないが、時々、実家にはあった。たいていが誰かがもってきたのもので、あると食べた。
「焙る前に、金槌か包丁の柄で、たたくようにして骨を砕いておくといいから」露天商のおばさんは、僕からお金を受け取りながらそう説明した。
そうか包丁でもよかったか。金槌でしか叩いたことのない僕は、妙に感心しながら、デベラを一束買って帰った。
自分で買ったのははじめてだ。それに、露天で買いものをするのも珍しい。
なぜ、こんな気持ちになったのだろうか、と考えていると、サエコとデベラのことを思い出した。サエコのことは今でもよく覚えているが、サエコとデベラのことは、すっかり忘れていた。
「少しですが・・・」
あれは、いつの頃だったのか。旧正月に帰省していたサエコが手みやげにもって帰って、母に渡していたのが、デベラだった。
その時は単なる干魚という印象しかなかったが、デベラという名前を聞いたのはその時がはじめてであった。
ウィスキーを飲みながらデベラを焼いて食べた。私が酒を飲むのはたいてい、十時を過ぎてからである。
私はその夜、買ってきたばかりのデベラを包丁の柄で丁寧に叩き、火で焙った。ファンで換気しているが、それでも香ばしい匂いが部屋を包んだ。干物を焼いたときの臭さはない。デベラはよく乾燥させてあるので、焼いたときの匂いもさわやかである。匂いというのは、場所の記憶と重なるのか、たちまちにして故郷のことが思い出された。
あの頃、といっても私がまだ小学校の低学年のころのことだが、家には下の弟の面倒をみるために子守りの子がいた。サエコといったその子は、私にとってもいい遊び相手だった。
何もすることがないときには、弟の子守りをするサエコについてよくいろいろなところへ行った。サエコがよく行ったところのひとつが、海の見える灯籠のところだった。八幡様への参道の途中だった。舗装もされていない、狭い道が丘のほうへ続いていた。畑に囲まれた切り通しの石垣を越えると見晴らしのよいところへ出た。そこから海が見える。そして、石でできた灯籠があった。
切り通しの石垣のまわりには蛇苺が鮮やかな赤い実をつけて、土ぼこりでくすんだ葉とは対照的に、夏の日を浴びて揺れていた。時々、石の隙間から砂を落として蜥蜴が走り出ることがあった。もしひとりで蜥蜴に出くわしたら、きっと怖くなっていたことであろうが、サエコがいたから平気だった。その石垣の恐怖を通過すると青い空がさらに青くなって、海の上に広がっていた。
石灯籠は一見不安定なように見えたが、いつ行ってもまっすぐに立っていたから、いつしか頑丈にできているのだろうと、勝手に想像した。何と言うほどのことはない、そのへんにころがっている茶色の石である。しかし、子細に見ると、茶色になった岩の割れ目は錆びた鉄のような濃淡があって、独特の意匠を形作っていた。
道を隔てて、農事試験場があった。百葉箱が置いてある気象観測場は芝生が植えられ、白ペンキを塗った木の垣が取り囲んでいた。ペンキの一部は剥げて、灰色の木肌が見えていた。芝生の中には銅製の雨量観測装置も埋め込まれていた。さらに、その奥には透明ガラスを鉄骨が支えた温室があり、高いところの窓が開閉できるように歯車や鉄棒がガラス窓に沿って固定されていた。その向こうには試験場の事務所や研究室が隠見していた。試験場の敷地は道より少し高くなっていて、その石垣は腰をかけるのにちょうどよい高さだった。
弟は乳母車の中でいつも機嫌がよかったから、サエコにとっては子守りは楽な仕事であったに違いない。だから、灯籠のとこまで行っても、ほとんど弟の世話などしなくてもよかった。その分、サエコは海を眺めていた。
そこからは、家からは見えない海が見えた。瀬戸内海だ。
海岸付近は埋め立てられて、周囲よりは少し低いところに畑があり、ところどころに水路があった。そこから山に向かってなだらかな傾斜地が続いている。灯籠は、その傾斜地を見下ろす位置にあったから、海と、向こうの小島がよく見えた。真っ正面の小島が小細島だ。その向こうに宿祢島があった。島の形は、潮の満ち具合で大きく変わった。特に大潮の日には、満潮のときは、崖の緑すれすれまで潮が来て、島は小さく見えた。逆に干潮のときは、不揃いな駱駝の隊列さながらに、普段見ることのできない丸まった岩礁が四方へその姿を現していた。海面から覗いた部分の岩は乾き、上のほうから天然のグラデーションが磯まで続いていた。
「サエちゃんは、灯籠のところが一番好きなの?」
「ん? どうして?」
「だって、いつも散歩に来るのがここだから」
「ぼくは、ここが嫌い?」
「いや、嫌いじゃあないけど・・・」
「だったら、いいでしょ。ここだったら、海が見えていいでしょ」
「サエちゃんも、海が好き?」
「海は怖いよ」
とサエコは言った。だが、私にはわかっていた。サエコはやはり海が好きなのだ。ここに来ると、生き返ったようだった。楽しそうに海を見ている。しかし、海が好きかと聞くと、必ず、「海は怖い」と言って、好きとは言わなかった。
船の家は揺れるから嫌いだ、と言っていたが、やっぱり海が好きだったんだ。
「でも、船の家にはもう帰らないの。一度船から上がると、陸でいい人を見つけて結婚するのよ。知ってる人もそうしてる」
「サエちゃん、きれいだから、きっといい人見つかるよね」
こういってサエコのほうを見ると、サエコは頬を染めて「大人をからかうものじゃないよ」と言って、笑った。
「サエちゃんは、まだ子どもでしょ?」
「船から出たら、大人よ」
「歳とは関係なく?」
「そうよ。年齢なんか関係ないわ。船から出ると大人よ。兄ちゃんも、大人になったから、結婚して新しい船作って、出ていったわ。そのとき、大人だから出ていくんだと、母ちゃんが言ってたわ」
「出ていくときが、大人か・・・」
「そうよ。次の兄ちゃんも大人になったので、出ていって新しい船で暮らしているわ」
「みんな出ていったら、親は困らない?」
「大丈夫よ。一番の下の子がいるから」
馬神の岬を廻ってきた巡航船が白い浪を後ろへ曳きながら桟橋に近づいた。桟橋に向かって、二度ポッポーと汽笛をならした。
たいてい巡航船は桟橋に着く手前で発動機を止めて、すべるように桟橋に接近する。そして前と後ろから二つのロープを桟橋に投げる。ロープが杭にかかると、発動機の音が大きくなって、舵を思い切り切ってスクリューが旋回を始めると舳先が固定されているので、艫が半円を描くように、桟橋に接近する。そのときの音が、聞こえてくる。
再び発動機の音が大きくなって船は桟橋を離れた。やがて、島影をまわって見えなくなった。
「あの山の向こうにサエちゃん家(ち)があるんだよね」
海は左右に広がっているが、ちょうど右手の方に山があって、海は見えない。その先のほうに、サエコの家があると言っていた。
「だから、サエちゃんもここが好きなんだ。ボクも好きだよ。海が見えるから。それに夕日もきれいだし」
確かに夕日は美しかった。夕日は三原のふでかけ山のほうへ沈むが、それまでに海の上に、何時間にもわたって写った。青い海が赤や金色に染まった。日ごとに異なる色合いに、サエコも私も見とれていた・・・
手元に目をやると、琥珀色のウィスキーがグラスの中で、夕日に染まる海のように輝いていた。crystalrabbit