良太が自転車で通りかかった。
「どこへ行くん? この暑いのに」
「暑いから、海へ行くんじゃが」
「うちも行く。待ってー」
「先に行っとくよ。あとで来いよ」
良太は自転車のペダルを思い切って踏んで、遠ざかった。
「意地悪!」
佐和は良太の背に向かって叫ぶと、走って家の中に消えた。ブルーに白の水玉模様のワンピースを脱ぐと、水着を着て、その上からワンピースを再び着た。黄色いバスタオルを持って走り出た。
自転車の前についた買い物かごに、バスタオルを入れると、納屋の柱にかかっていた女物の麦藁帽子を被った。自転車に跨り腿のあたりを見ると、濃紺の水着がワンピースの下に透けて見えた。頬が赤くなったが、すぐに気を取りなおした。気にする必要はない。誰も見る者はいない。そう思って笑った。
急いで良太を追いかけた。風が肌にあたってここちよかった。
佐和は角を曲がって、急ブレーキをかけた。崖から斜めに伸びた楠の下に良太がいた。良太はスタンドを立てて、停止した自転車のサドルに跨っていた。両足を軽くペダルにかけており、後のタイヤだけが静かに回っていた。良太のいるところだけが日陰になって、真夏の日に慣れた目には見えにくい。一瞬そこにいるのが良太だと気づかなかった。
「おどかさんといて。こんなところで何してん?」
「待ってやっとったんじゃが」
「待ってくれるんなら、ここで待たんでも、うちの家の前で待ってくれれば、急がんでも済んだのに」
「日が当たって暑いよ」
「そんなら、うちん中へ入ったら、納屋の下が日陰じゃが」
「バカ言え。家の前にわしがおったら、水着に着替えられんじゃろう」
「外から見えんとこで着替えるぐらいの常識は、うちにだってあるわよ」
と笑ったが、良太の言うのももっともだった。簾を吊ってあるとはいうものの、表も裏も戸という戸はすべて開けてあった。台所の横の外から見えないところで、すばやく水着に着替えたが、良太が家の外にいたら落ち着かなかっただろう。そう思うとおかしかった。
「そうね。わかったわ。お待たせお待たせ。さあ、行きましょう」
こう言って佐和がペダルをこいだ。良太はペダルにつけた足とハンドルをもつ両手に力を入れ、身体全体を前に押し出した。後輪が地面につくと同時にスタンドは上がり、自転車は動き出した。すぐに追いついて、佐和の隣りに並んだ。
能登原の海は夏の日を受けて輝いていた。対岸の田島の山の緑が目の前に見える。その間の汐の流れはおだやかだったが、銀色に反射して目にまぶしい。
ひと泳ぎすると二人は、砂浜近くの岩に腰をおろした。佐和は濡れた髪を指で梳いて風を送った。良太は両手で顔の海水をぬぐうと、太陽のほうを向いて、目を細めて笑った。
佐和と良太は中学二年生だ。同じ小学校、同じ中学校だ。近所でもある。
いつまでも子どもじゃないんだ。さきほどのことを思いだして佐和は頬を染めた。
しばらくして良太が佐和のほうを見た。佐和は胸を上下させて大きく息をしていた。良太には、濃紺の水着の胸のふくらみがまぶしかった。
「パラグアイの話聞いたか?」
「うん、町はパラグアイの話でもちきりよ」
「町のことはとにかく、佐和のうちはどうなん?」
「うちでは、そんな話はしとらんよ」
「そうか・・・」
「どうしたん? 急に」
「いや・・」
「そんなん、水くさい。良太さんと佐和の間だよ。今まで隠し事なんかなかった。何でも話してきたよ」
「・・・ん、そんなら言うが・・・、親父がパラグアイへ行こうと言い出した」
「えっ? パラグアイへ?」
今度は佐和のほうが沈んでしまった。パラグアイのことは少し前から話題になっていた。ブラジルだの北米だのというのは、若者が単身で、いわば出稼ぎのような形で行くのが最近の海外移住政策だった。ところがパラグアイというのは家族単位で行くもので、それを沼隈町が推進しているということだった。
沼隈町といっても、佐和にとっては千年村が名前が変わったようなものだ。この前合併して沼隈町になったものの、一緒になった山南村が近くなったわけではない。
「だ、だから・・・、佐和の家ではそういう話は出んのかと思って・・・」
佐和はうつむいたまま、頭を振った。
「ううん。母ちゃんは百姓はしとるが、うちは本業は船大工じゃけえ、パラグアイにはいけん」
佐和の言ったとおりだった。今回の沼隈町が推進している町ぐるみ移住は、パラグアイの未開地を開発し、大規模な農業を展開するという、いわば農業移民だった。
二人のあいだを重い沈黙が流れた。
父は近辺では腕の立つ船大工として名が通っていた。戦後の造船界は鉄製の大型化が進んで、次第に木造船の需要が減ってきていた。個人の船大工は、廃業したり、造船会社の社員になったりしていくものも多かった。佐和の父も造船所から請け負った仕事が年ごとに多くなっていた。
一瞬言葉がでなかった。佐和と良太は離ればなれになるのは目に見えている。
佐和にとっては、暗い沈痛な日々が続いた。天気のよい日が、かえって呪わしかった。良太がパラグアイへ・・・と思うだけで、胸が張り裂けそうだった。地球の裏側なんて、想像もできない。そんなところへ行ってしまうと、もう二度と会うことはできない。
佐和は、このときほど自分の若さを悔やんだことはなかった。もし、十六歳になっていれば、一緒に行くことができるのではないか。家族が行かなくても、自分一人が良太についていけばいい。しかし、まだ若すぎる。
父が浮かぬ顔をして帰ってきた。三日たっていた。母が気づいて言った。
「どうしたの、そんな顔をして」
「今日、町長からパラグアイへ行ってくれと頼まれた」
「え、パラグアイ?」
母は、頓狂な声を上げた。母が驚くのも無理もなかった。
母は自分たちのことではないと、一瞬思った。移民というのは、戦前も戦後も自分たちとは全く縁のない世界の話だと思っていた。
「開拓には、家も建てる必要がある。それをやってくれと頼まれた。もちろん、百姓もする。船大工の仕事は減った。会社の仕事は安い。パラグアイで広い土地で百姓をするのはどうかと。ここでは、専業農家になるほどの土地はないし。ええ話とは思う」
「ええ話、いうても、まだ見たこともない国のことでしょう。いやじゃわ。友達と離ればなれになるよりも、こっちがええ」
姉の芳美だった。
「私は行ってもいい」
佐和の反応には、三人が一様に驚いたようだった。
「佐和は行ってもいいというのか?」
父親が信じられないという顔をして尋ねた。
「うん。沼隈町が新しい町を作るんなら、やりがいがあると思う」
佐和は、良太のことを考えながら言った。きっと良太もそう思っているに違いないと思った。
「確かに、やりがいのある仕事ではあると思うが、それ以上に苦労もあると思う。それをみんなに強いるのは心苦しい」
父親はあくまでも家族のことを考えているようだった。
「パラグアイに行ったら、友達がいないし、それに学校だってどうなるかわからん」
芳美は今にも泣き出しそうだった。
「おまえはどう思う?」
父は母に尋ねた。
「私は貴方がしたいようにすればいいと思います。どこへでも、ついていく覚悟は結婚したときからできています」
ほんとうだろうか。母だって、本当は行きたくないと思っているに違いない。
「そんなことはわかっているわ。でも、お母さん自身がどう思っているのかそれが聞きたいのよ。佐和と私が自分の気持ちを言ったように、お母さん自身の気持ちが知りたいのよ。戦争が終わって世の中変わったんじゃけえ。女も男と同じように権利があるんよ」
「そんなことぐらいは私でも知っているわ。でも、私は古い女でいいの。新しい女の人の生き方だの、新しい価値観だのと言われても、私は古い女ですと言えばいいじゃないの」
佐和の表情は昨日までとうって変わって明るくなった。
「良ちゃん、ちょっと」
「何?」
良太のほうが訝った。
「行こう、阿伏兎のほうへ行こう」
「どしたん? 急に」
「大切な、は・な・し」
と佐和は一語ずつ切って言った。
「良ちゃん、聞いて! 聞いて! 私の言うこと聞いてくれる?」
良太にとっては佐和のはしゃぎぶりは異常だった。
「まあ、何があったか知らんが、落ち着け、落ち着け!」
「うん、落ちつくから、聞いてくれる?」
「聞くよ。さあ、話せ」
「驚かない?」
「驚かないから、さあ話せ!」
「嘘でしょう。驚くに決まってる。自信ないでしょう?」
「自信あるよ。驚かないから、話せよ」
「それじゃ言うよ。うちもパラグアイに行くことになった」
佐和は、良太が一緒になって喜んでくれるものと思って明るく言った。
良太の表情から笑顔が消えた。良太は喜ばなかった。良太は何も言わなかった。
「どうしたの、良太さん? 気分でも悪いの? 喜んでくれると思ったのに・・・」
良太は佐和を見返した。申し訳なさそうに首を左右に振った。
「何があったの!」
「行けなくなった。ばあちゃんの調子が悪くなって・・・」
「いけない? そんな! そんなの、嫌よ!」
「第一陣には間に合わないと・・」
「良太さんも、行けないの? そうよね、当然だわね」
「いや、・・・やめたわけではない。第二陣か第三陣で行くと親父も言っている・・・」
佐和は落ち着きを取り戻した。しかし、笑顔は戻らなかった。
二ヶ月がたった。秋になっていた。
出発の日が来た。
朝から落ち着かなかった。家を出るとき、近所の人たちと別れの挨拶をしながら、丁寧な見送りを受けた。金明会館と呼ばれている山南の光照寺へ行った。備後光照寺である。
石段から見上げた空は青く澄んでいた。境内の松は色艶もよく、夏の間に存分に枝葉を伸ばしていた。
光照寺は建保四年(一二一六)明光上人の開基になる古刹で、真宗をこの地方へ布教するのに大きな役目を果たしたお寺だ。合併後、庫裡や参道を町の費用で改修し、金明会館として町民の利用に供されていた。
今回のパラグアイ移住は町ぐるみ移住として広く報道され、特に週刊誌などにも取り上げられたことから、この日も多くの放送局、新聞社などが取材にきていた。
町役場の職員らしき人の司会で壮行会は始まった。
佐和にとっては、学校のいろいろな式以外に、こんな式に参加したことはこれまでなかったから緊張した。司会の人の言葉に従って礼をすると、自分が当事者だということが、だんだんと実感された。隣りにいる姉も、周囲の人たちに合わせていた。
いろんな方のお話を伺っていると、自分たちがたいそう持ち上げられているように思った。みんなで六家族三七人の皆様と言っていたから、これが第一陣の陣容だということが佐和にも理解できた。
まだ何もしていないのに、南米パラグアイへ行くということだけで、何か偉いことをしたかのように言われるのが、不思議だった。
一人目の方の挨拶では、気にはならなかったが、二人目、三人目と、似たようなことを言われると、だんだんと腹が立ってきた。
何かまわりからの大きな力で、押されているような感じだ。もう引き返せないんだぞ、という威圧感。そんな気持ちになった。
壮行会は、本殿の前で揃って写真を撮って終わった。
石段にも新しくできた参道のほうにも人が溢れていた。
二つの村が合併してできた新しい町としては最大の行事だったのだろう。あらかじめ町の広報で知らせてあったので、多くの人たちが集まっていた。
白地の布に墨で「祝壮途 ○○○○君」と書いた幟旗を掲げて横を歩いているのは、移住者の同級生か親戚だろう。
普段着で声援を送り、手を振っているのは近くの人だ。
光照寺の下には貸し切りバスが待っていた。岩船桟橋から船で神戸まで向かう。この貸し切りバスで桟橋まで行く。
バスはもうもうと砂煙を上げて走った。沿道ではいたるところに人々が集まって見送ってくれた。
町中がお祭りのような喧噪だった。
揺れるバスの車窓から、砂塵の向こうに静かな秋の野山がみえる。これが沼隈町なんだ、とあらためて思った。その沼隈町から、南米へ新しい町作りをしに行く。地球の裏側だという。船で何日もかかって、そこへ行き、新しい土地を開いて、新しい町をつくるというが、未だに向こうでどうなるかは想像もできない。ただ学校のみんなと別れ、見知らぬ土地へ行く。そのことだけは厳然たる事実として、認めることができた。
良太の家族も次かその次の便で来るというが、果たしてそうなるのだろうか。もし、良太の祖母の容態がよくならなければ、いつまでたっても来れないではないか。そう思うと、なぜか佐和は良太とは永遠に別れてしまうのではないかという思いに襲われた。妄想だと思う。でも、なぜかそんな気持ちになる。
そんなの嫌よ。
佐和は良太からさいしょにパラグアイのことを聞いたあの日から、今日までのことを思いだしていた。季節のうつろいに目をやる余裕もなく、あわただしく日々は去った。まるで夢のようだった。
きっと来てよ。第二陣で、あるいは第三陣で、必ず来てよ。
佐和は声を限りに叫びたかった。
バスから降りると溢れかえる見送りの人たちをかきわけて、父に続いて桟橋へ向かった。桟橋には既に白い船が繋がれていた。操舵室の前にある二つの浮き輪に「あき丸」と書いてある。
ブラスバンドが蛍の光を演奏していた。演奏しているのは佐和と同じ年頃の中学生だったが、彼女らのことを考えるゆとりはなかった。
佐和は良太が来ていると思った。必死で探した。すごい人だ。自分が進むだけでも大変だった。佐和は背伸びをして、左右を何度も振り返った。
「佐和! 佐和!」
良太が叫んでいた。佐和にも聞こえた。
「こちらよ! こっちー」
佐和は手を挙げながら叫んだ。
「佐和! 元気でいろよ。第二陣で行くからな。それまで病気するなよ。気をつけよ」
「良太さん。きっと・・。きっと、来てね。必ず来てね。待ってるからね」
佐和は目に涙をいっぱい浮かべて哀願するように言った。
みんな乗船した。
「佐和!」「早く!」
父と姉だった。
「佐和、頑張れよ!」
「良太さーん」
ブラスバンドの蛍の光、集まった人たちの歓声、それにエンジン音。それらの音をかきわけるように良太の声を必死で聞いた。
色とりどりの紙テープがどんどん増えていく。
あき丸の前後から掛けられていたロープが外された。やがて出航だ。
蛍の光がさらに大きくなった。
ひときわ高いエンジン音と歓声。夥しい数の紙テープが伸びた。切れると海面に垂れた。
佐和の顔が見えなくなると、良太は人混みをかきわけて桟橋から陸へ上がった。自転車のところに着くまでにも何人もの人を押しのける必要があった。やっと自転車のところへ辿り着いた。
「すみませーん。通りまーす」
と叫びながら、人波の切れたところへ出た。
自転車のペダルを思い切って踏んだ。力一杯こいだ。自転車のスピードは上がった。
海が見えるところに出た。あき丸は桟橋の沖を旋回していた。
良太は必死でペダルをこいだ。阿伏兎だ。阿伏兎岬だ。あそこなら海は深くなっているから、船は近くを通過する。
佐和の家の前を過ぎた。今は佐和のいなくなった佐和の家を見る余裕はない。とにかく阿伏兎までに船に近づかなければ! 良太は必死で自転車をこいだ。
能登原の海岸に出た。真夏の太陽を受けた水着を着た佐和が思い出された。ほんの二ヶ月ほど前のことだ。海から上がって激しく呼吸している佐和の胸の隆起が思い出された。それを思い出すと頬が熱くなった。
その佐和が今自分の前から消えようとしている。一緒にパラグアイに行くはずだった。それが、自分のほうが残った。はじめ、パラグアイへ行けないと残念がっていた佐和のほうがパラグアイへ行くことになり、自分のほうが残った。
「すまん。すまん」
申し訳ない気持ちで一杯だった。
あき丸が沖を行く。次第に近づいてくる。直線道路になり、スピードが出た。阿伏兎岬に着いたのとあき丸が来たのがほぼ同時だった。あき丸は阿伏兎岬に接近した。
甲板に出て手を振っているのがわかる。良太も思いきって両手を振った。
立っている一人に佐和をみつけた。
「待っているのだぞ! 必ず行くからなー。佐和!佐和!」
磐台寺の塀のところから身を乗り出して、声を限りに叫んだ。
あき丸はあっという間に通り過ぎた。船影が小さくなり、白い航跡は緑の海に混ざってやがて消えた。
良太は肩で息をしながら、目の前の海を放心したように見つめた。海水が静かに流れ、朱塗りの観音堂の下の岩肌が午後の陽を反射していた。
* * * *
良太は能登原柑橘組合の理事会へ行ったとき、佐和が二人の息子と帰国したことを聞いた。良太の胸は高鳴った。
午後になって佐和が良太の家を訪ねた。良太がいた。佐和は立ち止まった。
「佐和・・」
「良太さん・・」
「ごめんよ。申し訳ないよ。パラグアイへいけなくて」
「ううん。もういいの。あなたのせいじゃないわ」
「いや、・・・ほんとに申し訳ない。あれだけ行くと言ったのに」
「仕方がないじゃない。子どもだったんだから。あなた一人で来るわけにいかなかったのよ」
佐和は思わず、涙が出そうになった。一人でも来てほしかった。どんな思いで、あの開拓の初期を過ごしたか。どんなに良太が来るのを待っていたか。
でも口から出るのは心とは反対の言葉ばかりだった。
「お元気そうね」
「佐和も・・」
「ええ、なんとか」
あとは何を言ったか自分でも覚えていない。
はかない邂逅を良太としたが、心の中にあいた空洞がさらに大きく開いただけだった。自分の思っていることの十分の一も言えずに帰ったことが、悔やまれた。また、良太の前に出たとき、心とは反対に良太を責めず許してしまった自分が疎ましかった。
なぜ、あんなに強く約束したのに、パラグアイに来なかったのかとなじってもよかった。一人でもいいから、すぐパラグアイへ来てほしかったと、なぜ言えなかったのだろうか。なぜ、言わなかったのだろうか。
でも、良太と会えたことはうれしかった。元気な姿を見ただけでもよかった。良太がさらに逞しくなっているのを見て嬉しかった。
そして、パラグアイへ来なかったことを言い訳もせずに謝ってくれたのだから、これでいいではないかと佐和は思った。もう許してあげよう、と佐和は思った。
やはり、私が結婚せずに良太と会える日を待つべきだったのだろうか?
しかし、そんなことが可能だっただろうか? 佐和の家族は、パラグアイへ移住してから、誰も里帰りをしていない。そのような余裕はなかった、というのが正直な話だ。手紙を出そうにも、郵便局もなかった・・・。
最後の日に同級生たちが集い、歓迎会をした。会が引けて、良太は佐和を宿所まで送った。
「わたしたち、お互い別々の人生になっちゃった。でも、あなたの人生も素晴らしい人生だったのでしょう。わたしのもよ。もう後戻りできない。戻せないわ。それぞれ、残された人生をせい一杯生きましょうよ」
こう言って佐和は両手を出して良太の手を握った。良太も握りかえした。佐和の目から涙が溢れた。佐和はさらに力を入れて強く握りかえした。良太は佐和を抱き寄せた。佐和の肩が小刻みに震えた。
翌日、良太は福山駅まで見送った。良太は佐和の二人の子どもたちと挨拶をした。新幹線が入ってきた。佐和と良太は互いにしばらく見つめ合っていた。
「お元気で」
「おからだ、大切にね」
手を握り二人は別れた。良太はこれが佐和との最期になると思った。佐和も同じように、二度と良太と会うことはないように思った。
佐和が日本を出てから四十年以上がたっていた。それは佐和にとっては沼隈にいたよりもはるかに長い時間に違いなかった。佐和の人生の大部分がそちらにあったのだ。その間に佐和は結婚し、子どもを産み、夫とともに子どもを育てた。
そう思うと自分の知っている沼隈の佐和の十五年も、あの十五才の夏も、遠い幻のように思われた。
二週間後、佐和から手紙きた。それには、パラグアイの太陽を見るたびに、能登原の海で見た太陽を思い出します、と書かれてあった。