為ぞ 我が身の後生や今生も 寿命長久福徳を
天よりあたえあるまいか 貧者が拝みはせぬものか これを
思えば世の中に 慈悲ほどめであいものは無し
上立つ人は みな慈悲の 強きお方はそのままに 早や
この世から神仏 これを証拠にするか よい人には ふた
無きものぞ 六根具足の身となりて 人とな
づくは何故ぞ 人ほど尊きものは無し 自ら仏証
あるゆえに みずから神仏肉親を離れたもうと思うなよ
知らねばさても ぜひも無や 天地も動かす人の心(しん)
古仏や古神の尊像と 己が顔と見くらべて
とくと思案をするがよい 神書(しんきょう)仏経見る人が
これを知しらすは何ゆえぞ 思えば無明に覆われて 明
日(あくるひ)事が無き故に 目先に有るもの見えずから
我が古里を知らずなり 知っては師匠もいらぬもの 我と
嗜(たしな)む胸のうち 神仏様が師と成りて 悪しき
道へは引かずもの それとは違い人々は八百萬
神拝しつつ 無上霊宝神道へ 加持しまえと
ただ言い後生は有るの無いのとは 文盲ばかりは
在りもせよ 少しも書物を見る人が 仏法神
道よそに見て 儒道ばかりと思うゆえ この本
朝は唯一に 名付けたまうは何の一 唐天竺も一
ばかり 二つに解きたる国はない これらの事をば
考えて 三道ながら一つせよ それゆえお上の
掟にも 三道残らず守れよと 津々浦々も残り
無く 御趣意のほどはいかばかり だい一お上を
恐れ見て 深く考え たわ言を 言わぬが人の道
近し同じ姿の人の身に 聖賢愚人押し
並て悪光無きは有らん者の、夫(そ)れ故具足
成ると知れ。知らぬで凡夫と名付けたり。凡眼計り
で見る時は、万物別儀に見(みゆ)る者の天眼物眼
開くなら、天地同根同体の聖の辞が皆
知れる。凡心計りで思う六一聖人神仏の
其の種(たね)は我が身の内には無き様に、思いも詰たる夫れ
故に後生の程を思い遣る 夫は何に故聞くが
よし 己が胸の畜類や餓鬼貪欲の在る
事を 是を我が身と思う故 聖気は離れて
仕舞うぞや六道輪廻は恐れ有り 車の開くる
如くなり 慈悲の僉なば差さざれば滅後に離れて
仕舞うぞや 夫れ故諸仏も諸菩薩も慈悲を勧めて
出玉う 済度と云う字を得計見よ 救い渡すと読むと
かや 是らは何を救うのか人為る者の身の
内に人の種子こそ出来て有る 是を救うと言う事
然らば皆々頼めがし 頼めば助くる神仏ぞ 夫故
弥陀の誓願に四十八顔有りとかや 弥陀と勢
至と観音と合わして三尊の弥陀と知れ 夫故
末世は観音が衆生を助けに出玉う 観音
大悲の誓いには 十悪五逆の罪人も来世を助けん
者は無し 願わざるこそ是非も無や 此世で菩
薩に廻り逢い 後生の道を尋ね見よ別らぬ事も
有る間敷 然りと言えども肉眼で見分け難きは
常の事 達磨大師や六祖でも見る目が
無ければ見えはせぬ 夫故廻向と云う日有り 普門
品経聞いて見よ 観音大悲は此娑婆へ出て
説法