*****地図***** 白峯寺のあるところ 重と井の間を南に登る。
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2014.12.10.尾道市因島重井町須越。ダバオの上を南に登る。島四国81番白峰寺の隣り。白峰寺の前の小祠は重井村四国の8番熊谷寺。
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2014.12.10.尾道市因島重井町須越。ダバオの上を南に登る。島四国81番白峰寺の隣り。白峰寺の前の小祠は重井村四国の8番熊谷寺。
幾日かたって、夕爾さんが重井に来られた。よく晴れた日であった。教室を廻って子供達を見てくだされ、校庭にも立ち、全域が見渡されるよう、南側の岡、柏原廟のあるところまで上がってもらった。ゆっくりと町内を眺め、白滝山に目を注がれていた。言葉少なく、暖かい眼差しで見てくだされた。
横田徳造「重井小学校校歌」。因島市退職校長会県教育会因島支部編、「因島の教育 半世紀」、平成13年、(乱丁本)p.50と51の間。校歌のできるまで。重井小学校校歌の作詞者、福山市の詩人木下夕爾氏を案内されたときのようす。
澤井常四郎編、「御調郡誌」、御調郡教育會、大正14年、p.422に八幡神社について、次のようにある。ここに書かれている柏原忠安の次男が川本、三男が蔵本の祖となり、重井柏原氏が始まる。⏩柏原氏系図 川本家墓地
舊小林大疫神社と同殿に祀りしを明徳年間今の地に移すといふ、寛政二年六月三日再興し爾來重修せり。
大旦那 源 吉光 勧進者 帝釋天王
奉上棟重井八幡宮 大旦那 大梵天王 勧進者 平柏原土讃守忠安七十八歳
勧進者 森崎民部吉眞並氏子等
永祿十二年九月二十一日 敬白
大 工 藤原猪五郎 鍛冶大工 助右衛門