はぶみち
2015.6.20.
2017.4.5.
因島土生町郷区荒神社について
荒神社由緒当社は因島村上水軍の第二家老稲
井家の菩提寺であった宝持寺の守護神三宝荒
神社であった。稲井家の祖先は新田義貞の弟脇
屋義助である。義助は今から六百三十五年前の
興国三年の五月伊予に下向して南朝方の総師
となろうとしたが不幸にも伊予で病死した時
に義助は三十六才の若さであった。伊予の南朝
方の人々は吉田城に盾籠って戦ったが衆寡敵
せず終に落城して大舘馬助篠塚伊賀守等は
今張浦(今治港)から船に乗って因島に来て因島
で当時活躍していた広沢五郎等の南朝方と合
流して大いに活動したことは「太平記」「鼓文書」
「忽那軍忠次第」などの証するところである。その
2015.6.20.
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