村上水軍研究目次
今岡四郎左衛門尉通任
因島村上氏先代村上師清は釣島箱崎浦の戦いで土生島前城主今岡通任を破り、末子の村上吉豊を土生長崎城主として、吉豊を初代とすると8代村上元充まで、因島村上時代が始まった。
このページでは今岡通任氏について記す。
亦ここに、海賊の中に今岡左衛門尉通任と云えるあり。これは河野通有の孫四郎左衛門通種の二男。得能弾正少弼通時の弟にて、村上義弘姉婿とし、初めは大島の内に居住せしが、後には岩城・枝越(伯方島)の城を守り、一人の海賊方なり。
与陽盛衰記―予章」、愛媛県教育研究協議会、 (1969年) p.248
通任は今岡家を相続して水軍の大将となってはいるが、もとは河野氏の一族である。
森本繁「村上水軍興亡史」(学研M文庫)p.71
今岡通任、村上三郎左衛門義弘相談シ、・・・
群書類従第拾四輯p.629(319/388)
今岡屋敷跡
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