2代 村上吉資
(吉安)
蔵人助、備中守
長崎城主
因島村上家文書六 将軍足利義持御内書
因島村上家文書七 山名時熙宛行城
(沼隈郡)(田)
備後國多嶋地頭職事、為給分
所充行也、早任先例可致沙汰之状
如件
所充行也、早任先例可致沙汰之状
如件
正長元年十月廿日 (時熈花押)
村上備中入道(吉資)殿
「広島県史 古代中世資料編Ⅳ」、p.553 (職、熈 は別字)
備後国多嶋地頭職の事、給分として宛て行ふ所也、早く先例に任せて沙汰致すべきの状、件の如し、正長元年十月廿日 (花押)
村上備中入道殿
松井輝昭「因島村上文書を読む」p.17
因島村上家文書八
1449宝徳元年6月14日 伊予国守護河野通教から村上備中守当ての軍忠状
森本繁「因島の歴史」p.14
因島村上家文書九
1453享徳2年5月15日 室町幕府管領細川右京大夫勝元から村上備中守当ての軍功奉書 森本繁「因島の歴史」p.5