2020年11月10日火曜日

人名索引

 〔人名索引〕 申候ニ而者之茂江


阿部家


  1. 阿部正邦まさくに 万治元年4月19日1658年5月21日) - 正徳5年1月27日1715年3月2日)2
  2. 阿部正福まさとみ
  3. 阿部正右まさすけ
  4. 阿部正倫まさとも
  5. 阿部正精まさきよ
  6. 阿部正寧まさやす対馬守、
  7. 阿部正弘まさひろ伊勢守 老中首座
  8. 阿部正教まさのり伊勢守
  9. 阿部正方まさかた
  10. 阿部正桓まさつね


阿部内匠

 下宮家8代正ヒロ  2代直意の若名➡️阿部直意


阿部直意 下宮家2代

「御家老 重次様御代         下宮三郎右衛門正春

承応二年九月卒          初名内匠  後改直意」文書348


参考:『執政(一)』p.248系図 文書348


阿部了翁

 佐原家5代、阿部作右衛門正義の隠居名

「御城代 宝永三年十一月十三日  享保十六年九月十五日 隠居

三浦左膳義弾 正徳五年 改阿部作右衛門 正義、隠居号了翁」『執政(一)』p.3   文書348


阿部倫章 下宮家9代


  参考:『執政(一)』p.248系図 文書


安藤家

 大蔵、外記、主馬、織馬と複雑。

 安藤織馬・・8代定孝(外記)、9代定保 『執政(一)』p.62



 遠藤弁蔵

 下宮家文書九 (下宮)三郎右衛門直章(倫章)からの書簡。

 下宮家文書十

 遠藤弁蔵は、御小姓頭支配・取〆役、御元方奉行、御吟味役、御普請奉行、御運上改、兼役。十四石二人扶持(「阿部家分限帳」;県史近世資料㈼)

               「此者(遠藤弁蔵)元来軽キ者御扶持人ニ而、親者宗旨方之手代等相勤罷在候処、家督残之後徒士格ニ罷成、江戸定府ニ而相勤候内、追々立身致シ、備中守様思召ニ相叶、 八九ケ年以前酉年(安永六年)御国勝手ニ罷成、内目付と申役儀相勤」(福山騒動風聞留書)

            安永六年八月段階では福山在番

            安永七年六月福山引越被仰付(旅御用其外御仕向金銀御定書抜帳)

         天明四年百石加増。同五年二月段階では、元締役大目付格少し早い(阿部神社文書(二)七五頁)

         天明五年六月大目付格元〆見習(中井家文書一八二・下宮家文書一七一七・阿部神社文書?七六頁)

   天明六年の十二月であれば十五日の夜半から一揆が起こるので天明五

      年か。

備考  下宮家文書七(出府)

    下宮家文書十(割元仮役人事照会)で一層遠藤弁蔵の権勢が伺い知れる




嶋村 下宮家の旧姓

   『執政(一)』p.161、文書59


下宮家


下宮理右衛門  『執政(一)』p.161、文書59

 

3忠珍

5忠直

直行

正煕(まさひろ)。直豊。阿部内匠

9倫章

10

11直廉(なおゆlき)

12



3代忠珍

文書1853 忠珍の娘が由良信濃守親繁の後妻になり、先妻の子・頼繁の3男・留十郎が下宮け家5代忠直となる。


5忠直

 5忠直は養子。高家・由良信濃守頼繁の3男留十郎のこと。由良家とは3代忠珍の娘との縁がある。文書1853。 

 


五代下宮三郎右衛門忠直


 二代下宮三郎右衛門直意の長女(長壽院)は高家・由良信濃守親繁の後妻である。先妻(清涼院殿)の子である由良信濃守頼繁の三男である留十郎は四代下宮三郎右衛門直住の養子となり、五代下宮三郎右衛門忠直となった。(宝永六年)。従って『執政(一)』二四八頁の系図は間違っている。由良信濃守頼繁を親繁とすべし。〔下宮家文書一八五三〕 





内藤角右衛門

 『執政(一)』p.161、文書59



長嶺蔵人

 『執政(一)』p.161、文書59